第24話 花と檻

 「やったぁ!」


 沙菜は、バイパス沿いの大型の書店で、手に入れた本を抱いてRVRへと戻って行った。

 この辺の本屋さんを軒並み回ったが、発売日にもかかわらず、どこにも置いてなかったのだ。


 ネット通販で買えない事も無いのだが、沙菜が受け取れない時間に到着すると、検閲が入ってしまう。

 正直、非合法なものではないが、祖母の目に入ると途端にガッカリされてしまうので、直接入手したいのだ。


 その本は『廃墟写真集』だった。

 沙菜は、何故か子供の頃から廃墟に心惹かれるものがあったが、その事を言うと、大人が渋面を作る事からオープンにできずにいたのだ。

 無論、中に入ったりすることはしないが、中を余すことなく網羅している写真集や、動画などはくまなくチェックしている。


 特にお気に入りなのは、廃旅館や、廃ショッピングセンターなどで、栄枯盛衰や、最後の頃の人間ドラマなどが見られるこれらの建物をくまなく探索した気分になれるこの手の本は、全て入手したいのだ。


 ホクホクして、RVRへとやって来て、ドアを開けたところ


 「沙菜、何してるの?」


 と背後から声をかけられて、沙菜は本気で慌ててしまった。

 振り向くと、そこには里奈がいた。


 「沙菜、どうしたの? こんな遠くのショッピングセンター来てさ」

 「ええっ!? あ、いや、ちょっと欲しいものがあってね……」


 沙菜は慌てて開いてるドアから、本を後部席へと見えないように投げ入れた。

 当然、クラスメイトにもこの趣味は内緒にしているのだ。

 すると、沙菜の一連の行動に気付いていない里奈は


 「あ、沙菜もあそこでしょ?」


 と言うと、ファストファッションの店の前にできた行列を指さした。


 「え……あぁ、そうなんだぁ」


 沙菜は誤魔化すような笑いを浮かべた。


 家に戻ると、沙菜は倒れ込むように机に突っ伏した。

 結局、里奈につきあわされて、1時間近く行列に並んだ挙句、行列の原因となった限定品のニットは在庫切れで、解散となったのだ。


 すると、そんな沙菜の様子を見た祖父が


 「沙菜、お疲れのところすまんが、また展示車が入ったんだ。そいつを取っておくか、転売するか、考え中なんだが、車葬をやった結果で結論出したいんだ。明日以降で車葬頼むよ」


 沙菜が恨めしそうにチラッと見ると、祖父は片手の指で報酬の額を示して機嫌を取って来た。

 その金額を見て、沙菜はまぁ、良いかと車葬を決めた。


 翌日、工場に入った沙菜は思わず口走った。


 「なに、この車?」


 沙菜の前には、SUVチックなタイヤの大きなシャーシの上に、ずんぐりとした2ドアクーペ風のボディ、更には中は2シーターという妙な黒い車が鎮座していた。

 フロントに回るとスズキのマークがグリルの中央に鎮座しており、どうやらスズキの車のようだ。


 「とにかく、車に訊いてみないとね。それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜はそう言いながら心を落ち着けつつ、ボンネットに手をついて車葬を開始した。


 スズキ・X-90えっくすきゅうじゅう

 '93年の東京モーターショーで、ひときわ話題をさらったのは、日産がその年の夏にモデルチェンジをしたR33型スカイラインをベースにした、新型GT-Rのプロトタイプだったが、それに負けじと各メーカーのコンセプトカーや、発売予定モデルの出展が相次いだ年だった。


 そんなスズキのブースでひときわ目を惹いたのは、1台のクロスカントリーだった。

 当時はパジェロに代表されるクロスカントリーは大ブームの最中で、スズキにも軽のジムニー(当時、登録車のジムニーは生産中止)、登録車のエスクードと、飛ぶように売れている中での、新たな提案となるそれは、今に通じる『街中で楽しむ個性派のシティオフローダー』といった趣のそれだった。


