第26話 天翔ける翼
沙菜は、スッキリした気分で週明けを迎えていた。
あの後で、里奈を捕まえることが出来たのだ。
連絡をしても出なかったために、あさみに連絡をして、里奈の行きそうなところを聞き出すと片っ端から当たっていって、3軒目で捕まえる事ができた。
互いに言いたいことを言い合うと、里奈の勘違いだという事が分かって、仲直りすることが出来て、来週末に出かける事になった上、毎日放課後にLINEがやたらと来るようになってしまったのだ。
正直、里奈の両極端さにも困ったもんだと沙菜は、思いながら家に戻ると、その姿を見た祖父から
「沙菜、ちょっと悪いんだが、手が離せない仕事があるから、今入ってる車葬を頼まれてくれないか?」
とだけ言われた。
いつものおちゃらけた様子が出てこないという事は、本気で忙しいのだろう。
何も言わずに引き受ける事にした。
工場に入ると、ワインレッドの大柄な、しかし、天井が明らかに潰れたクーペが佇んでいた。
「3代目ソアラかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」
と言うとボンネットに手をついて車葬を開始した。
トヨタ・ソアラ。
日本は自動車先進国と言われながらも文化に関しては後進国と呼ばれる理由の1つに、欧米では、壮年層にも2ドア車の需要があるに対し、2ドアは低年齢層向けという風潮があって、高級な2ドア車が育たないというものがある。
日本でもクラウンやセドリック/グロリア、マークII/チェイサー、ローレル、マツダルーチェ等の大型の2ドア車が存在したが、いずれも姿を消している。
しかし、日産はレパードというブランニューモデルの2ドアハードトップにセドリック/グロリア、ローレルの3車種の2ドアをまとめる事となり、トヨタもほぼ同じ頃にやはりクラウン、マークII/チェイサーの3車に代わる2ドア専用の高級パーソナルクーペを誕生させることとなった。
1981年に登場したソアラは、緻密なマーケティングと、投入した数々の先進技術、上質で高級な内外装が受けて大人気となった。
2000ccと2800ccで決して安価ではないハイグレードな車種で、ターゲットも高所得者層であったが、実際にはそういった層に加えて、若い層から壮年層まで幅広い男性層に人気となったのだ。
搭載された2800ccのツインカムエンジンは、当時の国産車最強(当時庶民には買えなかった日産プレジデントの200馬力は例外)の170馬力を叩き出し、スポーツカーに乗る層からも注目を集めた。
当時、ファッションリーダーである女子大生が『助手席に乗りたい車No.1』にソアラを選んだことから、『ナンパ必勝アイテム』として羨望を集める事になる。
ソアラは好評を受けて、売れ筋の2000ccを強化、2000ccターボや、2000ccツインカムを追加、最後はレパードが3000ccになったのに対抗して、2800ccを3000ccにするなど、人気は止まるところを知らないムーブメントとなっていた。
2代目はバブル前夜の1986年に登場。
好評の内外装は、初代のイメージを受け継ぎながらも、曲面を巧みに織り交ぜて円熟度と高級感を増す。
2000ccと3000ccのエンジンも更に強力度を増して3000ccツインカムターボは、230馬力で再び国産車最強に返り咲く。
売れ筋の2000ccにもツインターボ版を設定するなど、メカの面でも追従を許さず、2代目になっていたレパードを完全に場外へと放り出す。
しかしながら、この2世代で、絶世のナンパマシンとなってしまった事が、後のソアラの運命を大きく狂わせてしまう事となる。
3代目はバブルの最終年である1991年に登場。
この頃になると日本メーカーも海外で利益率の高い車を売る戦略となり、トヨタがレクサス、日産がインフィニティ、ホンダがアキュラをアメリカで展開し始める。
それに合わせて、ソアラもレクサスの一員として、初めて海を渡って海外マーケットへと打って出る事になる。
ここで、ソアラは奇しくもライバルのレパードと同じ歴史を歩む事となる。
レパードも翌年、インフィニティJ30としてアメリカでデザインされた4ドアセダンに生まれ変わるが、ソアラもアメリカのデザインスタジオでデザインされて登場する。
