第22話 兎と感謝とキューピッドと

 「へぇー、着せ替えできるんだぁ、ウケるね!」

 「結構イケてるカッコだし、良いと思うよ」


 燈華とあさみが、口々に言った。

 最近、沙菜はこの間引き取ったEXAに乗って出かける機会が増えた。

 祖父からも、たまには乗って出かけてくれと、頼まれている事もあるし、祖父としても、今の若い人間が見て、どう評価するのかを見てみたいというのもあるらしい。


 沙菜も、キャノピー、クーペ、オープンと色々なスタイルで走ってみたが、やはり、どのスタイルでも注目が集まるのを感じた。

 バイオレット・リベルタも注目はされるが、それはごく限られた層なのに対して、EXAの場合は、万遍ない層から注目されるので、悪い気分はしなかった。


 色々な人が、色々な車を選んでいる理由が、なんとなく理解できるような気がした。


 そんなある日、夕飯の席上で、祖父が沙菜に言った。


 「今度、引き取って修理後、展示したい車があるから、その前に車葬して欲しい。明日には引き取ってくるから、週末くらいまでに頼むな」


 なんか、EXAと言い、そういう車が多くないかと思って訊いてみたのだが、祖父曰く


 「貴重な個体は、ある程度、ウチで保護しておかないといかんのだ。これは文化財保護のボランティアだぞ!」


 だそうで、ドヤ顔で言われた。

 まぁ、沙菜が使えるクルマが増えるのは良いので、特に口出しはしないでおこうと思った。


 翌日、工場を覗くと、いつも車葬スペースには、黄色とシルバーのツートンカラーのちょっと目立つハッチバック車が佇んでいた。


 「RVRのオープンギアじゃない? そうなんだ……じゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は、明後日やろうと思っていたが、あまりの面白い素材に、早速車葬を始めてしまった。


 三菱RVR。

 RVブームに沸く'90年代の三菱だったが、このRVRはそのブームに乗って作られたものではなく、本来はハッチバック乗用車やセダンの新しい提案として作られたモデルであった。

 ベースは、同じ年に登場するミニバンの2代目シャリオのシャーシを短縮し、1800ccと2000ccエンジンを搭載して、ギャランの機能部品を使って成立していた。

 後席の乗降は左側にあるスライドドアで行い、リアシートはロングスライドして、足元が広々としたリムジン並みの居住性を持つというこの車は、ルーフレールなど、RVっぽ装いはしているものの、あくまでおとなしい外観を持つハッチバック乗用車として登場、しかし、アニメのバックスバニーが登場して、各種レジャーを楽しみながら『うさぎの勝ちだ』というキャッチコピーのCMプロモーションが行われた。


 発売されると、RVブームに沸く当時の日本では、この高すぎず長すぎず……のジャストサイズで扱いやすい新感覚のRVと捉えられて、飛ぶように売れ始める。

 すると、RVブームに機敏に反応した三菱は、この車に矢継ぎ早に追加モデルを設定する。

 当時流行していたフロントガードバーや、ゴツイ形状のバンパー、オーバーフェンダー、背面スペアタイヤキャリアを装備した『スポーツギア』を追加、このスポーツギアがバカ売れして、通常グレードの存在が霞むほどになってしまう。


 このRVRが当時のRVブームに沸く三菱の中で、パジェロ、デリカスターワゴンと並びRVの稼ぎ頭の三強の一角に一挙にのし上がっていくのだった。


 すると、さらに追加車種のオンパレードとなっていく。

 ディーゼルエンジン、ランエボと同形式の2000ccツインカムターボエンジン、後部のスライドドアを廃して、代わりに前席上部の屋根が電動スライドで開閉する『オープンギア』など、多種多様な追加車種がデビューする。


 ちなみに、ターボエンジンのワイドボディ仕様になると『スーパースポーツギア』『スーパーオープンギア』となり、終盤には派手なエアロパーツの付いた『ハイパースポーツギア』までもが登場するという、異様な状況になってくる。


 更に特別仕様が多種発売された初代RVRは、それをも呑み込んで余るほど、売れに売れ、6年間のモデルライフを全うする。


 2代目は1997年に登場。

 初代と同じくベースはシャリオで、3代目シャリオグランディスのシャーシを短縮して成立させ、ドアのレイアウトも変わらずに、初代の好評さを受けてのキープコンセプトとなった。

 エンジンでは、2000ccのノンターボが退場、代わりに2400ccが追加されて、1800cc、2000ccツインカムターボ、2400ccの3本立てとなった。


 メカニズム上の特徴としては、ATにはFTOにて採用された、手動変速もできるINVECS-II搭載車も設定され、先代でほぼ全グレードで選択できた5速MTが最強グレードのみに縮小された。


 当時の売れっ子アイドルがCMに出るなど、最初から必勝態勢でのプロモーションが行われたが、あれだけ売れた先代モデルの勢いは嘘であるかのように売れなくなってしまった。


