第44話 ワケありのカタチ

 沙菜が家に戻ると、家と工場中が蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

 毎年この時期の恒例行事だ。工場の決算なのだ。

 事務の人達が一斉に伝票を整理し始め、ピリピリした空気と、たまに怒号が飛び交うのだ。

 沙菜は、数年前からクラウド管理をした方が良いと言っていたのだが、ここにはアナログ人間が揃いも揃っているので、それが叶うのはいつになるのだろう?


 そんな事を考えていると


 「沙菜、ちょっと黒沢ちゃんの車が廃車になるから、車葬を頼むよ。それとも、こっちがやりたいか?」


 と、伝票を両手に持った祖父から言われたので、沙菜は、工場へと無言で向かった。

 黒沢さんとは、工場で働くベテランの事務のおばさんだ。

 年齢は50代前半で、アナログとデジタルを唯一使い分けられる貴重な存在の人だ。


 息子と2人暮らしだが、昔は都内の名の知れた会社に勤めていたらしく、何故、沙菜の家の工場になんか務めているのか信じられない経歴の持ち主だった。


 いつもの場所に行くと、キャンバストップのついた褪せた紺色のセダンが佇んでいた。


 「レビューかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」


 と言うと、車葬を始めた。


 マツダ・オートザムレビュー。

 バブル期のマツダが展開した5チャンネル制で追加された3ディーラーのうち、最も小さな車種を扱うオートザム店は、19年ぶりに復活した軽乗用車ブランドのキャロルが「クルマ、まるく」のキャッチコピーの通り丸みを帯びたデザインが若い女性に好評で、初っ端から活気づいていた。


 当時、キャロルの他にはスズキ・キャリィ/エブリィのOEMであるスクラムの他にはイタリアのランチアを扱うのみであったこのチャンネルに、実質的な乗用車の第2弾として、コンパクトカーの投入が予定されていた。

 当時、望外な2代目キャロルのヒットで沸いていたオートザムディーラーでは、続くコンパクトカーにも大いなる期待を寄せており、登場が待望されていた。


 1990年2月に登場したオートザム店専売のコンパクトカーは、キャロル譲りの丸みを帯びたデザインと背の高さが特徴のコンパクトセダンであった。

 1300ccと1500ccが設定されたレビューのシャーシのベースは、6話で登場したフォード・フェスティバのもので、それに改良を加えたものとなっている。

 数年後に2代目になったフェスティバのデザインがあまりに初代とかけ離れたものになった事から、初代のデザインコンセプトは進化してレビューになったと、飛躍して考えることも出来るくらい、初代フェスティバのデザインコンセプトとレビューのデザインコンセプトは似通っており、現に、欧州等では、フェスティバの輸出名、マツダ121を名乗って、初代フェスティバの後継車として販売されていた。


 背が高く、短い全長に、大人4人にとって十分な広さ、そして角を落としたキュートな外装……と、レビューには初代フェスティバとの近似点を見出す事ができる。


 しかし、最も違っているところがボディタイプで、ハッチバックを採らずにノッチバックの4ドアセダンとなった。

 これに関しては、当時の日本市場では5ドアハッチバックは忌み嫌われており、もし、5ドアで発売したなら不人気車確定となる事から、軽では物足りない女子や、子供が生まれてキャロルから乗り換える若い母親を狙うには、4ドアセダンにするのが妥当だという読みで行われたものと思われる。


 そして、大きな特徴となったのが、オプション設定されていたキャンバストップで、4ドアセダンに設定した例は、当時レビューしか見当たらず、しかも、世界初の機構として、キャンバストップのセンターを起点に、前後どちらからでも開くようにしてあったのだ。


 丸みを帯びたキュートなデザインと、この大きなキャンバストップを見ても分かる通り、レビューのターゲットは若い女子で、正直、男性が乗るには気恥ずかしいものがあった。


 しかし、その外観のかわいらしさに似合わず、室内は広く、トランクも見た目の短くて頼りなさそうな印象とは裏腹に広大で、居住性や使い勝手は、真面目な欧州製のコンパクトカーに遜色なかったのだ。

