第49話 劇甘と漂着

 昼下がりの教室で、突然燈華とあさみが掴み合いの争いになった。

 沙菜は、ちょうど事が起こった時、飲み物を買いに出ていてその場にはいなかったのだが、出る寸前まで和気あいあいと話していたので、狐につままれた様な奇妙な感じだった。

 すぐそばにいた里奈の話でも、些細な言葉のあやに、燈華が烈火のごとく怒り出したというのだ。

 正直、話を聞く限りは沙菜にも理解できないところなのだが、仮にも仲の良い友人同士でも、そんな事になってしまうのかと考えると、人の機微に疎い沙菜には人付き合いが今まで以上に怖く感じてしまうのだ。


 そして、家に帰ると、学校を出る時に教室にいたはずのあさみが、リビングにいたのだ。 

 何故ここにいて、どうやって先に家に着いたのだろうと思ったが、少なくとも『どうやって』については、あさみは沙菜の乗った1本後の快速に乗ったのではないか、そして、沙菜は今日発売の本を買おうと本屋に寄ったら、他に読みたい雑誌を見つけて立ち読みしたため、完全にあさみにリードを許してしまったのだ。


 あさみと談笑しながら紅茶を飲んでいた祖母だが、沙菜の帰りに気付くと


 「沙菜ちゃん。ちょっと急で悪いんだけど、今日中に頼みたいんだって。だから……」


 と申し訳なさそうに言った。

 沙菜にしてみれば、これ以上のラッキーはない。

 このままだと間違いなくあさみは昼間の件について、燈華の愚痴を延々沙菜に聞かせることになるだろう。

 そんなのはまっぴらごめんである。


 「分かったよ! それじゃぁ、あさみゴメンね。今から手伝いがあるからさ……」


 沙菜は嬉しそうな自分を悟られないように言ったが


 「大丈夫だよ。あたし、沙菜の部屋で待ってるから」


 とあさみはしれっと言ったのだ。

 今回は、とことん逃れられないようだ……。


 いつもの場所に行くと、シルバーのコンパクトで背の低いミニバンが沙菜を待っていた。


 「これはどっちだ。トヨタだからパッソセッテかぁ……それじゃぁはじめるよ」


 と言うと車葬を開始した。

 

 トヨタ・パッソセッテ。

 7人乗りミニバンがすっかり定番のファミリーカーとして定着した2000年代、より小さなクラスのミニバンのニーズも無視できないものだった。


 そこで、トヨタが2003年に登場させたのがシエンタであった。当初から好評ではあったものの、先発していたホンダ・モビリオに加えて、日産からキューブキュービックなどが登場するに至って分散化が進んだ事もあり、新モデルの登場は必至とみられていた。

 しかし、次期モデルに対する回答は、ダイハツが開発したミニバンのOEMを受けるというものであった。

 ちなみに、シエンタの先代に当たり、消滅したコンパクトミニバンのスパーキーも、ダイハツのアトレー7のOEM供給であり、トヨタの系譜としては、例外的なシエンタの期間を経て、元通りダイハツへと開発のボールを戻した形なのである。

 尚、シエンタの生産に関しても、2006年のマイナーチェンジ以降はダイハツの工場へと移管しており、以前より、このクラスの多人数乗車に対するトヨタの見識が現れていたものだと思われる。


 シエンタに代わるモデルとして、ダイハツが開発、生産したコンパクトミニバンは、ベース車に倣ってパッソセッテ(ダイハツ版はブーンルミナス)と名付けられて2008年12月に発売された。ちなみにセッテとは、イタリア語で7を意味し、パッソの7人乗り版という、そのままストレートなネーミングであった。

 ちなみに、従来のシエンタに関しても当面は併売するものの、販売促進はパッソセッテに集中させ、あくまでシエンタは消えゆく運命の脇役でしかなかった。


 シャーシはパッソ/ブーンをベースにしたものの、7人乗りとなるために、パッソには設定の無い1500ccエンジンとなり、この点においてもシエンタの後継という出自を守ったものとなった。

 トランスミッションは、全車電子制御4速ATで、CVTや多段ATなどのコストを押し上げるものは排除して、間違いのないメカニズムを採用した。


 デザインはベースとなったパッソ/ブーンとは全く脈絡のないもので、スタイリッシュさを狙った低く流れるようなラインを持つもので、ウィッシュの小型版と言った趣であった。

