第36話 ふたつのハートとひとつの感情

 沙菜はその日、里奈に元気がないので声をかけようとしたところ、燈華とあさみに止められた。

 何が起こったのか状況が呑み込めない沙菜に、燈華が


 「里奈の奴、遂にアイツと別れたんだって。だから、放っておいてやろうよ」


 と耳打ちした。

 例の遊び人の彼の事だ。

 沙菜も含めてみんなで止めたのだが、それが逆効果だったのか、里奈は言えば言うほど盛り上がり、一直線に入れ込んだみたいなのだ。


 しかし、結局、燈華の言う通り、お金をたかられるATMの関係となっていて、他にも3人と付き合っているという状況だったのだ。

 それが発覚したのは、彼がバイク事故を起こして入院し、サプライズでお見舞いに行った際に、他の彼女が来ているところに鉢合わせて修羅場と化し、里奈も目が覚めたそうだ。


 まぁ、これ以上泥沼になる前に別れられて良かったとは思うが、里奈の憔悴っぷりは尋常ではないので、確かに燈華の言う事は正しいのだろう。

 ここからは時間が解決してくれるだろうが、沙菜にはどうにも里奈が分からないのだ。どうして、そこまで恋愛に入れ込めるのだろう……と。


 沙菜は母親が失敗している様を間近で見ているため、物凄く冷めて遠くから冷静にしか恋愛ごとについてみる事ができないのだ。

 なので、みんなから止められてなお、ダメ男に一途になっていく里奈の行動に嫌悪感すら覚えると同時に不思議なものを感じていたのだ。


 「分からないなぁ……」


 思わず口に出しながら、家に帰ると、以前に祖父から頼まれていた車葬の車が工場で沙菜を待ち構えていた。


 それは、いつもの場所で佇む黒いワゴンだった。


 「S-MXかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」


 と言うと、車葬を開始した。


 ホンダ・S-MX

 '90年代中盤以降のホンダは、それまでの数年間、不振を極めたのとは対照的に破竹の勢いを見せていた。

 中心になったのは“クリエイティブ・ムーバー”と呼ばれたシリーズで、第1弾のオデッセイ、第2弾のCR-V、第3弾のステップワゴンと、今までのホンダのラインナップに存在しなかったRVのラインナップに特化したこのシリーズは外れ無しの勢いで売れていた。


 第4弾は、過去のホンダが軽商用車として'70年代に登場させ、現在の軽ハイトワゴンの礎となったライフ・ステップバンのような、若者が自分色に染めるカスタムベースとなるワゴンを作って'96年に発売した。

 ベースとなったのは、先に発売されて大ヒットしていたステップワゴンで、そのシャーシを短縮して4/5人乗りとし、前後2列のベンチシートのハイトワゴンで、ドアはステップワゴンのスライドではなく、スイングドアとし、当時軽自動車の一部が好んで使っていた右側1、左側2ドアのワンツードアと言われるレイアウトとなっていた。


 また、メーカー自らが車高をダウンし、足回りを固めた『ローダウン』というグレードを作り、オプションでショッキングオレンジの内装色を設定、また発売と同時にメーカー系数社からエアロパーツが発売されるなど、徹底徹尾、当時の若者の好みに合わせた作りがされていた。


 しかし、このS-MXにはカタログには書かれていない裏設定があった。

 フロントのベンチシートは2人乗りで(通常、フロントベンチシートは前3人乗車をさせるのが狙い)、サイドブレーキは、ドライバーの右にオフセットされているため、前席で肩を組んでの運転や、ピッタリ寄り添っての乗車も可能となるのだ。

 走行中は、体を全く支えない、まっ平らなシートをリクライニングさせてフラットにして、そこに寝転がってみると、ちょうど頭がある辺りにティッシュボックスを収納するスペースがあるという究極の至れり尽くせりな設定となっていた。

