第34話 鏡の中の自分

 沙菜には、祖母の行動で理解ができない事が1つだけある。

 それは、何故彼女はそんなにテレビに命をかけるのかという事だ。


 沙菜にも見たい番組というものが無い訳ではないが、それのためだけに1日の予定を組みかえたりはしないし、予定とバッティングしたとしても見逃し配信で見るか、レコーダーに録画する。

 しかし、彼女は見逃し配信に関しては、面倒臭いと言い、レコーダー録画に関しては、後で見る時間が無いなどと言って全く試そうともしない。


 そして、後で見られない原因を作った祖父に、文句を言うのである。


 「よく分かんない。テレビごときでさ……」


 そんな事を以前に祖母が聞いた時


 『沙菜ちゃん、そんな年寄りみたいなこと言って、どうしたの?』


 なんて心配されたが、心配なのはそっちの方だと沙菜は思うのだ。


 ある日、家に帰ると、祖母が本屋の袋を持って先に家に入るのを見て、沙菜は工場へと避難した。

 改変期になると始まる、来期はどの番組を見るか会議が始まるのだ。

 1人で勝手に好きな番組を探せばいいのだが、大抵祖母は沙菜にどれがお勧めかを聞いてきたりして、大概ウザいので、沙菜はその場に居合わせたくないのだ。


 工場へ入ると、祖父が沙菜の様子を察して。


 「また、始まったんだな。よし、沙菜、そこにある車の車葬をやったら匿ってやろう。もし、断れば婆さんにここにいる事をバラしてやるぞぉ」


 遂に弱味を握って脅してきたか……と、祖父を恨めしく思ったが、ここは素直に乗っておいた方が良いだろうと思って、沙菜は、いつもの場所に置かれたグレーのセダンに向かった。


 「マキシマかぁ……それじゃぁ、はじめるよ」


 日産マキシマ。

 従来、ブルーバードの大型化で4代目途中で登場した6気筒2000cc車は、日本国内では上級車とのバッティングを起こし、6代目登場時に廃止されている。

 しかし、アメリカ向けでは、6代目以降も6気筒車が継続されていた。


 7代目でブルーバードがFF化された際、日産が開発した日本初のV6エンジンを搭載して、アメリカと同時に日本でも再登場する事となった。

 前回のブルーバードの6気筒車が、スポーティなGTや豪華仕様のG6など、代によってコンセプトが迷走し、顧客を混乱させたことから、今回はブルーバード・マキシマという別ブランドとして1984年に登場した。

 日本では4ドアセダンと4ドアハードトップに2000ccのV6ターボエンジン、後にノンターボエンジンも追加されたこの車は、バブルの入口にいたこの頃、豪華さが受けてそこそこの売り上げを記録する。


 その後、'87年9月に通常版のブルーバードは8代目にモデルチェンジするが、マキシマだけ継続され、翌'88年10月に日本では2代目となる型にモデルチェンジする。

 この新しいマキシマの特徴は、ベースをブルーバードではなく新規の専用シャーシで作った事、メイン市場であるアメリカでのニーズに応えたボディサイズ、エンジンラインナップとした事だ。

 そのため、ボディサイズが当時の5ナンバーや、それをベースとしたセドリック/グロリア等より大きなものとなり、エンジンもアメリカと同じ3000ccのV6エンジンとなった。


 当時としては大きめのボディサイズに、コンパクトなV6エンジン、そしてFFとの組み合わせで室内はゆったりしており、まさにアメリカンサイズなこの車のCMには、当時日本で人気のあった4人のアメリカ人タレント(デーブ・スペクター、ケント・デリカット、ケント・ギルバート、チャック・ウィルソン)が出演して『デラックスより、リラックス』『MAX RELAX』をキャッチコピーに売り出した。

 しかし、玄人筋からの評判は良く、またアメリカでは大ヒットしたにもかかわらず、日本では先代モデルからの顧客が引き継げずに苦戦する事となった。


 原因は、纏まった良いデザインだったが、当時、日本で『3ナンバー』の車は、メッキギラギラのグリルや、張り出したバンパー、4ドアハードトップで背の低い押しの強い車でないとダメだったため、物足りない、素っ気ないという風に見られてしまったのだ。

 また、充分にハイパワーでバランスも燃費も良い3000ccのV6エンジンだったが、ツインカムでもターボでもないために、そこに付加価値を求める『3ナンバー』のオーナーからは物足りない、所有欲を満たさないといった判断がされてしまったのだ。

