第42話 柔と剛

 朝の時間に、突然里奈が言い出した一言で、グループがざわつき始めた。


 「私、海外に生まれたかったな」


 燈華とあさみは爆笑し、沙菜は固まってしまった。

 里奈は言っては悪いが、典型的な日本人の引っ込み思案な女子なので、海外で育ったなら、あっという間に個性的な周囲に埋もれてしまうのだ。


 まぁ、陰湿ないじめとかはなさそうだから、里奈みたいなタイプが静かに暮らしていても、干渉されないという意味ではそっちの方が良いのかな……と思ったが、そうではなくて、向こうに生まれれば、もっと陽気な性格に生まれられたと言うのだ。

 沙菜も笑うしかなかった。


 家に戻ると、リビングに居た祖母がやってきて


 「沙菜ちゃん、悪いんだけど、車葬やってくれない? ちょっとこれから会合があって出かけなくちゃならないの」


 と言った。

 最近、祖父より祖母から頼まれる事の方が多くなっているように沙菜は感じる。何かしらの策なんじゃないのかと思うが、取り敢えずお金は欲しいので受ける事にした。


 いつもの場所には、白いクロスカントリーが佇んでいた。

 大きく見えるのは、派手なエアロパーツのせいだった。


 「テラノレグラスかぁ……それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は言うと車葬を開始した。


 日産・テラノレグラス。

 '90年代初旬、日本を席巻したRVブームのけん引役となったのは、クロスカントリー4WDであった。

 この手の車のブームは一過性のもので長続きしないという予想は各メーカーに共通であったものの、逆に、この手の車に流行りで乗った層の内の幾ばくかは、リピーターとなる事も同時に予想され、各社は次の一手を模索する事となった。


 そこで、トヨタと日産は同じ点に着目する。

 それは、上質で都会的なクロスカントリーのラグジュアリーカーを作る事だった。

 パジェロに代表されるクロカンは、いくら高価で排気量が大きくても、機能主義な点が否めず、シートを単純に革張りにしたとかそういった点の高級感の創出しかできていなかったのだ。


 しかし、マークIIなどのラグジュアリーセダン等から乗り換えた層には、そういった点が少なからず不満としてくすぶっており、そのネガを潰した上級クロスカントリーを作る事ができれば、ビジネスチャンスはあると踏んだのだ。


 かくして日産が'96年に送り込んだのは、海外ではインフィニティQX4として販売されるテラノをベースとした上級クロスカントリーで、日本ではテラノレグラスと名乗って登場した。

 後のトヨタ・ランドクルーザーシグナスや、レクサスLXなどと同じ成り立ちである。


 その名の通りテラノをベースとしているため、メカニズムは、当時2代目にモデルチェンジしていたテラノと同一で、違いは内装の色や生地、外装では、メッキや背面スペアタイヤ、フロントガードバーの排除によるスマートさの創出などが挙げられた。

 当時、クロカンは視点の高さと共に、そのゴツさが日本では受けていたが、上級クロスカントリーを望むユーザーには、そのガキっぽさが不要だというリサーチから、次世代の提案を行ったのだ。

 

 大人のクロスカントリーとして、4x4スペシャルティという新ジャンルを開拓し、CMで『力と美しさ』と謳い、キャッチコピーに『ごらん、21世紀のぜいたくだよ』と、現在のSUVブームを見据えたかのような秀逸なフレーズを引っ提げて登場したレグラスであったが、テラノとの差異の少なさと、それによる高級感の中途半端さに加え、翌年にトヨタからハリアーが登場したのがトドメとなって、その存在は消し飛んでしまった。


 レグラスが、不整地や岩場、渡河もできるクロスカントリーの上級版なのに対し、ハリアーはセダンのカムリのシャーシに流麗なボディを載せて、タイヤを大きくしただけの現代風のSUVだった。そして、大半のユーザーはそれで良しとしたのだ。

 こういった車を買った皆が、そういう場所に行くわけではないのだが、真面目な日産は、そういった性能を捨てきれなかったのだ。


 結果、頑丈で重いボディは大排気量を必要とし、レグラスは3300ccのV6と、3200ccのディーゼルターボという日本人のお財布には痛いエンジンを搭載せざるを得なかったのに対し、ハリアーは2200ccの4気筒をメインに3000ccのV6との2本立てというラインナップにできた事も巧みで、更には2WD版があるところも新しかった。


