第30話 愛馬と羽

 「参ったなぁ……」


 沙菜は、燈華から渡された分厚い本を部屋の机に置くと、頭を抱えて言った。

 その本は、戦国武将について分かりやすく紹介された本だった。

 グループの中で、特に誰の趣味にも共感する事のない沙菜を見た燈華から、無趣味は良くないから……と、渡されて、読んでくるよう言われたのだった。


 沙菜には取り立てて趣味はないが、少なくともこういった歴史ものには全く興味を持てる要素がない。

 まずにして歴史は苦手教科なのだ、年表を覚えようとするだけで頭が痛くなってくる。


 「燈華が歴女だったとはなぁ……、明日から何とかこの話題から逸らさないとなぁ」


 沙菜は、厄介そうな顔でトイレに行こうと部屋を出たところ、通りがかった祖父と出くわした。

 すると、沙菜と同じような表情をしていた祖父は、ハタと思いついたように言った。


 「沙菜、すまないが頼まれてくれないか? 爺ちゃんは、急ぎの仕事が入ってな……ボーナスは出すからな!」


 と言うと、沙菜の返事も聞かずに、そそくさと1階へと降りていってしまった。


 「誰も『やる』なんて言ってないじゃん!」


 沙菜は反論したが、後の祭りであった。

 しかし、車葬が入っていれば、さっきの本の事は忘れていられる。そう考えると沙菜の足取りは軽かった。


 工場には、白くて小ぶりなクーペが佇んでいた。


 「FTOかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜はボンネットに手を触れると車葬を開始した。


 三菱・FTO。

 この車の背景には、1971年に登場したギャランクーペ・FTOという車が一応関係している。

 前年に登場したコルトギャラン・GTOは三菱初のスポーツカーとして人気となったが、その弟分ともいえるスペシャルティクーペがFTOであった。

 しかし、その存在感もデザインも中途半端な感が否めず、オイルショックや排気ガス規制も追い打ちをかけて、僅か4年でランサー・セレステへとバトンを渡して消滅した。


 ところが、1980年代後半の日本では、スペシャルティカーが飛ぶように売れていて、トヨタ・セリカ、ホンダ・プレリュード、日産・シルビアなどがしのぎを削っており、’88年登場の5代目シルビアが圧倒的な人気を得ていた。

 三菱は、利益率の高いシルビアが、月に6000台も売れている状況を見て、参入を決意、登場したのがFTOである。

 奇しくも、長らく消滅していたギャランGTOも'90年にGTOとして登場しており、往年のコンビがオーバーラップする登場であった。

 しかし、三菱の見解としては、FTOはギャランクーペFTOの後継車ではなく、2車に関係はないものとされている。


 他車のコンポーネントが流用されているのは、他のスペシャルティカーと同じで、FTOはミラージュのシャーシに1800ccの4気筒と2種類のV6・2000ccを搭載しているため、横幅の割りに全長が短くて幅広に見えるという、ギャランクーペFTOと似たプロポーションに仕上がったのは皮肉だった。


 このFTOのポイントは2点で、大胆な曲面構成のデザインと、初となるINVECSインベックス-IIと称するマニュアルモード付のATの採用であった。

 しかし、この2つの売りにはどちらも『日本では』という但し書きが付く。つまりは、海外のアイデアのパクリである。


 デザインに関しては、イタリアのクーペ・フィアットの純然なるコピーだった。

 クーペ・フィアットに影響を受けた国産車は、この後枚挙にいとまが無い程登場するが、最も明らかに影響されているのがFTOだった。

 そして、自慢のINVECS-IIは、ポルシェが作ったティプトロニックのコピー品である。


 『今度はスポーツも変えたかった』

 というコピーで登場したFTOは、自動車の専門誌を読む人たちの間では、『FF国産車最強』という点とそのデザインが評判となったが、実際に売り出してみると、当初の数ヶ月、そこそこ売れただけだった。