しかし、3代目は苦戦を強いられる。
レパード・Jフェリー同様、アメリカでは好評のデザインが、日本人には理解されずに苦戦し、また、2500ccターボと、V8の4000ccとなった事で、間の3000ccが空いた事も、日本での理解を遠ざけてしまった。
マイナーチェンジで、グリルレスの顔に不格好なグリルを追加したり、4000ccを廃止して3000ccを追加したものの、人気は回復せずに終了。
しかし、異常人気がなくなった事から、暴走族御用達と言った先代までの好ましくないユーザーを遠ざける事には成功したが、2500ccターボ車でドリフト大会に出る者がいた事から、ドリ車としての人気が出るなど痛し痒しの存在であった。
4代目は2001年に登場。
電動オープントップを持ち、エンジンも全車V8の4300ccとするなど、先代までのチープな層を切り捨てて、完全に壮年層に舵を切る。
新時代を印象付ける登場であったが、寸詰まりのボディサイズと、それに起因する伸びに欠けるデザイン、中途半端で使い物にならないリアシートと、強制的に装着される電動トップなどが、当初から違和感となって販売台数は激減。
2005年にレクサスの日本上陸によって、レクサスSC430として仕切り直す事となってソアラの名は消滅する。
次に、オーナーの情報が流れてくる。
どうやら2オーナーのようで、まったく違った映像が流れてくる。
最初のオーナーは当時70代男性で、都内の高級住宅地に在住。初代からソアラ一筋のオーナーのようで、下取りは同じ3代目の初期型ダークグリーン。
ATがダメなので2500ccを乗り継いだが、2年後に持病が悪化して車が運転できなくなって売却。
2人目は、女性で10代後半から20代前半に見えるが、詳細不明。
地方の中古車店に回って来たソアラを、彼女が見初めて購入したのだ。
彼女の職業は、スーパーの店員で、住まいは、古い一軒家。過疎化に悩む自治体が、引っ越してくる若者に対して格安で貸している物件のようだ。
昼間はスーパーで働き、休日は、好きなワインを探し求めてソアラで日本のあちこちへと出かけているが、沙菜はいつも彼女に対して不思議に思う事があるのだ。
「なんであの人、いつも帽子被ってるんだろ?」
彼女は大抵帽子を愛用していて、季節によってベレーだったり、麦藁だったり、ニットだったり、野球帽だったり……と、種類はまちまちだが、いつも深めに被っている。
それは、車の中でも同様なのだ。
勤務先のスーパーでも、指定の格好ではあるが、三角巾を
ある風の強い日の映像を見て、沙菜の動きは止まった。
彼女の被っていたつばの長いハットが風に飛ばされたのだ。
それを拾いに走った彼女には、明らかな違和感があった。
彼女の耳は、普通の人間の耳と同じだが、明らかに形状が違っていて、人間の耳よりも長くて先が尖っているのだ。
沙菜は、そういうのには詳しくないので、パッと名前が出てはこないが、絵本や、アニメなんかで見た事のある妖精のような……その名前を思い出していた。
そして、昨日、里奈が貸してくれた本の中に載っていたのを思い出した……確か
「エルフだ!」
沙菜にとって、エルフと言われても、祖父が工場で使っているいすゞのトラックの名前としか認識していないのだ。沙菜の生活の中でエルフと言われても、次に出てくる言葉は『何トン車?』なのだ。
まさか、本当にいるとは思わなかった。テレビや物語の中だけの存在だと思っていたからだ。
しかし、この間の宇宙刑事の一件もあるので、一概に無いとは言い切れない。車葬をするようになってから、沙菜は色々な信じられない出来事を見ているのだ。
ある日、彼女が職場の駐車場に止めたソアラの中で、同じくエルフの女性と話している内容から分かったのは、ソアラのオーナーの彼女は、違う時空の世界に存在したエルフの国の第二王女で、その王国が他国から侵略された際、突然の大爆発が起こって、気が付くとこの土地で倒れていたのだそうだ。
どうやら、彼女の他にも相当数のエルフが土地に流れ着いたようで、過疎化の進む現状を鑑みた町は、漂流したエルフたちを町民として迎え入れ、定住政策を取ったそうだ。
