第33話 拭えない影

 「そんなもんかねぇ……」


 沙菜は、帰り道で呟いていた。

 燈華が、陸上の記録について、騒ぎだしたのだ。

 燈華が陸上部にいて、中距離走の全国大会に出た事も、優勝を期待されながらも怪我で引退を余儀なくされた事も、周知の事だった。


 しかし、急に後輩にあたる今年の陸上部の結果に激怒したのである。

 燈華曰く、手抜きだ。自分がいた頃には考えられない事だ……と。

 正直、グループ内であさみに次いで軽い感じのする燈華が、そこまで熱くなっている事に、違和感を感じながらも、沙菜にはちょっとだけ羨ましい感じがしてしまったのだ。


 沙菜は、部活に打ち込んだ経験はない。

 それは、両親の都合でいつどこに行くかが分からないため、本能的にそうしてきたのだ。

 祖父母は、沙菜を不憫に思って、小学校に上がる前に、沙菜を強制的に引き取って、以後育ててくれているが、子供の頃は、いつ両親が攫いさらいに来るか分からない状況の中で、そのようなものに打ち込むと、連れ去られた後で後悔すると思っていたので、あえて触れないようにしていたのだ。


 そんな思い出が頭をもたげないように、家に帰ってシャワーでも浴びようと思ったところ、リビングで祖父と出くわした。


 「沙菜、ちょうど良い所にいた。高額報酬の期待できる車葬だぞ、やってみないか?」


 ニヤニヤしながら言う祖父にはちょっとムカついたが、このモヤっとした気持ちを吹き飛ばすのと、高額報酬というところは聞き捨てならなかった。

 

 工場に行くと、メタリックブルーでリアスポイラーの大きなセダンが、沙菜を待っていた。


 「アルテッツァかぁ……よし、いくよぉ~」


 沙菜はそう言うとボンネットに手を置いて車葬を開始した。

 

 トヨタ・アルテッツァ。

 トヨタは、スペック上で勝るハイパフォーマンスカーは出せても、人の心に残るスポーティカーは生み出せない。

 この不文律がまことしやかに囁かれるのは、歴史の経緯がある。


 トヨタの車で最も市井しせいの車好きにムーブメントを起こしたのは、カローラレビン/スプリンタートレノ系5代目のAE86型だ。

 ハチロクという愛称で、走り屋から親しまれたAE86型だが、トヨタとすれば、ミニソアラ、セリカXXの趣のスペシャルティクーペで出したレビン/トレノで下品な改造をしてドリフト走行に興じ、モデルチェンジしたAE92型へと買い換えないハチロクユーザーなど迷惑の極みという扱いで排除してきた歴史がある。


 当時のトヨタとしては、レビンに乗ったら次の型にモデルチェンジと同時にセリカに、そして次はソアラかスープラに上級移行するユーザーこそが是とされたのだ。


 '90年代に入ってもその状況は変わらず、トヨタはスペック至上主義と言われ続け、スポーツモデルの評価は日産やマツダの後塵を拝していた。

 そんな中で、コンパクトなFRのスポーツセダンを作る事となり開発が始まったが、途中で、レクサスのコンパクトクラスとしての役割が合流し、国内外で、多様な目的に適合させるコンパクトでFRのスポーティでプレミアムなセダンが誕生する事となった。


 '98年にそのセダンは、海外ではレクサスISとして、そして、レクサス誕生前の日本では、アルテッツァと名乗って誕生した。

 しかし、当時、FRの5ナンバーと言う性格から『現代のハチロク』と言う呼び名が、ジャーナリズムや一部関係者の口から語られるようになると、登場前から期待が大きく膨らんだのだった。


 アルテッツァにおいて新しい試みであったのはエンジンのラインナップで、2000ccが2種類で、4気筒と6気筒があったが、6気筒は普及版、4気筒はハイパフォーマンス版と言う性格分けがされていたのが新鮮だった。

 日本においては、2000ccであれば、6気筒の方が序列が上と言う考えが成されるのが一般的であったが、それに風穴を開けたのだった。


 デザインはようやく国際感覚についてきた……と言う感じで、今までのトヨタの6気筒搭載車は、無意味にフロントを長く伸ばすロングノーズデザインで大きさを誇張していたが、アルテッツァはキャビンを大きく、タイヤの前後(オーバーハングと言う)を短くと言う現代に通ずるさっぱりしたデザインを手に入れた。

 ただ、残念なのが、若さとスポーティさを入れようとして、ランプ類をガキっぽくしてしまった事で、アンバランスになってしまったが、全体のデザインに救われていた。

 インテリアもシンプルなのだが、クロノグラフ調のメーターの文字盤がガキっぽくて見づらく、折角シックでシンプルなデザインを台無しにしていたのが残念な事だった。


 日本では、前評判が非常に高く、次世代のスポーツセダンと登場を熱望されたアルテッツァであるが、蓋を開けてみると、初期は前評判の高さもあって、そこそこ売れていたが、徐々に萎んでしぼんでいった。

