第47話 長い旅路

 沙菜にとって分からない話題は兄弟姉妹の話である。

 里奈には兄、あさみには弟、燈華には姉と妹がいるので、2日にいっぺんは兄弟姉妹の愚痴話を聞かされるのだ。

 里奈の兄はデリカシーがなく、シャツ一枚で家をウロウロするとか、燈華の妹は、勝手に燈華の服を着て出かけるとか、そのくせして、里奈は兄が頭が良くて、難関大に一発合格した事や、燈華も、妹が読モであることを自慢していて、正直、彼女たちの兄弟姉妹に対する明快な評価が分からないのだ。

 沙菜が特殊な家庭環境に育ったことが全ての原因なのだろうが、沙菜にとっては、兄弟姉妹とは宇宙人にも等しい未知の生態の生き物なのだ。


 そんな思いを抱えて家に戻ると、祖父と祖母が、出かける準備をしていた。


 「あぁ……沙菜、悪いんだが、叔母さんが倒れて病院に担ぎ込まれたらしくてな。ちょっと出かけなければならないんだ。悪いんだけど、急ぎで車葬、頼まれてくれ」


 祖父が拝むようなジェスチャーで言った。

 叔母さんって、爺ちゃんの妹だったよね。

 普段は、『あんなバカ、くたばっちまえばいいんだ!』とか言ってるのに、倒れたら心配なんだ。何だか分からないねぇ……。


 沙菜のそういうところが、みんなからすればズレてると言われる点なのだが、沙菜自身は、それがどうズレてるのかが分からないのだ。


 沙菜は、そんな思いを振り切るようにいつもの場所に行くと、そこには白いトールワゴンが佇んでいた。

 洗車は行き届いているのだが、ボディの至る所がベコベコにへこんでいて、奇妙な感じを醸し出していた。


 「パイザーかぁ、それじゃぁ、行くよ」


 と言うと車葬を開始した。


 ダイハツ・パイザー。

 '90年代の日本の市場は空前のRVブームとなり、ステーションワゴンやクロスカントリー、ミニバンなどが飛ぶように売れるようになった。


 その中で、小型車、とりわけ軽自動車を席巻したのは、'93年に登場したスズキ・ワゴンRに代表されるトールワゴンである。

 ワゴンRの登場とそのヒットにより、軽自動車には4人の乗員人数制限があるために、ワゴンなど流行らないと高を括っていた他メーカーも一斉に参入して、元からあった軽セダンが駆逐されていってしまう結果となった。


 ワゴンRに対抗するムーヴを発売してこちらもヒット街道に乗り、一安心していたダイハツは、次は、コンパクトカーにもトールワゴンの波はやって来ると睨み、次なる一手となるコンパクトクラスのトールワゴンの開発に着手する。


 '96年8月、最もRVがホットな最中に登場したダイハツ製のハイトワゴンのベースは、最終型となった4代目シャレードのセダン版、ソシアルであった。

 1500ccのみ、駆動方式がFFと4WD、ミッションは5速MTと4速ATでグレードが3つというラインナップで登場したパイザーの特徴は背の高さと使い易いサイズで、1,595ミリの全高は、驚くほど高くはないものの、当時のセダンばかりの世の中からすると、ちょっと目を引く高さではあった。

 そして、シャレードベースのシャーシを活かして取り回しやすさと、1500ccのハイパワーが売りの従来のセダンに代わるファミリーカーとして登場した。


 外観デザインは、トヨタの初代イプサムを縮めたようなもので、ウエストラインの高めなサイドウインドーや、初期のオプションカラーで設定されていたツートンカラーの塗り分けなどは、明らかにそれを意識しているものだった。


 奇しくも、同月にマツダから類似したコンセプトのワゴンとしてデミオがデビューした直後の登場で、同クラスのライバル車同士が火花を散らし合うかのような様相となってしまった。