 その後のレグラスは、本革シート仕様の追加や、クロカン/SUVとしては初となるエアロパーツ装着車である特別仕様のスターファイアシリーズが登場。

 当時問題となっていた、RV車にオプションのフロントガードバーが歩行者事故に対して危険という問題に対し、発想の転換でエアロパーツを装着して、フロントガードバーを取り付けできないようにしようという秀逸なものであった。

 '99年2月のマイナーチェンジで、ディーゼルを新開発の3000ccに換装すると同時に、待望の2WD仕様が追加され、ダッシュボード形状が変わるなどの改良を行うものの、人気は回復することなく、2002年に消滅。

 1年後に後継車となるSUV、ムラーノが登場すると、レグラスの果たせなかった人気車に成長する。


 次にオーナーの情報が流れてくる。

 当時20代中頃の女性。

 帰国子女で、仕事を始めてから日本に戻って来て、登録済み未使用車のレグラスを購入。


 元々、向こうでも家では日本語で過ごしていたため、日本語の不自由さは全く無く、仕事も順調に回っていたが、海外育ちでの感覚での言動で、周囲から白い目で見られる事もしばしばあり、彼女はその感覚に悩んでしまう。

 仕事から離れたプライベートでも、当時の日本では、若い女性がクロカン、しかもフルエアロの派手な外観のものに乗ってる事は少なく、そこも奇異に見られてしまい、彼女は故郷である日本の空気感に苛まれてさいなまれてしまう。

 

 彼女は、日本を捨てて、再び向こうへ戻ろうかと一時本気で悩んだが、仕事で取り組んでいるプロジェクトだけは逃げずに終わらせて帰りたいという、彼女の負けん気な性格からもう少しだけ日本に残る事を決める。


 もう帰るなら……と、彼女は折角の母国である日本を堪能してから帰ろうと、休みを利用して色々な日本の美しいスポットをレグラスで回り始める。

 最初は外国人が行きそうなベタな観光地ばかり行っていたが、そこで会う外国人と話すうちに、もっと色々なスポットがある事を聞かされて、折角だからと、もっと色々なB級スポットなども回り始める。


 既にプロジェクトは完了したが、彼女は、温泉巡りと、B級スポット巡りを完遂するまでは帰れないと、まだ日本に居残る事を決める。

 その後も色々な場所に行くために平日夜はネットサーフィンに明け暮れ、休日は目星をつけたところへと向かう、そのうちにSNSのサービスが始まると、早速登録して温泉女子の仲間を見つけて、一緒に出掛けたり、温泉オフに参加するようになる。


 やがて、彼女の社交的な性格と、海外育ちのサバサバした感じから温泉女子のコミュニティ内で頼られるようになってくると、彼女がオフ主催者になっていく。

 毎週自分の趣味でB級スポットや観光地、温泉を巡りながら、月一でオフをやってみんなと交流する。そして、仲良くなった娘達と、平日飲みに行ったり、たまに休みに街に出かけたりした。

 出かけた際に、今まで散々白い目で見られて後ろ指をさされたレグラスも、女子の中では、ワイルドでカッコ良い、イメージにピッタリだ、ありきたりじゃなくて渋い等、認めて貰えて彼女は初めて日本に居場所ができたと心底嬉しくなり、向こうに戻る気はなくなっていった。


 その後、メンバーの結婚や出産、SNSサービスの衰退などもあって、オフや遊びに出かける事も少なくなっていった。

 そして、彼女自身も結婚と出産、子育てをするに至って、日本を巡ってB級スポット制覇を目指したレグラスは、彼女の旅のパートナーから、徐々に家族の日常を支える道具へと変化していった。


 そして、子供も独立して少し時間ができたところで、走行距離が30万キロを超えた事から、長年乗ったレグラスを手放してここにやって来た経緯が。


 沙菜は、車からの思念を丁寧に読み取る。

 ワンオーナーで長く乗られていたが、オーナーの端境期はざかいきを共に過ごした車だけに、色々な思いが浮かんできた。

 沙菜はそれらをゆっくりと頭の中で整理すると


 「良き旅を……」


 と言って、車葬を終了した。


◇◆◇◆◇


 3日後にやって来たのはオーナーの女性本人だった。

 40代後半なのだが、そんな年齢には見えない若々しさが特徴的だった。

 文化の違いなのだろうか、本人のパーソナリティによるものなのか、物凄くよく喋り、文字通り口の減らない人だった。


 あんまり、話を脇道に逸れさせたくないため沙菜は、彼女にレグラスから受け取ったものを差し出した。

 彼女は一瞬驚いて「オゥ」と口にしたが、次の瞬間、明るい表情になって


 「これ、あの車の中にあったのね? 良かったぁ、ずっと探してたんだぁ……」


 と言うと、それを抱きしめた。

 それは、観光地などで昔売っていたペナントがたくさん入った封筒だった。

 