 エスクードの3ドアショートをベースにしたそれは、上に載っているボディが個性の塊で、トランク付きの2ドアクーペ風ボディで、2シーター、更には屋根にはガラスのTバールーフといった、明らかにアメリカ西海岸的な雰囲気漂うそれであった。


 取り敢えずのショー展示用の参考出品車ではあったが、国内外、特に海外から発売して欲しいという声が多かったため、次回のモーターショー直前の'95年10月に発売が開始された。

 

 とは言え、国内ではこの形状で2人乗りの車が売れた例はないため、あくまで国内は試験販売的性格で、グレードもないモノグレードで違いはMTかATのみ、海外版では存在する2WDもなく4WDのみ、これまた海外版とは違ってカラフルなメタリック系のボディカラーは存在せず、黒と赤の2色のみ(後年、シルバー追加)の設定だった。

 シャーシは、ショーモデル同様エスクード3ドアの物をそのまま使用し、4WDもパートタイム、ダッシュボード等もエスクードの物をそのまま使うなど、最初から売れない事をある程度見越した設計になっていたのも特徴だった。

 なお、このシャーシベースと、地上高からは想像しづらいが、全高は155センチに抑えられており、日本のタワーパーキングのセダン用に入れる高さになっている。


 日本国内では、発売開始後も主だったプロモーションは行われなかった。

 テレビCMなどいうに及ばず、ラジオCMも単にナレーターが『スズキから、X-90発売』と言うのみの簡素なものが初期に流れただけ、自動車専門誌を読むか、新聞のチラシに載ったのを見るかしないと、その存在すら知らない状態で、積極的に売る政策を行わなかった事もあって、ほとんど売れる事は無かった。


 結果、'98年いっぱいで生産終了となり、消滅するが、その間に日本で売れた台数は1400台弱。

 当時のスズキのディーラー網の弱さ、車の奇抜さ、2人乗り、1600ccというネック、プロモーションや販促を全く行っていない状況から鑑みると、それだけ売れた事が奇跡といわざるを得ない状況であった。


 次に、オーナーの情報が浮かんでくる。

 当時、50代の男性、子供が独立して妻と2人暮らし。


 沙菜は、次に浮かんできたオーナーの自宅を見て驚く。


 「マジ? 超立派な屋敷なんだけど……」


 自宅は歴史ある立派な日本家屋で、ガレージが庭にあり、プレジデントと共にX-90も収められていた。

 普段の男性は、和服を着て、荘厳にしながら家に籠り、集まった人たちに何かを教えているように見える。


 「華道だ」


 オーナーは、確かに、広間を利用した教室のような部屋で、花をいけている生徒1人1人に指導をしている。

 時にやんわりとながら厳しく、時に丁寧に優しく、とにかく花に対する愛情は人一倍あるのが見ていて伝わる熱の籠りようだった。

 

 そして、和服を着ている時は、プレジデントを自分で運転したり、運転して貰ったりしながら出かけ、休日と思われる日には、明るい色のTシャツやアロハにジーンズといった、いで立ちでX-90に乗ると、あちこちの繁華街や海岸へと時に奥さんを連れて、時に1人で繰り出していた。


 平日と休日の変貌ぶりに、見ているこちらが驚いてしまうが、花への愛情と、弾けた休日こそが、彼の本質なのだろうと思う。

 荘厳に振舞ったり、しかめ面をしているのは、明らかに周囲からそうあるべきという期待に応えて演じているように見えてしまうのだ。


 そして、それから20年が過ぎて動きがあった。

 彼が教室を閉めて、弟子も取らなくなり、一人創作に耽るようになる。

 対外的な活動がなくなると、オンオフを分ける必要がなくなり、X-90の出番が増えていく事になる。

 創作活動になると、自分のペースで休日を決められるため、オープンエア感覚でTバールーフを外して、街に海へと出かけるようになった。


 しかし、遂に、自分の反射神経の衰えを思い知る出来事があり、これ以上、車に乗っていると、他人に迷惑をかけてしまうと、車を手放すことにして、X-90がここにやって来た経緯が。


