第27話 理性と相棒

 「楽しかったなぁ……」


 沙菜は、土日で燈華たち3人と出かけてきたエルフの里の事を思い出していた。


 ソアラの車葬から1ヶ月半ほどが経過した時に、彼女からエルフの里として町おこしをする事を決意したという報告の手紙と共に招待券が入っていたので早速行きたかったのだが、期末テストがあったので、明けるのを待ってみんなで出かけたのだ。


 エルフには色々未知の部分があるようで、里奈が興味を持ってあちこちを喰い入るように見ていたのにはさすがに引いてしまったが、燈華やあさみも、凄く驚きながらも楽しんでいたし、行ってよかったなぁ……と思った。


 夜は、車葬で知り合った瑠唯るいさん(向こうの名をルーイというそうだ)の家に泊めて貰い、向こうでの話なんかを色々聞かせて貰った。

 基本エルフは森に暮らして、木の上などに家を作ったりするため、最初の頃は地上で寝るのが落ち着かずに、ハンモックで寝ていたが、今ではすっかり布団の上でないと寝られなくなってしまったそうだ。


 彼女の今の車であるスカイラインも、改めて見せて貰った。

 ソアラが事故に遭い廃車になった際に、最初の愛車を失ったショックから、車を降りようかと思ったが、さすがに公共交通のインフラが整っていないここで、それは不可能だと分かって、ソアラを買った中古車屋さんに探して貰ったそうだ。

 彼女の好みはビッグサイズのクーペなので、何にするかを悩むほど車種は無かったが、彼女は凄く満足しているそうだ。彼女にとって、この国の人達が何故スカイラインというブランドに入れ込むのかが前から不思議だったので、一度は乗ってみたかったそうだ。


 また、行きたいなと改めて思った。

 今度は、休みに入った時に、1週間くらい滞在して楽しんでこようと、久しぶりに心の底から楽しんできてしまった。


 そんな楽しい思い出に浸っていると、祖父がやって来て


 「沙菜、楽しそうで何よりだ。そんな楽しい思い出を作るのにも、資金があるに越した事は無いんだぞ。という事で、今、入ってる車を引き受けてくれると、もっとお出かけできちゃうぞ」


 と言ってきた。

 まぁ、今の沙菜はすこぶる機嫌が良いので、祖父の話を気持ちよく受けた。


 工場に入ると、そこには曲面構成が美しい、薄いグリーンのコンパクトなワゴンが佇んでいた。


 「ティーノじゃん! 珍しいね。はじめるよ……」


 というと車葬を始めた。


 日産・ティーノ。

 1990年代の終盤から2000年代の序盤にかけては、コンパクトなボディサイズに最大の空間を実現する次世代のファミリーカーの取り組みが、国内外で行われるようになった。

 欧州ではルノー・セニックやフィアット・ムルティプラ等が登場し、話題を集め、国内でもトヨタ・カローラスパシオから始まり、ナディア、オーパ等、ホンダからはアヴァンシア、エディックス等が登場したが、日産からもこの流れの最中に登場したのがティーノである。


 当時のコンパクトセダンであるサニーをベースに、全長を縮めて全幅を増やし、室内を3+3にするレイアウトのこの取り組みは、当時非常に斬新な試みだった。


 日本人は、古い税制の枠である5ナンバーに拘る傾向があるが、5ナンバー枠いっぱいの全長と全幅を持つ車と、全幅は3ナンバー幅に入るが、全長とホイールベースが短い車では、圧倒的に後者の方が取り回しが良いのだ。

 日本人が大好きな5ナンバー枠に入るミニバンなどを町で見ると、割合左後部ドアより後ろに傷があるのは、こういう事なのだ。縦長の車は、扱い辛いのだ。


 ティーノのような車は、本来は従来のセダンに代わる新世代のファミリーカーという発想から誕生したが、時おりしも日本ではRVブームの真っ最中であったため、これらの車はハイトワゴンという括りで登場したのだ。

 ティーノの売りはそのデザインと、後席の3席が全て独立したシートで構成されており、中央席に座る人間が圧迫感を受けない構造になるようにされ、また、後席中央のシートを後ろにスライドさせたり、取り外すことが出来るように設計して、後席に3人が乗る場合も、そうでない場合も快適に過ごせるようになっていた点である。


 従来の車も、現在の車も3人席の場合は便宜上、ベンチシートとするため、いきおい中央席が圧迫され、補助席のような扱いになってしまったが、ティーノなどの場合、後席中央をやや後ろにスライドさせることで、両側の席の乗員との圧迫感と席への割り込みを防止させる事などができたのだ。



