第48話 夢と現

 世の中、何が正しくて何が間違っているのかの常識の尺度は常に一定ではない。

 もし、そうでないと言うなら、今でも地球は止まっていて、空が動いている天動説が世の中のスタンダードとなるはずである。


 沙菜が家に帰ろうと最寄り駅で電車を降りると、見覚えのある顔を見たので、Uターンして電車に乗り込もうとしたところを、その人物に手を掴まれて引き戻された。


 なぜ避けるのかと言えば、面倒な車葬を頼んでくる相手だからである。

 その相手は、元刑事の妻である美也子みやこさんだ。

 この人は、この辺が住まいではないので、この駅を利用しているわけがない。明らかに沙菜を待ち伏せていたのだ。


 「あら、沙菜ちゃん! 偶然ねぇ~。ちょっとお茶でも飲まない~?」


 明らかによそ行きのトーンの高い声で言ってくる美也子さんをかわして


 「法事があって、急いでますから」


 と言うと


 「あらぁ? さっき、家に寄ってきたけど、そんな話してなかったわよぉ」


 とニヤリと口角を上げながら言った。

 分かっていながらカマをかける。さすが、刑事の妻というところだろうか、しかし、沙菜にとっては全く愉快ではない。


◇◆◇◆◇


 「車葬は祖父に頼んでください」


 駅前のカフェで、沙菜はクリームソーダを一口飲むと、静かに言い放った。


 「あら、私は沙菜ちゃんに頼みたいのよ。その件でさっき家に行って、お祖父さんからも了解貰ってるしね」


 美也子さんは、相も変わらずニヤニヤしながら言った。


 「車葬は祖父の方がベテランですから」

 「でも、ケースでは、沙菜ちゃんの方が長けてたけてるって、言ってたわよ」


 美也子さんはしっかりと退路を遮断してから、相手に臨むタイプなんだろう。沙菜の断りそうなポイントを全て押さえている。


 彼女の話によると、持ち主が行方不明になった車から、当人の手がかりをなんでもいいから探し出して欲しいという依頼だそうだ。

 彼女の同級生なのだが、息子がある日忽然と姿を消したものの、事件性がなく行方不明者として届けが受理されておしまい……という結果に納得いかないので、なんとかして欲しいという風に頼まれたものの、いくら元刑事の妻とは言え、事件性もないのに無理に警察を動かすことは難しく、旦那さんの元部下たちに、個人的に依頼するのと並行して沙菜の所にも頼みたいという事だった。


 「当然、簡単な話じゃないだろうから、依頼料は弾ませて貰うから……」


 と言う話なので、渋々受ける事に同意すると、もう車は家に運び込んだとの事だった。

 要は、どう転んでもやって貰うつもりだったのだ。

 沙菜は、彼女の手の中で踊らされた事がとても悔しく、同時に不愉快だった。


 家に帰って、着替えをしてからいつもの場所に行くと、鮮やかな青とグレーのツートンカラーの小さなクーペが佇んでいた。


 「AZ-1……じゃないみたいだね。一体なんだろ? それじゃぁ、はじめるよ」


 とボンネットに手をつくと車葬を開始した。


 スズキ・キャラ。

 バブル期の日本では、後の世には考えられないような常識から外れた事がたくさん行われてきた。


 その中の1つが、軽スポーツモデルの誕生で、後にホンダだけがS660として復活させたが、基本他メーカーはこれっきりで終了したことからも分かる通り、バブルでなければとてもできない程、リスキーな商品なのだ。


 現在では平成の軽スポーツABCトリオなどと言われる、マツダ・オートザムAZ-1エーゼットワン(A)、ホンダ・ビート(B)、スズキ・カプチーノ(C)の3車種で、ビートやカプチーノの市販を知って、大慌てでショー展示モデルを市販化させたAZ-1は別としても、ビートもカプチーノも、長年練りに練ったライトウェイトスポーツカーにかける情熱が、バブルという好タイミング時に花開き、商品化に至ったのだ。


 しかし、この3車はどれもがバブルの崩壊に発売開始のタイミングが当たった事もあって、販売的に成功を見ずに終了しているが、実は、このトリオの中にもう1つのCが存在したのだ。