 次に車側の声を聴き取る。

 このX-90は、オーナーの裏の顔であり、本音の部分を一手に引き受けていた車なので、色々な葛藤が読み取れるものだった。

 やがて、沙菜は全てを聴き終えると、ボンネットに手をついて


 「良き旅を……」


 と言うと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、70代の女性が事務所にやって来た。

 車側の思念の量を聞いて、なるほどといった感じでオーナーである夫の事を話し始めた。


 夫は、兄の急死により、偉大な華道家であった親の後を継いで教室と弟子を受け継いだのだが、そのプレッシャーに悩んでいたそうだ。

 それまでの彼は、好きな花と共に伸び伸びと創作に励んでいたのだが、後を継いで以降は、型にはまった精彩の無い作品に終始して、完全に華道会の中で埋もれてしまっていたそうだ。


 そんな際に、両親が倒れた事から、彼自身が流派を運営する事となり、発表前夜、彼女は彼の部屋を訪ねると、思いっきり彼の頬を引っ叩いて言ったそうだ。

 『そんな覇気のない男について行く弟子や生徒が可哀想だ! 自分流をやってみせろ! できなかったらやめちまえ!』

 と。


 それからの彼は、吹っ切れたように変わったそうだ。

 今までは、博識ぶったり、難しい言葉を選んで使ったりして背伸びをしていたが、自分の運営になってからは、分からない事は分からないと認め、人に訊いたり、偉ぶったりすることもなく、ニコニコしながら人に接するようになったそうだ。


 そして、創作にもかつての精彩さが戻って来るようになる。

 元々彼の作品の魅力は、型にはまらない、一見バカっぽく見えるような作品の中に、緻密さとテーマが垣間見えるものだったそうだが、両親の呪縛を逃れて、伸び伸びと創作するようになってからは、それに磨きがかかるようになって、華道会で存在感を増していったのだという。


 そんな最中に、X-90を買ったのだそうだ。

 若き日の彼は、アメリカに憧れて、Tバールーフのついたカマロやトランザム、他にもラングラーやワゴニアのようなクロスカントリーにも憧れていたのだが、そんな物に乗る事は、両親が許さずに、ずっと黒塗りのクラウン以外の車に乗る事は出来なかったそうだ。


 なので、その2つの合わせ技のようなX-90が出た時、彼の中の何かが掻き立てられて、即座に買いに走ったそうだ。お弟子さんの中に、叔父さんの修理工場がスズキの特約店契約を結んでいたので、そこから買ったのだそうだ。

 その際に、移動の車も黒のセンチュリーから、白のプレジデントに替えた。

 彼の中で、車を変える事は、親のしがらみから解放された事を表していたのだ。

 

 「でもね、満更あきらめたわけじゃないのよ」


 彼女が言うには、彼は、車を手放したものの、免許は今後も更新していくとのことで、今でも保持しているそうだ。

 そして、車を手放すと同時に、ラジコンを買って来て、毎日のように庭を走らせ、ジムに行って反射神経の特訓を行い、反射神経と運転の感覚を鍛え直しているのだそうだ。


 彼の次の目標は、ネットで見た、次期型のフェアレディZで運転に復帰することで、そのために毎日ラジコンと、反射神経の特訓を続ける彼には、老け込む様子など皆無なのだそうだ。


 時代のずっと先を見ていたX-90という車は、1人の悩める男のその後の人生を大きく左右する存在となった。

 そして、その事が今なお彼をみなぎらせ、生きる活力を与え続けている。


 今の彼の姿を満足そうに眺めるX-90は、近い将来、きっと彼が満足した姿でここに来た時に、その姿を見る事になるだろう。


 沙菜は、この車をステイするよう、祖父に伝えた。

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る