 この2車は、既存のシャーシをベースに作ったコンパクトワゴンという成り立ち、クラスまでも一緒であり、宿命のライバルという表現がピッタリくるものであった。


 テレビCMでは、プロバスケ選手のピッペンが登場して『小さく見えて、大きく乗れる』と謳ったデミオに対し、こちらは往年のグラビアアイドルのアグネス・ラムと、彼女の双子の息子が登場して、ほのぼの完満載のCMで『家族のゆったりコンパクト』と謳い、共に外国人を使って、小さいけどゆったり……という狙いを謳うという点まで共通していた。


 しかし、パイザーのCMには続きがあり、最後に日本人のナレーターが『おっ、パイザー』という決め台詞を全てのバージョンにおいて言うのだが、普通に聞くとイントネーション的に『おっぱい』と言ってるように聞こえてしまうようにナレーションされていたのだ。

 20年ほど前の元祖巨乳グラビアアイドルが登場してきて、決め台詞がおっぱいでは、家族で乗るほのぼのファミリーカーとしての素質としていかがなものだろう? と思われたのかどうかは分からないが、パイザーのCMは確かに当時強烈な印象を残したのだった。


 そして、肝心のライバルとの対決はというと、パイザーはデミオに全くと言っていいほど歯が立たず、発売後しばらく時間が経過するとすっかり忘れ去られてしまった。

 原因は、パッとしないデザインや、ウエストラインの高さに起因する窓の小ささ、更には質感が高くなった分、高価になってしまった事などが大きかった。

 デミオは、安っぽすぎるが故に、後に改良が相次いだが、実際販売価格も安いため、安く広くて使える車としてのゆるぎない牙城を築き上げたのに対し、パイザーはデミオ程、室内のユーティリティの高さを謳っておらず、やや高級なイメージが付きまとってしまったのだ。


 その後、'99年までの毎年マイナーチェンジを実施して、4WDのエンジンを1600ccにしたり、ムーヴで好評だったエアロカスタム(後にエアロダウンカスタムと改称)を追加、更には最上級グレードを廃止して、価格帯の引き下げを図ったが、その頃には、ホンダ・キャパ、三菱・ミラージュディンゴ、日産・キューブなどの競合車が登場。

 キャパとディンゴは不人気に終わったものの、キューブの人気が爆発してデミオと人気を二分するようになると、元から少なかったパイザーの売り上げも一気に失速してしまう。


 すると、これらのフォロワーに対し、デミオが立体駐車場に入れない車を揶揄するCMを流し始めたりした事も、パイザーにとっては痛手だった。

 この手のコンパクトワゴンの中で、立体駐車場に入れるのは唯一デミオだけだったのだ。


 年を追うごとに販売台数が悲惨な状況になったパイザーは2002年7月、生産終了して消滅する。

 デミオ、キューブ共に8ヶ月前後で生産台数10万台に到達していたのに対し、パイザーの国内販売台数は5万台弱で、'99年以降は一挙に前年の半分以下となって、売れ筋のジャンルに居ながら、年間でデミオ、キューブの1ヶ月の売り上げにも満たない状況だった。

 

 次にオーナーの情報が流れ込んでくる。

 当時30代前半男性で、奥さんと子供2人の4人家族、前車は独身時から乗っている三菱・ミラージュサイボーグ3ドア。

 2人の子供の成長に合わせての買い替えで、イプサムを考えていたが、予算面とMTが無いという理由でパイザーに決定する。


 幼稚園児の男の子2人の家族なので、ほぼ毎週末どこかへと出かけるスタイルで、あちこちへ飛び回る。

 海や山、川の他に博物館などの文化施設などにも行って、子供たちの成長と共に過ごしていった。

 やがて上の子は野球に、そして下の子はサッカーへと興じていくようになると、それらの応援や送り迎えにパイザーは忙しく動き回るようになっていく。


 上の子の野球は、そこそこの強さだが、突出したものが無く、レギュラーにギリギリなれる時と、補欠の時が混在する成績だが、下の子のサッカーの才能は目を見張るものがあり、メキメキと強くなっていく。

 中学2年になった上の子は、野球に見切りをつけて、サッカーで頭角を現す弟を羨みながらも、弟を応援しつつ、女子にモテようとバンドの真似事を始めつつ、もう1つの趣味であった車に注力し始め、ゲームに興じたり、自動車雑誌を読みふけるようになる。