 しかも、走行中は不満だらけのまっ平らなシートも、フラットにして2人並んで寝転がるにはちょうどいい塩梅になるというトンデモ設定だったのだ。


 走るラブホテルと、発売後に巷で言われるゆえんであった。

 尚、S-MXというネーミングで発売されたが、本来であればハイフンの位置が一文字右についているのが発売前までの正式呼称であり、事前のモーターショーへの出展時にはSM-Xと書かれていた。

 しかし、さすがにそれではよろしくないという判断により、この位置に相成ったという事だ。 


 エンジンはステップワゴンと共通の2000ccで、4WD仕様もあった。

 ステップワゴンより軽量なS-MXとの組み合わせでは速く、特にローダウンでは硬い乗り心地と合わせてスポーティだったが、シートが真っ平らなので、飛ばすことはできない仕様だった。


 CMでは『恋愛仕様』というキャッチコピーで、その後小さく『ステップ・バーン』というフレーズも入る、ちょっとカオスなものだったが、当時の若者に受け入れられて売れに売れた。

 そして、その中心がローダウン仕様だったというのもこの車の性格を象徴しているものだった。


 好評を受けてS-MXは特別仕様車を何度も発売された。

 当時のチャラい男子を中心に大受けだったS-MXだったが、暗雲が立ち込めてくる。

 2000年にトヨタが発売したbBは、ベースがヴィッツで二回り小さくて維持費も安く、取り回しもしやすい、また、S-MXの持つ独特の悪っぽいイメージも備えもつ外観で若者の心をガッチリと掴んで売れに売れ、S-MXの市場は一挙に萎んでしまった。

 2001年にベースのステップワゴンがモデルチェンジした後も、S-MXはモデルチェンジをせずに継続され、2002年に生産終了し、消滅した。


 ちなみにbBは2005年に2代目にモデルチェンジをすると人気が急減速し、2016年に消滅している。


 次にオーナーの情報が浮かんでくる。

 当時20代前半の男性。

 大学への入学祝いに両親から買ってもらう。


 大学への通学と、バイト先への移動、更にはバイト後に女の子と遊びに行くのに使うという使われ方だが、そのうちに大学へ行かずに昼間から繁華街に繰り出すようになる。

 そこでナンパに明け暮れて拾った女の子と海に行ったり、遊興施設に出かけたりという生活を続ける。

 当然の如く、進級できずにもう1年頑張るよう両親に念を押されるも、生活態度は変わらずに、1年後同じことを繰り返して中退。


 まともに就活もできずに、就職した倉庫整理の仕事は単調だという理由で半年で辞めてしまう。

 その後も、職を転々とするものの、定職には就かずに、街をフラフラする日々を続け、宿は都度知り合った女性の家を泊まり歩くという荒れた生活を送る。


 最初の服役はそんな生活を数年続けた頃、クスリを覚えて、一度目は執行猶予がついたが、執行猶予中にもう一度陽性反応が出て逮捕され、収監。

 二度目は出所の半年後、窃盗で、その後も傷害、クスリ、窃盗を繰り返し、最後は怪しいビジネスに片足を突っ込んでしまい、そこから金を掠めようとして見つかり、東京湾に沈められて死亡してしまう。


 2人目のオーナーは、彼の死から3年ほど前、宿泊先目当てに転がり込まれた20代の女性だった。

 なし崩し的に泊めてやり、関係を持って、お金を渡してやる生活になっていたが、彼女に妊娠の傾向がみられると、態度が急変したのと、度々部屋から金品を盗んでいた事が発覚したため、部屋から追い出した際に、手切れ金だと言って置いていかれたS-MXを引き取る事になった。


 取り回しは悪くはないが、1人暮らしには余す車体に、駐車場所を選ぶ高い全高、ボンボン跳ねて妊婦にはきつい乗り心地、更には一時期車上生活をしていたようで据えたような臭いがする事などが相まって、妊娠中は乗らないようになってしまう。

 その後、子供が生まれた際、どうせ汚れるからと乗り続けていたが、3歳になった子供がS-MXだと車酔いするようになった事、車検が切れる事から、手頃な中古のキューブに買い替え、ここにやって来た経緯が。