 主な原因は、同じ販売店にチェイサーの2500ccターボが存在していて、そちらになびく層がいた他、210馬力を発揮する4気筒エンジンに、思った程パワーが感じられない、衝突安全基準に合わせたボディが重くて軽快感がないという評判が立った事が大きかった。

 ハチロクと言うと、トヨタの車らしからぬ、軽快で痛快な走りが楽しめるライトウェイトスポーツというイメージを持っていた層に対して、期待を大きく裏切る事となってしまったアルテッツァは、スポーツセダンを求める層には、そっぽを向かれる事となってしまった。


 チェイサーが生産中止となると、同車の2000ccのユーザーが流入してきたが、更に拡販を難しくしていたのが、当時、トヨタには小さな高級車としてプログレとブレビスが存在していたため、スポーツセダンではなく小さな高級車という路線にしようとすると、そちらともバッティングしたのだった。


 想定外ではあったが、超不人気という訳でもなかったので、特別仕様車が何度も登場、更に2001年にはコンパクトなステーションワゴンである、アルテッツァ・ジータを追加。ジータには6気筒の2000ccに加えて3000ccも設定されていた。

 しかしながら、初期にアピールしていたスポーツセダンとしてのイメージが強いため、販売は混乱し、2005年のレクサス日本上陸後にISとしてモデルチェンジし、アルテッツァは消滅する。


 次にオーナーの情報が浮かんでくる。

 2人のオーナーのもとを歩んできており、最初は30代男性既婚者。

 『現代のハチロク』のイメージを信じて購入しており、下取り車はスポーツセダンの日産プリメーラ。

 しかし、しばらくしてイメージがどんより曇り始める。オーナーの心が離れ始めたのだ。どうやら過去に乗っていたハチロクレビンとの違いに愕然として『これじゃない』感に苛まれ、2年乗ってランサーGSRエボリューションVIIに乗り換え。


 2人目は20代後半の女性。

 ふと価格に安さに釣られて見た際に、個性と知性を感じて購入。

 なんとなく、こういう車を乗りこなせるお洒落な自分に憧れて買ったが、スポーティセダンを、もう少し手軽なものと思っており、初日からエンストの洗礼を受ける。

 それから、半年乗ったが、雨の日に溝の無いタイヤでスピンして岩肌に衝突、そこで、一度映像が途切れる。


 次に映像が出るのは2年後。

 モビリオスパイクに乗っていたが、実家の倉庫に入っていたアルテッツァを修理に出して乗り始める。

 今度は、乗りこなしたいと、当時の彼氏の趣味であるサーキット走行会にアルテッツァで挑戦する。


 最初は、軽自動車にも抜かれてしまうレベルだったが、悔しい思いを何度もしながら上達していき、2年後には、最初の頃、目標としていた常連とタイムで拮抗できるようになってくる。

 そんな時に、ラリーの特集記事を読んで興味を持って、ラリー仕様のブルーバードの中古車を買う事になり、アルテッツァは、再び眠りにつくことになる。


 次は、その3年半後。

 ラリーやダートラ等の未舗装系の競技でも目標に到達し、再びサーキットにも通いたくなって、アルテッツァを再び召喚し、ブルーバードと2台体制となる。

 ラリーやダートラに出る日と、サーキットに出る日を分けて、街乗りとサーキットはアルテッツァが担当した。


 そして、沙菜には気が付いた事があった。

 それは、サーキット走行会に彼女と一緒に来ている女性が乗ってきた車だった。


 「このFTOって……」


 そう、沙菜が見たのは以前に車葬したFTOだった。

 確か、戦国武士の彼女の手に渡る前のオーナーは、サーキットで知り合った女性で、同僚に誘われたという話だった。

 男に騙されて、自殺しようとしていた同僚に、気を紛らわそうと1回だけのつもりで誘ったところ、ハマっていき、2人でエントリーするようになっていったのだ。


 そのうちに、戦国武士の彼女も加わり、サーキットに行く時は3人というスタイルになっていった。

 それが、しばらく続いた時、FTOに乗ってた2人が相次いでMR2やシルビアへと車両をチェンジし始めると、2人が一気に彼女と肩を並べだした。2人の師匠であった彼女は、いつの間にか2人のライバルとして、倒される対象となっていたのだ。


