第41話 楽園の島
「沙菜は、マジで芸能情報に疎いよねぇ」
あさみに言われて、沙菜は思った。
別にいいじゃん! と。
特に最近のアイドルなんて、数年後には『誰それ?』のレベルなので、自分の推しと、その周辺以外は知っていても仕方ないし、沙菜には良い大学に入って工場を継がないという大きな目標があるため、余計な情報を頭に入れたくないのだ。
そんな態度を見せないように、あさみの話を適当にやり過ごし、その場を切り抜けた沙菜だが、自分ではそこまで疎いつもりはないので、ちょっと傷ついた心を引きずって家まで戻ると、そこには困った表情の祖父がいた。
「おお……沙菜。悪いんだが、今入ってる車の車葬をやってくれないか? ちょっと年寄りには荷が重くてな。その代わり、いつもの報酬に加えて、これをやろう!」
と言って、アイスクリームのギフトカードを渡すと、大急ぎで家の中へと姿を消した。
そもそも、いつものごとく返事などしていないのだが、さっきのモヤモヤ気持ちを忘れるには車葬でもして気を紛らわすのが一番だ……と、自分を納得させつつ、祖父の言葉の中の『年寄りには荷が重い』に引っかかりながらいつもの場所に行くと、ダークグリーンの大型セダンが止まっていた。
「あぁ、アバロンかぁ。それじゃぁ、はじめるよ」
と言うと、沙菜は車葬を開始した。
トヨタ・アバロン。
'90年代を迎えた日本では、バブル華やかりし時期で、とかく大きなもの、高級なものが求められいた。
一般家庭でも、カローラからクラウンやセドリックに乗り換える事も珍しくなく、一億総上流志向へと向かっていっていたのだ。
メーカーも、本来海外専用のモデルを色気を出して売ってみたりしており、その代表がトヨタの最上級セダンのセルシオである。
本来、アメリカを中心とした海外専売モデルであったこの大型セダンは、日本でも羽が生えたように売れた。
そして、同時に日本の自動車業界に押し寄せたのが外圧である。
かの国が、日本車が自国で売れるのに、日本はアメリカ製の車を買わないのは不平等だと主張し、その折衷案として、日本に一定のアメリカ製の日本車を輸入して販売するという事で緩和させようとなり、各社が色々なモデルを日本へと輸入した。
そんな中、トヨタが輸入したのが、アメリカトヨタの最上級車種であるアバロンである。
'94年に製造が始まったアバロンが日本で発売されたのは'95年5月で、その成り立ちは、日産マキシマなどと同じで前輪駆動のV6・3000ccのラージセダンというもので、マキシマ同様、装飾の少ない若々しい外装を持っていた。
4WDを持たないFFでラージサイズともなれば、その室内空間は当時のレクサスLS(日本名セルシオ)をも凌ぐ広大なもので、後期型のCMでは『トヨタ最大の空間セダン ※センチュリーを除く』と謳う程のものだった。
輸入の形を採るため、アメリカ仕様にはある6人乗りコラムシフト仕様や、一部ボディカラーなどは導入されず、3000ccのフロアAT仕様のみが導入されたが、日本の交通で使うのに何不自由ないものであった。
CMは、かつてのプレスリーの「好きにならずにいられない」のカバーをバックに、古き良きアメリカの家庭にあるアバロンという車の性格をそのままズバリと表したようなドラマ仕立てのものを流すなど、当初から豪華さよりも親しみやすさを狙って登場した。
トヨタの良心を詰め込んだラージセダンであるアバロンだが、日本ではさっぱり売れずに、その存在は忘れ去られたのだった。
原因は、3000ccの3ナンバーなのに、押し出し感に薄いデザインである事、当時のトヨタには3000ccにクラウン、マークII、クレスタ、チェイサー、ウィンダムがあって新参者のアバロンの居場所はなかった事、クレスタ以外は背の低い4ドアハードトップボディを纏っており、アバロンのようなセダンは野暮ったく見られたのだ。
特に、同じアメリカ向けのFFであるウィンダムがそこそこ売れて、アバロンがダメという状況を見るに、当時の日本人は室内が狭くても背の低いデザインを重視していたのがよく分かる。
やはり、マキシマ同様、アメリカ向けのあっさりとしたFFセダンは、日本のようなコテコテの濃い味付けのセダンの中では、物足りなく映るようだ。
'97年にはマイナーチェンジを実施し、少し、日本人好みのこってり感を出し、CMもアメリカ人の家族から、津川雅彦にチェンジし、ダーク・ダックスの「銀色の道」を歌いながら家族を乗せて運転する……というほのぼの系へと変化させたが、不人気は覆せずに2000年にモデルチェンジした2代目は、日本市場のみアバロンを名乗らずにプロナードと改名、更に扱い店もトヨペット店からビスタ店へと移動し、日本向けのアバロンは1世代で消滅する。
