第55話 成長と裸の紙幣
入院していた祖父が、来週退院することになった。
ギックリ腰自体は、もうすっかり治っているのだが、祖母が一計を案じて、この機会なので病院嫌いでロクに健康診断すら行かない祖父を人間ドックさせた上、検査入院させたのだった。
今やすっかり健康そのものとなった祖父は、身体は健康になったものの、すっかり意気消沈しているらしい。
まぁ、祖父の事を考えると可哀想と言えなくもないが、病院嫌いが度を越してここまでくると、年齢の事もあるので、このくらいのショック療法は必要だろうと沙菜は思いながら、残っている車葬を進めていた。
「まったく、今回のバイト代は高いんだからねっ!」
沙菜はボヤキながら、今日も学校から戻ると、今日は2台を片付けるべく、最初の辛子色の軽自動車の車葬に入った。
ダイハツ・ネイキッド。
'90年代の終盤からのダイハツは、軽に活気づいていた時期だった。
アプローズや、4代目シャレード、パイザーの失敗によって登録車に割くリソースを減らし、トヨタグループの軽部門の性格を強くしたため、今までにない新車ラッシュとなったのだ。長年叶わなかった軽No.1をスズキから奪取するのもこの時期である。
その前夜となる'97年の東京モーターショーに1台の軽自動車が出展されていた。
数年前に日産から発売されたラシーンにも似た四角くて低いデザインこそ、新鮮味に欠けていたが、中身はアイデアに詰まった面白グルマであった。
当初、ダイハツにはこの車を発売する予定は無かったのだが、出展車両に対する反響が非常に大きかったため、急遽発売を決定し、2年後の'99年の東京モーターショーに再度出展後に発売に移されたのがネイキッドである。
ネイキッドの特徴は、コンセプトカーらしい非常に思い切ったコンセプトだった。
例えばそのネーミング通り裸で剥き出しな内装部にマグネットを取り付ける事で、自分流の収納棚や、ホルダー、またはアクセサリーなどを付ける事ができたり、また、フロントグリルやバンパーが継ぎはぎのように細かく分割された上でボルト留めされていて、バンパーの角を擦った際などに、そこだけを交換できるような工夫もされていた。
また、ドアがほぼ垂直に近く開くようになっていて、大きな物の出し入れに重宝するように設計されていたり、荷室の床を低くし、更にはリアシートを取り外して大きな荷物を積めるようなアイデアと工夫の宝庫のような、CMのコピーである『自由自在なクリエイティブ・カー』を地で行くような車であった。
CMには、アニメのハクション大魔王が登場し、車の特徴を自身の変身能力で実演して解説し、『自由に作る、自由に楽しむ』というサブコピーで大々的に発売されたニューコンセプトカーであった。
その反響は、決して大ヒットと言うほどの売れ行きではなかったが、決して不人気という訳でもなかった。
結果、4年間で9万台の販売台数は、税制上のメリットのある軽自動車と言う性格を考えると、決して多いものではなかったが、RVで且つ個性の強い性格の車と考えれば充分以上に成功という見方もできる。
恐らく以前のダイハツであれば決して市販に移されなかったであろうが、当時はトヨタグループの軽部門という性格を強く打ち出し、とにかくスズキを追い落とすべくラインアップを増強していた最中なので、この車も市場スタディとして日の目を見る事になったのであろう。
結局市場では、この遊び心溢れる車のコンセプトに尻込みし、敬遠する層も少なくなかったようだ。折角マグネットをつけて自分なりのアイデアで作り上げられる荷室も、『品質感がない』「鉄板剥き出しで寒い』などと言う層の言葉に右往左往してしまい、品質感を高めたバージョンが登場する事となってしまったのだ。
更に2002年以降は角型ライトとを採用するFシリーズが追加され、当初のコンセプトの通り遊べるギアとしてのネイキッドと、品質感重視のFシリーズという2本立てとなり、迷走感が強くなっていったのも事実ではあった。
'99年11月に登場したネイキッドは4年が過ぎた2003年11月に生産終了して消滅し、このコンセプトを引き継ぐ車は登場しなかった。
現在のタフトと形状的には似ているものの、ネイキッドにあった自分色に染めていくベース基地といったコンセプトは引き継がれておらず、残念な点ではある。
