第23話 協奏曲の調べ

 「弱ったなぁ……」


 沙菜の困りごとの主は、ポケットに突っ込まれたチケットだ。

 放課後、沙菜は隣のクラスの男子に呼び出され、告白されてしまったのだ。

 一応、この学校にいる女子なら、誰でも聞いたことがあるくらい人気のある男子だったが、沙菜の返答は即お断りというものだった。


 別に好きか嫌いかで言われれば、決して嫌いではないが、とは言え、沙菜自身に恋愛にエネルギーを割こうなんて気がまるでないし、たとえ付き合ったとしても、他の女子との人間関係が煩わしくなるだけで、良いことまるでなし。


 更に言えば、付き合うと、その後で最大の障壁である、祖父から、相手の男子に対して猛烈な嫌がらせが始まって別れさせられるに決まっているのだ。

 

 なので、いつものように断ったところ、映画のチケットを強引に渡されて、返答も聞かずに去っていったのだった。

 正直、行く気も無いが、明日、突き返すのも気まずい。恐らく、その心境から渋々映画に行かせて、なし崩し的な展開を狙っているのだろうが、沙菜の家庭環境を知っていれば、その後に待つ地獄の事を考えてそんな事は出来ないのだ。


 つまり、どう転んでも上手くいく事のない話なのだ。

 それに巻き込まれた沙菜の気持ちは、凄く憂鬱なのだ。


 家に帰ると、血相を変えた祖父が、ロングレンチ片手に戻って来たところだった。

 そして、沙菜に気が付くと


 「沙菜、安心しろ! あのダニみたいな小僧め、今度沙菜に近づいたら解体車の下敷きにしてやるって言ったら、慌てて逃げていきやがった」


 と言ってニコッとした。

 まぁ、家まで追ってきた執念には頭が下がるが、そのお陰で、後腐れなく終われそうだ。

 ホッと安心したところで


 「沙菜、ちょっと頼まれて欲しい車があるんだが、いいか?」


 と言われた。

 まぁ、厄介払いの代わりに受けてもいいか……と、引き受ける事にした。


 工場に入ると、いつもの位置には、黒い落ち着いたセダンが佇んでいた。

 

 「コンチェルトかぁ、それじゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は言うとボンネットに静かに手を触れた。


 ホンダ・コンチェルト。

 この車の誕生の背景には、イギリスのブリティッシュ・レイランド社(後のローバー社)とホンダの提携に端を発する。


 1979年、販売不振に陥ったブリティッシュ・レイランドとホンダは資本提携を行い、以後ホンダ・バラードベースのトライアンフ・アクレイムを出したのを皮切りに、主にバラードとクイント、クイント・インテグラがローバーブランドで販売されていた。

 実際にアクレイムはそこそこのヒットを記録して、トライアンフブランドの締めを飾るに相応しいものであったが、よりイギリスの風土にあった物を作りたいというポリシーから、ホンダとローバーの共同開発車を作る事となった。


 その第一弾が、1985年に登場したホンダ・レジェンドと、翌年出たローバー・800で、高級車の開発ノウハウの無いホンダと、高級車づくりには長けていても、台所事情の苦しいブリティッシュ・レイランドグループの思惑が合致したウインウインの製品となった。

 そして、第二弾として1988年に登場したのがミドルクラスに当たるローバー・200シリーズのベースとなるコンチェルトである。


 1500ccと1600ccが用意され、シビックとアコードの中間に位置するという立ち位置のコンチェルトの特徴は、良い意味で当時のホンダ車らしくないところだった。

 当時のホンダ車は、背が低く、サスペンションのストロークの短い、実用車でもスポーツカー的な乗り味が特徴だったが、コンチェルトのそれは、非常にゆったりとした乗り味で、味わい深いものだった。

 更に全高もやや高めに取られていて、今までのホンダ車には無い、非常に落ち着いて上質な乗り味の車に仕上がっていた。


 更に内装も、英国風の非常に落ち着いて上質な仕上げに見えるもので、当時のホンダの、若々しいけどプラスチッキーで、落ち着きが足らない感じのインテリアに、英国のセンスが加わると、こうまでもさっぱりした中に、ほのかに香る気品が感じられるものか……と思わせられるような良くできたインテリアを実現していた。


 4ドアセダンと、日本では人気薄の5ドアハッチバックを揃えたこの玄人向けのサルーンは、発売されるや、あっという間にたくさんのライバルの中に埋没してしまう。

 時はバブル期で、大きな車がもてはやされる時代であることに加えて、アピールが不足しており、更には、ホンダ車に乗る層からすると、新技術やハイパワーなエンジン、地を這うような車高などもないコンチェルトは、尖ってない地味な車と見なされてしまい、購入ターゲットから外されてしまった。