 当時のトヨタには一クラス上にウィッシュとアイシスというミニバンがあり、ウィッシュがスイングドアなのに対し、アイシスはリアがスライドドアを採用していたが、パッソセッテに関しては、オーソドックスなスイングドアが用いられ、スパーキー、シエンタと続いてきたスライドドアの伝統は、ここで一旦途切れる事となる。


 インテリアは、センターメーターやインパネシフトを使って、シエンタのイメージを引き継ぎ、シートもさっぱりしたデザインにするなど、あくまで若々しい感覚を大事にしたものとなった。


 メインターゲットを30代~40代の子持ち女性とし、その年代のファッションモデル7人を使い、プリンセスプリンセスの『ダイアモンド』のカバーアレンジを流すなど、終始オシャレ感を前面に出し、「私たち、主婦で、ママで、女です。」と言うキャッチコピーで登場したパッソセッテだったが、発売当初から反響はほとんど無く、トヨタ車で流行りのジャンルで外しなし……という間違いの無いところに投下したにもかかわらず散々な結果に終始してしまった。


 大きな原因は、リアがスイングドアで、背の低い低重心ミニバンというジャンルが既に終わりつつあったこと、そして、価格を安く抑える事には成功したものの、直後にエコカー減税が始まって、他車も減税や補助金を使うとそれなりに安く購入できた事、更には肝心なパッソセッテはエコカー減税対象から外れた事などが響いてしまった事、3列目のシートが小ぶりすぎて、ユーザーから使えないと判断された事などだった。

 パッソセッテの3列目シートはエマージェンシー用として、畳んで荷室にした際の使い勝手に注目しすぎた事もあって、真っ平らで駅のベンチ以下の座り心地だったのだ。


 その後は早々に見切られたようで、追加のCM等もなく、2010年に一度パッソセッテに後を譲る形で消滅したシエンタが、セッテの不評と、要望の大きさに応える形で9ヶ月後に復活、以後は、パッソセッテに何も任せるものはないと見てトヨタは急遽2代目のシエンタをトヨタ社内で開発を開始し、パッソセッテは、ブーンルミナスと共に2012年3月、僅か3年4ヶ月という期間で販売を終了し、ブランドが消滅。

 それは、2代目シエンタの登場を3年も前に控えての事であった。


 次に持ち主の情報が浮かんでくる。

 当時20代終盤の夫婦。

 建売り住宅を買ったものの、ガレージの屋根の高さが低いために当時乗っていたヴォクシーから乗り換える。


 夫婦共に働きながら、2年ほどが過ぎた時、念願の会社経営を始める。

 今までの会社勤めで得たノウハウを基に、顧客を引き抜いて、その業界のニッチ的な商売は、目のつけ処の良さから当初は業績を伸ばしていく。


 しかし、商売を始める以前の下準備の悪さから、自分に有利な法解釈をしたため、法律違反を問われていく事になって会社の経営は立ち行かなくなる。

 元いた会社への仁義を疎かにしてしまった事が、ブーメランで帰ってきてしまったのだ。


 会社を畳まざるを得なくなった夫婦は、非正規で働き始めるものの、負債が大きく、差し押さえなどが大きくなっていき、家も他人の手に渡り、夫婦個々の給与までもが差し押さえられるようになるに至り、妻は家を出てしまい離婚する。


 その後、夫はパッソセッテで車上生活をしながら、非正規や日雇いでその日暮らしをしながら過ごし、パッソセッテの車検が切れると、工業港の突堤に車を放置して寝泊まりし、普段は1万円で買った車検の残ったワゴンRで時々で変わる職場へと通っていった。