 彼女は自問自答した結果、どうしても乗りたい車がある事に気が付いた。

 スカイラインGT-Rだった。

 幸い、知り合い伝手に破格の出物があって、購入することはできるのだが、そうなると、今度こそアルテッツァとは別れなければならない。

 数年前に兄が実家に自宅を建てたため、倉庫は取り壊されてしまったのだ。


 彼女は、元弟子の2人に悩みを打ち明けると、2人共が『今、乗り換えるべき』と強く背中を押してくれたために、アルテッツァを遂に手放し、ここに流れてきた経緯が。


 次に車側の思念を読み取る。

 彼女と過ごした時間が長いが、何度も休眠していた経緯があるこの車には、色々な思いがあったのだろう。

 沙菜は、それを全て掬い取ると、優しくボンネットを撫でて


 「お疲れ様、良き旅を……」


 というと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇

 

 翌日、40代後半の女性がやって来た。

 アルテッツァのオーナーの女性だった。

 沙菜から、これから解体に入る事、外装の一部と、壊れやすい6速マニュアルトランスミッションが残るという事を伝えられた。

 彼女は黙ってそれを聞いていた。


 「それと」


 沙菜は続けて言った。

 

 「あのアルテッツァからは、感謝と安堵の言葉が出ていました」

 「えっ!? なんで?」


 彼女は納得がいかない様子だった。

 彼女の中で、不完全燃焼の中で引退させられたアルテッツァは、自分に対して恨みはあれど感謝などしていないと思っているのだろう。

 

 沙菜は彼女に言った。


 「あのアルテッツァは、自分の限界で走っていて、これ以上は速くはなれない事を知っていました。だからこそ、貴女に、自分をステップにして次の段階に行って欲しいと強く思っていたんです」


 アルテッツァは、彼女が1年くらい前からスランプに悩んでいた事は知っていたのだ。

 しかし、それは彼女の問題ではなく、自分の性能の限界だという事を知っていたので、遂に来るべき日が来たと、思っていたそうだ。しかし、彼女にそれが伝えられないもどかしさがずっと残っていたのだ。


 すると、彼女は強めの口調で言った。


 「でも、それは、アルのせいじゃなくて、私の未熟のせいなのに……」

 「もう、解放してあげませんか?」

 「えっ!?」


 沙菜の言葉に彼女は言葉を呑み込んだ。


 「アルテッツァは『現代のハチロク』なんて登場前から持ち上げられて、常に自分じゃない車の評価を投影させられて、ガッカリされてきたんです。貴女が、そうやって自分を責め続けると、あのアルテッツァは、もっと苦しみますよ!」


 アルテッツァは、トヨタの歴史のアウトロー的なAE86の生まれ変わりだなどと変な評価を投影された事こそが、その後の歴史の不幸の大元なのだ。

 もし、レクサスの最小のスポーティサルーンとしてデビューしていれば、まったく違った評価と違った客層に受け入れられたのだ。


 このアルテッツァもそうなのだ。

 最初のオーナーからは『期待外れ』のレッテルを貼られてさっさと売りに出され、彼女を今もって悩まさせいる。

 そこから解放しなければ、アルテッツァは、生まれもっての呪いから解放されないのだ。


 「貴女には、もっと上を目指せる腕がある。でも、自分と一緒だとその域まで達することはできない! だから、GT-Rに乗って欲しい! アルテッツァの願いです。あの車は、貴女にもっと上の領域を見て欲しいんです!」


 沙菜は力強く言うと、彼女はボロボロと涙をこぼしながら黙って頷き、ブルーバードに乗って帰って行った。

 

◇◆◇◆◇


 2ヶ月ほどして、彼女が、戦国武士の麗奈さんと、一緒にやって来た。

 サーキット走行会の帰りに寄ったそうで、彼女はミッドナイトパープルのR33型GT-Rに乗っていた。

 走行会の1番時計を叩き出したことを喜び、次はもう少し上のランクのコースを目指すと意気込む彼女の姿を、部品庫の中から、とても喜んで見ている物がある事を、ここにいる3人なら分かっていた。


 唯一彼女のアルテッツァの中で残った部品である6速ミッションである。

 彼女がエンストの洗礼を受け、2度損傷させてオーバーホールされたミッションは、今でも残っているのだ。


 「それで……」


 彼女は沙菜に切り出した。


 「あのミッション買いたいんです。麗奈ちゃんが、さっき6速飛ばしちゃって……」


 話によると、オーバーホールの際、脆弱なアルテッツァの6速でなく、シルビアの6速を使って強化したのだそうだ。

 サーキットで6速を損傷させた麗奈さんのドナーに、自分のアルテッツァのミッションの存在を思い出したのだそうだ。


 運命の皮肉なのか、彼女の強い思いなのか、アルテッツァの一部は彼女の近くで生きる事になった。

 それを喜んでいるのは、彼女もアルテッツァも一緒なのかもしれない。

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