第37話 雨に濡れても……

 沙菜が家に戻ると、祖父は工場に籠っていて、和服姿の祖母がリビングにやって来た。 

 祖母は、数年前から着付け教室に通っていて、妙に着物づいているのだ。どこかに出かけるとなるとすぐに着物を着てきて、さっと出かけて行ってしまうし、色々な催し物にも出かけて行くのだ。


 つい数年前まで、洋服しか着ていなかった祖母の変わりようには、沙菜も驚くものではあるが、相も変わらず余り沙菜には興味が湧いてこないのだ。

 祖母からも『沙菜ちゃんも、やってみなさい。若い娘で着付けできると、役に立つわよ』などと言われて誘いを受けてはいるが、いつも適当な口実で逃げている沙菜には、あまり鉢合わせたくないタイミングだった。


 それを見抜いた祖母はニヤリとすると


 「沙菜ちゃん。一緒にちょっと着付け、やってみようかぁ」


 と言ってきたので、沙菜は


 「ちょっと、今から電話がかかってくるからさ……」


 と逃げると、祖母はすかさず


 「それじゃぁ、明日、私の知り合いから入ってくる車を車葬して貰える? できるわよね?」


 と、切り出された。

 なるほど、本題はこっちだったのだ。

 祖母は沙菜に車葬を引き受けさせようと、敢えて着付けというフェイントを撃ち込んだのだ。

 もう、退路は断たれた。車葬を受けなければ、着付けが始まってしまう……祖母の作戦は緻密なのだ。


 翌日、学校から戻ると、いつもの場所には薄いグリーンメタリックのミニバンが止まっていた。


 「ディオンかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」


 というと沙菜は車葬を開始した。


 三菱・ディオン。

 世界初のミニバンコンセプトの乗用車は、1982年登場の日産プレーリーだが、プレーリーと並んで市場を盛り立てたのは、翌'83年に登場した三菱シャリオである。

 当時、多人数乗車といえば商用バン派生のワンボックスカーしかなかった中に登場したこの2車は、乗用車感覚で乗れる多人数乗車と言うコンセプトが世界中のメーカーに影響を与え、ユーティリティのプレーリーに対してスタイリッシュなシャリオという持ち味で根強い人気を得る。


 1991年に2代目となった後も安定した人気に支えられたシャリオだが、'94に登場したホンダ・オデッセイによって市場に激震が走ると、オデッセイに対抗するため、'97年に大型化をしたシャリオ・グランディスへとモデルチェンジする。


 しかし、旧来のシャリオのユーザーの中には、この大型化を否とする層が一定数いる事をリサーチしており、そのユーザーがプレーリーに流れないよう対策する必要があった。

 そんな中で、トヨタが'96年に登場させたイプサムもヒットし、これは待ったなしとなって開発が始まり、2000年1月に登場したのがディオンである。


 ベースはトールワゴンのミラージュディンゴで、ダッシュボードが共通なものの、その他には共通項はなく、3列シートの7人乗りで、2000ccのガソリンエンジンのみのラインナップで登場。


 2列目シートが分割スライドするため、後席から3列目に乗り降りしやすい、3列目のシートが床下に格納できる、ライバル他車よりも若干背が高く、室内のウォークスルーがしやすい、シートの出来が良く、フルフラットやシートアレンジのために公園のベンチのような座り心地の悪いシートにするライバルと違い、ロングドライブでも疲れずに多彩なアレンジを可能としたり……等、ミニバンを長年手掛けてきた三菱らしいよく考えられた作りで使い勝手も良く、価格も最も安いグレードで当時160万円を割るというお買い得感も大きなものだった。


 当時人気のジャンルにソツのない作りに、ライバルより圧倒的に安い価格、そして、CMには室井滋と石井正則と、人気の2人が登場して、お買い得感とシートアレンジの巧みさを売りにアピールし、狙い通りにライバル多数の市場で、初回受注1万台という好調なスタートを切った。

 

 しかし、発売後半年ほどが経過したところで、三菱自動車のリコール隠しが発覚。連日三菱バッシングが行われると、三菱の各車の売り上げが激減する。

 ヒットの兆しが見えていたディオンも例外ではなく、一挙に売り上げが萎んでしまう。


 4WDを追加したり、2002年にマイナーチェンジで外観を変更した際には1800ccターボを追加すると同時に、2000ccを新開発のエンジンに換装、ATをCVTにするなど、意欲的に追加や改良を行ったが、地に落ちたイメージを覆すことは困難を極めた。

 その後も2004年に改良を行うなどしたものの、販売不振を打開することはできずに2006年3月いっぱいをもって販売を終了して消滅する。

 6万5千台の総販売台数のうち、70%が初年度登録車という実績から見ても、あの騒動が死命を制したのは明らかな車だった。


 次にオーナーの情報が浮かんでくる。

 当時30代前半の男性。

 家業を継ぐこととなったため、長尺の荷物を積む事と、時々多人数乗車があるために、家業で使っていて、乗車感覚の慣れないハイエースワゴンから乗り換える。


 当時、第一次のリコール隠し騒動が少し沈静化していた時期だったが、ここまでの騒ぎになれば、逆に品質に関しては大丈夫だろうと思ったのと、価格の安さが大きなファクターとなって購入。


 元々、家業を継ぐつもりはなく、都内でサラリーマン生活を送っていたが、父親の急死と、後を継ぐはずだった従兄弟が投資詐欺で逮捕されたための急遽の決定で、心の準備も充分でなく、慣れない仕事に戸惑う毎日。