 それがエスカレートして、パイザーをこっそり動かしてるところを、父親に見つかって大目玉を喰らう事もあった。


 大きな出来事が起こったのは、それから3年後の事だった。

 下の子が事故で大怪我を負ってしまう。

 中学2年になった次男は、友人たちとこっそり飲酒し、その場にあった友人の兄のバイクを交代で乗り回していたところ、運転を誤って土手からバイクごと転げ落ちてしまう。


 一命は取り留めたものの、半身不随になってしまい、選手として有望視されていたサッカーを諦めざるを得なくなってしまう。


 その日から、介護の日々が始まる事となる。

 今まで何不自由なく動いていた体が、その年齢で急に不自由になってしまった事に対する家族と、彼自身の葛藤はいかばかりであったかは、想像に難くなく、彼は事あるごとに、過去の自分の栄光とのギャップに押し潰されそうになって、暴れ出す日々が続いた。


 そんな状態が1年以上続いたある日、見下していた兄に連れられて近所の土手まで行った彼は、兄に殴られてしまう。 

 子供の頃以来、久しぶりに兄と殴り合いになった事に驚くが、腹の中を見せあっての意思の疎通ができた事が何故か心の底で嬉しく、互いの顔が腫れあがる頃に、ようやく彼の心の中の氷河は溶けて流れ始める。


 次男はその後、今の自分の状態でも、何かスポーツに関わる事ができないかを必死に考えた結果、バスケにチャレンジを始める。

 今までのサッカーとは勝手の違う球技なので、最初は戸惑いと失敗、そして、得点できない悔しさともどかしさがあったが、兄をはじめとした家族の応援もあり、挫けずにチャレンジを続けていく。


 そして大学生になった長男は、パイザーで運転を練習した後、中古のスカイラインでドリフトやサーキット走行に興じるようになる。


 紆余曲折を経て、ようやく回り始めた家族の時間を見届けたパイザーは、長男の運転練習の相棒を務め、ボコボコにされた事でお役御免となり、ここにやって来た経緯が。


 沙菜は、続いて車からの思念を丁寧に読み取っていく。

 この車の過ごした時間の中には、あまりにも多くの出来事があり過ぎて、沙菜の中に流れてくる思念量も多かったが、それらを丁寧に整理して読み取ると、そっとボンネットに触れ


 「良き旅を」


 と言って車葬を終了した。

 

◇◆◇◆◇


 2日後にやって来たのは、2人の息子だった。

 セダンとは言え、スカイラインに2人と車椅子を積んできたのには驚いたが、次男も長男が走りに行く時には一緒について行きたがるために、サーキットなどには予備タイヤと車椅子で車を満載にして出かけているそうだ。


 「パイザーの外装はほぼ全滅だったので、右前ドアのみリサイクルです。あとは内装類だけですね……」


 沙菜は努めて事務的に言い放つと、彼らの前にある物を差し出した。

 それは、怪獣のソフビ人形と、変身ヒーローの変身ウォッチの玩具だった。


 「あっ!」


 2人が揃って驚いたように言った。

 やはり、昔に無くしたと思っていた物だったようだ。

 遠い昔、兄弟が幼かった頃の思い出がよみがえり、思わず嬉しそうな表情になった2人が印象的だった。

 あのパイザーからのメッセージである、これからも兄弟仲良く支え合って生きて欲しいという言葉は、彼らにはこれだけで充分に伝わっていると沙菜は確信した。


 シルクロードの通行許可証の意味を持つパイザーは、兄弟の数奇な運命を見果てぬ未来の旅路をしっかりとサポートし、今後の彼らの旅路の安寧を願いながら消えていくが、今後の2人の旅路はきっと大丈夫であろう。

 何故なら、彼らの絆は確かなものとなっているからだ。今後も2人で、昔を思い出しながらも支え合って生きていけるだろう。


 沙菜は、2人を見送りながら思った。

 私にはどうしても分からない世界だと。


 

 

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