第45話 正しさと孤独

 土曜日に、沙菜はあさみと燈華の3人で、あさみお薦めの店までレビューに乗って出かけた。

 レビューの修理は完了し、祖父からテスト走行を頼まれた事もあるが、久しぶりに外で思い切り遊べるのはやはり気持ちの良いものだ。

 

 そして、思いの外、レビューに対する評判が2人に限らず、通行人などからも良かったのは意外だった。

 ただ、燈華曰く、キャンバストップに関しては、たまになら良いけど、いつもは要らない……などという訳の分からない感想を聞かされた。


 家に戻ると、祖父母がちょうど出かけるところに出くわした。

 ちょっと緊急の会合があるらしく、夜まで戻らないので戸締りと、ついでに車葬まで頼んで有無を言わさずに出て行ってしまった。


 釈然としない思いだが、ここで恩を売っておいて、報酬に上乗せしてやろうと思って、工場に入ると、そこには色の禿げた薄金色のハイトワゴンが、ひっそりと佇んでいた。


 「キャパかぁ……なんか雰囲気重いけど、はじめるよ」


 と言うと車葬をさっさと開始した。


 ホンダ・キャパ。

 1990年代後半のホンダは、前半の不振を打破するべく、それまで手薄だったRVのラインナップを充実させる攻勢に転じてヒットを連発していた。

 “クリエイティブ・ムーバー”と呼ばれたそれらのシリーズは、第一弾のオデッセイ、第二弾のCR-V、第三弾のステップワゴンと外れ無しの勢いでヒット街道を驀進していた。

 それに続くシリーズとしてコンパクトなRVであるJムーバー(ジョイント&ジョイフル・ムーバー)シリーズの第一弾として'98年4月に登場したのがキャパである。


 ベースとなったのは、フィットの前身となったコンパクトカーのロゴで、そのシャーシをベースに改良し、更にシャーシの上にもう1枚キャビンフロアを配置した、二重フロアを採用したことにより、自由度の高い室内空間と、ロゴのシャーシの欠点である弱さを補強する補強材を埋め込むことにも成功したのだ。


 特徴は、二重フロアにより実現したフラットな床を使った自由度の高いレイアウトで、リアシートはクラス最大級の250ミリのスライド量を誇り、使い勝手と居住性の良さは群を抜いていたのだ。

 そして、クラス随一の全高による室内高で、当時のこのクラスの車に旋風を巻き起こすに相応しいものだった。


 エンジンはロゴにあった1300ccは採用されず、1500ccのみ、ミッションも先進のCVTであるホンダ・マルチマチックが採用され、ロゴで不評だった走りの不安定さと、3速ATという時代遅れなミッションの組み合わせとは同じベースとは思えないくらい洗練されたものに生まれ変わった。

 

 CMは大ヒットしたオデッセイがアダムスファミリーを使って話題をさらったのに対し、アメリカのアニメ『原始家族フリントストーン』の実写版をイメージし実際のアニメでは『ヤバダバドゥー!』と叫ぶ決め台詞を『キャパダバドゥー!』ともじって叫ぶなど、遊び心満点のイメージに仕上げ『楽しさアッパークラス』というキャッチコピーで登場したキャパだったが、最初から売り上げは芳しくなく、オデッセイから始まったこの手のシリーズで5作目にして初の黒星を喫したのだった。


 失敗の理由は、ニーズの取り違えと、無個性なデザイン、インテリアで、1つ目の理由に関しては、当時の日本では、5人乗りでしかない車に過度な背の高さを求めていなかったにもかかわらず、大きく取り違えてしまったため、ユーザーから嫌われたのだ。


 当時、ウケ始めていたハイトワゴンは、マツダのデミオなどの適度なハイトさだったのだ。

 なにが適度なのかと言うと、当時の日本には背の高い車を受け入れるインフラが整っていなかったのだ。当時、日本で150センチ以上の全高を持つ車に乗っているのは、子だくさんの家で乗っているワンボックスカーか、クロカン4WD好きな一部の人のみで、街中の立体駐車場の8割は155センチの全高制限があったのだ。


 キャパは165センチ(4WDは167センチ)の全高を持つためにそれに引っかかり、その癖に多人数乗車ができないというディメンションが嫌われたのだ。

 ちなみに当時デミオは『立体駐車場に入らない車なんて、コンパクトカーとは言えません!』と、立体駐車場の入口で、CG合成した背の高いデミオをダルマ落としのハンマーで引っ叩いていくと普通のデミオになって入れるという、明らかにキャパなどの一部のハイトワゴンを挑発するCMを流していた。


 次に、新しいイメージのRV車なのにデザインもインテリアも無個性でつまらなく、折角のリアシートのスライド量や、背の高さがあっても、フロアシフトで、センターコンソールがあるためにウォークスルーも出来ないという使い勝手の悪さも、この手の車を使う層から首を傾げられたのだ。