 1300ccと1500ccのエンジンも、ツインカムやターボなどの派手さはない普通のスペックなものの、軽いボディと必要充分なパワーで不足なく走り、足回りもこの背の高さとは全く違ってしっかりしたものだった。

 5速MTと、先進の電子制御4速ATの2つのミッションが組み合わされ、日本ではATばかりだったが、ベストマッチは5速MTで、しっかりとパワーバンドまでエンジンを回して乗る走り方が、この車を最もキビキビと走らせた。


 『理由ワケありのカタチです』と謳い、CMには当時CMの女王と呼ばれた小泉今日子が出演し、4人に分身して歌を歌いながら登場するというほのぼの感満載なもので、ターゲットに向けたアピールはバッチリだったが、日本においては、中途半端さとターゲットを絞り過ぎたデザインが受け入れられずに低空飛行を続ける事となった。


 マツダのマーケティングが決定的に誤っていたのは、当時、確かに5ドアは人気が無かったのだが、独身女性が軽自動車からステップアップするコンパクトカーは、3ドアハッチバックやクーペが多く、所帯じみてドア枚数の多いセダンは好まれなかったのだ。

 そして、唯一4ドアで人気があったのは、プレセアや、カローラセレスのようなカリーナEDコンセプトの4ドアクーペで、当時、背の高さは圧倒的なマイナス要素に働いたのだ。


 気合を入れて投入した日本での意外な不振を受けて、本革シート装着の豪華グレードのキュアや、1300ccのキャンバストップを廃止するなど、ラインナップの縮小を図り、廉価な1300ccを中心に特別仕様車を追加するなどの浮揚策を図ったが、コンパクトなファミリーカーとしては、そのかわいらしすぎるデザインが足を引っ張り、また、フロントデザインの思い切りの悪さから女子受けも今一つで、不振のまま、オートザムチャンネルの統合により、マツダ・レビューと改名されたものの、マツダの他車と併売すると、主力車種のファミリアとバッティングする事から販促し辛く低迷は続き、1998年に消滅する。

 欧州では、その小さな車体に大きな室内空間を得たパッケージングが好評を得て日本とは裏腹に人気を博した。


 ちなみに、1996年にデビューした初代デミオは、このレビューのシャーシをベースにしたレビューのモデルチェンジ版として開発されていた。


 次にオーナーの……つまりは、黒沢さんの情報が流れ込んでくる。

 当時20代で、大手企業で気楽なOL生活を送っていた際、面白い車は欲しいけど、変り種の車ではない……という事で、セダンのレビューを選ぶ。

 周囲は、パジェロやシルビア、マークII、フィガロのような煌びやかな車を選ぶ中で、楽し気ながらも地に足のついた車を選ぶ。


 3年が過ぎた頃、彼女の身体に変化がみられる。

 妊娠したのだ。相手は、取引先の若い社員で、未婚のまま男子を出産する。

 私生児を設けた事から、会社にはいられなくなってしまい、退社。

 以後は、実家にも戻れないため、各地を転々として働くものの、バブル崩壊の時期にぶち当たったため、短期間で放出される日々を過ごす。


 どうしようもなくなり、車中に子供と共に泊まり込んでいたところを、駐車している埠頭に放置車両の引き取りを依頼された沙菜の祖父に発見され、ここで働くようになる。


 そして、子供も無事に育ち、遂に30年乗ったレビューが腐食で穴が開いたため、買い替えのために勤め先であるここに持ち込んだ経緯が……。


 そして、沙菜は、車からの思念も受け取る。

 彼女が新卒のお気楽OLだった頃から、総合職として仕事に燃えていた時期、そして、子供ができて、子供と共に生きようと思った半生と、その秘密までをも全て受け取った。


 それを余すことなく受け取った沙菜は、レビューのボンネットに手を置くと


 「良き旅を……」


 と言って車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 2日後、彼女の休みを見て、やって来たのは初めて見る黒沢さんの息子だった。