それから数年が過ぎて、色々と調べてはいるものの、向こうの世界がどうなったのかの情報は入って来ず、彼女たちは、文明の発達しているこちらの世界で暮らしていく覚悟を固め、今後どのようにしていくべきかを考えていたところだった。
町の人達は、気さくに接してくれ、政府も存在を認めてはくれているものの、見世物になるのを嫌って、漂流したエルフ達は、エルフであることを大っぴらにせずに、普通の人として、外部の人との接触を持たずに、慎ましやかに暮らしてきたのだが、今までお世話になった町のために、エルフの住む町として、自分達を広告塔に観光資源とした方が良いのかを真剣に悩んでいたのだった。
そんなある日、その事で色々と考え事をしながら運転していたところ、田んぼに転落してソアラは横転、そしてここへとやって来た経緯が見えてきた。
沙菜は、車からの思念を読み取っていく。
この車からの思念も、結構膨大だった。
彼女が若いながらも王女という立場から弱音を吐けずに、ずっと悩んでいた事や、反面、現代日本の平和で進んだ文明に囲まれた生活が心底気に入って、ずっとここで暮らしたいと思っていた事、そのためにはどのようにすればいいのかで苦悩している中、事故が起こってしまった事などが……。
そして沙菜は、ソアラからのメッセージを受け取ると、その長いボンネットの先端に優しく触れて
「お疲れ様、良き旅を……」
と言うと車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
3日後、事務所には、オーナーであるエルフの女性がやって来た。
さすがに、事務所内で帽子は被れないので、長い髪の中に耳を隠している。
ソファに座ってお茶を勧めるが、せわしなさそうに、耳の辺りを気にする彼女に、沙菜は言った。
「今回、あのソアラからは全て、訊き出していますから、そんなに気にしないで良いですよ」
それを聞いた彼女はビックリして言った。
「驚かないんですか? 私の正体、知ってるんですよね」
「別に、車葬をやっていると、驚くような人なんて掃いて捨てるほどいますよ。この間は、宇宙人もいましたし……」
沙菜が事も無げに言うと、彼女は安心した表情を見せたが、同時に宇宙人と聞いて、さすがにそれには驚いていた。
沙菜は、そんな彼女の前にソアラの思念から導き出されたものを置いた。
それは、矢じりと、ワインのコルクだった。
彼女の話では、エルフは弓矢を覚えるのが一般的で、彼女も弓の名手だそうで、大会に行く途中で爆発が起こって転移してきたため、一緒に持って来たそうで、過去を忘れないために持っていたそうだ。
そしてコルクは、こちらに来てワインと日本酒に目覚めた彼女が、初めてこちらに来て働いて買ったワインのコルクだそうだ。焼印が入っているのは、向こうの世界では珍しいため、記念に取っておいたところ、安物のワインのコルクにもついていて、恥ずかしい思いをしたため、以後は見せびらかさずに、しまっておいたのだそうだ。
「あのソアラは言ってました。この矢じりも、コルクも、全て貴女という人じゃないか……と、コインを裏から見るのと表から見るのとでは、見える模様は違っても、中身は変わらないように、貴女という人の中身が変わる訳じゃないんだ……と」
すると、彼女の表情に光が差した。
次の瞬間、彼女は髪をかき上げると、そこから耳が現れた。正直、沙菜はエルフの耳を見るのは初めてだった。
「くよくよ悩むの、やめにします。さすがにこれも見せびらかしはしないけど、みんなが胸を張って生きていけるように、やってみます! そうソアラに伝えてください」
彼女は沙菜に人懐っこい笑顔を見せて深々と頭を下げると、赤い先代型のスカイラインクーペに乗って帰って行った。
それから数ヶ月して、何の気なしに見たニュースに、エルフが漂着した町が、エルフで町おこしを始め、反響の大きさに戸惑っているという話があった。
沙菜は、これこそがソアラが夢見ていた未来だったんだろうと思った。
その結論に辿り着く前に、自身は消えてなくなってしまったが、それでもソアラには、今日の日の姿が浮かんでおり、それを喜んでいるに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます