第25話 干し草と友

 沙菜は、ある金曜日、とても不機嫌な思いをしながら家路についた。

 里奈と喧嘩をしたのだ。

 きっかけは、些細な事だった。今となっては原因が何かであったのかも思い出せないが、とにかく、里奈がヒートアップしてきて、沙菜に酷い言葉を浴びせたのだ。


 しかも、言うだけ言って、そのまま逃げ帰って行ったのだ。

 凄く釈然としない。

 面と向かっているのに、自分の言いたい事だけ言って逃げられ、こちらの話を聞こうともしない態度にもさらに腹が立つのだ。


 燈華や、あさみ曰く、里奈はそういう奴だから、しばらく放っておけばいい……と言うのだが、やっぱり沙菜は釈然としない。

 友人というのは互いに、ある程度は分かり合えてないと成り立たないと思うのだ。なので、スマホを出して里奈にかけようとしたところ、あとの2人に止められた。


 なんか、それも釈然としないで、家に帰りつくと、とにかくイラっとした時、工場の中にあった、ボロボロの軽自動車の廃車が目についた。

 ボディは赤だが、ボンネットは白で、フェンダーは黒。明らかに、解体パーツで適当に修理した痕跡があり、ボディも色褪せが激しく、赤い部分も所々、白っぽくなっている。


 どうせ捨てちゃうなら……と、思いっきりフロントフェンダーを蹴飛ばしてみた。

 薄っぺらい鉄板が、思い切りベコッと凹んだ。

 もう反対側も同じように蹴飛ばしてみると、やはり気持ちいいように凹んだ。


 今度はどこを……と思っていたその時、背後に気配を感じて振り向くと、そこには寂しそうな表情をした祖父が立っていた。


 「沙菜、別に良いぞ。そいつから取るパーツなんか無いから、思い切り蹴飛ばしてやっても。ただし、この車の車葬は沙菜がやるんだ!」


 祖父が去って、1人になると、無性に虚しくなって、むしゃくしゃした。

 やはり目の前にあるこの車に怒りをぶつけた。

 気が付くと、平らな面などなくなった車が、沙菜の目の前にあった。


 「はじめるよ……」


 沙菜は言うと、既にベコベコになったボンネットに手を触れて車葬を始めた。

 

 ダイハツ・ミラRV-4。

 '90年代初版の日本では、RVと呼ばれるものの一大ブームが起こり、その中心にいたのは、三菱パジェロに代表されるクロカン4駆というジャンルであった……という歴史を念頭に置いた上で、この車の歴史は始まる。


 そのブームの波は、軽自動車にも押し寄せたが、当時軽のカテゴリでそれに合致するのは、スズキ・ジムニーただ1車種で、確かにそのコンパクトで愛らしいボディは、女子を中心に人気を獲得したが、そこにはいくつかの問題があった。

 当時のジムニーは、'81年の登場時から何度かの改良を受け、随分と近代的にはなったものの、内装などは男臭さの強く残るものとなったし、パワーステアリングや、オートマチックなど望むべくも無かったのだ。

 この頃、日本でもAT比率が5割を超え、AT限定免許の導入もアナウンスされるようになると、流行のジャンルに必須のものとなったが、ジムニーに乗りたい女子の間では、パワステ無し、MT車上等で挑むのが常識となっていたのだ。


 そこで、軽自動車の両翼の雄であるダイハツとしては、スズキがつまづいている間に、もっとライトな都市型クロカン風テイスト軽自動車を発売しようというはこびとなって、登場する事となった。

 1992年8月に登場したミラRV-4は、若い女子にも人気のミラの3ドア4WDターボモデルをベースに、最低地上高を大幅アップし、バンパーを専用のごついデザインのバンパーとして、そこにフロントガードバーとアンダーガード、後ろには背面スペアタイヤキャリア、そして、屋根にはルーフレールとオプションでキャンバストップまで装着できる……と、RVテイストてんこ盛りのミラとして登場した。