 そして、当時世界最先端を行っていたことは間違いない、曲面構成の美しくいデザインが、新世代の到来を予感させるのに相応しいものだった。

 現在の目で見るとそれほど奇抜には映らないが、ベースになったサニーが、まるでティッシュの箱のようにペキペキなデザインであり、そこから生まれたとはとてもとても思えない出色の出来であった。

 そのインテリアも、外観に違わぬ曲線を巧みに使ったさっぱりしていて、使い易いながらも美しいもので、新世代の自動車の到来を強く印象付けるものだった。


 '98年12月に登場し、CMにはイギリス発の喜劇で日本でも人気を博した、Mr.ビーンが登場し、『ティーノ・プロポーションという発想』『オールマイティーノ!』をキャッチコピーに大々的にプロモーションを行ったが、進みすぎたデザインや、3ナンバー幅のボディ、2列シート、6人乗りで1800ccと2000ccはパワー不足などという点から理解が得られず、販売は苦戦してしまった。


 日産はティーノを次世代の主力車種と目論んでいたために、出鼻をくじかれたが、ヨーロッパでは、そのコンセプトとデザインが理解されて販売が好調だった。

 2000年3月には、日産初となるハイブリッドであるティーノ・ハイブリッドが100台限定で発売。

 当時、初代であったプリウスの独立したトランクが狭く、『荷物が積めるハイブリッドを』という要望があっての選定であった。

 しかし、販売方法がインターネット限定という、当時としては理解を得にくい方法であることから完売までに時間 がかかり、それによって通常モデル化や、他車種への水平展開の予定はすべて中止となり、日産のハイブリッド計画はしばらく停止する事となる。

 2000年には前2人乗りの5人乗り仕様が追加され、2002年10月には、6人乗り仕様と、2000ccが廃止されるなど、特徴的な仕様がすべて廃止され、2003年3月に生産中止となって、この意欲作は僅か1世代で消滅する。


 次にオーナーの情報が浮かんでくる。

 当時20代後半の男性。

 結婚して2年が過ぎ、待望の子供が生まれる事となって、サバンナRX-7からの乗り換え。


 生まれてきた男の子と3人での暮らしにティーノは活躍する。

 オーナー自身がスポーツが得意だったので、スポーツ観戦や登山、マリンスポーツなど、生まれてきた男の子を連れて、色々なスポーツに触れて、一緒に楽しんだ。


 やがて女の子が生まれて、更に2年後にもう1人女の子が生まれると、ティーノは休む暇なく動き回った。

 RX-7に乗っていたので、多人数乗車でも、小気味良い走りは捨てられずに選んだティーノだが、結婚するまでコンパクトカーにしか乗ってこなかった奥さんが運転しても運転しやすくて、家族受けも非常に良かった。


 しかし、ある日、大きな事件が起こる。

 奥さんと男の子が、少年野球からの帰り道で、通り魔強盗に殺害されてしまう。

 その日は、たまたま、いつも一緒に帰るママ友と子供たちが、インフルエンザにかかって皆休みだったのだ。

 警察も必死の捜査を行ったが、その後も被害者を出しながら、1年後にはパタリと犯行は収まってしまい、犯人も分からずじまいだった。


 そこから、彼は悲しんでいる暇などなかった。

 残された6歳と4歳の娘、更にはローンのたっぷり残った自宅を抱えて、毎日が戦争のような忙しさだった。

 可愛いだけでない年頃の娘達、仕事と家事の両立の難しさ、幼稚園や学校行事の大切さ……妻の役割の大きさと、自分の不甲斐なさを呪う毎日だった。

 愚痴をこぼす相手もないが、弱音を吐いていられる余裕もなく、次々と何かが起こる毎日に忙殺されながらも、彼は、子供達と出かける事はやめなかった。

 亡くなった2人のためにも、娘達と表層だけ繕うのではなく、心の通い合う家族になって、2人を立派に育て上げると誓ったのだ。


 ティーノは、そんな家族の日常に寄り添いながら、時には喜びを、そして時には悲しみを運びながら時は過ぎていった。


 そして、今年大きな出来事があった。

 長らく迷宮入りしていた事件が解決したのだ。


 担当した刑事が、定年後に調べていたそうだが、病死した後に独自に調べた資料が見つかって、それをもとに再捜査したところ、物的証拠が出てきて、逮捕されたそうだ。

 犯人とは面識はなく、ただ、幸せそうな人間を殺してやりたかったという、どうしようもない理由で殺されていた事を知らされたが、不思議と怒りよりも、あの世の妻と息子に、全てが終わったと胸を張って言える充実感の方が遥かに大きかった。