 しかし、その後も地味に4WDや、スポーティグレードなどを追加する。

 そして、'91年にはマイナーチェンジを行って、大人しい欧州調の外観を若干、日本人好みに変更。

 同時にツインカムエンジン搭載車や、本革シート装備の最上級グレードの追加を行いつつグレードを整理するなどしたが、人気は回復することなく、翌'92年に後継車であるドマーニにバトンを繋ぐとひっそりと消滅。海外向けは'94年まで生産された。

 尚、'93年にコンチェルトをベースとしたローバー416が日本に輸入開始されている。


 その後も、ホンダと蜜月関係を続けたローバーだったが、'94年に突如BMWがローバーを買収してホンダとの提携も突然ご破算となる。

 その後、BMW主導で経営されたローバーは悲惨な状態に陥り、経営は失敗。2000年にBMWはローバーグループを分割して、世界中の会社にブランドを売却、2006年にローバー社は消滅する。


 続いて、オーナーの情報が浮かんでくる。

 当時40代後半の女性。

 長年、イギリス人の夫と暮らしていたが、夫のたっての希望で日本で暮らすことになり、日本に帰国後に購入。


 イギリスで生活していて、現地の車が故障しやすい事を熟知しており、日本に帰ったので当然の如く日本車を……と思っていたが、当時の国産車の無機質でセンスのない内外装がどうにも合わないと思っているところに、コンチェルトの存在を知って即決。

 直後に夫と死別したため、山間部で暮らす、彼女の暮らしのパートナーとして活躍した。

 当初は、同じ左側通行だから慣れたものと高をくくっていて、初っ端にウインカーと間違えてワイパーを動かす洗礼に見舞われながらも、彼女も徐々に慣れていって、呼吸のあった相棒に互いに成長していった。


 子供たちに、ボランティアで英語を教えて、自然に抱かれて過ごす日常に満足していた。

 『私って、イギリスでは変わったおばさんだったのよ~』を口癖に、保護者たちの間でも人気者になり、あちこちに呼ばれて、お茶の作法を教えながら、イギリスでの話ををする陽気なお婆さんとして、楽しく過ごしていた。

 そして、その移動の傍らにもいつもあったコンチェルト。


 彼女にとってかけがえのない存在となったが、出会って30年の節目に、彼女が運転をリタイアして、高齢者向けマンションへの入居を決めた事で、ここへやって来た歴史が余すことなく沙菜には読み取れた。


 沙菜は、次に車からの思念を読み取っていく。

 正直、年式は古いものの、経歴からすると……と甘く見ていたが、かなり強い思念に、沙菜は驚いてしまったが、丁寧にそれを拾っていくと、乱れた呼吸を整えながらボンネットに手を触れて


 「ご苦労さま、良き旅を……」


 と車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 次の週末、オーナーの女性が事務所へとやって来た。


 「まずはこれを……」


 沙菜が言って差し出したのはかなり古びたネクタイピンだった。


 「これ……どこから?」

 「センターコンソールの下からです。恐らく、サイドブレーキレバーの付け根から落ちたのだと思います」


 彼女の問いに沙菜が答えると、彼女はその思い出について話し始めた。


 留学に行ったロンドンで、彼に見初められ、日本に帰った後にやって来た彼のプロポーズを受けて結婚。

 日本人が暮らすには、決して楽ではないイギリスでの暮らしの中でも、彼はいつも彼女を守って、喜ばせようとしてくれる存在だったそうだ。

 彼の事業も軌道に乗って大きくなり、老後は日本で過ごしたいと言っていた彼が、急にその予定を早めて息子に事業を譲って2人は日本へと飛ぶ。


 日本で暮らし始めて数ヶ月で彼の身体に現れる不調と、彼に残された時間は長くないという残酷な現実。


 残された時間で、彼が見たがっていた、日本の山々を巡る旅に出る。もっとも行きたがっていた、日本アルプスを制覇したところで、彼の身体は限界を迎え、彼女と日本で暮らせた事を満足しながら亡くなってしまった事。

 彼は、彼女がいつかは日本へと帰りたがっている事を知っていながら、自分の事業の都合でイギリスに縛り付けてしまった事を悔いていた事、日本行きを早めたのは、自分の病状を知っていて、もし先に死んでしまうと、彼女はイギリスに残る選択をする事を知っていたからだと、彼の死後に聞かされて彼の思いに涙した話。


 そして、ネクタイピンは、若き日の彼女が、最初の結婚記念日に彼に贈ったもので、彼が唯一日本に持ってきたネクタイピンだったのだが、彼の死後、見当たらなくなってしまい、30年近く、ずっと心の奥底に引っかかっていたそうだ。


 彼女は、ようやく見つかったネクタイピンを愛おしそうに抱きしめると、沙菜に深々と頭を下げて帰って行った。


 コンチェルトが、ホンダと今や亡きローバーとの日英協奏曲であったように、彼女と今や亡き彼との日英協奏曲も確かに、そこにあったのだ。

 その証であるコンチェルトは消えていってしまうが、その協奏曲の奏でる旋律は、いつまでも関わった人々の心の中に残っているのである。

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