第50話 ロバと羅針盤

 沙菜は、燈華からやたら勧められたアプリゲームをやっているのだが、どうにも勝手に慣れない。

 ゲーム自体の操作もさることながら、世界観の妙にも分からないところだらけだった。


 魔法を使ったり、戦いにおいて属性があって、属性を間違えた攻撃では敵に大したダメージが与えられなかったっり……と、いちいち意味が分からない設定が多くて沙菜にとってはイライラしてくる代物なのだ。

 かと言ってやっていないと、燈華からしつこく感想を求められ、画面をチェックされたりするので無視できないのが困ったところなのだ。


 そんなある日、家に戻ると、祖父がやって来て。


 「おっ! 沙菜。なんか、憂鬱から逃れたそうな顔してるな。これからレストアに入る車があるんだ。その前にチョロッと車葬を頼まれてくれ」


 と、ニヤニヤしながら言った。

 正直、それに乗るのは癪なのだが、あのイライラよりもかなりマシなので、それに乗る事にした。


 いつもの場所には、薄いイエローで背の低いワゴンが鎮座していた。


 「ラシーンかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は言うと、車葬を開始した。


 日産・ラシーン。

 '80年代後半の日産は、絶頂の時代であった。

 それを表す車は数々あるが、その中にBe-1に代表される“パイクカー”と呼ばれる商品群があった。


 '85年の東京モーターショーに出品され、'87年に限定で発売されたBe-1ビーワンは、ベーシックカーのマーチのシャーシの上に、レトロ調でいながらポップさとお洒落感を演出したもので、メカニズムにはなんの見るべき点はない車だったが、1万台の限定数は、予約段階で完売し、尚欲しがる層に向けて転売が横行する事態になる。

 発売後も中古車が高騰を続け、139万円のBe-1が360万円にまでなった例もあったほどだ。


 第二弾は'89年発売のPAOパオ、第三弾は'91年のフィガロと登場し、バブルの崩壊や、販売方法の変更(限定期間中に受け付けた受注台数を全て生産する)により、Be-1ほどの爆発的な人気にはならなかったが、それによるインパクトは大きなもので、これらの車で得たデザイン手法を用いて'92年にモデルチェンジを受けた2代目マーチは大ヒットを飛ばして、常勝のトヨタ・スターレットを追い落とす。

 この今までの日産には無いような、尖った商品群に対して、槍を意味するパイクカーという呼称が用いられるようになっていった。


 フィガロを最後に発売されなかったパイクカーであったが、'93年の東京モーターショーに、パイクカーのデザインの流れを汲む、当時流行だったクロスカントリー風のコンセプトカーが展示されていた。

 このモーターショーの目玉は、以前にも触れた通り、モデルチェンジしたR33型スカイラインをベースにしたGT-Rコンセプトで、ブースの中でもひときわの人だかりを作ったが、それに負けずにそのクロスカントリー風コンセプトカーに対する反響が大きかったため、急遽市販化へのプロジェクトが発進した。


 1年後の'94年12月に登場したそれは、羅針盤を文字ってラシーンと名付けられ、今までのパイクカーがマーチをベースにして限定販売の形を採っていたのに対し、一回り大きいサニーの4WDモデルをベースにして、限定ではなく一般販売するという形を採って発売された。

 しかし、日産側の目論見では、他の量産車並みに売れるものではないため、生産は関連会社の工場にて行われる事となった。


 デザインは、Be-1やパオなどを手掛けたスタジオも関わっているため、やはり、それらの息吹が感じられるもので、どうしてもこの手のクロカンのデザインはゴツさとお洒落さの融合に苦心するのだが、ラシーンは、ボディは全てエッジ(角)を立てた真四角なデザインとしながらも、ライトの端などでエッジを落とし、また、ラジエターグリルなどを敢えてあっさりとした処理にするなどして、優しくお洒落なゴツ可愛さを演出することに成功した。