 6年間で約3万8千台の総販売台数のうち、1年目と2年目だけで2万8千台以上売っている事からも明らかで、しかも、初年度は10月に登場しているので、1年2ヶ月での数字なのだ。


 ちなみに、ライバル視していたシルビアは'93年に6代目になったが、デザインが大人しくなってしまった事等で、不人気になってしまった。しかし、その売れないと言って頭を抱えているシルビアは、月に2000台ほどをコンスタントに売っているという皮肉な結果となった。


 FTOが売れなかった原因は2つで、1つ目は、この手の車に乗る中心層となる若い人たちの流行りが、RVに移行して、スペシャルティカーの市場規模が縮小したのだ。

 そして2つ目は、FTO自体が、妙にスポーツカーを意識しすぎていて、雰囲気が暗く、敷居が高い雰囲気を醸し出していたのだ。


 シルビアやセリカには、確かに走り屋さん層のユーザーもいるが、大半は女の子にモテたい普通の男子や、女の子、おばさんやお爺さんまでが普段の足として乗っていたのだ。


 そこを見誤ったFTOには、最初からオタク層のユーザーしかつかなかったのだ。

 さらに追い打ちをかけるように、'95年にホンダがインテグラ・タイプRを発売。本格的なFFスポーツモデルを目指したこの車は、FTOと同じクラスで、FTOが持っていた『FF車国産車最速』の称号をあっさりと奪取。

 その上で、三菱は当時、RVが飛ぶように売れるので、FTOに必死になる必要はなかったのだ。

 '96年と'97年にマイナーチェンジが行われるが、坂道を滑り落ちるように販売台数は下降していき、2000年にGTOとともに消滅している。


 次にオーナーの情報が浮かんでくる。

 3つの画像が浮かんでくることから、3人のオーナーの手に渡っている。

 1人目は20代後半の男性、結構体形が太目で、いつも降りるのに難儀しており、2回目の車検で売却。

 2人目は、20代半ばの女性、最初は街乗りのみしていたが、同僚に誘われてサーキット走行会に行ってから、はまってしまい、一念発起してINVECS-IIを5速MTに載せ替える。

 その後も走行会に通っていくうちに、MR-2に乗り換える事になり、売却。


 最も思念が大きいのは3人目のオーナーだ。

 10代後半から20代前半の女性。前のオーナーから直接譲り受けた最初の車のようだ。

 そして、この雰囲気に沙菜は覚えがある。


 「の人だね」


 思わず声に出てしまった。

 宇宙人、エルフときたので、沙菜も少々の事では驚きはしない。


 読み取っていくと、どうやら彼女は戦国時代の武士で、合戦中に起こった大爆発に巻き込まれ、目が覚めたら、現代で倒れていたという、以前のエルフの彼女と同じ経緯でここまでやって来たのだった。


 男装し、男として戦いに参加するなど、家督のために性別を偽って暮らしていたが、ありのままの自分でいられ、戦の無い現代の生活にすっかり気に入った。


 しかし、早馬に乗って縦横無尽に戦地を駆け巡った時の高揚感が忘れられず、モータースポーツに魅入られる。


 住んでいるアパートから徒歩で行ける範囲にあるミニサーキットに、休みのたびに通っては、走ってる車を眺めているだけだったが、すぐにでもやってみたい衝動に駆られたという。

 そんな時、走行会に来ていた女性から声をかけられた事がきっかけで、仲良くなり、免許の取り方や、車の走らせ方を教わったそうだ。


 免許が取れると、以前に仲良くなった女の人とダブルエントリーで走行会に出るようになる。

 2人でFTOを交代で走らせながら、互いのタイムや、ライン取りなどについて語り合っていくようになり、彼女は、現代での楽しみと自分の居場所を実感できたのだ。


 やがて、FTOを譲り受けると普段の足としても、サーキットでも、パートナーとして走り回った。

 最初の頃は、他の車に抜かれまくっていたが、慣れてくると段々順位もタイムも上がってくるようになった。


 そして、先月、遂に目標としていたラップタイムを出せるようになり、大満足していた矢先に、FTOがエンジンブローをしてしまう。

 悩んだが、他にもガタが来ていた事、更には馬に乗っていた彼女にとって、駆動輪が前輪にあるという違和感がどうしても拭えず、更に、もう少しパワーのある車に乗ってみたいという欲求から、FTOより少しだけ新しいシルビアに買い替える事となり、FTOがここへやって来た経緯が浮かんできた。

