第38話 空気と川と命と

 どうも、今週に入ってから祖父の様子がおかしい。

 心ここにあらず、といった様子でボーっとしてたり、声をかけても聞こえていないようなのだ。

 そして、時々、震えるような仕草や、頭を押さえる仕草を見せている。


 沙菜にはピンときた。

 体調が悪いのだが、それを悟られまいとしているのだ。

 祖父は昔から病院嫌いで、必要な事があっても病院に行かないから家族としては困ったものなのだ。


 以前も、大した事は無いと言っていたのだが、左腕が動かせなくなってから病院に担ぎ込まれたら、骨折していたりとか、インフルエンザも、周囲に伝染しまくってから、検査に行って判明するような弊害があるからだ。


 今回も、様子を見た祖母が、病院に行くまで祖父の分の食事を作らないという作戦で、どうにか病院に行かせたのだが、やはりと言うか、病院に行かずに普段通りに過ごしてたために、風邪をこじらせて肺炎になりかかっているとの事で、一晩入院するハメになってしまったのだ。


 そして、その間に依頼が入っていた車葬は、沙菜がやらざるを得なくなってしまったのだ。


 「爺ちゃんめぇ……今回のバイト代は、かなり高いからね!」


 沙菜はぷりぷりしながら帰って工場に行くと、そこにはフロント周りと屋根が潰れた、シルバーのステーションワゴン風の5ドア車が佇んでいた。


 「エリオかぁ……珍しい、それじゃぁ、はじめるよ」


 というと車葬を開始した。


 スズキ・エリオ。

 3世代に渡るカルタスの販売で、登録車に関するノウハウと、それなりのシェアを得たスズキの次のステップは、ひとクラス上の車の開発だった。

 カルタスの持つ1300ccクラスでは、当時の日本では、一家に一台の車にはなり得なかった。


 3代目カルタスを大型化して、カルタス・クレセントとしたものの、凡庸なデザインと、カルタスというネーミングから受けるイメージによって、不振を極め、次の一手が必要であることを痛感したスズキは、戦略の一新を図った。


 従来のカルタスの1000ccや1300ccの後継として、軽自動車Keiをベースにしたスイフトを登場させ、カルタス・クレセントの後継である1500ccクラスの後継車としてブランニューのモデルを登場させることとした。


 2001年に登場したカルタス・クレセントの後継モデルはエリオと名乗り、1500ccを搭載したワゴン風の5ドアモデルのみで登場した。

 当時の日本では、5ドアモデルは不人気であったが、ワゴン風にしたり、ワゴンと名乗ると例外的に売れたため、そこを突いたものと思われる。


 当時、スズキの車は世界でそれなりに出回っていたが、主に売れている理由は燃費の良さと価格の安さであり、走りや質感に関しての評価は、値段なりのもので安っぽいというものであった。

 この評価は致命的であり、この評価を覆す走りを手に入れる事が、このエリオには求められ、それを実現したのが特徴である。


 このエリオは、海外でもその走りの良さが認められて、スズキ車の評価が一変したのだった。

 このエリオからのフィードバックが、日本では2代目に当たるスイフトに活かされた結果、今日の評価に至るのである。


 『世界に通用すること』というキャッチコピーを引っ提げて登場したスズキの意欲作であるエリオだが、日本では初っ端から存在が忘れ去られてしまい、不振を極めてしまった。


 原因は、カルタスのクラスであれば許された室内の質感の低さなども、このクラスになると消費者にシビアに見られた事、まだ5ドアは日本では市民権を得ていなかった事の他に、当時のユーザーの意識の中で、『スズキ=軽自動車』というイメージが強く、そのイメージから毛嫌いされていた事も大きかった。


 10ヶ月後には4ドアセダン、同時にスズキ初の3ナンバーとなる1800ccモデルが登場(ボディ横幅で3ナンバー化)するなど、ラインナップを拡大したが、セダンもずんぐりとしたデザインが嫌われて起爆剤にならず、国産車の中で完全に空気と化してしまった。


 2006年に後継モデルとなるSX4が登場するとまず5ドアが、翌年SX4にセダンが追加されるとセダンが相次いで生産終了となり、消滅する。


 次に、オーナーの情報が浮かんでくる。

 2人のオーナーの元を歩んできたようで、浮かぶ映像は2つだった。

 最初は60代の男性。山深い地方で暮らしており、車を小さくしたいのと、集落にある修理工場でも対応してくれる車という事で、トヨタセルシオからの代替。


 小さくてもそれなりに広くて、4000ccのセルシオから比べれば非力だが、必要充分以上の1800ccエンジンで機動力もあり、なによりも、点検や修理のたびに、麓の街のディーラーまで行かなくても済む便利さに満足して、15年以上乗ったが、踏み間違い事故が怖くなり、2人目のオーナーへと譲り、MT車のスイフトへと代替する。


 そして、2人目は30代男性。

 1人目のオーナーが住む集落に転居してきて、近所の老人から貰った原付バイク、スズキ・バーディーに乗っていたが、それを見かねた1人目のオーナーが買い替えるからと譲って貰ったエリオに乗り始める。


 医師だったが、医療ミスをして患者の子供を死なせてしまった事を悔いて、自殺しようとやって来た近くの川で、集落の老人たちに助けられた事から、この地に役立ちたいと数年後に移住してきた。


 若い頃は、医師を目指した頃の志も忘れて、このまま教授になって出世するか、適当な所で見切りをつけて、開業をして儲けるかという欲得に駆られて自分を見失っていたところの事件ですっかり目が覚めたという。