 走りも、64馬力を誇ったターボエンジンは、当時のジムニーのターボより3馬力強力で、お手軽なフルタイム4WD。軽としては先進の4速ATを擁したミッションと、パワステ、総布張りのお洒落で上質なシートの内装など、ジムニーを凌駕する使い易さと、お洒落さ、更にはキャンバストップ車の設定など、海へ山へ街中へ……となんでもありの欲張りなモデルだった。


 軽クロスオーバーの元祖としてハスラーやタフトに先んじる事20年以上の昔に登場していたミラRV-4だったが、市場はギャランスポーツや、インプレッサグラベルEXと同じく痛いモノ扱いで、まったく売れなかった。


 ユーザーは、こんな実用車に毛の生えたような程度の違いではなく、見るからに『RV』といったものを求めたのだった。

 しかも、登場直前の'92年にジムニーが一部改良を行って、AT車やパワステ付きを一部に設定したことも大きかった。

 確かに、ジムニーの前時代的な3速ATより、オーバードライブ付きの4速ATを持つミラRV-4の乗りやすさの方が抜きんでていたし、パワーも3馬力上回っていたが、ユーザーの関心は、そんなところではなかったのだ。

 また、価格も高くATで143万円は、軽を超えて2クラス上のカローラやサニーの上級グレードの価格であり、バブルの象徴だった軽の本格スポーツである、ホンダビートや、スズキカプチーノにも肩を並べるほどのそれであった。


 結局、ミラRV-4はミラのモデルチェンジが行われた'94年9月に廃止され、4代目には引き継がれずに消滅する。

 なお、軽のクロカン市場は、翌'95年に三菱が発売するパジェロミニで、再び戦国時代に突入し、'98年にテリオスキッドで、再度ダイハツが参入する。


 次に、持ち主の情報が浮かんでくる。

 当時20代後半の女性、購入したのは東京だが、2年後に居住地がとある山あいの街へと変わる。


 東京に住んでいた頃の彼女は、ごく普通のOLで、特に仕事に打ち込むわけでもなく、かと言って遊びに命をかける訳でもない、無味乾燥な生活を送っていた。

 このRV-4を買ったのも、特にこだわりがあった訳でもなく、友人がダイハツに勤めていたためだ。

 当時はRVが流行っていたので、それっぽい車種をリストアップして貰ったが、ラガーは大きすぎ、ロッキーはカッコ悪い上にフルタイム4WDでないなど、面倒な仕様であったため、消去法でRV-4になった。


 そして、しばらくして転機があったのだ。

 車を持ったことで、同僚たちに誘われて旅行で出かけた山あいの街で、彼女の何かが掻き立てられてしまったのだ。


 彼女は、それ以降、足繁く街へと出かけて行っては、そこで暮らしていくための準備を進めていく。

 最初は生半可な気持ちで移住なんて考えるなと、彼女を諫めていさめていた地元の人々も、彼女の真摯な気持ちに打たれた。

 そこまで本気だったら、冬を越してみろと、半ば冗談で言われて、彼女はその年の秋から次の年の春まで、民家の離れを借りて暮らし、みんなをあっと言わせたのだった。


 そして、長い準備期間の後、彼女は遂に街に移住した。

 住む場所は、あちこちの家が、自分の家の離れを使えと言ってくれたが、それには甘えずにアパートを借り、観光牧場へと就職した。

 

 実は、そこでRV-4の役目はいったん終了していた。

 彼女は、移住お試し期間中の2年の間に、5回自損事故を起こしていたのだ。

 最初はきちんと修理に出していたが、あまりに高額になるため、途中から適当に自分で直してしまい、赤いRV-4の前回りはフェンダーが黒で、ボンネットは白、バンパーはRV-4でない通常版の紺色ものになっていた。


 彼女は、住む場所を決めると、エスクードの中古車を買って、RV-4の役目は終了かと思われていた。

 しかし、RV-4を引き取ったモータースは、それを観光牧場へ渡してしまう。

 牧場の中を移動する適当な車を欲しがっていたところへ、走行距離も短く、年式も新しめのポンコツが入ったため、その日のうちに牧場の場内作業車としての第二の人生が始まる。