 

 沙菜は、次に車からの思念を聞いていく。

 このFTOの心臓が動く事は無いが、思念はしっかりと伝わってくる。

 沙菜は、FTOに導かれるように歩みを進めると、その後、優しくボンネットに手をついて


 「良き旅を……」


 というと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 3日後、オーナーの女性が事務所へとやって来た。

 沙菜から報告を受けた女性は


 「貴女は、驚かないのですね」


 と言ったが、もう、このやりとりも初めてではないので、沙菜は言った。


 「この数ヶ月で、宇宙人と異世界人が来ましたからね……」

 「さようか……」

 「あの車からは、感謝の言葉と共に、もっと上を目指すよう伝えて欲しいと」

 「えっ!?」


 彼女は驚きを隠せなかったが、彼女の走りからは静かな気迫と、車をやる気にさせ、更に車に無理をさせずに速く走れる技術があるのだという。

 沙菜は、FTOから確かにそう言われたのだ。


 恐らく、彼女が向こうの世界で早馬に乗っていたという事も大いに関係していると思われる。

 映画等で出てくるのと違って、昔の馬はサラブレッドのような種ではなく、農耕馬に近いものだったため、速く走らせるには技術の他に、馬との信頼関係と一体感が必要だったのだ。馬のその時の状態を慮っておもんばかって、ペースや手綱さばきが非常に難しかったと思われるが、彼女はそれが身についているため、車にも自然と応用できているのだろう。


 FTOは、自分の老体では、彼女の速さがフルに引き出せなかったため、次はもっと速い車で、力を出し切って欲しいと強く思っていたのだった。


 沙菜は、FTOから取り出したものを、彼女に差し出した。

 それは刀の鍔だった。

 彼女は、それを見た途端に驚いた表情になったため


 「かなり前に、車に持ち込んで、グローブボックスに入れて、その時にダッシュボード裏に落ちたものだそうです」


 沙菜が説明すると、彼女はそれを愛おしそうに抱きしめていた。

 それは、この世界に来た際に持っていた数少ない中の1つで、彼女のここぞという時には、お守り代わりに持ち歩いていた物だったそうだ。

 このFTOがやって来て、初めて1人で走行会にエントリーした際に、持って行ったまま、行方不明になっていたそうだ。


 すると、彼女は言った。


 「1つだけ、頼まれて欲しいのだが……」


 沙菜は、ニッコリとして頷いた。

 彼女は沙菜に深々と頭を下げると、薄い水色のシルビアに乗って帰って行った。


 彼女の最後のリクエストは、FTOに標準装備のリアスポイラーを外して持ち帰りたいというものだった。

 別に使う訳ではないが、思い出として取っておきたいというのだ。

 沙菜は、かさばるので別の部品にしてはどうかと言ったのだが、彼女はどうしても言うので外して渡したのだった。


 彼女は、時を超えても、やはり最速で最良の愛馬を求めてこれからも挑戦を続けていくのだろう。

 しかし、初めての愛馬となったFTOの事は、いつまでも思い出の中に残っていくだろう。大きな、思い出の一部を残して。


 そして、沙菜は、彼女の願いを叶える代わり、彼女に1つだけ頼んだ事がある。

 それは、燈華に無理矢理貸されたあの本の解説だった。

 当時を生きた彼女に、沙菜はちんぷんかんぷんな分野の解説を頼んだのだった。

 数時間にわたる講釈の結果、沙菜はその内容について理解する事ができたのだが、当時を生きた彼女の解説には、現代では誤って伝えられている部分がある事を沙菜が知るのは数日後の事であった。

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