第32話 レシピ帳とピアノと

 沙菜は、祖父に頼まれて、荷物と書類を届けに、とある家まで行ってきた。

 頼まれた用事を済ませると、お礼にと野菜を貰ったため、沙菜はツインのガラスハッチを開けて、僅かながらのトランクスペースへとそれを入れようとして、なにかが落ちてるのを見つけた。


 それを見て沙菜はモヤっとした。

 それは、お墓のパンフレットだったのだ。

 場所的にこの車の前のオーナーであった老婆が落としたものでなく、この車を連絡用に使っている祖父母のどちらかが、落としたものだ。


 正直、こういう物を拾ってしまうと、気を遣われているだけに、どう対処したらいいのかで悩んでしまう。

 わざわざ渡すと、いらぬ気遣いをされるだろうし、かと言って見なかったフリをして放置するのも不自然すぎる。


 結局、黙ってリビングのテーブルの隅に置いておいたのだが、こういう事1つ取っても、微妙な年齢同士というのは難しいものなのだ。


 その日の夕飯の際、それを見つけた祖父は、凄くバツの悪そうな顔をしてから、数秒間を置いて、明日、入ってくる車の車葬をやってくれたら、臨時ボーナスを出す……などと言ってきたのだ。


 「正直、そんなところに気を遣われるのも……違うんだよなぁ」


 沙菜は、自室に戻る途中、頭を掻きながら思わず口からこぼれてしまった。


 翌日、工場のいつもの場所には、濃赤色の小さなセダンが止まっていた。


 「これ、オプティじゃん! それじゃぁ、はじめるよ」


 と言うと車葬を開始した。


 ダイハツ・オプティ。

 1979年の初代アルトによって起こった第二次軽自動車ブームだが、あくまでセカンドカーの軽自動車としてのムーブメントであり、その主力は商用登録のボンネットバンであった。

 '89年の消費税導入における物品税廃止まで、軽の商用車優位は続くのだが、その時代から安さだけでなく、パーソナル軽として唯一の存在となっていたのは、スズキのセルボであった。

 流麗とは言えないが、華のあるクーペボディを採用し若い女子を中心に人気のあった軽スペシャルティともいえるこの市場にダイハツも参入すべく、'86年にリーザを誕生させた。

 しかし、リーザは税制のバリアに守られたミラを打ち崩す事ができず、伸び悩む。


 そこで、税制改定と、軽の規格改定が行われた後で、次の軽スペシャルティとして登場したのがオプティである。

 登場したオプティの特徴は脱・軽ともいえる上質感と、パーソナル感の創出で、それまでのリーザではどうしても中途半端に終わっていた点を徹底し、ミラをベースにしながら全く違う車づくりを目指したのだ。


 それまでの軽も豪華さを売りにしたモデルはあったが、それはシートの生地や、装備品などでそう見せているだけだった。

 オプティは、エンジンマウントや、エンジン本体、遮音材などを改良して、本格的に静粛性を煮詰め、メイングレードのATがミラが3速の頃に4速ATを採用するなど、コストをかけて徹底的に上質な軽を作ったのだ。


 他にも室内の質感や、素材にも上質なものを使ってミラとの違いを歴然としたものとし、パワステやパワーウインドの標準装備も、当時の軽ではあり得ない事だった。更にはリーザ時代から採用していた前席優先のシートレイアウトも進化させ、スペシャルティ感を強調した。


 デザインはリーザ時代からの丸みを帯びたデザインを更に進化させ、バンパーを含めて張り出しているところの無いツルンとした丸みを実現させて、CMコピーの1つ超・ラブリーを実現させたのだった。


 CMは、当時人気絶頂の宮沢りえを起用し、当時の総理大臣と同じ苗字だったところに目をつけて、政治家の記者発表風の演出で『宮沢発言』というキャッチコピーにする等、話題性の大きいものだった。


 実際に売り出してみると、リーザとは比べ物にならない好調な売れ行きだった。

 理由は、バブルを経験し、贅沢になった当時の女子は、軽でも上質なもの、欲しいものを選択するようになったのだ。

 無難と安さのミラと、上質で可愛らしいオプティという住み分けができるようになったのだ。


 その好評に応えて、追加で、4WD、5ドア、ツインカムエンジンが追加される他に、特別仕様車や、当時の流行だったクラシック仕様のオプティ・クラシック、更にはイタリアンスポーツを意識したクラブスポルトも登場するなど、モデルチェンジまで非常に賑わいを見せていた。


 2代目は軽の規格改定が行われた'98年11月に登場。

 初代が愛らしい丸みを帯びたデザインだったのに対し、2代目はライトが丸型という点は踏襲したものの、ボディタイプがハッチバックから、4ドアノッチバックとなり、しかもサッシュレスドアのハードトップになった事が、最大の特徴であり、当時、皆をあっと言わせたことだった。