 彼女の第二の人生を見守るRV-4の第二の人生は、穏やかな時間の流れの中で、続いていった。

 都会育ちの彼女は、この土地での生活が本当に気に入っていた。

 東京では、何がしたいのかも分からずに埋もれていたが、ここでは、何がしたいかが分からなくても、自分の仕事が、誰にどのように役に立っているのかが分かる。それだけで、やりがいを感じられるのだ。

 そして、空気が美味しいという言葉を始めて実感することが出来るうえ、その気になれば、数時間で東京に行けてしまう手軽さも、移住をする上で大きなポイントだった。


 数年すると、この土地で結婚して、一男一女が生まれて、この街にすっかり根を下ろし、すっかり土地の人間となっていった。

 上の男の子は、色々とやんちゃをして彼女を困らせたが、すっかり落ち着くと巣立っていき、彼女はようやく落ち着きを取り戻してきた。


 そんな時、牧場の経営元が変わったために、不要資産の見直しが行われ、それに引っかかったRV-4が廃棄されて、ここにやって来た経緯が見えてきた。


 そして、沙菜は、車全体を撫でるように、手をかざして思念の元を手繰っていく。このRV-4からは、干し草のにおいと、穏やかな気持ちが感じ取れるが、その中に、何かを伝えたい気持ちが、かすかに読み取れるので、沙菜はその場所を探り当てると、それを取り出し、ボロボロのRV-4のボンネットに手を触れると


 「良き旅を……」


 と言って車葬を終了した。


 ◇◆◇◆◇


 翌日、事務所には50代中盤の女性がやって来た。

 RV-4の初代オーナーの女性だ。

 沙菜と同い年の娘がいて、母親である彼女を、こっそりと呼び捨てにしたりして、反抗的な態度を取るので腹立たしい事があるそうだ。


 「遂に、あの車も終わったのね」


 しみじみと言うと、沙菜は


 「ええ。構内で使われてたので、再生部品も少なかったですね」


 と言った。

 ああいった、長年構内車両として使われていた車の場合は、車検や定期点検がないため、整備業者が定期的に出入りして、きちんと管理している所の持ち物でないと、メンテもされていなくて、程度が悪い事が多い。


 そして、沙菜は、彼女にRV-4から受け取った物を渡した。


 「これって……」


 それはペンダントだった。

 元々金メッキだったのだろうが、それは剥げてしまっている。

 RV-4の内装の間に落ちてしまっていた物だった。


 「これは、あの車が言うには、あの土地に初めて行った時に、記念に買った物だそうです」


 沙菜が言うと、彼女は言わずとも分かっていたようで、沙菜に話し始めた。

 実は、この土地に最初に魅せられたのは、彼女ではなく、当時入院していた親友だったそうだ。

 彼女は同僚に誘われた時、乗り気ではなかったのだが、親友が行ってみたい土地だったという事から、訪れる気になったそうだ。


 その時に親友に買って行ったものの、帰ってから、見当たらなくなっていて、渡せずじまいになっていたそうだ。

 翌年、もう1度行って同じ物を買って渡したが、デザインが変わってしまっていて、彼女的には、やり残した事だったそうだ。

 親友とは今でも交流はあるのだが、どうしても病気の関係で、大きな病院の無い高原の街では暮らすことが出来ないため、彼女とは年一回程度しか会えていないそうだ。


 「良かったぁ、ちょうど、これから茜に会いに行くところだったんだ。良いお土産ができた」


 彼女ははしゃいでペンダントをバッグにしまうと


 「ありがとうございました。そして、貴女も、同性の友達は大事にした方が良いわよ」


 と言って、深々と頭を下げると、外に止まっていた先代型のエクストレイルに乗って親友の元へと向かって行った。


 彼女を見送った後、沙菜はスマホを手に取った。

 やっぱり、納得がいかない。


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