 30代前半の背の高いガッチリした体格の、いかにもスポーツマンと言った感じの青年だった。


 「分かったんでしょ!? 父の事、教えてくださいよ!」


 彼がガッついてくるのも無理はない。

 物心ついた頃から、シングルマザーで、過去の事については母親は一切口を閉ざしていたため、彼の中で心の整理がつかないのだ。

 彼が、子供の頃から、進学するたびに白い目で見られたり、イジメられかかったりして、その根本の秘密を教えて貰えないのは、大人になったからと言って納得できることではない。


 言っては悪いが、それは彼女の身勝手だ。

 彼女なりの美学は貫き通したのだろうが、それを背負わされて、不利益を被ってきて、この先、何も教えて貰えない子供の立場を考えた事はあるのだろうか?


 なので、沙菜はレビューから受け取った情報を彼に噛んで含めるように伝えた。

 彼女は、我武者羅に仕事を頑張っていく中で、取引先の担当者の男性社員と、いつの間にか恋仲になって、子供を宿した事、しかし、その頃、彼には重役の娘との縁談があって、彼女はそれを知ると妊娠を伝えずに別れてしまった事、その事を知った彼だが、妻の実家の手前、何も出来ずに見捨てる事になってしまった事などを……。


 前半の話を聞いて、怒りに打ち震える彼に、沙菜は淡々と続けた。


 その後、彼には子供が生まれたが、小学生の時に誘拐に遭って、身代金の受け渡しに失敗して殺害されてしまった事、重役にはなれたものの、親族経営だった会社は、急激に業績が悪化して、投資ファンドに買収され、重役は全員放逐されてしまった事、彼は、流れ流れて、日雇いの仕事をしながら、ハイゼットバンで車上生活をしていたが、ある日亡くなっていた事など、彼のその後についても話した。


 それを聞いた息子は、ようやく父親を知る事ができた面には満足した表情を浮かべたものの、父親が既にこの世の人でなく、会う事も叶わない事には釈然としないものを感じていた。


 沙菜は、ある所から持ってきたものを息子さんに差し出した。


 「これは?」

 「あなたのお父さん……と言うべき男性が最期まで持っていた物です。そのお守りとへその緒、写真は、正妻さんに見つからないように、こっそり身につけられるようにしていたみたいです」


 そして、彼は、もう1つの風呂敷包みを開けて驚いた。

 それは、金の延べ棒だったのだ。


 「妻の実家が差し押さえられる寸前のゴタゴタの際に持ち出して、あなた達親子にいつか渡したい気持ちだったそうです。売ってしまえば、自分がいくらかでもマシな暮らしができるのに、それをせずに……」


 それを聞いた彼は、なんとも言えない表情になって黙り込んでしまったが、沙菜はその後は祖父に任せてその場を後にした。


 沙菜は、後日、祖父からその後の事を聞いた。

 黒沢さんは親子で話し合って、金を返そうと思ったが、既に彼は住所不定のまま亡くなっており、奥さんをはじめとした親族は行方不明で、返しようがない。

 なので、祖父が一計を案じて、彼女が解体の業務中に見つけた拾得物として警察に届けさせたのだ。


 落とし主が現れる事は無いため、半年後にこれは、彼女達親子のものになるだろう。

 そして、黒沢さん親子は、彼の遺骨を引き取る事にしたそうだ。


 長い時を経て、一組の親子がようやく一緒になる事ができたのだ。

 残念ながら、そこに父親と、母子を見守ってきたレビューはいないが、きっと、こうなる事を誰よりも望んでいたのがレビューだったと思う。

 それが叶った今、祖父の鈑金で蘇っているレビューは、きっと目覚めた時に喜ぶ事だろう。

 

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