第40話 道なき火の玉

 沙菜は、帰りの電車の中で燈華から借りた小説を読んでいた。

 沙菜のグループは、仲が良い同士なのだが、何故かこういう物の趣味は見事なまでにバラバラなのだ。

 ちなみに燈華は、ハードボイルド小説や、推理小説、ミステリー小説などが好きで、沙菜は適当に話を合わせているだけのつもりが、いつの間にか、お薦めを貸されて、感想を聞かれるようになってしまったのだ。


 「参ったなぁ……」


 前回のは、かなりミリタリー色が強く、分からない言葉だらけで、読むのだけで疲れたが、さすがに沙菜もついて行けないと言ったところ、やって来たのが今回のだった。

 今回のは、主人公が殺人犯の汚名を着せられながら、あちこちに逃亡し、真犯人を探す……という内容だ。


 確かに、手に汗握る内容で、面白いなと思わせるものだったのだが、沙菜はこれをゆっくり読めるのなら言う事は無いのだ。

 しかし、明日から燈華が、朝会うたびに『どこまで読んだ?』と、目を爛々とさせながら訊いてくるのが苦痛なのだ。


 家に帰ると、そこはちょっとした騒ぎの後だった。

 玄関先の吹き抜けの所に脚立が置かれており、その周辺が掃除された跡があった。そして、リビングに行くと、ソファにうつ伏せになった祖父がいた。

 

 それを見て全てを悟った。

 玄関の吹き抜けの上にある電球を変えようと脚立に登って落ちたのだ。

 沙菜は前から、専用の交換棒を買おうと何度も言っているのに、勿体ないからと言って買わずに脚立に登っていたのだ。

 いつかこんな事になるから言っていたのに、無視するからこうなるのだ。自業自得なので沙菜は一切声をかけずに2階へと上がろうとしたところ、祖母から言われた。


 「沙菜ちゃん。悪いんだけど、今日予定してた車葬を代わりにやって貰える? あれほど言ってたのに、爺ちゃんが脚立使って落ちたから……」


 結局、沙菜にとばっちりがくるのだ。

 正直、人に迷惑をかけるのだから、言う事を聞くべきなのだ。


 工場のいつもの場所に来ると、そこには古めかしい5ドアのコンパクトカーが、佇んでいた。


 「ジャスティかぁ……見るのは初めてだね。じゃぁ、いくよ」


 と言うと、早速車葬を開始した。

 


 スバル・ジャスティ。

 1980年代を迎えたスバル(当時は富士重工)は、そのラインナップの少なさが、足を引っ張るメーカーであった。


 当時のスバルの乗用車は、軽自動車のレックスと、登録車のレオーネしかなく、スバル1000の後継車として、トヨタカローラや日産サニーのライバル車として登場したレオーネも、顧客のランクアップ志向に合わせる形で、1800ccまでに拡大していた。

 シャレードによって花開いたリッターカーブームや、それ以前にシビックやミラージュ、パルサーなどによって起こっていたFFのハッチバックブームにあやかろうと、'79年にレオーネ・スイングバックというハッチバックを出したものの、そのスイングバックに1300ccを設定したおかげで、レオーネのイメージは拡散してしまったのだ。


 レオーネは1300cc~1800ccまでのワイドバリエーション1車種で持つことによって、キャラクターが分散してフォーカスがぼやけてしまったのだ。

 当時のトヨタで言えば、スターレット、コルサ兄弟、カローラ兄弟、カムリ兄弟、カリーナ、コロナと、6車種分(兄弟車種含むと9車種)をレオーネで受け持ったのだ。


 そうなれば、フォーカスがぼやけてくるのも無理のない事である。

 案の定、鳴り物入りで登場したスイングバックは、この手のコンパクトカーに求められるニーズを完全に履き違えており、不振を極めていた。


 そこで、レックスとレオーネの間を埋め、車種の不均衡感を無くすべく、登場したのがジャスティである。

 1984年に登場したリッターカーは、レックスをベースに全長、全幅を拡大したボディに、新開発の3気筒、1000ccを搭載し、当初から4WD仕様も持っていたのが特徴だった。