 軽自動車の場合は、限りある全長で室内寸を広く取るため、ハッチバックにするのが常識であったが、2代目オプティは果敢にもここに攻め入ってみせたのだ。

 通常グレードの他に、スポーティグレードとして『ビークス』シリーズが設定されたが、通常グレードが、先代同様丸目2灯なのに対し、丸目4灯となるのが特徴だった。


 エンジンは、シングルカムとツインカムに加えて、ツインカムターボが追加、2WDのターボは4気筒、4WDのターボは3気筒なので、エンジンは4種を揃え、初代のスタートとは比べ物にならないワイドなラインナップとなった。


 CMでは、ゴジラやウルトラマンの実際の映像の中をオプティが走り回って、最後に『どうです? ○○スタッフの皆様、次回の撮影には是非オプティを!』と謳った(雑誌広告の場合『どうです? ○○編集部の皆様、次回の特集には是非オプティを!』○○は掲載誌名が入る)ユニークなものを採用し、違った層を取り込もうとした2代目だが、形がガラッと変わってしまい、男性っぽくなった事、若干安っぽくなってしまった事等が災いして、人気を博していた先代とは打って変わって今一つの人気に終始した。


 2代目の不評を受けて、特別仕様車を出す一方で、グレード削減を段階に進めていったが、遂に2002年8月に販売が終了して消滅する。


 次に、持ち主の情報が浮かんでくる。

 当時50代の女性。

 子供は独立して夫と2人暮らしになり、自分で自由に動ける足が欲しくて、夫のグロリアとは別に購入。

 

 女性は、主婦の傍ら、週に数日、子供たちを中心にピアノのレッスンをして過ごす生活を長年続けて、手に入れたオプティで、近所から友人との旅行まであちこちへと出かけた。

 元々、社交的な性格で、出かけるのも好きだったが、車を手に入れてからは、行動範囲とその頻度がグンと大きくなっていった。

 友人や、ピアノの生徒からもオプティは評判が良かった。その寸の詰まったデザインが、小型犬を連想させる可愛さがあり、軽らしくないお洒落さだと、そのセンスを称賛されたりした。


 夫も理解ある人なので、彼女がどこかへ出かける事に対しても何も言わず、ニコニコしながら送り出してくれていたので、彼女の第二の人生は、オプティという相棒と共にとても充実したものとなった。


 それから10年以上、彼女の楽しい日々は続いていたが、2年ほど前に事態は大きく変わる。

 健康診断の際に言われて受けた精密検査で不治の病が判明して、余命宣告を受けてしまう。


 当初は半年と言われていたが、彼女はその後も自暴自棄にならずに、やりたいことをやっていった結果、2年を生き、先月、全てをやり尽くしたと満足して息を引き取った。

 そして、主を失ったオプティが、ここへとやって来た経緯が見えてきた。


 沙菜は、次に車からの思念を読み取っていく。

 このオーナーの性格はとても穏やかで優雅なんだろうと、沙菜には感じ取れた。

 思念になる思い出の量は多いが、全てが穏やかで、ゆったりとしたものだった。


 沙菜はそれらを丁寧に受け取ると、導かれるように車内を捜索し、最後にはボンネットを優しく撫でると


 「良き旅を……」


 と言って車葬を終えた。

 

◇◆◇◆◇


 3日後、70代前半の男性がやって来た。彼女の夫だ。

 彼女が亡くなってから日が浅く、表情はやつれが見えていた。


 沙菜も、車葬をやっていて一番辛いのがこういう場面だ。

 彼は、彼女との思い出を話しながら気を紛らわせていた。

 

 話しが終わった頃を見計らい、沙菜はオプティから受け取ったものを黙って差し出した。


 「これは?」

 「オプティのシートの下に落ちていました。彼女があなたに託した最後のメッセージです」


 沙菜が渡したのは小さな革製の表紙の手帳だった。

 彼はそれを見て、即座に言葉を詰まらせた。

 それは、最初のページに、彼への長年のお礼のメッセージが、2ページ目以降は、色々なレシピが書き綴られていた。

 そして、最後のページには、同じ物ばかりでなくバランスよく食べること、肉もきちんと食べること等、注意が書かれていた。


 最後の一行は、数行あけて

 『最後まで、作ってあげられなくてゴメンね』

 と、少しだけ震えたような字になって書かれていた。


 夫は最後に、沙菜に深々と頭を下げて


 「これで、明日からも生きる希望が湧いてきました!」


 と言うと、オプティの引き取りを願い出て帰って行った。


◇◆◇◆◇


 それから3ヶ月ほどして、彼女の息子と娘が訪ねて来た。

 あれ以降、彼女の夫は、人が変わったように料理を始めたそうだ。

 今まで、包丁すら握った事のない、インスタントラーメンしか作れなかった彼が……だそうだ。


 そして、今月、自宅を改装して自分の創作家庭料理のお店をオープンさせたのだ。

 そのお店のホールの真ん中にピアノが、そして前には、オプティがオブジェとして止められている。

 きっと、彼のお店には、いつも傍らに彼女がいるのだ。いくつもの思い出と共に。

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