 そして、もう1つ足を引っ張ったのは、先代モデルが、ブルーバードのボディを使って、ブルーバード・マキシマと名乗ったために、ブルーバードの派生車種と見られてしまい、ひとクラス下の車と見なされてしまった事も痛手だった。


 結果、追加グレードや、新開発のV6ツインカムエンジンなども追加したが、販売は回復せず、'94年にセフィーロのモデルチェンジ時に合流し、国内では消滅する。

 ちなみにアメリカでは以後も5世代モデルチェンジを繰り返して、現在も販売されている。


 次に2人のオーナーの情報が浮かんでくる。

 当時40代初旬の男性。

 アメリカでの生活が長く、帰国後、壊れにくい日本車として違和感なく向こうの感覚でマキシマを購入。

 広大な室内とトランクは使いよく、向こうからやって来る友人にも好評だったが、2年後、再びアメリカに渡るために売却。


 2人目のオーナーは30代男性。

 特に車へのこだわりがなさそうに見えるが、知り合いに輸入車に乗る人が多く、触れてるうちに、当時の日本の上級サルーンの狭さと無駄なハイテクの多さに辟易として、シンプルながら、室内も広くて故障しない国産車、更には不人気のため中古車が驚くほど安い、という点に目をつけて探しに来たという。


 沙菜は、そのオーナーを見て言った。


 「どこかで、見た事あるんだよなぁ……」


 どうやら、その男性に既視感があったようだが、知り合いにしてはなかなか思い出せず、車葬を続けながら考え込んでしまった。


 しかし、次の画像で分かった。

 男性は、ある日マキシマに乗って向かった場所は、撮影所だった。

 彼は、俳優だったのだ。


 「あぁ! あの人だ」


 沙菜もようやく分かったが、名前までは分からなかった。

 先期、沙菜が見ていたドラマで、主人公のイケメンアイドルの父親の役だった人という認識だからだ。

 しかも、父親は何度も出てくるものの、影が薄くて、いつも家に帰ってきては『疲れたな~』と言いながら、画面隅でビール片手に新聞を読んでいるような感じで、物語には直接絡んでこないからだ。

 

 ある時は脇役の刑事、ある時は犯人、そしてある時は死体、そして近所の名もなき人……と、決して主役級の役やCMのメインの役ではないが、最近はよく見る顔ぶれの人の1人だった。

 なるほど、知り合いに輸入車に乗る人が多いのも頷ける。俳優なら、そういう付き合いもあるのだろう。


 しかし、浮かんでくる若かりし頃の彼からは、今とは違うものが浮かんでくる。

 何というのだろうか、少し尖っているのだ。

 いくら頑張って稽古に励んで、オーディションを受けても、やって来る役は通行人か死体の役で、台詞がある役も来ない事にイライラしていたのだ。


 家族も抱える中で、役者の仕事の無い月もあり、アルバイトと妻のパートの収入で過ごす日々に焦りを感じたある日、妻に誘われて富士にあるパート先の保養施設の温泉旅館に子供を実家に預けて出かけた。

 一緒の劇団で知り合った妻と現地に到着すると、既にテレビで知られた存在になっていた同期が2人やって来ていた。妻が呼び寄せたのだ。

 

 みんなで飲み明かしながら、つい彼は本音をポロッと話してしまったのだ。

 自分がやっている役に名前も台詞もなく、更に仕事の無い月もある事、このままだと子供が物心ついた時、自分が俳優だなどとは口が裂けても言えない状況な事、今のうちに、やめて就職した方が良いのか悩んでいる事……などを。


 すると、2人の同期から、そんな余計な事を考えている余裕があるうちは、本気を出していないという事、そして、本気も出さずに、自分から家庭を言い訳にしてやめて悔しくないのか、という事をこんこんと言われたのだった。


 更に、技術論の話になった際に、自分の演技の技術自体には、彼らとの遜色はないが、彼らに言わせると、彼自身が自分の殻に閉じこもっていて、殻を破れていないという事、カッコつけてないで、死体の役を極めて一生食っていくくらい覚悟を決めて、与えられた仕事1つ1つに全力でぶつかっていけと言われて、彼の中でずっと引っかかっていた物が取れたのだ。


