第28話 右半分の幸せ
「沙菜ー! 電話だぞー!」
祖父が、2階にいる沙菜に向けて言った言葉の調子で、沙菜は相手の性別が分かるのだ。
この様子だと、相手は男だろう。
もう少し冷静に考えて欲しいと、沙菜は思うのだが、本当に親しい間柄だったら、家になど電話せずに携帯に電話してくるだろうから、家に掛かってくる電話など、いくら自分宛てでもセールスの類に決まってるのだ。
母親が、中学生の頃くらいから、女友達に頼んで撮っておいたカセットを使うなど、巧妙な手を使っていたので、分からなくはないが、ちょっと考えれば分かる事なのだ。
案の定、電話に出るとセールスの電話で、沙菜は即座に切り、祖父を睨みつけると、祖父は
「あぁ、そうだ。ちょっと小遣いが欲しくないか?」
と、明らかに惚けて、この場を誤魔化そうとした。
それに対して沙菜が何か言おうとしたところ、祖母がやって来て
「沙菜ちゃん、悪いけど、ちょっとバイトして来てくれない? 爺ちゃんと私、話があるから」
と割り込んできた。
恐らく、沙菜が言いたいことは祖母が言ってくれることは分かったので、沙菜は黙って工場へと姿を消した。
いつものスペースには、左前がぐっちゃりと潰れたグレーのセダンが鎮座していた。
「ユーノス500かぁ、それじゃぁ、はじめるよ」
沙菜はボンネットの端に手をつくと、車葬を開始した。
マツダ・ユーノス500。
バブル後半のマツダが、拡大戦略に走り、大失敗を喫して再びの倒産の危機が囁かれるほどのダメージを受けたのは、すでに何度か触れている事実だが、その拡大戦略の要となったのが“クロノス6兄弟”である。
マツダにはそれまでミドルクラスにカペラという車種を持っていた。
カペラにはセダンの他、5ドア、2ドアクーペ、ステーションワゴン等、幅広いナインナップを持っており、欧州を中心にヒットをしていた堅実な車だった。
このカペラを5つの販売店に合わせた車種に分解したのがクロノス6兄弟である。
どのような方策であったのかと言うと
1.カペラセダンを消滅させ、『クロノス』としてモデルチェンジ。マツダ店向け。
2.カペラCG(5ドア)も消滅、『アンフィニMS-6』としてモデルチェンジ。
3.カペラ
4.オートザム店向けにクロノスベースで『クレフ』が誕生。
5.ユーノス店向けにクロノスベースで『ユーノス500』が誕生。
6.オートラマ向けのテルスターは従来通りにモデルチェンジ。
というものであった。
結果、6車種合計でも、従来のカペラの売り上げに届かないような惨憺たるもので、失敗が明確な程のものだった。
販売元のユーノス店は、プレミアム&スポーティというコンセプトがあり、それに合う車種を揃えていた。
代表的なのは現在も続くユーノス・ロードスターだが、他にもフランスのシトロエンの販売も行っているなど、特殊であった。
マツダ生粋のセダン車両の第一号となるユーノス300、続くユーノス100がデビューするが、300はペルソナの兄弟車で、100はファミリア・アスティナの兄弟車であり、確かに排気量設定等、独自な部分はあっても、純粋なブランニューモデルではなかった。
そこで満を持して1992年2月に登場したのがユーノス500である。
しかし、クロノス6兄弟の失敗ぶりが表面化しており、ユーノス500の発売も危ぶまれていたが、デビューと相成った。
ユーノス500の特徴は、6兄弟中で唯一5ナンバーサイズに収まった事、また『10年色褪せぬ価値』をコンセプトに内外装の仕上げが群を抜いて上質であったこと、またそのデザインがとても美しかった事である。
そのデザインは、イタリアの著名デザイナーから『世界一美しいセダン』と呼ばれるなど、個性的で美しいプロポーションを持ち、更に塗装にマツダが特許を持つ特殊な技術を使った塗装が華を添え、当時の日本のセダンの中に置いておくのは場違いとさえ思わせるものとなった。
エンジンは、1800ccと2000ccのV6で、この1800ccはプレッソに搭載されたものと同一で、世界最小の称号は無くなったものの、どちらを選んでもスムーズで上質な走りを披露した。
しかし、クロノス6兄弟の評判はガタ落ちしていた事、ネーミングが英数字となったり、ディーラーが細分化したために顧客が混乱した事もあり、ユーノス500もほとんど認知されることが無いまま、新車ラッシュの波に飲まれていった。
'94年3月にはマイナーチェンジが行われ、1800ccに低価格の4気筒エンジン車が登場し、1800ccのV6はATのみの設定に縮小されて、4気筒が主力に変更される。
ユーノス500のV6搭載車は走りも良く、デザインも良く、インテリアも悪くない良くできたセダンだったが、クロノス兄弟の一員という事実から、足を引っ張られてしまい、浮かび上がることが出来ずに1996年にユーノスチャンネルの廃止に伴い消滅、尚、海外では好評だったため1999年まで販売されていた。
ちなみに、クロノスの他の兄弟の末路は悲惨なもので、クロノスの販売中である'94年にカペラが新型になり復活、翌年クロノスは廃止、クレフは僅か2年で不人気のためブランド廃止……で、唯一生き残ったのは、フォードのテルスターのみであった。
次にオーナーの情報が浮かんでくる。
この車はかなり頻繁に持ち主が変わっており、5人のオーナーの手に渡っているが、最初と最後のオーナー以外、皆思念が薄い。
最初のオーナーは、都内在住の30代後半の男性だが、販売店統合で購入店舗が閉店したことから、3年で売却。
以後は年式の割りに安いからという理由で、足代わりに使われて短期間で売却される……の繰り返しだった。