 インテリアも、古の車のような衝立のような平面なダッシュボードに丸く掘られて必要なメーターが埋まっているようなシンプルな処理だった。

 しかし、天面が濃いグレーでそこから下部は白っぽい明るめのグレー、更にはシートがタータンチェック風の柄になってるなど、視覚的に明るさと広さを感じさせるものとなっており、とても気分を高揚させるものとなっていた。

 また、他車との部品共用化を逆手にとって、ハンドルやシフトノブ等は上級車種のローレルの物を用いるなど、お洒落さと上質感に細部まで拘った作りとなっていた。


 シャーシは最量販セダンであるサニーの4WD、1500ccのもので、開発開始時期の関係上、1月にモデルチェンジした8代目サニーではなく、従来の7代目のシャーシを使って成立させていた事も、奇をてらわない、熟成のメカニズムの上に成立させるという従来のパイクカーの流れを汲んだものだった。


 こういう形の車となると気になるのが、悪路走破性というのが当時の流れであったが、このシャーシからも分かるように、ラシーンは悪路走破性を全く重視しておらず、サニーの4WDモデル並みの走破性であった。


 ラシーンの売りは、その低い全高による街中での使い勝手の良さで、タワーパーキングへと収まる155センチ以下の全高や、良好な燃費、上下二段に開くハッチで狭い場所での荷物の収納も楽々……というものであった。

 一言で言えば、ラシーンとは、お洒落なクロスカントリーのパロディなのだ。

 例えば、当時のクロスカントリーで人気のオプションと言えば、フロントにそびえ立つガードバーと、ボディの背面にレイアウトされたスペアタイヤだった。

 当然ラシーンにも、これらのオプションは用意されているが、例えばガードバーに関しては、ラシーンでは『ファッションバー』と名付けられ、売りは、歩行者と衝突すると、ぐにゃりと曲がって歩行者保護になるというものだ。

 本来、クロカンのガードバーは別名『カンガルーバー』と言われ、大型の動物を跳ね飛ばしても車に損傷を与えない事が目的となっているのに……である。

 そして、スペアタイヤに関しても、クロカンは、いかなる場所からも生還するために、標準と同じサイズのタイヤを収めるために背面につけているのに、ラシーンの背面キャリアのカバーを外すと、乗用車と同じ応急用タイヤが顔を出すのだ。


 ラシーンの狙いは、普段の街中を小粋に冒険するためのお洒落なツールなのだ。

 若い女子や主婦が、テラノやサーフに乗っても、持て余すし、入れない場所も多くて、嫌になってしまうのに対し、等身大のラシーンとならば、ちょっと勇気を出して、普段と違う道から家に帰ってみよう、その先に何かの発見があるかもしれないという、日常にあふれる何かを見つけるためのツールだったのだ。


 CMにはドラえもんが登場(カタログにも登場)し『僕たちの、どこでもドア。』と謳って登場したラシーンに対し、当時の自動車ジャーナリズムの評は散々なものだった。

 こんな車を発売する日産の見識を疑う、ユーザーをバカにした車、弁当箱みたいで意味不明、CMで子供を釣って車を買わせる卑劣なマーケティング等々、良く言っている論評は全く見当たらない程であった。

 そして、これらの評論家が皆口を揃えて言ったのが『このような車の人気は、すぐに凋落する』と言ったものであった。


 しかし、ラシーンは日産の思った以上に売れ、そしてその賞味期限も長く、想定外の事態となった。

 人気が爆発……と言った、従来のパイクカー的な感じではなく、しっかりと一定数がコンスタントに売れるというもので、その事態に対応するように、毎年必ず1回は特別仕様車が発売されるというものだった。


 '97年1月にはマイナーチェンジを行い、従来ユーザーの不満であったパワーに余裕がないという点を改善するために1800ccと先進のトルク配分型4WDであるアテーサを組み合わせたftシリーズを追加する。

 '98年4月には、前年の東京モーターショーに出展していたスポーティなフォルザシリーズを追加、丸型4灯式ライトと、リアハッチの傾斜した独特な外観に、2000ccを搭載、オーバーフェンダーで3ナンバー化したこのフォルザのCMには、ドラえもんに代わって、ムーミンとスナフキンが登場『ラシーンの国へ、ようこそ。』『自由が、一回り大きくなりました』と謳って登場から4年近くを経たモデルとは思えない販促であった。