 それがスズキから発売されたキャラである。


 キャラの前に、マツダとスズキの関係が、キャラの出生に密接に関係しているため触れておくと、'89年に10数年ぶりに軽自動車市場に復活することとなったマツダは、自社で開発するのはボディのみとして、主要なエンジンやシャーシなどを、スズキから調達することを決定した。


 つまりは、以後のマツダの軽自動車の中身はスズキのものなのだ。

 更に'98年以降は、そのボディ等の開発もやめて、マツダの軽自動車は完全にスズキからのOEM供給となり、現在に至る。


 それを踏まえた上で話を戻すと、マツダは、ショーモデルのAZ550を市販化する際に、今まで通りスズキからエンジン等の供給を受けた。

 AZ-1はミッドシップでFF用のエンジンを使うため、アルトワークスに搭載されたツインカムターボエンジンの供給を受けて市販化されたのだ。 


 その際に、どのような話になったのかは定かではないが、AZ-1の発売から数ヶ月を経た'93年1月に、突如姉妹車としてスズキから逆OEM供給ともいえる形で発売されたのがキャラである。


 ガルウイングドア、固定式のライト、室内の装備品等はすべて同一で、違いは、AZ-1ではオプション設定だったフォグランプが標準装備な点、更にそのフォグランプの形状がオリジナルの角型(AZ-1は丸型)となっていた点、あとは、リアのエンジン下の導風板がAZ-1であれば『AUTOZAM』と彫刻されているのが省かれている程度のもので、これがABCトリオのもう1つのCの正体なのだ。


 先にも述べた通り、この手の軽スポーツは、登場時がバブル崩壊時にぶち当たった事や、よしんばバブル期に当たったとしても、バブル期にはより大きな車へと人々の関心が行っていた点、軽自動車としては非常に高価(当時のカローラクラスの上級グレード並みの価格、現在で300万円相当)であった事、更にAZ-1に関しては安直なマーケティング政策や商品自体の熟成不足などがあり、手痛い失敗に終わっている。

 さて、キャラはと言うと、更に売れておらず、AZ-1が4,500台程度売れたのに対して、'95年いっぱいで販売が完了するまで、530台程度しか売れていない。


 原因は、AZ-1自体の商品の成り立ちの甘さや実用性の低さに加えて、スズキには軽スポーツの一員であるカプチーノがあったためだ。

 同じエンジンで熟成の本格シャーシのFR、更にはオープントップで、軽スポーツで唯一AT車(後期型のみ)の設定もあり、更にはスズキ本体が開発したカプチーノに対して、エンジンだけ一緒でも、マツダが思いつきで作っただけのショーモデル用の急造品で、スズキは開発に関わっていないキャラを宛がわれても、カプチーノと競合した際にキャラを推そうという風にはならないのである。

 キャラは、ガルウイングの軽自動車が好きだけど、マツダが嫌いとか、スズキと付き合いがあって、軽スポーツは欲しいけどオープンは嫌だ……というような、かなり限定的な層にしか売る事ができなかったのだ。


 次に持ち主の情報が浮かんでくる。

 2オーナーのようで、2人分が浮かんでくる。


 最初のオーナーは、20代中盤の男性。

 スズキの関係で働いており、スズキ車の中でスポーツモデルという条件だったが、同僚がカプチーノやアルトワークスに多数乗っていたため、人と違った個性でキャラを購入。


 あちこちで走りを楽しんでいくが、セカンドカーが無いと辛いため、2年後にエスクードを増車し、乗る機会が極端に減っていく。

 更に2年後に結婚して子供が生まれた事によりエスクードが家族に使われる機会が多くなると、皮肉にもキャラが通勤車として再び引っ張りだされるようになる。

 そこから5年間、通勤車として使われた後、ドアを支えるダンパーが抜け、ドアに頭を叩かれた事をきっかけに、keiワークスへと買い換えたが、キャラは男性の実家の農機具小屋へと仕舞いこまれる。


 次にキャラが目覚めたのは12年後。

 仕舞いこんだ男性もすっかり忘れていたが、倉庫の建て直しのために出てきたキャラを、もう乗るつもりが無くなったため、中古車業者が引き取り、修復の上で販売する。


 2人目のオーナーは20代中盤の男性。

 ワンオーナーの希少車として高値で売られていたキャラをビートかカプチーノを探しに来ていたが、希少性とガルウイングが決め手となり、即決で購入。

 初代のオーナーとは違って、峠やサーキットなどに走りに行くタイプではなく、普段はあまり車には乗らずに、数ヶ月に一回、似たような年代の車が集まってる場所に行っては、車を見せあうようなタイプのオーナーだった。