次に、オーナーの情報が浮かんでくる。
ワンオーナーで、当時10代の女性。
世に言うギャルで、知り合った暴走族の男性と当時の言葉で言うデキ婚をして高校を中退、男女の双子を授かる。
彼女もパートで家計を支えるため、産後すぐに当時乗っていた車高短ミラターボを下取りにネイキッドを購入する。
子供を夫の実家に預けて、2人で朝から働いて、早く家を買うという目標のために必死に頑張っていたのだが、ある時を境に歯車が狂い始める。
しばらくすると、夫との間にすれ違いが起こるようになる。
現場仕事で早く家に帰る事が多いのに、育児に非協力的で、家事もしないで早く寝てしまう。
それを指摘すると、今度は付き合いと称して飲み歩くようになり、遅くまで帰って来ず、貯金もせずに中古の改造大型セダンを車検前に乗り換えるスタイルを貫くなど、彼女にとって子供がもう1人いるような状況になって、日々
ある日、いつものように喧嘩になった後で、夫が部屋を飛び出していってしまう。
いつもの事なので特に気にせずに次の日、仕事から戻ると部屋は空になっていて、家具も子供もいない部屋の真ん中に離婚届だけを置いて夫と子供は姿を消していたのだ。
夫の実家に行っても相手をして貰えずに追い返され、それが2週間続いた時、夫の実家にも引っ越されてしまい、消息の辿りようが無くなってしまった。
彼女は意を決して、遠い昔に飛び出した実家へと戻り、両親に頭を下げて家へと戻った。
最初に戻った時こそ、父親は口もきかず、母親はヒステリックに
彼女は真面目に働き、そして、家に帰って手が空くと、会えない子供たちの事を思うと、自分の不甲斐なさに涙した。
その姿を、彼女の両親は黙って見守っていた。
そして、彼女は一念発起して勉強を始め、大学を目指すことにした。
子供たちを取り戻すため、少しでも法律の知識を学びたいと思ったのだ。
彼女の通っていた高校は、地元では名前さえ書ければ受かると言われていたような所を選んでいたほどなので、真面目に勉強に取り組んだ事などなく、彼女にとって茨の道であったが、仕事と勉強に死に物狂いで取り組んだ。
彼女の両親は、その姿を黙って見守り、彼女が晴れて大学に合格した際、弁護士を雇って、孫を娘の元へと取り戻せるように準備を始めた。
それが功を奏したのか、相手側は、訴訟沙汰を嫌ってあっさりと調停に出廷して親権も彼女の元へと戻り、彼女は晴れて子供達と一緒に暮らすことができるようになった。
しかし、数年会わないうちに状況は大きく変わっていた。
実は、男の子に先天性の病気が見つかり、手術をしたものの、重度の障害が残ってしまっていたのだ。
先方が、あっさりと彼女に子供を渡したのは、治療費等でお金がかかる子供が厄介になったという側面もあったのだろう。
子供を取り戻した後も、彼女は別のものと闘う日々は続いた。
昼は働き、夜は学校へ行き、空いた時間でバイトをこなしつつ、子供との時間も大事にする……という、1日が24時間では足りない状態になっていた。
そして、それを見ていた3人の人間が遂に立ち上がった。
彼女の両親と、世話になった弁護士であった。
両親は、彼女に一部への転部試験を受け、勉強に専念して、早く卒業できるように提案してくれたのだ。
また弁護士は、空いた時間で事務等の手伝いに来て欲しいと、働き口を提供してくれたのだ。
手のかかる子供たち、特に男の子の方を両親が見ていてくれ、昼に大学に通って勉強に打ち込む事ができ、そして、夕方からは事務所を手伝って、夜、迎えに行くという生活を続けた。
授業のない日は、子供たちを連れて行ける範囲の自然の豊かな場所へと出かけていって遊んだ彼女の生活の中には、いつもネイキッドが共にあった。
そして、大学院在籍中に司法試験に合格し、遂に晴れて卒業となって弁護士となった彼女は、心機一転、2人の子供と共に頑張っていこう……と思った矢先にネイキッドはエンジンブローを起こしてここにやって来た経緯が見えてきた。
次に沙菜は車側からの思念を読み取る。
この車には彼女の生き方と考え方の変化にずっと寄り添ってきただけに思念量も大きく、沙菜の身体にも大きく響いてくるものだった。
沙菜は、その思念をゆっくりながらもしっかりと読み取り、ボンネットに手を添えると