 彼らが帰った翌日、妻と2人で富士が見える場所にマキシマでドライブに行った際に、パート先から正社員での誘いを受けていて、受けようと思っている事と、あなたくらい一生食べさせてあげるから、余計な世間体は考えずに、一生役者で生きていけ……と言われて、役者を続けていく覚悟を固めたのだ。


 以後、彼は与えられた仕事に全力で取り組むと共に、自分の持ち味を、毎日鏡を見ながら考えていたそうだ。

 しかし、家の鏡をまじまじと見ているところを妻や子供に見られるのは恥ずかしいので、マキシマの中でバニティミラーに映る自分の顔を眺めて、どういう持ち味があるかを、半年考えたそうだ。

 すると、自分には真面目そうで、影が薄く、薄幸そうで、その上で腹黒く、嫌味なイメージがあると分析して、それらを極めようと勉強を始めて、役作りをした結果、遂に主人公の嫌味な上司役として連ドラにレギュラー出演する事ができたそうだ。


 それ以降も、死体や犯人以外にも物語の中核に位置する脇役などにも抜擢されるようになって、もう、役者の仕事で食べていけないという心配は無用になった。

 そして、中古で買って30年近く乗ったマキシマとも遂にお別れとなって、スカイラインと入れ替わり、ここにやって来た経緯が見えた。

 ちなみに、スカイラインを買ったのは、今やパート先の統括マネージャーとなった妻の貯金からだった。


 そして、次に沙菜は車からの思念を読み取っていく。

 この車を見ていると、本当にオーナーである彼の役者としての今の役柄にそっくりなのだ。

 物の良さを飾り気ない外観に包んで、それを嫌味に見せびらかしたりしない等身大の魅力。

 その性格からか控えめに発される思念を丁寧に沙菜は読み取ると、ボンネットを優しく撫でて


 「良き旅を……」


 というと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 3日後にやって来たのは、オーナー本人だった。

 沙菜はてっきり、奥さんが来るのかと思ったが、彼女は仕事が忙しくて撮影終了後フリーとなる自分が来たそうだ。


 「それで、あのマキシマはどうなりました?」

 「物が今となってはかなり稀少になりますので、一度レストア後に展示してみて、反響があれば、販売するかもしれませんね」

 「そうなんですか?」


 驚いている様子だった。

 マキシマは、アメリカではともかく、日本では不人気車で、しかも生産終了からも時間が経っているので、残った物も殆どが処分されて現存数が少ないのだ。

 祖父の事なので、その狙いもあって引っ張ってきたのだろう。


 沙菜は、マキシマから預かった物を、テーブルの上に出した。

 それは、1枚のコインだった。

 観光地などにあるもので、お金を入れると日付を打刻したコインが出てくるものだ。

 絵柄は富士山のものだった。


 彼はそれを見ると目を細めた。

 

 「これは?」

 「シートの下のリアのヒーターダクトの陰に落ちてました。あのマキシマが、どうしてもあなたに渡して欲しいと切望してましたので」


 沙菜が言うと、彼は感激していた。

 このコインは、彼が俳優として再出発して行こうと決意したあの旅行の際に、展望台のお土産屋の前で作ったものだそうだ。

 妻と1枚ずつ作って、お守りとしていつも肌身離さず持ち歩いていたが、5年ほど前から見当たらなくなってしまい、諦めていたのだという。


 「これは、私の俳優としての人生の大事な記念碑なんです。片腕だったマキシマがずっと持っていてくれたなんて……本当に、あのマキシマには感謝しかないです!」


 と言うと、遠くを見つめた。

 その方角には、祖父がレストア作業を行うマキシマが確かにあった。


 「1つだけ、お願いがあるんですが……」


 彼は帰り際に言った。


◇◆◇◆◇


 3ヶ月が経過して、マキシマのレストア作業が終わった。

 幸いにも、車庫保管だった事から痛みが少なく、リフレッシュ作業が中心となったので、短期に復活したのだ。


 事務所内のショールームに展示されたマキシマの周辺には、新車時とは違って、物珍しさからなのか、それなりに多くの人達が集まるようになっていた。

 正直、ずっと目立たない存在だったマキシマにとっては初めての経験に戸惑っているだろう。

 しかし、沙菜はたまに事務所を通りかかるたびにされる質問に戸惑ってしまっている。


 「このボンネットのサインは誰のものですか?」


 これをされるたびに、沙菜はどこから説明するのかに困惑し、写真入りボードの展開を祖父に迫っているのだ。

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