 当時のスバルは、今のように判で押したかのような水平対向ではなく、色々な形のにチャレンジしており、この3気筒エンジンも新しい試みだった。


 翌年にはモアパワーに応えるべく1200ccを、そして'87年には、スバルが大幅に遅れていたAT技術に一石を投じる世界初のCVTであるECVT搭載車を追加、それまでMTのみというラインナップが敬遠されていたところに、ようやく追加された隠し玉だった。


 様々な工夫を凝らしたジャスティだったが、市場では全く存在感が誇示できず、売り上げは芳しくなかった。

 1200ccエンジンも、ライバルがターボやツインカムという分かりやすい技術的飛び道具を使ってくるとアピール不足となった。

 また、スターレット・ソレイユやマーチizアイズィーのような若い女子をターゲットにしたグレードや、フェスティバによってブームになったキャンバストップを持たなかった事も痛かったのだ。

 折角の先進のATであるECVTも登場が大幅に遅れた上に、ライバル車のATより10万円単位で高くなってしまい、AT車を欲しがる層にも敬遠されてしまったのだ。


 そして、なにより痛かったのは、当時のスバルの車はどこか男臭く、とっつき辛いというイメージがあったのだ。

 ジャスティのデザインやインテリアも、質実剛健ではあったが、可愛さもカッコ良さもない、ただの『自動車』というところが、このクラスの車を買う層に魅力的に映らなかったのが、失敗の最大の要因だった。


 '88年には、フロント周りを大幅に改めて不格好さを緩和、そして1000ccを廃止して、1200ccとすると同時に、従来設定の無かった4WDのECVT仕様車を追加、更には女子向けを意識したマイムシリーズを加えるなど、巻き返しを狙ったが、時すでに遅く、ライバル車はモデルチェンジで次々と世代交代していき、更に1000ccを切り捨てた事で、ユーザーの一部が他車に流出してしまうなど、その後も散々な状況であった。

 '94年に、国内でのジャスティの販売を打ち切り、ジャスティは一時消滅する。ちなみに海外では、以後2世代をスズキ・カルタス、スイフト、そしてその後1世代をダイハツ・ブーンのOEM供給車となったが、それも2011年に販売終了する。

 そして、2016年に突如国内で復活したが、今度はダイハツ・トールのOEM版であり、今までのジャスティとは全く性格やクラスが異なる車となる。


 ちなみに2代目モデルに関しては当初、提携先だった日産からマーチの供給を受ける予定であったが、4WDの設定が遅れた事などから変更となり、その忘れ形見として、2代目マーチにはスバル以外で初めてのCVT車が設定された。


 次に、オーナーの情報が流れてくる。

 オーナーは3人、最初は30代女性で、他にいすゞ・ビッグホーンがある家のセカンドカーとして購入されるが、思ったより使い辛いとの判断で3年で売却。

 2人目は40代女性で、家にはバネットセレナがあり、やはりセカンドカーとして使用される。

 夫婦共に日産関係の仕事だったらしく、通勤にも使えて(当時、日産と提携関係にあったスバル車は通勤OK)高年式で安いジャスティを購入。

 10年ほど乗っていたが、提携が切れて通勤に使えなくなった事からマーチへと代替。


 本来なら解体だが、車検残が長かったことから、巡り巡って小さな激安車専門中古車店の店頭に並び、そこから外国人労働者の手に渡ると、数人の外国人の元を転々とした後、帰国するために同じ職場の40代の日本人男性の元へと渡る。

 彼の手に渡ると、毎日同じ家屋解体業者への通勤と、近所のスーパーへの買い物のみの行き先を毎日過ごす。


 それを1年続けたある夜中、彼はジャスティに乗って遠くの街へと移り住む。

 そして、産廃処理業者へと就職して、また以前と同じように職場とアパートの往復の生活を送る。

 規則正しく生活し、自炊をしてなるべくゴミも出さないように過ごし、車のメンテナンスや車検も自分で行って、なるべく人と関わらない生活を続けた7ヶ月目のある夜、彼はまたジャスティに乗って遠くの街へと移る。