 自分が医者として、どれだけ驕ったおごった考えでいたかという事に気付いて、法の制裁が終わった後は、救急救命に専念し、とにかく自分が亡くした命に対して、恥じない行いをする事にだけ専念してきた。


 数年来、病院に泊まり込み、休みも返上して救命に命をかける彼を心配した周囲に押し切られる形で無理矢理取らされた休日に、行く場所の当てもなかった彼に思い浮かび、立ち寄った懐かしい川で、あの時の老人たちに再会し、集落に病院が無い事を知って、診療所を開くことを決意して、なけなしの貯金をはたいて移住する。


 この地に移住してからは、集落での救急医療体制の難しさと先端機器の不足に頭を悩ませたが、救急救命に身を置いていた頃の実体験と、今までの人脈で中古の機器を回して貰う事に成功するなどして、従来の悲観的な医療状況を大幅に改善することに人知れず成功し、集落で懸命に生きる事にした。


 平日の大半は、老人たちの世間話を聞いたり、誰もいなければ、集落を回って畑を手伝ったり、一緒に山に入って木を切ったりして過ごすのが日常となった。

 若かりし頃は、病院を集会場代わりに使う老人に嫌悪感を抱き、嫌味な行動を取ったりしていたが、自身がここに来て、ようやく、他に皆が出会う口実が無く、家にいても1人ぼっちだという理由が分かり、優しく接する事ができるようになると同時に、自分という人間もここに来て変わってきている事を実感した。


 その間も、エリオは往診に、畑に行くのに、そして麓の大きな病院へ行くのに……と、彼と共に過ごしてきたが、毎日過ごしてきたエリオには、彼が何かに悩んでいる様子が痛いほどよく分かっていた。


 そんな最中に、なにかに思い悩む彼は街からの帰りに、山道で前を横切った動物に気付くのが遅れて操作を誤り、崖から沢へと転落してしまった。

 彼を守る事には成功したものの、30メートル以上を転げ落ちたために全損となり、ここへとやって来た経緯が。


 次に沙菜は、車からの思念を読み取る。

 この車は2人のオーナーを近くから見てきたので、それぞれのオーナーに対する思いは、同じくらい多いのだが、沙菜はそれぞれを丁寧に読み取ると、車の前に手をかざして


 「良き旅を……」


 というと車葬を終了した。


◇◆◇◆◇


 2日後、やって来たのは、エリオの初代のオーナー夫妻と、近所の夫婦だった。

 初代のオーナーは、あの集落の区長を務めて、町議会議員もやったという、あの集落の長のような人物だった。


 区長の話だと、彼は命に別状はないものの入院中で、まだ面会ができる状態ではないとのことだ。

 そこで、あの日に何があったのかを知りたくて、車葬を依頼してきたというのだ。


 沙菜は、エリオから聞いたことを伝えた。

 彼は今、大きな病院から来て欲しいという誘いを受けているそうだ。

 この数年、救急救命をやっていた事や、無医の地区であるこの集落に来て、実績を上げ、更に急を要する場合の搬送のシステムや、ドクターヘリの着陸場所の確保などを、自分のコネクションを使って構築したことが高く評価されての事らしかった。

 今や、彼のおかげで、あの集落はスピーディに急患を町の病院に救急搬送できるモデル地区に成長を遂げたのだ。


 その話を聞くと区長は


 「だったら、先生には行って貰うべ!」

 

 と、皆と顔を合わせて言った。

 区長たちとしては、こんな将来の見込みのない地区にいるよりも、彼にチャンスをものにしてもう1ステップ上を目指して欲しいと思っているのだそうだ。

 

 しかし、沙菜にも分かるのだが、彼が悩んでいたのは、行くか否かではなく、どうやって断ろうかという事だったのだ。

 もう、彼の中でどうしたいかは決まっているだろう。


 なので、沙菜はエリオから託されたものを、区長たちに渡した。


 「これは?」

 「これは、彼が医療ミスで死なせてしまった子供が持っていたミサンガです。彼は、これだけは必ず肌身離さず持っていて、自分を戒めているそうです。驕り高ぶっていた、過去の自分に戻らないように」


 沙菜は区長の問いに答えた。

 そして、沙菜は彼の下す答えはきっとこうなるである事を予想していた。


 2ヶ月後、彼がお礼に訪ねてきた。

 正直、来るとは思っていなかったので驚いたのだが、彼の口から答えを聞くこととなった。

 彼は、集落に今まで通り暮らすが、週の半分だけ、誘われた大病院へと行く事としたそうだ。


 彼は当初、沙菜の予想通り断るつもりでいたのだが、集落の人達から説得されたのと、断りに行ったところ、週の半分だけでも来て欲しいと妥協案が出た。

 それを持って再び集落の人に話したところ『求められている所に行くのが務めだ』と叱られて、週の半分は街に行く事にしたそうだ。

 崖から落ちたエリオの代わりに、やはり集落にある修理工場で買えるスズキ車で、ジムニーは納車に時間がかかる事から諦めてクロスビーに替えたそうだ。


 お礼を言うと、彼は集落へとクロスビーに乗って戻って行った。


 失敗から人を殺めた彼は、自ら命を断とうとした山中で助けられ、大きな自然に抱かれながら、優しい人達の役に立つ事に生きる喜びを見つけて、再び医者として歩むことを選択したのだ。

 その選択に寄り添ったのは集落の人々と、大自然と、空気(Air)と川(Rio)の名を持つエリオだった。


 残念ながら、彼同様、誠実で高い能力を持ちながらも、目立たない存在であったエリオは、もう一緒にいる事はできなかったが、既に今日の日の彼を見据えて喜んでいる事だろう。

 


 

  

 


 

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