後期型は『東京バス
ちなみに、プロナードと改名した2代目の日本での人気は更に落ち、2005年に消滅しているが、海外では好評で現在5代目が販売中である。
次にオーナーの情報が流れ込んでくる。
2オーナーのようで、2人分だが、ほぼ同じ思念量が流れてくる。
最初のオーナーは当時50代中頃で、既に子供が巣立ち夫婦2人暮らし、前車は三菱ディアマンテ。若い頃に乗ったホンダN360に魅せられて以降、車はFFというポリシーで乗り継いでの選択だった。
今までに乗った日本のサルーンに無い大らかで、周囲の時間がゆっくり過ぎるような感覚が気に入って長く乗った。
その間、2人の子供と4人の孫に囲まれて、特に娘方の2人の孫娘はよく訪ねてきては、一緒に山や川へと出かけた。
8年乗ったところで、気になる車がデビューした。
日産が新発売したティアナだ。
FFのラージセダンで、室内は広大、そして癒しのモダンインテリアというコンセプトにいたく惹かれた。
その場はやり過ごし、5年我慢したものの、どうしても乗りたくて、モデルチェンジ前に乗り換える。
次のオーナーは、10代後半の女性だ。
沙菜は2人目のオーナーに見覚えがあった。
「孫娘だ」
それは、よく1人目のオーナーの男性の元に遊びに来ていた、娘方の孫娘の1人だ。
しかし、沙菜は、それだけでない既視感をこの2人目のオーナーに感じていたのだ。
その疑問は、続きを見ていく事で解決した。
普段の日の殆どを、電車に乗って仕事に向かい、帰り時間はまちまちだ。時には日を跨いで数日に渡る事もあった。
そんなある日の深夜、自宅前にやって来たステップワゴンから降りてきた彼女の様子から、沙菜は思い出した。
昔のアイドルユニットにいた娘だ。
ステップワゴンの中にいる他の数人の顔を見て思い出した。
確か、早い段階でユニットを卒業して、女優への道を目指していったはずだったと記憶している。
あまりテレビを見る方でない沙菜だが、そのくらいの情報は知っていた。
彼女は、たまのオフの日には、アバロンに乗って、大好きな自然を感じられる場所へと出かけて行った。
彼女がアバロンに乗ったのは、祖父が手放すタイミングに合致したという以外に、包まれるような安心感と、守られているような安心感が何より感じられたからというところが大きかった。
彼女にとってアバロンとは、小さな頃から、自分を優しく守ってくれる、大きな祖父の存在そのものだったのだ。
そして、どこに出かけても、この車が彼女の車だと思われないために、ファンや、一般の人に見つかって追われることが無いというのもお気に入りのポイントだった。
彼女の芸能人としての成長を、一緒に見守っていたアバロンだが、ここで大きな転機を迎える事となった。
彼女がアイドルユニットを引退し、本格的な演劇を勉強するために、海外に数年間渡る事になったのだ。
彼女の希望で、アバロンは実家で彼女の帰りを待つことになった。再び日本に帰った時、また一緒に居たいという彼女たっての希望だったのだ。
そして、沙菜は衝撃の事実を知る事となる。
海外に渡って1年半後、ある夜、彼女は泥酔して足がもつれ、自宅アパートの窓から転落して死亡してしまう。
「ええっ!?」
沙菜がその後の彼女についてよく知らない理由はここだ。
あまりテレビを見ないので、それほど大きく報じられなかったこのニュースを知らなかったのだ。
彼女がアバロンの元に戻る事は2度となく、その日から、アバロンは帰る事のない主人を待ち続ける事になる。
両親は何度も処分しようと思ったのだが、いざそうしようとすると、なかなか思い切る事ができずに何年もそのままの状態が続いたのだ。
転機が訪れたのは、彼女の姉が実家へと戻って来ることになった事だった。
子供の頃は仲の良い姉妹だった2人は、姉が高校生になってからはすっかり姉妹断絶に近い状況になっていた。
神童と、親戚中でもてはやされ、進学校に進んだところ、授業についていけなくなり、成績不振と人間関係に疲れ果てている頃に、歌やダンスに明け暮れて、レッスンの送迎のために家族や親戚がかかりっきりになる妹に無性に腹立たしさを感じた。
一番大変な時に、自分をないがしろにさせる原因となった妹が表舞台に立っている不条理が、とても許しがたかったのだ。