 しかし、この頃になると日産の負債は大きく膨らみ、'99年にルノーとの提携が発表されると、ラシーンも車種整理の対象となり2000年8月に生産終了となり消滅。5年9ヶ月間の販売台数は7万3千台弱で、年間1万台も売れないと見込んでいた日産の見込みは大きく裏切られた形となった。


 ちなみに、現在販売されているマツダ・CX-3、トヨタ・CH-R等のCUV、または軽のハスラーやタフトなどは、全てラシーンの延長線上に位置する車で、ラシーンは約30年、時代を先取りしていた事となる。


 尚、ラシーン発売とほぼ時を同じくして始まった日産のインターネットサイトの名前は『日産羅針盤』で、インターネット時代のイメージリーダーとしてラシーンが用いられていた。


 次にオーナーの情報を読み取る。

 この車は、3人のオーナーの元を渡ってきたようだが、思念が強いのは3人目のオーナーだ。

 

 年数的には2年程度なのに思念が強くなるのは、最後のオーナーの元での思いが強かったという事だろう。

 大抵、複数オーナーの場合は、最初か最後のオーナーに対する思念が残っている場合が多いのだ。


 オーナーは10代と思われる女性。

 地方のモータースで、集められた何台かの車の中から、このラシーンが目に留まる。

 どうやら、過疎の自治体が移住者に行っているサービスのようで、古い平屋の家屋と共に支給される。


 町の施設で働きながら、休憩時間には図書館に行ったりと勉強熱心な少女だが、沙菜にはどうにも拭えない違和感があるため、しばらく黙っていた。

 もうしばらく進めていくうちに


 「の人だ……」


 と沙菜は呟いた。

 また現れたが、もうここまでくると沙菜もそうは驚かない。

 もう、彼女が宇宙人や異世界人でも過去の人間でも、なんだったら未来の人間でも驚きはしない。車葬をやっていると、そんな耐性が強くなっていく自分がいるのだ。


 どうやら彼女の普段を見ていくと、なにやら人ならぬ能力を持っていた人間のようで、それが使えない今の暮らしにもどかしさを感じているように見えた。

 そして、押し入れの奥に仕舞われていた妙な形の杖が、それに関係しているようだ。


 沙菜は、疑問に思ったので、その杖の形をメモ帳に簡単にスケッチした。

 そして、車葬を一時中断して、そのメモ帳を撮影すると、LINEで送信した。

 送った相手は、エルフの瑠唯さんだった。

 沙菜の中で、こういったものに一番造詣ぞうけいが深そうなのは彼女なので、訊いてみたのだ。すると、即座に返答が来て、沙菜はそれを見て納得した。


 「魔法使いだ!」


 そう、今回のオーナーは魔法使いのようだった。

 同時に、彼女がある日、街のカフェで会っていた同年代くらいの女性との話の中で、全てが分かったのだ。

 彼女たちは、魔王を倒して世界を救うべく、勇者の元へと集まったパーティ一行だったそうだ。

 5人のパーティは、並み居る魔物を倒していき、1年をかけて遂に魔王との決戦を迎えたそうだ。


 今までの魔物とは桁違いの強さに全員が疲弊していき、彼女も魔力切れで魔法が使えなくなって防戦に回っていった。

 そして、遂に魔王がトドメの一撃を放った瞬間、突然地響きとともに爆発が起こって魔王城が崩れ、気が付いたら現代にいたそうだ。


 正直、魔法は使えないが、テクノロジーが発展しているこちらの世界で暮らすのも悪くないと思い、生涯元の世界には戻れなくても後悔しないよう、この2年、勉強を続けていたのだ。