「良き旅を……」
と言うと、車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
翌日、沙菜のもとに彼女がやって来た。
沙菜もそれなりの数の車を車葬してきたので、時間と共に見た目の変わっていくオーナーを多く見てきたが、彼女ほど最初の頃から、今に至るまでの姿が変わっている例は見たことがなかった。
見た目だけでなく内面も全く違っており、最初の頃のチャラさを多く残した自己中な少女とは全く別人に思えるほどの変わりようだった。
「それで、車はどうなりますか?」
彼女は、ちょっとだけ暗い表情を浮かべた後で表情を切り替えて訊いた。
「エンジンブローなので動力系以外をリサイクルします。ボディの需要はそれなりにある車なので」
沙菜は答えると、彼女は何かを振り切ったような表情で
「分かりました」
と答えた。
実は、エンジンだけのブローの場合、エンジンを載せ替える事で再生させることは可能なのだが、彼女にその意思がないことは沙菜には分かっていたので敢えて聞かなかった。
彼女にとってこのネイキッドと過ごした長い時間は、少なくとも今の段階では覗いてみたくなる思い出ではない事が分かっていたからだ。
沙菜は、小さな紙包みを彼女に差し出した。
「これ……」
「あの車からの意志です。貴女にこの忘れ物を渡して欲しいと言われています」
彼女は、それがなんであるのかを察して、それを大事そうに胸に抱いた。
それは、1枚の千円札である。
彼女が家を飛び出して、盛り場をうろついて自由気ままな生活を送っている頃、一度だけ探しに来た父親と出くわしたことがあったそうだ。
その時、彼女は怒られて、連れ戻されると思っていたのだが、父親は黙って近くのファミレスに入るとご飯を食べさせてくれた。
そして、財布に入っていた残りの現金1万2千円ほどを渡し、気が済んだら母親と和解するように言ってそのまま帰って行ったそうだ。
結局彼女は、その後も家に戻らなかったのだが、殴られて、有無を言わさず連れ戻されると思っていた彼女にとっては、本当に有り難く、残念ながら1万円はその後の食費に使ってしまったが、残りの千円札は、自分への戒めのために、その後も取っておいたそうだ。
子供が生まれてから、何度生活苦でこの千円札を使おうと思ったが、そのたびに、歯を食いしばって思い留まったという。
彼女は実家に戻り、大学に通い始めた頃、思い切ってあの時の事について父親に尋ねてみたという。
すると、父親は若い頃、バイクに夢中で、プロのモトクロッサーになりたいと思っていたが、両親から猛反対されて、バイクで家を飛び出したことがあったそうだ。
結局、その生活を半年したところで、実家の父親が倒れたという話を聞きつけて戻ってしまったそうだが、彼女を街で見かけた時、あの時の事が思い出されたそうだ。
抑えつけても、あの時の自分と同じ行動に出るだろうから、彼女に真の自分のやりたい事に出会うまで、好きなだけ考えさせてやりたいと思ったそうだ。
その事を知った彼女は、改めて弁護士になりたいと決意して、その後、勉強に身を入れたのだという。
そんな思い出の千円札がある時から全く見当たらなくなってしまって、彼女は焦っていたのだという。
「良かった……これがあれば、乗り越えていける。今までだってそうだったんだ」
今まで
「あと、あの車から言われたのは、お金でない思い出の物を作った方が良いというアドバイスです」
すると、彼女はビックリしたような表情になった後で、ニコッとして
「そうですね。ようやくひと段落ついたので、来週、家族で出かける事にしました。ようやく両親にも子供達にも向かい合えるようになりました」
と言って、頭を深々と下げると帰って行った。
沙菜はそれを見送ると、別棟にある解体待ちのネイキッドを見た。
子供を抱えた金髪の少女と出会い、どん底まで落ちた後の目覚めと、遂に夢と親としての自我に目覚め、そして学生生活と、弁護士となった1人の大人の女性に成長したことをとても誇りに思っている様子だった。
沙菜は、その姿を見てこのネイキッドの処分保留を判断した。
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