第46話 ある半生……

 沙菜は、伝記というものをあまり読まない。

 何故なら、生まれ持ってしまったこの特殊能力のせいだ。

 リアルで他人の歴史を否応なしに読まなければならないこの能力のお陰で、どんな伝記を読んでも薄っぺらく思えてしまうのだ。

 里奈が、電車の中で読んでいると言って、成功者の伝記を見せてくれたが、沙菜は努めて気付かないふりをしてやり過ごしたのだ。


 そんなある日、家に帰ると祖父が待ち構えていた。


 「沙菜、どうやら今年は海に行く予定を立ててるそうじゃないか? だったら、資金稼ぎにちょうどいい話があるんだが、やってみないか?」


 どうやら、あさみから情報が洩れているようだ。

 今度から、全てが確定してからあさみには声をかけるようにしないと……と、沙菜は思ったのだ。


 破格の条件を出したので、今回受ける事にしたのは、どうやらかなり昔の貴重なモデルをレストアして、保管する事にしたので、その前に車葬というものだ。

 いつもの場所には、ちょっと褪せた赤の、コンパクトで古びたクーペが佇んでいた。


 「なんだろこれ? MMCって入ってるから三菱だね。それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は首を傾げながらも車葬を開始した。



 三菱・コルディア。


 1980年代を迎えた三菱は、急速にラインナップの拡充を図ることが喫緊の課題となった。

 ここで、小型車から高級車デボネアまでの盤石なラインナップを敷くことで、トヨタ、日産に次ぐ3番手を不動のものにしておきたい狙いがあったのだ。

 1973年登場のランサー、'78年登場のミラージュで、コンパクトクラスは盤石となっていたが、その直上のクラスが手薄になるため、そこに一車種投入する必要があったのだ。


 1982年に登場した新車種のセダンとクーペは、ミラージュと、2代目になって大型化したランサーEXの間を埋める渾身の一作としてデビューした。

 セダンがトレディア、クーペがコルディアと名付けられ、コルディアは、スペシャルティクーペのランサーセレステの後継車としてのポジションを担っていた。


 1600ccとターボ、1800ccの3本立てとなったコルディアの売りは、フルライン・ターボ政策を採っていた当時の三菱らしく、国産車初となる1600ccターボと、FFの駆動方式、更には初代ミラージュにも採用された、4速+副変速機のスーパーシフト、更には一部グレードに採用された世界初の液晶式のデジタルメーターであった。


 デザインは、当時の流行であった直線基調で、トレディア共々、フランス車の影響を受けたかのような、その中でもちょっと洒落た感覚を兼ね備えたものだった。

 ちなみに、トレディアがカープラザ店専売車だったのに対し、コルディアはどちらの販売店でも購入でき、カープラザ向けがコルディアXP、ギャラン店向けがXGとなっていて、両車はフロントマスクのデザインが異なっているのが特徴だった。


 室内は、ダッシュボード周りなどは、ちょっとごちゃついているものの、基本的に悪くなく、室内やトランクも広い、スペース効率に優れるものだった。

 そのスペース効率と、ターボのパワー、使い易さをアピールし、新時代のスペースクーペと謳って登場したコルディアは、ジャストサイズで高性能、そして目新しいFFの駆動方式がウケて、初年度はそこそこのヒットを記録した。


 セダンのトレディアは、渾身の一作にも関わらず、超絶不人気で、初年度の販売台数で、クーペのコルディアに負けてしまうという失態を犯したのだが、それは、トレディアの失敗という側面が無い訳ではないが、それ以上にコルディアの健闘があった事は間違いないのだ。


 1983年にはマイナーチェンジが行われて、今までXP/XGに別れていたシリーズを廃止して、単にコルディアと言うネーミングに変更すると同時に、低性能なキャブレター式の1600ccターボに代わり電子制御燃料噴射式の1800ccターボを登場させるなど、テコ入れを行ったが、2年目以降、販売台数が激減していたコルディア自体の浮揚にはならなかった。


 1984年には、1800ccターボにパートタイム4WD仕様が追加。ハイパワーターボの4WDクーペという当時唯一無二の組み合わせは一定の評価を得、更にはラリー出場者からも熱い注目を浴びて、国内外のラリーに参戦するなどイメージアップを果たしたが、この際に、ラインナップを1800ccターボの4WDのみに縮小したことにより、ノンターボやAT車がラインナップから消え、更に初期に売りにしたFF方式のスペースクーペというコンセプトとは、あまりにかけ離れたラインナップになってしまう。