 その後も、車検が近くなるとタント、ヴィッツ、フィット、モコと交換で乗り継いでいき、遂に債務整理と過払い金の返済によって、元本分を払い終える事ができた。


 そして、ようやくアパートを借りる事ができ、放置されたパッソセッテを処分する事となり、ここへとやってきた経緯が。 


 沙菜は、次に車からの思念を読み取っていく。

 持ち主の変遷が大きかったが、比較的年式の新しいワンオーナー車だった事もあって、思念量は少なかった。沙菜はそれを読み取っていくと、そのすべてを受け止めて


 「良き旅を……」


 とボンネットに優しく触れると車葬を終了した。

 そして、思い出したように


 「マジ? あさみ、勘弁してよ~」


 と言いながら、家の中へと戻って行った。


◇◆◇◆◇


 2日後、事務所に元の持ち主の男性がやってきた。

 苦労の積み重ねなのだろう、年齢よりもかなり老けていて、深く刻まれたしわが印象的だった。


 「解体は完了しました。外装はほとんどがリサイクルに回っています」


 沙菜はそこに関しては淡々と言った。

 正直、内装は使えないという裏返しでもある。

 車上生活車に関しては、内装類のリサイクルは一切行わない。当人は気付かないだろうが、臭いが染みついてしまって、いくら洗浄しても消えないのだ。


 このパッソセッテの室内も、据えたような臭いが染みついていて、内装が使えないどころか、ドアを開けた瞬間に、沙菜が吐きそうになってしまうほどの強烈なものだったのだ。


 「ありがとうございます……」


 彼は今、とある工場に勤めているそうだ。

 そこの工場には、以前車葬に来た、キャパに乗っていた中島さんが上司としており、彼に勧められて車葬を受けたそうだ。

 正直、このパッソセッテには色々な不運を背負わせてしまったという思いと、自分不甲斐なさから再起不能にしてしまった申し訳なさがあるそうだ。


 沙菜は、その話を聞いて、その気持ちがあるなら問題ないと分かった。

 パッソセッテ自体には、オーナーに対する特段の感情の動きもなく、粛々と役目を終えての終末といった感情しかなかったのだ。


 沙菜は、敢えてその事については触れることなく、2つのものを彼に差し出した。

 それは、缶コーヒーの空き缶と、大判の社印だ。

 それにしても、何故会社を興した人の車葬をやると、この手の社印が出てくるのだろうと、沙菜には不思議でたまらなかったが、パッソセッテの思念の中で、彼が大事にしていた物はこれだと確信しているのだ。


 そして、それは間違いないようだ。

 彼はそれを見ると、言葉に詰まって俯いてしまった。

 恐らく、今までの思い出が走馬灯のように浮かんでいるのだと思う。


 そして、言葉少なに沙菜に語った。

 家が人手に渡り、妻に逃げられた後、唯一残ったセッテで逃げるように街を出たものの、行く当てもなく、土地勘もないため近くをウロウロしているうちに、ガソリンも尽きかけたそうだ。

 

 彼は、自分の無力さを儚んで、ホームセンターで練炭を買った後で工業港の突堤の駐車車両に紛れて自殺をしようとしたそうだ。

 その時に、近辺の放置車両の中に住んでいた、地域のホームレスの頭のジョーさんに止められたそうだ。


 ジョーさんは、傍の自販機で買った見た事のない缶コーヒーを渡して、ただ黙って彼の話を聞いていたそうだ。

 そして、一言


 「お前がここで死ぬと、俺ら全員ここを追われる。俺は、他の奴らを守るために、お前を死なせない! 死ぬなら他所で死ね!」


 と言ったそうだ。

 その時の激甘なこのコーヒーの味だけは一生忘れられなかったそうだ。

 以後は、ジョーさんのいる突堤で車上生活を続けながら、近くで働けないかジョーさんの自転車を借りて探しに行ったそうだ。


 それから、近所のゴミ処理場の臨時雇いや、工場の清掃などの仕事をして働いたそうだ。

 毎日真面目に働く彼の姿を見て、いつの間にか、彼にはその界隈で『エリート』とか『社長』というあだ名で呼ばれるようになったそうだ。


 働くうちに、同僚から1万円でボロボロのワゴンRを買った際には、みんなが羨ましがり、やがて徐々にだが、あそこで暮らしている人たちにも変化が見えるようになってきた。

 段々、時間を見て働く人が出るようになってきたのだ。


 そして、遂に工場の寮などに入る人が出てきて、あの場所を卒業する人が出てくる。

 8人ほどいた仲間が、5人になり、3人になって、最後は彼とジョーさんだけになったそうだ。


 そんな中、彼も勤務先の関係上、アパートに入居することになり、ジョーさんと別れる事となり、彼との思い出の激甘コーヒーの缶を探していたそうだ。


 「いつか、また会社を立ち上げて、その時はジョーさんを呼ぶんだって決めたんです!」


 缶を片手にそう言って上を向く彼の姿が、今までの弱々しいものと違ってとても力強く感じられた。


 沙菜に見送られて、ガタの出かかったモコで帰って行く彼の後ろ姿に、会社を興したあの日と同じ自信に満ち溢れたオーラが感じられたのを、今や半分解体されたパッソセッテだけが知っていた。

 

 


 

 

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