 役場でも協力してくれて、学費を援助してくれて二部大学に入学させてくれたので、昼は仕事、夜は大学に行く生活を送っていた。


 そして、今年、転部試験に合格して、一部生となって昼間の大学に通うために休職し、残りの二年は都心のキャンパスに通うために引っ越すため、ラシーンも手放す事となり、こちらへとやって来た経緯が浮かんできた。


 沙菜は、車側からの思念を読み取った。

 やはり、あちら側の人が乗った車に関しては車側も混乱していて思念の読み取りが難しいのだが、沙菜はそれをじっくりと時間をかけて読み取り


 「良き旅を……」


 と車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、オーナーの女性がやってきた。

 もう、こちらに来て2年を経ているので成人しているはずだが、沙菜の方が年上に見えてしまうほどの童顔で、ちょっと違和感を感じてしまうほどだった。


 沙菜があまりにも淡々と話すため、彼女の方が不安になって、自分の話をしようとしたが、沙菜は、いつものごとく、この手の異世界系の人に立て続けに会っている話をして納得してもらった。


 「こちらを……」


 沙菜は、巾着袋を差し出した。

 彼女は、それを受け取って開けると


 「これは……」


 と言った。

 正直、沙菜には読めないために分からないが、金貨や銀貨が入っていたのと、それと何やら厳めしい字体の書類が入っていた。

 どうも拇印のようなものもある事から、パスポートのようなものだったのではないかと思われる。


 やはり、彼女の話を聞くと、他の国や領地に入る時に使うパスだったそうだ。

 彼女が話したところでは、この世界に誰が飛ばされていているのかも分からないが、この間話していた元、神官の娘が、パーティの中で唯一こちらの世界で会えた人間だったそうだ。

 

 残りの3人がもし、こっちに来ているのなら会ってみたい。

 そして、元の世界に戻るのも良いのだが、自分は残ってこちらで研究してみたいことがたくさんできたのだそうだ。

 特にエレクトロニクスや放射線などの分野に強い興味があって、やはり、今までの自分が魔力や魔法といった、普通の人の目には見えないものを操っていたので、その思いが強いのだそうだ。


 「あのラシーンは、貴女の事をとても心配していました。気になる事があると、寝ないで探求して仕事に出る事はやめて、身体に気遣うようにと、そして、貴女には世界を変える力があるのだから、臆せずに次のステージに行くように……とも言ってました」


 今までサバサバと明るく話していた彼女だったが、その言葉を聞くと、言葉を詰まらせて押し黙った後、沙菜に、あのラシーンへの想いを語った。


 こちらの世界に来て一番驚いたのは、発達した乗り物だったそうだ。

 特に飛行機と自動車の存在は、彼女の中では最高にショッキングだったようで、念願かなって免許を手にできたときは、寝られなかったそうだ。


 役場で、中古車が貰えると聞いて見に行き、モータースの車置き場にある色々な車の中で、彼女が唯一目を止めたのはこのラシーンだったそうだ。

 彼女曰く、他の車は、この車を目にした途端、眼中から外れたのだそうだ。

 それまでの彼女は、このテクノロジーの塊である自動車という乗り物に乗るなら、絶対に最も進んだ技術を持つ物にしようと決めていたのだが、そんな彼女が選んだのはその場にある中で、最もローテクであったラシーンだった。


 魔法使いとして、勇者パーティに参加した時、彼女のお供として、荷物を運んでくれたり、時には乗せてもらったりしたロバにとても雰囲気が似ていて、ついついこのラシーンから目を逸らす事ができなくなってしまったのだそうだ。


 彼女は、沙菜にお礼を言うと、最後にラシーンの元へと駆け寄り、真正面に立つと目を閉じて何かの念のようなものを贈っているようなポーズを取った。

 沙菜には何も感じられなかったが、きっと彼女とラシーンの中では、何か大きなものが送られた事だけははっきりとラシーンの表情で分かった。


 魔王と戦い、時空を渡り、魔法を使えなくなった魔法使いの少女は、あちらで生き別れになった相棒のロバと、こちらの世界で再会を果たしたのかもしれない。

 その真実は、この羅針盤しか知らない事である。

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