 渾身の一作として登場したトレディアとコルディアは、不人気車と言う汚名を返上する事の出来ないまま、’88年にトレディアが、そして、それに先立つ事1年の'87年にコルディアが後継車の無いままひっそりと消滅した。

 シリーズを通じて、外人の女性が運転しているシーンがやたら印象的で、女性が気軽く乗れるスペシャルティコンパクトというのを売りにしたかったのかもしれない。


 次に、オーナーの情報が浮かんでくる。

 新車ワンオーナーで、当時18歳の女性。

 当時、家業の牛乳店の手伝いで、山頂のホテルまで配達をする事があるために、ハッチバックの4WD車という条件で、当時、4WDで唯一のハッチバッククーペがあり、スタイリッシュなコルディアを選ぶ。

 

 高校、大学時代は実家から通学していたため、ホテルへの牛乳の配達と、遊びに行く際の足、大学への通学や旅行へと、コルディアは色々な所で彼女とともに活躍した。

 当時、このクラスにクーペは多くて、CR-XやパルサーEXA、カローラレビン/スプリンタートレノ等に乗る友人もそれなりにいたが、冬場になると、コルディアの独壇場だった。


 雪が降って、やがてそれが凍結する季節になると、コルディアの走りについて来られる車は当時、全くと言っていいほど、いなかった。

 夏場は威張り散らすように煽ってきたりする大型車たちが、まごつく中を、道を譲らせる優越感は、彼女にとって、家業の手伝いをするモチベーションになっていた。

 ホテルに同じく配達に来ていたAE86トレノが、凍結路を上れずに尻を振る脇を、コルディアは悠々と上っていけてしまうのだ。

 よほど悔しかったのか、そのAE86は、1年後にファミリアの4WDターボに代わっていた。


 大学を卒業した彼女は、憧れの東京の会社へと就職して、1人暮らしを始める。

 しかし、コルディアを連れて東京では暮らせないため、お隣の県に住んで通勤する日々が始まる。

 東京での生活に車は必ずしも必要ではないのだが、彼女の住む地方ではそうではなかったため、車を手放すことはできずにコルディアとの生活は続いていく。


 地方から出てきた娘が都会にやって来て、色々な遊びを覚えた頃、バブル絶頂期に差し掛かっていた……などと言えば、当然の如く上昇気流に乗っていき、地方から一緒にやって来たコルディアの事など二の次になっていく。

 そして、当時のイケてるギャルの足としては不釣り合いとなったコルディアから、彼女はハイラックスサーフへと、車を乗り換えてしまう。


 しかしながら、当時の世相で、コルディアの下取りはゼロな上に、廃車引取り料を要求された事を不服として、コルディアは実家の裏にある農機具小屋へと仕舞われてしまう。

 次に時間が動き出したのは10年後。

 彼女は、2人の子供を連れて実家へと戻ってきた。

 彼女は、数年後のバブル絶頂期に結婚したのだ。出世コースに乗った彼との結婚は、当初は順調にいっていた。海外赴任も決まって、海外で数年生活する環境にも恵まれたが、そこからは暗転する。


 2年生活したところで、海外戦略の見直しから、赴任先が閉鎖となり、帰国したところで、夫のいた部門は解散となってしまった。

 夫はその後、国内営業へと移ったが、元々、海外での生活が長かった夫にとって、国内営業は適性が違って馴染む事ができなかったため、実績を残すことは叶わず、遂に子会社へと出向を命じられてしまう。

 夫は、見下していた営業で、自分が使い物にならなかった上、戦力外通告で、作業ばかりの子会社出向が、よっぽどプライドを傷つけられたようだった。


 生活水準も下がり、購入した戸建ては、ローンが払えなくなったために賃貸へと引越し、独身時はBMWに乗り、帰国後もセルシオに乗っていた夫だが、こちらも中古のビスタへと乗り換えた。

 それを境に塞ぎこむようになった彼は、彼女が目を離した隙に家を抜け出し、ビスタで海に飛び込んで自殺してしまったのだ。


 その後、故郷の街で、商売をやめる寸前だった実家の牛乳店を、地元では評判のスイーツと、地元の牧場直送の牛乳を扱う店としてリニューアルして、2人の子供を育て上げた。

 その間も、山頂のホテルへの配達は、日によってはコルディアで続けていた。


 そして、子供も独立して数年が経過しても店を動画投稿サイトで宣伝することに余念がなかった彼女だが、余裕ができてきた今、どうしても東京に行きたいと、店を人に任せて東京に支店を作って引っ越し、その際に、思い出の詰まったコルディアも、先に進むための足枷になると手放してここにやって来た経緯が。