 次に、車からの思念を読み取っていく。

 この車は、かなりドロドロした思いが渦巻いている車であったが、その思念は明快であった。

 沙菜は、すべてのメッセージを受け取るとボンネットを撫でて


 「良き旅を……」


 と言うと、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 2日後、S-MXのオーナーだった女性がやって来た。


 「どうなりました?」


 彼女の問いに、沙菜は


 「外装の一部だけを残して解体完了しました」


 と答えた。

 どうも、初代オーナーだった彼は、車検切れの状態で整備にも出さずに乗っていた時期が長期に渡ってあったため、機関系には信頼がおけないのだ。

 そして、車上生活車の内装は、見た目がどんなに綺麗でも臭いが取れず使えないため、外装の劣化していない部分が辛うじて残ったのだ。


 「これは、S-MXからのせめてもの気持ちです。喜んでいました。再び命を吹き込んでくれてありがとうって」


 沙菜は言うと、封筒を彼女に差し出した。


 「えっ!?」


 彼女は、それを見て驚いて固まってしまった。

 そこには札束が1つと1万円札が数十枚入っていたからだ。

 そして、蒼い顔をして沙菜を見たため、沙菜は言った。


 「これは、そういうお金じゃないので安心してください」


 そして、説明した。

 彼は、出会った女性の家に転がり込んでお金ができると、競馬や競艇に出かける生活をしていたが、ある時に大当たりを出して300万近くのお金を手にした事があった。

 それを無造作に車の中に入れておいたところ、半分ほどが消えており、彼は盗まれたと解釈して諦めていたが、実は小物入れの周辺の樹脂が劣化で割れており、内装の隙間に落ちていたのだった。


 S-MXは、彼がああなって、ロクに整備もされずにガソリンとオイルを継ぎ足して乗られるようになって、このまま最期は、動かなくなったところで放置され、ガラスを割られ、落書きされ、放火されて終わってしまうものだと、悲観していた。

 走るラブホと現役時は揶揄され、最後はホームレスの棲み処になる事を諦観していたのだ。

 そんな時、S-MXを手にした彼女は、高額な修理費を払って整備し、車検を取り、その後も何とか綺麗にしようと掃除をしたりして、手をかけてくれ、最後は正規に廃車してくれた事に、今までで最大の喜びを感じていたそうだ。

 そのお礼として、今後に役立てて欲しいと、このお金の在り処を教えてくれたのだ。


 彼女は、それを聞いて


 「私は、そんなつもりじゃなかった。アイツの車なんて乗りたくなかったけど、当時の私には車買うお金なんて無かったし、あれば楽だし……くらいで修理に出したら、とんでもない金額かかって、あの車を恨んだ事もあったのに……」


 と、絞り出すように言った。

 沙菜は、そんな彼女が落ち着くのを待って言った。


 「恨まれてるのも、仕方なくだってのも分かっていて、それでもそう思われている事が嬉しかったって……」


 S-MXと彼との生活は、ある時期から何の感情も持たないものとなり、S-MXも、彼が何を考えているのかが分からなかったそうだ。

 感情や意思の疎通ができなくなり、あまつさえ何を考えているのか分からなくなったパートナーと過ごす辛さが長く続いたことを鑑みれば、彼女のように怒りや恨みでも、意志が読み取れることが嬉しかったのだそうだ。


 意志をもたない機械が、オーナーの意志が感じられて嬉しいと思った。

 だからこそ、彼女にあのお金を渡したいと思ったのだ。

 シングルマザーとして過ごしていくこれからの彼女に、幾ばくかでも、役立てて欲しいと思ったのだ。


 その想いを聞いた彼女の頬には、一筋の跡が光っていた。

 深々と頭を下げて俺を言い、去っていく彼女の姿を、今や一部しか残っていないS-MXは満足しながら眺めていた。そして彼女に幸多かれと思いながら眠りについていった。

 

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