第31話 二つの願い

 祖父母と孫の生活というのは、普段の話題に関しても齟齬が現れてしまうものなのだ。

 最近、祖父母の話の中に、墓じまいやら、終活なんて言葉がボロボロと出てくるのが、正直、成人にもなっていない沙菜の前でそんな話をされても、沙菜の気がめいってしまうだけだ。

 しかも、大抵その話にセットになる言葉として『真奈美たちは、当てにならないから~』があるのも正直、沙菜にとっては不快なのだ。


 沙菜にとって、母親にはいい思い出も無いし、積極的に関わりたいとも思わないが、かと言って、悪口を聞いていて気持ちの良い相手でもないのだ。


 今日も家に帰るなり、リビングに居た2人の表情が、明らかにこちらを気遣うそれになり、重苦しい空気に祖母が祖父に合図を送った。

 すると、祖父が


 「沙菜、この間はご苦労だったな。それで、今日も簡単な車葬があるんだが……」


 と、さりげなく沙菜を外へと向けようとした。

 なるほど、2人で話し合っておかなければいけない事があるって訳か、沙菜はその重苦しい雰囲気から逃れるのと、お金との一挙両得を狙う事にした。


 工場に入ると、一瞬、いつもの場所には何も無いのかと誤認してしまったが、そこにはとてもっちんまりとした黄色のボディの車が佇んでいた。


 「ツインじゃん! へぇ、面白い。はじめるよ」


 沙菜は、ボンネットに手をつくと、車葬を開始した。


 スズキ・ツイン。

 見ただけで分かるほどコンパクトなこの車は、次世代のシティコミューターに対する回答ともいえるものだった。


 シティコミューターを考える際に、スズキは、自社製品内でもっともその用途に近いとされていたアルトのユーザーを調査した結果、そのほとんどが普段2人以下でしか乗車していない事に着目して、2人乗りのマイクロカーを作る事を考案。

 取り回しを良くする事と、低燃費のために、可能な限りコンパクトに作られたボディに、手荷物程度の荷物を積むスペースを備え、アルトなどに搭載されたエンジンと、軽自動車としては初となるハイブリッドを搭載し、低燃費とCo2排出量の少ない究極のマイクロカーとして2003年1月に登場した。


 装備品の違いによるAとB、ガソリン車とハイブリッド車というシンプルなグレード構成で、最廉価のガソリンAで49万円という価格設定は非常に魅力的だったが、人気はさっぱりであった。


 原因は2つで、1つ目はラインナップの複雑怪奇さで、一見安く見えるガソリンAは、5速MTのみでエアコンやパワステがオプション。

 ATを……となると豪華装備のBになって、いきなり85万円に価格が跳ね上がる。更にハイブリッドになると装備の貧弱なAでも129万円、Bになると139万円……と、4つしか無いラインナップで、一番上と下が90万円も違う軽自動車となると、なかなか手が出辛かった。


 そして、2つ目は2人乗りという点だった。

 日本人は、この手の車においても割り切りが悪く、どうしても後ろの席を欲したのだった。

 都市向けのシティコミューターであり、アルトの顧客のデータもあるので、充分だと判断されたのだが、日本のユーザーの大半は、後席に乗るか否かは別として、4人乗れるという安心感を欲したのだった。


 ここが、日本のクルマ文化が未成熟と言われるゆえんだ。

 ホンダのCR-Xにしても、マツダのRX-7にしても輸出版では2人乗りだが、国内仕様になると、取ってつけたようなリアシートがついていて4人乗りになっている。

 そして、リアシートは非常に狭くて、とても2人で座って出かけるなんて耐えられない代物なのだ。

 

 そうしないと、日本のユーザーは『2人乗りだから』と言って、最初から検討の俎上に上げない。そして、そう言ったユーザーに最終的に聞くと、リアシートに人など乗った事は無かったと答えるのだ。

 日本のユーザーは車の使い分けをする文化がない上、妙なところが貧乏性なため、使う機会は無いけど、取り敢えずリアシートは無いと困る……等という訳の分からない要求をするのだ。


 途中で、ガソリンAとBの間にVという装備充実で手頃な価格のグレードを追加してみたものの、販売は上向かず、2005年2月にハイブリッド車が廃止、そして8月にはガソリン車も生産を終了。