 そして、事件が解決したのと、長女も大学への進学が決まった事で、ひと段落がついて余裕が生まれ、過去の思い出を整理していく中で、故障の多くなってきたティーノも処分対象となり、ここへとやって来た経緯が見えた。


 次に車からの思念を辿っていく、やはりティーノも、彼の大変な状況が分かっていたのだろう。

 彼に余計な事を考えずに、子育てに専念して貰えるように、身を切るような思いをしていたのだ。

 しかし、今回の出来事は、彼の家族だけでなく、見守っていたティーノにとっても大きい事だったんだと分かった。そして、シャレードの車葬の時に、何故元刑事の老人が、最後の最後まで追っていたのかの理由も、今回の車葬で分かったような気がした。


 沙菜は、優しい表情でボンネットに手をつくと


 「お疲れ様、良き旅を……」


 と言うと、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 3日後、事務所には、ティーノのオーナー家族3人がやって来て、沙菜の話を聞いていた。


 「最初に言っておきます。あのティーノの寿命はかなり前に尽きていました」

 「えっ!?」


 沙菜が言うと、オーナーの男性は驚いた。

 沙菜はその様子を見ると、続けて言った。


 「解体の過程でハッキリしましたが、エンジンは辛うじてもっているものの、シャーシの腐りが激しくて、一部瓦解が始まっていました。もう、何年も前に床が抜けていてもおかしくないんです!」

 「しかし、どうしてそれがここまで?」


 オーナーの男性が素っ頓狂な声を上げて言うと


 「あなたと同じ理由です。事件の解決を自身の目で見ること、そして、2人のお嬢さんが立派に成長した姿を見ることが出来るまで、死ぬ訳にいかない、という気力でもっていたんですよ」


 沙菜が言うと、3人は言葉を失って、下を向いて黙ってしまった。

 そのうちに、下の娘が、ボロボロと涙をこぼしながら


 「ゴメンね……ゴメンね。私がわがままばかり言うから……」


 と、テーブルの上に置かれたティーノの右ライトを抱きしめて言った。

 残念ながら、ティーノで残った部品は、樹脂製だったバンパーとランプ類、それとドアミラーだけだった。

 それだけボディの腐りが激しかったのだ。それを示すために、沙菜が敢えて片方のライトとミラーを敢えてテーブルの上に置いておいたのだ。


 彼らは、自分達の事に必死で、つい忘れていたのだ。

 彼らを見守っているパートナーの存在に……だ。

 泣き崩れる姉妹の姿を見て、沙菜は何とも言えないものを感じていた。


◇◆◇◆◇


 それから1ヶ月後。

 再び3人がやって来た。今日は依頼されたものの引き渡しがあったのだ。


 工場から出てきたのは、1台のティーノだった。

 あの後、彼らが出した結論は、もう一度、ティーノとやり直したいというものだった。

 メカもボディもダメになってしまったあの個体を使うことは不可能なので、代わりを探してくるのは大変だった。

 元より不人気な上に、20年前の車なのでタマが少なく、見つけたのは白だったが、色の塗り直しと内装の移植、残ったライト等の入れ替えを行って、可能な限りオリジナルを維持して復元したのだった。

 特にティーノは、内装色が3種類あるため、ここが違うと違う車のようにな印象になるので、元の内装をクリーニングして取り付けるのに苦労したのだ。


 「おかえり……」


 姉妹が言いながら、ティーノを囲んでいる傍で、沙菜は以前に渡しそびれていた物を渡した。

 それは小さな熊のぬいぐるみだった。


 「え?」

 「これは、ティーノから預かった物です。みんなに渡して欲しいと」


 次女の疑問に沙菜が答えた。

 オーナーの男性によると、当時試乗をすると貰えたMr.ビーンに出てくるテディベアだそうで、子供が小さい頃は、いつも取り合いになっていたそうだ。

 2人が亡くなった後もあったのだが、ある日を境に見当たらなくなったそうだ。恐らく、姉妹のどちらかが車に持ち込んで落としたのだろう。


 沙菜は、無邪気に喜ぶ姉妹と、それを眺める父親の姿を見て思った。

 今度こそ、彼らは本当の家族として出発するのだろう。事件が解決して、ずっと心の奥に引っかかっていたモヤモヤが晴れ、そして、本当に大切なものの存在に気付いたのだから。


 人の心や感情は、常識では推し量れないものがある。

 しかし、この家族の絆は、今理性ティーノを取り戻したのだと思う。

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