 その後も、その名もツイッテルという特別仕様車や4WDの追加、廉価な4速AT版を追加、その後も『老人と子供のポルカ』の替え歌を使ったCMを流すなどして気を吐いていたが、販売状況は上向く事は無く、2002年に後継車のモビリオの登場を見届けると消滅する。


 次にオーナーの情報が浮かんでくる。

 2オーナーで、最初のオーナーは30代前半の男性、奥さんと女の子2人の家族の車として購入したが、予想外の不人気ぶりと、思ったほどの使い勝手が見込めないため、査定がそこそこつくうちに……と、2年半乗ってストリームへと乗り換える。


 2人目は30代中盤の男性。

 奥さんと小さな男の子、更にはまだ生まれて間もない女の子との4人家族。

 毎日、暗い表情で、徒歩で工場へと出勤していく夫と、やはり暗く、目立たないようにひっそりと暮らす妻の奇妙な家庭にキャパはやってきた。


 月に2回ほど夫が1人で乗って、誰かと会っている。

 それを見た沙菜にはピンときた。

 会っているのは保護司だ。つまり、この夫は、仮釈放で出所した受刑者だという事だ。


 会話や書類により、夫の過去が判明する。

 10代の頃は、手の付けられないワルで、少年院への入退院を繰り返し、遂に10代の終盤で、金欲しさに通行人を常習的に襲って、1人を殺害して複数人に重傷を負わせた罪で、裁判所送致となり、成人と同じ裁判を受け、懲役15年で収監。 


 収監前までは、神をも恐れぬ振る舞いだったが、同房にはそちらの筋のヒエラルキーの上位に立つ人物がいて、しかも、彼が事件を起こした一帯がその人物が所属する組織の『シマ』だったため、シマを荒らした若造と目をつけられ、房内で公然とシメられるようになる。

 しかも、刑務所内に一定数いる、組織の人間にいじめや嫌がらせを受けて、彼の懲役期間は、本当の地獄を見る事となった。


 そんな事もあって、仮釈放になる頃には、すっかり人が変わってしまっていた。

 性格も、顔つきも穏やかになり、以前の彼をそこに見ることはできない程、別人のように生まれ変わったのだ。


 生まれ変わった彼の生活は順風満帆だった。

 子供が生まれ、勤め先でも過去を知った上でも、なお理解ある人たちに囲まれ、主任に昇進し、裕福ではないが、不満ない生活を送る事が出来るようになって、人生の絶頂を感じていた。


 しかし、ある日、彼の家族を悲劇が襲う。

 上の男の子が性的暴行を受けた上で殺害されてしまったのだ。

 数ヶ月前から、周辺地区で同じ手口の犯行が相次いでいて、その後も犯行は続き、半年後にようやく犯人は逮捕された。


 その後、公判が続いていくうち、彼は、自分の息子が殺された理由が、たまたま、その日にそこにいただけという理由だった事を知ってしまう。


 この時ばかりは、本当にショックだったようだ。

 自分がやってしまった過去の過ちの報復で、自分が殺されるのだとしたらそれは仕方ないし、それが自分の息子に向いたのだとしたら、仕方ないとは思わないが、それでも、一定の理解することはできる。

 しかし、よりにもよって、そこに偶然居合わせただけという不条理で大事な人を殺される辛さを、彼はここに来て思い知る事となった。

 過去の彼が、たまたま通りがかったというだけで人を殺めてしまったのと同じ不条理をである。


 裁判を目前に控えて、この事件の被害者の遺族会が結成され、彼も参加し、被告への極刑と明るみになっていない事件を含めた真相の究明を求めて活動した。

 しかし、数年が過ぎて、裁判で被告を見た彼は、過去の自分の経験から、奇妙な行動に出る。


 彼は、極刑を求めず、被告が真実を述べるなら謝罪を受け入れると方針転換したのだ。それは、重大犯罪を経験し、刑務所で地獄を見た彼だからこそ分かる事だが、たとえ極刑になったとしても、本人が反省もなく終わったとしたなら、意味がないという事だ。

 それに、簡単に死ぬより、刑務所で味わうこの世の地獄のまま、何年も過ごさねばならない方が、よっぽど辛い事を知っているからだ。簡単に殺すのではなく、なぶり殺しにするのだって、立派な極刑だという考えもあった。


 その方針転換によって、家族からは糾弾され、世間からは白い目で見られた。彼は遺族会を追放され、残された家族も、彼のもとを去ってしまった。

 しかし、彼はやめなかった。

 自分の人生は、本来、人を殺めた段階で、たとえ、死刑にならなかったとしても自分の中では終わっていたのだ。

 その無に等しい人生の中に一瞬だけあった家族という輝きを奪った犯人を憎くないはずはないが、だからと言って、あの時の自分がそうであったように、簡単に殺すのではなく、長い時間をかけて心から反省させ、更には真実を全て暴露させなくては、死んだ息子が浮かばれないのだ。