 アマガエルのような愛嬌のあるスタイルと、ガラスハッチによる利便性、全長の短さによる取り回しやすさ、ハイブリッドで600kgの軽さ……と意欲の塊のようなこの車は、僅か2年半で消滅してしまった。


 次に持ち主の情報が浮かんでくる。

 当時60代前半の女性。

 夫に先立たれたばかりで、娘夫婦から、一緒に暮らそうと言われていたが、固辞して田舎暮らしを選んだ。

 しかし、夫の乗っていたスプリンターは乗れないので処分し、愛用の原付に乗っていたが、いざ、夫に先立たれて車の無い生活は辛いと感じた事、原付で転んだことがきっかけとなって、免許を取って、1人暮らしには充分な大きさのツインを一目見て気に入り購入。


 ツインは、年老いてスローライフを送る彼女と、まさに等身大のパートナーとして動き回った。

 決して速くはないが、近所を散歩するように、トコトコと彼女と共に走るツインは、まさに彼女の手押し車の代わりのような存在であった。


 彼女も、原付と違って、雨が降っても乗れるし、手荷物も載せられ、たまには近所の仲間を乗せて一緒に買い物や温泉施設に出かけることも出来るツインを大層気に入って共にかけがえのない存在として過ごしていった。


 娘や息子からは、危ないし、不便だからもっと大きな車にするように言われていたが、彼女はどこ吹く風で聞き流していた。

 ツインに慣れきってしまった彼女にとっては、むしろ、他の車は大きすぎて怖く、ツインに代わる車など存在しなかったからだ。


 しかし、そんな折りに娘の夫が交通事故死してしまう。

 彼も、車は小さくて良いんだと軽自動車を愛用していたが、ヴェルファイアに側面衝突されて3回転横転してしまったそうだ。

 その直後に娘が来て、涙ながらに懇願された。


 それを見て、彼女は遂に車を変える事を決意する。

 安全性もそこそこに高く、ツインの丸いイメージを思わせ、MTもあるマツダ2を購入し、ツインはお役御免となってここにやって来た経緯が浮かんできた。


 次に沙菜は、車からの思念を読み取っていく。

 このツインには、老婆と共に過ごした長い期間の思い出は、とても温かくて、明るい色合いのものだった。

 それに触れている沙菜が思わずほっこりとしてしまうほどのものだったのだ。


 そして、沙菜はボンネットを優しく撫でると


 「良き旅を……」


 と、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、オーナーである老婆が事務所にやって来た。

 老婆の話では、ツインに慣れているので、マツダ2でも取り回しにちょっと難儀してしまう事があるらしく、慣れるしかないと笑いながら言っていた。

 しかし、仲間と乗る際も5人乗れ、荷室も広くなり、安全装備も充実しているので車の新たな魅力を発見して、毎回楽しいと言っていた。


 沙菜は、それを聞いてから一言言った。


 「ツインは、それを言っていました」

 「えっ!?」

 「自分には、貴女の手押し車代わりにはなれても、自動車としての役目を完全には果たせなかったから、次のパートナーからは、色々貰って欲しいと」

 「そうなのね……」


 彼女は、夫に先立たれてから、ペットを飼おうかで悩んだが、結局、自分にお迎えが来るまでの間に、何匹かを見送らなければならないのが辛く、踏み切れずにいた時に、このツインを買ったのだそうだ。

 そして、初めて自分で持った車にワクワクしながら毎日を過ごすうちに、すっかり寂しさを忘れてしまっていたのだ。


 彼女にとってこのツインは、足代わりという実用上の道具ではなく、夫に先立たれた寂しさを紛らわせてくれる家族でありペットだったのだろう。

 ペットと違って、手入れさえしていれば、見送るような事もなく、いつまでも彼女と二人三脚で過ごしていける存在だったのだろう。


 しかし、遂に娘のためにお別れすることになってしまった。

 その忸怩たる思いもおくびにも出さずに、互いに笑って別れているこの関係性は、正直独特なものであった。


 彼女を見送った後、沙菜が見たツインには、手編みのハンドルカバーが付いたままだった。

 彼女と別れるにあたって、唯一ツインが欲したものは、このハンドルカバーに込められた、彼女の愛情だったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る