 その生活が1年半ほど続いた時、急にオーナーが姿を消してしまう。

 勤務先にも現れず、アパートにも帰らずに、月極駐車場にキャラが置かれたままの状態が数ヶ月続いていた。


 結果、実家に勤務先と不動産屋の双方からの連絡が行って、ここにやって来た顛末が見えてきた。


 沙菜は、今回は特殊な任務があるために、車側からの思念の抽出に力を入れた。

 この持ち主の行動に、特に注意を払って、どこに行ったのかを探る事に持てる力の全てを注ぎ込んだ。


 そして、沙菜は汗まみれになりながらも、それを読み取ると、ボンネットに手をついて


 「良き旅を……」

 

 というと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、彼の母親がやって来た。

 その表情からは、ただならぬものを感じて、沙菜はたじろぎそうになったが、お茶を口にして落ち着くと


 「まずは、落ち着いて聞いて欲しいのです」


 と切り出した。

 

 沙菜が次の瞬間から言い始めた事に、彼の母親は驚きのあまり気を失いそうになった。

 いや、話している沙菜ですら信じられない話であった。


 オーナーの彼は、ある夜、ゲームをしていて突然発した光線に従って、アパートの部屋を飛び出し、山中にある廃工場へとキャラで向かった。

 そして、その中にある廃棄された溶鉱炉の中から発せられた光の渦の中へと飛び込んで行ってしまったのだ。


 沙菜にはその後も見えている。

 その先には、荒廃とした世界が漂っており、その世界に飛び込んだ彼は鎧に包まれていて、剣を手に持った彼が、現れるモンスターを倒しながら進んでいく先には、街があり、彼はそこの酒場で知り合った3人と、世界を救うために旅立って行ってしまう。


 どうやら、異世界転生というものらしい。

 沙菜は、その手の本も読まなければ、ゲームもあまりしないので、正直よくは分からないのだが、その沙菜の乏しい知識でも、これはそうとしか見えなかった。


 その後の世界も流れてくる。

 彼は、魔法使いや賢者など、仲間たちと共に並み居るモンスターたちを倒して、世界を混沌とさせている元凶の魔王を探して世界中を旅して、次々と魔界から街を解放していく、途中でパーティーの仲間との涙の別れと新たな出会いなどを繰り返して、最後には、仲間の1人を失いながらも遂に魔王を倒して、世界に平和を取り戻すことに成功する。


 そして彼は、当初の街へと戻って、王様から爵位と城を貰って優雅な暮らしを手に入れ、戻り方も分からない現代の窮屈な暮らしには戻らないと決めた事、そんなある日、また新たな魔の力に世界が包まれ、新たな旅へと向かって行った……という経緯が車からは流れてきたのだ。 


 話し終えても、沙菜は、彼の母親がその話を信じるとは思えない。いや、話している沙菜が一番信じていないのだ。

 信じていない人間が、これまた信じていない人間に説明するこの手の話など、この世で一番説得力をもたない話なのだ。

 大体、このキャラに乗って廃工場まで行ったのだったら、何故キャラはいつもの駐車位置に止められていたのか、そして、彼自身の身体は何処へと消えたのかが全く説明がつかないのだ。


 しかし、彼の母親は落ち着いてから改めて沙菜の話を聞くと、満足したような表情で大きく頷くと


 「分かりました」


 と言ったので、沙菜はあまりにも驚いてしまって、次の言葉が出てこなかった。

 母親の話によると、彼は子供の頃から、そう言った世界観の空想に入り込みやすく、近所の子供達から奇異な目で見られたりしていた事もあったそうだ。

 大人になって、それは物語やゲームの話だという事が分かってからも、そういったゲーム等に入り浸っていたので、沙菜の今の話を聞いて、自分の理性としては信じられない話ではあるが、一方で今までの彼の言動からすればそれは充分あり得る事だとも思っているそうだ。


 そして、彼が帰らないと決めているのなら、それはそれで仕方がないという事を、寂しそうな表情で最後に語っていた。


 彼女を見送った後、沙菜はあまりにも突拍子もない今回の話の顛末に、依頼主である美也子さんに電話をかけたものの、何から話せばいいのかを整理するまで、言葉が出てこなかった。


 

 

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