 彼は、1人でもキャパに乗って、被告の元へと通い詰めた。

 最初は面会を拒絶されたが、続けていくうちにようやく会う事ができた。

 そこで、彼は自分の過去と、ここまでに味わってきた苦しみ、そして今回の事件の事を淡々と話し、だから、真実が知りたいという事を静かに訴え続けた。

 それを続けていくうちに、彼を見た2組の遺族が、遺族会を抜けて彼と一緒に活動を始めた。


 そして、二審が始まる寸前、遂に被告は、今までのうわべだけのものではなく、初めて涙ながらに、心からの謝罪をし、更には意外な真実を話し始めた。

 実は、発覚していないだけであと2件、同じような犯行で殺しているが、今まで怖くて必死に隠していた事を。


 結局、再度の捜査が始まった結果、2人の被害者が特定されて、再度の裁判となった結果、彼の願いもむなしく、被告には死刑判決が下ってしまった。

 そして、被告は控訴せずに結審。その後、異例の速さで執行されてしまう。


 その後も、1人となった彼の生活を支えていたキャパだったが、既に息子の事件が起こってから20年を迎える節目の年に、気持ちをリセットさせる意味と、雨漏りが直らないために手放すことを決め、ここへとやって来た経緯が。


 沙菜は、次に車からの思念を読み取った。

 この車から排出される思念や感情は、どうしても暗い影を引きずっているものが多く、沙菜の体力で受け止めるのはなかなか大変だったが、それらを丁寧に読み取ると


 「良き旅を……」


 と言うと、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇

 

 2日後、オーナーの男性が、事務所にやってきた。


 「解体は完了しました。部品に分けて、使えるものはリサイクルに回してます」


 沙菜の説明を聞いても、あまり表情を動かさないところに、彼の今までの人生が分かってしまう。

 刑務所の中では、人と極力目を合わせずに、表情も動かさずに過ごしていただろうし、その後の人生でも、過去を知られまいと人との距離を多めに取っていた事が分かる。


 沙菜は、小さな袋を取り出して彼に渡した。

 それを受け取って中を見た彼は驚いた顔でこちらを見た。

 それは、彼の元へと戻ってきた息子の遺留品と、執行されてしまった犯人からの手紙類だった。

 郵便で出した以外にも、犯人は最後の朝に彼に対しての感謝と謝罪、そして、向こうの世界へと皆に謝りに行ってきますという言葉が残されており、それも入っていたのだ。

 これらは、車の荷室の床下に隠すように置いてあり、明らかに車と共に破棄しようとしたものだった。


 沙菜は、それを渡すと無言で立ち上がった。

 言葉をかけなくても、彼ならば、なにが言いたいのか分かると思ったからだ。

 下を向いて黙り込む彼を背に、沙菜は部屋を出た。


 すると、それと入れ替わりに2人の男女が部屋へと入ってきた。

 そして、男性が彼の前に行くと手を取って


 「主任! ダメだぁ! それは、アンタの棺の中まで持ってくもんだぁ!」


 と諭すように言った。

 男性は、以前車葬をしたジャスティの持ち主の元逃亡者の倉島さんだった。

 沙菜が車葬した時、彼の職場に見覚えがあるためにもう少し探った結果、ジャスティが駐車場にあったために、連絡したところ、同じ職場で1年半一緒に働いていて、色々世話になったというので、是非協力させて欲しいと来てくれたのだ。


 「主任は、罪を犯した人の気持ちが一番わかるはずだ。だから、どうしてやれば良いのかも分かってるはずだろ? 息子さんと、生まれ変わらせた犯人と、2人共綺麗さっぱり、無かったことにして、どうするんだよぉ!」


 彼は、倉島さんに言われて、涙をボロボロと零すだけだったが、納得してくれた事だけは見ていて分かった。

 彼には、今や自分の支えになるものが無くなってしまったのだ。全精力をかけていた事があっけなく終わりを迎えてしまい、その後の心の準備をする暇もなかったため、抜け殻になってしまっていたのだ。


 これを息子さんの墓に持って行って、報告をしてくると言って、立ち上がった彼の前にもう1人の人物が立ち塞がった。

 20代前半のちょっとだけ茶髪で、肩までくらいの髪の小柄な女性だった。


 「あ……」

 「お墓の前に、その……母さんが呼んでるから、少し寄って行って」


 彼が驚いたように言うと、彼女は不貞腐れたような口調で言った。

 彼の前に立ち塞がったのは、妻と共に出て行ってしまい、一切連絡の取れていない娘だったのだ。

 さっきからずっと対面していたのだが、彼が身につけてしまった人を見て話しをしない癖のせいで、全く気が付かなかったのだ。


 2人に連れられて事務所を後にした彼を見て、沙菜は思った。

 彼の時間は、きっとこれから前に進んでいくのだろうと、彼の数奇な運命の狭間を目にしてきたキャパとの決別は、きっとこれから彼自身が歩み出していくための決意の表れなのだ。

 その、新たな旅立ちを見届けたキャパは、遂に自分の運命を終えたという安堵の中で、解体作業へと回されていった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る