 以後も、8ヶ月、3ヶ月、半年……と、1年以上同じ土地に住みつかない生活を送って、全国を転々とする生活を見て沙菜は確信した。


 「逃亡者だ」


 彼が、夜逃げする寸前、決まって職場の周辺などに覆面パトカーと思われる車が登場するのだ。

 レガシィ、プレセア、ギャラン、アリオン、セレナ、エクストレイル、キザシ等、そして、彼はその姿を確認すると、その日のうちに夜逃げをする。その繰り返しだった。  


 車中泊を繰り返しながら走り続けて遠くの街で暮らし、再び手が回ると遠くの街へと逃げる。

 この繰り返しの中、ある時に、職場から現場へと向かうトラックの中から外を見た際に、刑事たちが会社に捜索に入るところを目撃、彼は全てを捨てて現場から走って逃亡したため、ジャスティは押収され、その後、ここにやって来た経緯が。 


 次に、車からの思念を読み取る。

 この車からは、とても複雑な思いが読み取れる。

 戸惑いと悩みの境地にいる事が沙菜にも痛いほどよく読み取れた。

 その複雑な思いを全て読み取ると、沙菜はボンネットに手を優しく触れ


 「良き旅を……」


 と言って車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、50代中頃の女性がやって来た。

 ジャスティの最後のオーナーのお姉さんだそうだ。


 「車自体は、特に不具合もなかったので、このまま部品としてのリサイクルを図ります」


 沙菜は、決まり文句のように言うと


 「分かりました」


 とため息交じりに言った。

 そして、口を開いた。

 彼は、無実であったが、当時の任意の取り調べで自白を強要され、これ以上は耐えられないと思ったために逃亡生活に入った事、長年、その事を訴え続け、マスコミを巻き込んだ結果、再捜査が行われて、去年、真犯人が逮捕されたため、もう逃げる必要は無いのだが、連絡を取る術がなく、困り果てている事などを話した。


 それで沙菜は何となくピンとくるものがあった。

 彼は携帯を持っていなかった。

 持っていれば、自分の居場所を示してしまう諸刃の剣なので、持たないようにしたのだろうが、逆にこちら側からのコンタクトの取りようがなくなってしまうのだ。


 そして、今までの映像の中で、夜逃げの際にテレビを持って出ている事が一度もないので、テレビを見ていないと思わる。そして、新聞も取っていなければ、ジャスティのラジオデッキは、数年前から故障しており、ラジオも聞いていないので、彼は事件が解決している事を知らずに今も逃亡生活を継続していると思われるのだ。


 「せめて、逃げた先だけでも分かれば、探してあげられるんだけど……」


 彼女は言った。

 残された母親の具合も良くないため、まだ意識のハッキリしているうちに再会させてやりたいという思いが強いのだという。

 それを聞かされた沙菜は


 「あの車から聞いたのは、次は南に逃亡するという話だったそうです」

 「えっ!?」


 沙菜がジャスティから聞いたのは、彼は、もう体に無理がきく歳でもないので、冬の厳しい北ではなく、南へと逃れようと思っている事を、たまに口走っていたそうだ。

 そして、車も置いて逃亡したのなら、なおさら北へは行かないだろうという風にも勘繰れるのだ。


 それを聞いた彼女は、ハッとした表情になって


 「ありがとうございました。なんとか探してみます!」


 と言うと、驚くほど俊敏にソファから立ち上がった。

 彼女を見送ると、沙菜は今回の仲介者でもある、例のシャレードの家の奥さんに連絡をした。

 どうせ沙菜に依頼したという事は、こうなる事も想定済みだからだ。


 「分かりました。こちらで動きますから」


 沙菜からの連絡を予想していたかのように、明るい声で言った彼女の声の通り、3日後に彼は九州にいるところを見つかり、迎えに来たお姉さんから、もう全て終わった事を聞かされて、その場に崩れ落ちたそうだ。


 これからの人生を、彼がどう過ごすのかは分からない。

 きっとこれからの人生も坂道だらけのものになるのだろうし、失った時間は取り戻せないのも事実だ。

 しかし、もう、逃亡せずに胸を張って生きていける事は間違いない。

 彼にとって、いや、彼らにとって、これほど大きな一歩が踏み出せることが、なによりも大きな出来事だったと思えることになるのだろう。


 その姿を、直接見ることはできなかったが、一番待ち望み、喜んでいるのはジャスティだろう。

 これから解体に回るジャスティからは、今までと違った輝きが発せられたのに気付いたのは沙菜だけであった。

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