 沙菜は、続けて車からの思念を読み取っていく。

 このコルディアは、彼女の若い頃からの全てを知っており、その心境の変化は筆舌に尽くしがたい程の膨大なものであった。

 沙菜は、決して少なくはないそれらを全て受け止めると、しばらくうずくまってから、ボンネットによろよろと手をつくと


 「良き旅を……」


 と言って車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、事務所にはオーナーの女性がやってきた。

 都内に住んでいる彼女は、沙菜の連絡に即座に応えて、翌朝すぐにやって来たのだ。

 話によると、東京ではじめた支店も上手くいっており、数ヶ月を経た感じでは、本店と両輪の存在に成長できるのではないか? との事だった。


 彼女自身は、失敗してしまった東京生活のやり直しを、今満喫している最中で、前回の失敗を取り返したいのだそうだ。

 

 「ちなみに失敗は、結婚かな~。早すぎたし、アタシ、男見る目なかったからさ~」


 と、あっけらかんと言う彼女に、沙菜は世代と、性格の違いを感じてしまった。

 彼女にとっては、若かりし頃の華やかな生活をいかに謳歌するかに、ウエイトが置かれていたのだろう。

 それが、満喫できないうちに終わってしまった事が、今になって爆発したのだ。

 お店を立て直して一山当てた彼女にとっては、これからが真の意味での第二の人生なのだ。

 なので、彼女の表情も明るく、話も止まらなかった。


 彼女の話を一通り聞いた沙菜は、それが止んだところで、彼女にある物を差し出した。


 「あれ?」


 彼女が素っ頓狂な声を上げて見たのは、時代遅れのコンパクトだった。

 それは、当時の限定品の化粧品についていたコンパクトで、彼女が東京にやって来て初めて並んで買ったもののようだ。

 沙菜は、助手席下にあるアンダートレイからそれを見つけ出していた。


 「あのコルディアからのメッセージです。貴女は、今まで頑張ったんだから、もう1回東京で輝いて欲しいだそうです」


 沙菜が言うと、今まであっけらかんとしていた彼女が、突然大粒の涙を浮かべて泣き始めた。

 しかし、それは沙菜は車葬で想定で来ていた事なので驚きもせずに、彼女を受け入れた。


 最初に引っ越して来て、あまりに安普請で、階下の部屋のいびきが聞こえるアパートで眠れぬ日々を過ごした事、イタ飯の意味が分からず、板前さんがいないと言ったら笑われて、悔しい思いをした事、そして、コルディアに乗って出かけたら、サツマイモと間違えたとバカにされた事など、必死に東京に馴染んで、リードして見返そうとした当時の自分が思い出されたそうだ。

 このコンパクトも、買いに行くのに六本木まで行って並び、パーキングメーターに止めたために時間切れで駐禁を切られて、悔しい思いをしたのを思い出したそうだ。


 そして、しばらく黙って下を向いていた彼女だが、次の瞬間、ぱぁっとした表情で顔を上げると


 「そうね、全部がアタシだもんね。今のアタシも、あの時のアタシあってなんだよね……」


 と言ってから続けて


 「コル子に、これを渡しといてください。どうせ、寂しがるから」


 と言われて沙菜が渡されたのは、くすんだ赤いマスコットのようだった。

 どうやら、車を買ってすぐの頃、拙い裁縫の腕で作ったコルディアのマスコットで、いつもキーにつけていた物だそうだ。

 いつの間にかキーから落ちたため、ワイパースイッチにかけていたのだが、いつの間にかそこからも落ちていて、また修復したものだそうだ。


 彼女はそれを渡して満足すると、ニッコリとして帰って行った。

 その後、コルディアのレストア作業は順調に行われて数ヶ月の後には、ショールームに展示された。

 展示の初日の観客の中に、彼女がいる事を沙菜もコルディアも知っていた。

 ここ展示されているのは、ほとんどの人にとっては珍しくなった古い車であるが、そこには、18歳の頃からコルディアと共に過ごした彼女の半生も一緒に詰め込まれているのだ。

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