 そして、彼女はその思い出について話し出した。

 もう、向こうへと帰ろう、そう決意した頃、プロジェクトメンバーの中で、彼女に唯一の話し相手がいた。

 それは、年上の、一見すると雰囲気の暗い女性で、メンバーの中で浮いてしまっていて、誰ともお昼を一緒にしていないので、『お昼のお薦めを教えて欲しい』と、彼女が声をかけたのがきっかけで、色々と話すようになり、彼女の名前の信子しんこを文字ってシンディと親しみを込めて呼ぶ仲になったそうだ。


 シンディに悩みを打ち明けていくうちに『頑張ってきたプロジェクトを途中で投げ出し、負けを認めて逃げ帰るなんて、悔しくないのか!』と、日本に来て初めて自分に意見してくれる人間に出会って、初めて日本にも自分を見ていてくれる人がいる事を知ったそうだ。

 B級スポットや、温泉の魅力を教えてくれたのもシンディで、2人でレグラスに乗り、あちこちの温泉を巡るようになったそうだ。


 そんな時に、ある古びた温泉旅館の客室に貼られていたペナントに興味を持ったところ、一緒に売ってるところを探したそうだ。

 残念ながら、もう売ってる場所は無くて彼女が落ち込んでいたところ、次の出社日に、シンディが子供の頃に貰ったペナントを持って来てくれたそうだ。

 それをきっかけにペナント集めにも凝るようになり、あちこちでペナントを集めていくようになった。当時でも既にペナントを扱っているところは少なくて、それを探すことも、旅の楽しみにしているうちに、彼女からは、すっかり向こうへ戻ろうなんて気はなくなってしまったそうだ。

 やがてシンディから教わったSNSで見つけた新たな仲間も加えて、彼女とシンディの仲は、更に加速していって、彼女にとってなくてはならない存在になっていたそうだ。


 それからしばらくして、シンディはある日突然くも膜下出血で倒れて帰らぬ人となり、彼女はすっかり落ち込んで、片腕を捥がれたように落ち込んだそうだ。


 しかし、彼女にはシンディが残してくれた沢山の仲間たちがいた。

 みんな、彼女と一緒にシンディの事を悼んでいたが、同時に、彼女が前を向いて立ち上がってくれないと、シンディが余計彼女を心配して成仏できないと、励ましてくれ、うち1人は、北海道在住なのに翌日彼女を訪ねて、一緒にシンディを追悼しながら、朝まで飲みにつき合ってくれたそうだ。


 オフ会の名前が、彼女たちによって『シンディ会』に変更され、以降もシンディ会は彼女たちが家庭を持っても不定期で続けられているそうだ。

 レグラスの最後のドライブも、今年開催されたシンディ会の集まりだったそうだ。そこで、生前のシンディの触れた数少ない思い出を残すレグラスとの別れに皆で涙したそうだ。


 「良かった。あの車が無くなったら、シンディとの思い出も無くなっちゃうと思ってたけど、これがあったなんて……嬉しい」


 彼女は笑顔で言うと、沙菜にお礼を言って最終型のサファリに乗って帰って行った。ちなみに、沙菜が何故今になってサファリなのかと訊くと


 「ランドクルーザーなんて盗まれるだけでしょ。私、盗まれるために車買ってるんじゃないから」


 とあっけらかんとして答えた。

 沙菜は、彼女を見て思った。

 彼女を、ここまで感服させてしまうシンディという人は一体どんな人だったのかと、彼女が言うには大人しくて口数が少ないという話だったが、沙菜には、それだったら彼女をここまで御せるとは思えないのだ。


 その2人の真実を知る者は多くは無いが、そんな1つであるレグラスは、彼女の後姿を見ながら何を思っているのだろう。

 


 

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