 押し着せられたような運命に反目したい気持ちもあり、今まで通りトヨタからイプサムを購入するよう強く勧める母親を振り切っての購入だった。


 見た目に派手さは無いが、堅実さとしっかりした仕事が求められる職人作業である家業は、今までの東京での生活とは180度違っており、それが嫌で遠ざかっていた彼にとっては、苦痛でしかなかったようだ。


 逃れられない運命に抗うように新たな技法に挑戦しようとしては、父親を超えられないという陰口を叩かれ、母親からは伝統を汚すなという叱責を受けてしまう。


 しかし、彼は挑戦をやめる事はしなかった。

 このまま、言われた通りの事をやるだけになってしまったら、自分という人間は負け続けの人生になってしまうと思えたからだ。

 せっかく勝ち取った自由も、従兄弟の不祥事のために奪われて、自分なりの工夫も認められないなら、自分という人間は死んだも同じだと、ここだけは譲らずに、自分の技法を試し続けたのだ。


 それを続けて約20年が経った頃、遂に彼が試していた技法が業界で認められる事となった。

 今までに試した回数は100を超え、そしてやり方を変えたり、素材を変えたりする事を含めたら、その数は幾何学的なものになるほどのトライ&エラーがあって、遂にものになった。

 

 彼は逃れられない運命の中で、遂に自分という存在を知らしめて運命に一矢報いる事ができたのだ。

 それに満足できた時、彼の中で、大きな殻が破れ、嫌々していた仕事にも身が入るようになってきたのだ。


 それから数年を経た今は、彼の技法が、後進の原動力となって、業界に次々と若い職人が入ってくる事態になったのだ。

 彼の元には、後進の育成や、若い職人への技術指導、講演会などの仕事が次々と舞い込むようになり、数年前まで死んだような表情をしていた彼とは別人のような活き活きした毎日になったのだ。


 そして、忙しく仕事に打ち込むようになった中、それまで二人三脚で歩んできたディオンが故障がちになり、遂には走行中にエンストをしてレッカーで運ばれる事態になるに至り、買い替えを決意してここにやって来たのだった。


 次に沙菜は車側からの思念を読み取っていく。

 ディオンからは穏やかな思念が読み取れ、彼が苦悩の毎日を過ごしていたのとは対照的だった。

 そして、沙菜は全ての思念を読み取るとボンネットを優しく撫でて


 「良き旅を……」


 と言うと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇ 


 翌日、和服姿の男性がやって来た。

 ディオンのオーナーだった男性だ。

 彼は開口一番訊いてきた。


 「あの車はどうなりました?」

 

 沙菜は、落ち着いた様子で


 「解体はこれからです。致命的な故障もないですが、解体の経緯として故障があったと聞いていますので、そこに関わる部品の商品化は避けていく方向で行きます」


 と答えた。

 実は、ディオンに限らず、自動車という機械は、ある時期に故障が集中するような事はままあるのだ。

 それは部品の寿命というのもあるのだが、ある時期に集中することによって、適度に新車へと買い換えさせるという狙いもあっての事だ。

 現に、入ってきたディオンは、祖父が2~3ヶ所手を入れただけで完調に戻ってしまったのだ。

 

 「そうなんですか?」


 彼は驚いていた。

 彼は車には全く詳しくなく、家業を継ぐまではペーパードライバーで、ディオンが初めての車だったそうだ。

 当時は押し着せられた将来に反発したい一心で選んだディオンだったが、使っていくうちに、真面目な設計や、面白みは無いが煮詰められた使い勝手に感心したという。

 特に2列目シートの分割スライドは、着物での乗り降りが多い彼のお客さんにも好評で、非常に重宝し、また、3列目のシートが反転してベンチ代わりになる機構にも感心したそうだ。

 そして、次も三菱が良いと思い、アウトランダーに乗り換えたそうだ。

 

 沙菜は、ディオンから託されたものを彼に差し出した。

 それは、お守り袋だった。

 彼はそれを見ると、目を細めた。


 それは、彼が毎年初詣に行った際、新たな技法の成功を祈って買っていた物だった。

 彼は、どのお守りにするかで悩んでいたが、学業の神様に祈っていた。

 そして、ある時、組合の慰安旅行で出かけた太宰府天満宮で買ったお守りが行方不明になってしまい、すっかり意気消沈していたのだ。

 しかし、それはディオンの荷室脇の3列目格納時のヘッドレストの収納スペースの中に落ちていたのだった。


 それを見た彼は、沙菜にあるお願いをしたのだった。


◇◆◇◆◇


 2ヶ月後、沙菜は招待を受けて、とあるデパートの催し物スペースへとやって来た。

 彼が作った技法を応用した製品の展覧会が行われていたのだ。

 そのスペースの一角にはあのディオンがあり、室内の織物が全て和装に張り替えられていたのだ。

 それはシートにとどまらず、天井の内張りやフロアカーペット、ハンドルの巻きに至るまで全てで、それは彼の発案であった。


 彼は、ディオンへの感謝を込めて、以前より考えていた室内総和装の車の構想を形にするべく、ディオンを再び整備の上で引取り、ディオンをイメージした織物で室内を張り替えたのだった。

 その展示は、会場内で多くの人の目を惹き、彼の長年の日陰人生を一変させた象徴となったのだった。


 沙菜は、その様子を見てディオンが満足しているのが分かった。

 真面目だったが、タイミングの妙で色眼鏡で見られてしまい、死命を制された車は、何の因果か、同じく運命に翻弄され、周囲の評価から自分を見失っていた青年の元へとやって来た。


 そして2人はようやく日の目を見る事ができたのだ。

 その晴れの日を喜ぶ2人の姿を、沙菜だけが知っているのだ。

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