その後、高校はギリギリ進級を続けてなんとか卒業、その後は1浪して3流大学へと行き、家を出て平凡な会社勤めをしていた。
妹が死んだ際も、涙ひとつ流さず、納棺式の時に煙草を吸っていて叱責された事も不愉快でたまらなかったのだ。
しかし、父親が突然脳梗塞で倒れ、後遺症が残ったため、母親の負担を軽くするために実家に戻る事になり、自分の車が入れない事からアバロンを処分する事となり、ここにやって来た経緯が。
次に沙菜は車からの思念を読み取る。
このアバロンには、色々な人の思いが詰まっていた。しかも、それは全て温かな愛情であり、とても、持ち主が死亡した車が発するものではなかったが、沙菜はそれを丁寧に1つずつすくい上げて読み取ると、ボンネットを優しく撫でて
「良き旅を……」
というと車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
翌日、やって来たのは彼女の姉だった。
30代前半で、綺麗な長い黒髪と顔の印象は妹にそっくりだったが、纏う雰囲気が違うため、別人格だとよく分かる。
「で? あの忌々しい車は解体したんですか?」
「ボディは無傷だったのでリサイクルに回りました」
沙菜は、事実を淡々と言った。
車葬をやっていると、こういうタイプの人間もいるので、慣れきっていた。
「完全にスクラップにしちゃってよ! あんなのが残ってると思うだけで気持ち悪い!」
彼女は、身を乗り出して言った。
そして、忌々しそうな表情で言った。
「あの車の部品が流通することで、あいつの亡霊がいるみたいで気持ち悪いじゃん! なんで潰してくれないのよぉ!」
沙菜は、こういう時はただ黙って見ているのがベストであることを知っているので、彼女が気が済むまで
それが収まると、沙菜は彼女の前にある物を差し出した。
「なにこれ?」
彼女は
それは、巾着袋に入った指輪とおもちゃのティアラ、そしてチケットだった。
「妹さんが、貴女に渡そうと思っていた物です」
沙菜が言うと、彼女は鼻を鳴らしながら語気を強めて言った。
「だから、なんだっての?」
「妹さんは、向こうに渡って初めて知ったんです。貴女がどんな気持ちでいたのかを」
「えっ……」
沙菜は、彼女にアバロンから受けた情報を伝えた。
彼女の妹は、外国に渡って初めて今までの自分が、アイドルグループという大看板の威光を借りていなければ成立しない人間であるという事を思い知ったそうだ。
それと同時に海外で、自分の実力をあざ笑われ、姉が自分に辛く当たってしまっていた気持ちも理解できたという。
あの頃の自分は、オーディションに勝ち残って選ばれた人間だという意識が強く、進学校について行けずにいじけている姉の事を、負け組だと、見下していたのだそうだ。一番近くに居なければならない自分がである。
その事が分かって数ヶ月、妹は、酒に溺れて腐ってしまっていたそうだ。
しかし、その時に思い出した事があった。
幼稚園生の頃、コンクールで優勝できずに悔しがって泣いていたところ、駆け寄った姉が『みなちゃんが、一番だったよ』と言って被せてくれたおもちゃのティアラの事を。
自分は、姉の応援をきっかけに、ここまできたという事、その姉を応援するためには、こんなところで負けていられないと、このティアラを握りしめて頑張ったのだ。
努力の甲斐あって、ようやく小さいながらも権威ある舞台に出演が決まった妹は、ティアラのお返しにペアリングを買って、チケット共に姉の誕生日に渡して招待しようと、一時帰国した際に、アバロンの中に隠しておいたのだそうだ。
向こうに戻り、舞台の立ち上げパーティに出席した際に、喜びからついつい飲みすぎて、酔い覚ましに開けた窓から転落してしまったのだ。
その最後の瞬間まで、妹の指にはペアリングの片方が嵌まっていたという事も伝えた。
その話を聞いた彼女は下を向いたまま、巾着袋を握りしめて黙っていた。
そして、沙菜に頭を下げると、赤いフェアレディZに乗って帰っていった。
それ以降の話は、特には聞いてはいないが、沙菜には分かる事がある。
あの姉には、妹の想いが痛いほど伝わっていると。
それは、工場に点検に入っているフェアレディZのルームミラーにかけられたチェーンについたペアリングのもう片方が教えてくれている。
そして、Zの前に置かれたアバロンのライトから、何故か水滴が流れ落ちていた。
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