最後のオーナーとの出会いは11年前。
当時40代中盤の男性。
言っては悪いが、妙に薄幸そうで、存在感の薄い男性だった。
この男性も2人目以降のオーナーと同じく、安いからという理由だけで購入し、職場の工場と、住まいの県営住宅との往復に使っていた。
そして、彼の情報が更に流れ込んでくる。
20代の頃、強盗殺人を犯して逮捕されて服役、20数年後に仮釈放で出所。
若い頃は向こう見ずで粋がり、悪ぶっているうちにやってしまった犯行で、一審は死刑判決だったが、国選弁護士が敏腕だったため、二審で死刑を回避して獄中生活に至る。
当初は死刑上等と思っていたのだが、辛い刑務所での生活を長年続けていくうちに、自分の行った罪を反省する気持ちが遂に芽生え始めた。
そして、伝え聞こえる話で、実家は落書きや投石で住めなくなり、妹は結婚を断られ、兄は職場で左遷され、親戚中からも鼻をつままれ、家族に迷惑をかけている状況を知るに、自分が狂わせてしまったのは、被害者だけではない事に気付き、とても心を痛めた事。
面会に来た弁護士に、何故、控訴したのかを問うと
『反省もなく死刑にさせるより、生きて償う辛さの方が遥かに大変だと分からせるため』
と言われて、初めて自分が今まで生かされていて良かったと、初めて思う事ができて、辛い服役生活にも耐えて来られた事。
遺族には謝罪したくても、会っても貰えないが、それはごく当たり前だと思い、今後の自分は、自己満足であっても、誰かの役に立てる人間になろうと、独居老人の身の回りの事の手伝いや、地域の清掃や営繕のボランティアを買って出ている事、過去を知った上で受け入れてくれている地域の人の役に立てている事に喜びは感じているが、死ぬまでに一度は、遺族と自分の家族には謝罪したい……と思っている事等が浮かんできた。
そんなある日、飛び出してきた犬を避けようとして、塀に衝突、10年以上乗ったユーノス500を泣きながら手放し、ここにやって来た経緯が浮かんできた。
次に、車側からの思念を読み取っていく。
普通は、この手の足グルマとして安価に買われた車からは、最後のオーナーに対する恨みつらみに近い思念しか出てこないものだが、このユーノス500からは、とても言い表せないほど強く感じる感謝の念が滲み出ていた。
メンテナンスもマメにし、クリアの禿げたボディも綺麗に磨いてくれ、室内も破れたり捲れたところを修繕して綺麗に、大事に使ってくれ、既にこのユーノス500が諦めていた、普通の車としての幸せな時間を再び思い出させてくれた事にとても感謝していた。
そして、オーナーに対する思いも溢れ出してきた。
沙菜はそれを全て受け止めると、目尻に涙を浮かべながら。
「分かったよ……良き旅を……」
と言ってボンネットを優しく撫でると、車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
3日後、事務所にやって来た60代の女性に沙菜は報告をした。
彼女は、ユーノス500が廃車になった原因となった犬の飼い主だった。
散歩中の愛犬が、突如虫に刺されて暴れ出し、飛び出したせいで、彼のユーノス500は塀に衝突したのだ。
しかし、彼は犬の心配ばかりして、車に関しても弁償を受け入れずにいたため、人づてに聞いた車葬の話を思い出して依頼したそうだ。
沙菜は、今回の話をする前に、依頼人の女性がどの程度、彼の事を知っているのかを訊ねると、重大犯罪を犯した過去があるが、反省し、地域の人達から、とても愛されている人だという評判を聞いている事、自分も、話を聞いただけでは、信じられなかったが、今回、関わってみて、その話に偽りがない事を感じたという事だったため、沙菜は、今回の車葬の結果を、彼女に伝えた。
「安い中古車になった車って、ボロボロになるまで働かされてポイなんです。でも、彼は丁寧に直しながら、慈しんで乗ってたそうです。中古で買った車から愛されるオーナーは、本当に珍しいんです」
沙菜は、最後にこの言葉を言うと、依頼主の女性は、真剣な表情で何かを考え込んでいたが、メモ帳を取り出して何かを書き込み、沙菜に見せた。
そこには、彼の起こした事件の名前が書かれていたので、沙菜は黙って頷くと
「分かりました……」
彼女は言うと、深々と頭を下げて帰って行った。
それから2ヶ月が過ぎた時、再び彼女が沙菜の所を訪れ、その後の事を話してくれた。
彼が起こした事件の被害者は、彼女の叔父夫婦で、残された遺族である娘は、姪だったのだ。
彼女はその事実を車葬で知って、どうしようかを悩み、彼の事を1ヶ月に渡って調べ、実際の彼を見張ってみたが、沙菜の言う通り、すっかり反省し、別人になっている事を確信した。
なので、彼女は姪に、謝罪を受け入れなくてもいいから、会うよう説得し、弁護士立ち合いの元、遂に彼と対面させたそうだ。
彼は泣きながら地面に伏して謝罪し、『いつ死んでも後悔しない』と言ったそうだ。
しかし、姪は、彼の前に屈みこむと『簡単に死ぬのではなく、生きてる限り犯した罪に苦しんで、今の暮らしを続ける事が謝罪だ』と言い放ったそうだ。
女性が帰った後、沙菜は思った。
ユーノス500が最後に出会った最良のオーナーのために、恩返しをしたいと、普段から思っていたのだろう。
その願いが、今回の偶然を呼び込んだのだ。
今回の結果を、ユーノス500自身が一番驚き、そして一番喜んでいるだろう。何故なら、ユーノス500の左側は死んでしまったが、右半分はしっかりと生き残ったのだから。
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