 理由は野暮ったくなったデザインや、選択肢の狭まったラインナップ、そして後部ドアが左にしか無くて使い辛いといったところ、そして、この頃には3列シートのミニバンや、SUVに人気が集まっており、初代では『程々で使い易い』存在が『インパクトに欠けて中途半端』と変化してしまい、ユーザーの変化について行けなかったのも大きかった。

 初代のように特別仕様車を乱発しても、元々が不人気なので、販売の起爆剤にはならずに低空飛行が続いた。


 '99年のマイナーチェンジでは、最後まで残った5速MTの廃止、グレードの整理縮小と共に、待ち望まれた両側スライドドア仕様車も追加されたが、既に時遅しで回復の兆しの無いまま2003年に一度消滅した。


 ちなみに2010年に登場し、現在も販売しているRVRは、似た名前であるものの綴りが違う(2代目までのRVRは最初のRが逆向き)事や、SUVのコンパクト版という性格から、完全なる同一車種と見なすのは難しいという見解もある。


 次に、持ち主の情報が流れてくる。

 この車からは2つの情報が流れてくるため、2オーナーだ。

 最初に購入したのは当時30代の男性だが、思念が少ないので、コマ送りのように時短で見ていくと、最初の車検の寸前でハイラックスサーフに乗り換えて終了。


 2人目のオーナーとは、トヨタの中古車センターから始まる。

 当時10代と思われる女性、免許取り立てで車は無く、原付バイクに乗って来ていた。

 目当てはRAV4だったが、超人気故に、強気の値段で高く、他を探している中で、このRVRの前を通ったのが最初のきっかけ。


 彼女は、SUV系が欲しかったため、半端なRVRなどは購買意欲が湧かずに通り過ぎたのだが、セールスが何とか売ってしまおうと、粘り強く説明している中で、オープンギアの存在を知り、そこに惹かれたのと、条件面でかなりの勉強があったため購入。


 希望通りの車ではなかったが、変わり種で面白く、RVなのにオープン感覚が手軽に味わえるところが気に入って、アウトドアに限らず色々な所へと出かけて行った。

 ソロキャンプが流行る20年以上前から、車にテントとMTBを積んで全国のキャンプ場へと出かける行動派の彼女にはまさにピッタリの車で、1万5千キロだった走行距離は、3年で15万キロにまで伸びていた。

 また、思いの外走破力も高く、冬場の雪国へのスキーも楽々こなせて、SUVやクロカンでは通れない低い枝のアーチや都市部での駐車場でも難儀しないところも気に入っていた。


 そんな彼女も、数年後に結婚をする。

 夫となった人は、彼女とは正反対のインドア派で、アウトドアへと出かける機会は減るものの、RVRはショッピングなどの足として活躍し、やがて双子が生まれる。


 子供が生まれても、RVRはファミリーカーとして活躍する。リアシートがスライドして足元スペースが広くできるところや、リアドアもなく窓もハメ殺しのため、子供が不意に飛び出したり、窓のスイッチをイタズラしないメリットもあったのだ。


 しかし、そんな中で、大きな出来事があった。

 RVRも30万キロを迎えて、エンジンの調子が悪くなってきたのだ。

 買い替えを検討したものの、当時、欲しいと思える車が無かった事と、これから子供にお金がかかる時期だという家庭の事情を踏まえて、エンジンのオーバーホールを決意する。


 その時の、オーバーホールの姿を見た沙菜は言った。


 「あぁ、ここでウチに入ってきたのね」


 RVRのオーバーホールを行ったのは、沙菜の家の工場で、作業したのは祖父だった。


 オーバーホールを終えてすっかり調子を取り戻したRVRで、彼女は学校行事やパートの仕事へと駆け回る日々を送っていく。

 学校行事では、彼女の車は子供たちの友人から人気者だった。黄色いボディは目立ち度満点で、更には屋根がオープンになるこの車は、注目が集まらないわけがなく、子供にせがまれてあちこちに出かける機会も増えていった。


 子供たちも大きくなって、学校行事が無くなっても、彼女はこの車で動き回る事をやめなかった。

 彼女には、ここまで来たら叶えたい1つの夢があったのだ。

 それは、2人の子供の結婚式で、このRVRをブライダルカーにして、空き缶を引かせて走る……というものだった。それまでは、RVRがいくら不経済になろうとも、手放せなかったのだ。


 そして、3年前に1人目の子供の結婚式で、遂に今年、2人目の子供の結婚式でもRVRでパレードランを行う夢が叶い、遂に彼女は、思い残すことなくこのRVRを手放すことを決意する。

 次の車は特になく、夫の車を使い倒してやろうと、ケラケラ笑う彼女が、祖父にRVRを託していく画像で終了していた。


 次に、車側からの思念を読み取っていく。

 このRVRは既に自分の使命を満足して終えており、彼女に対しては感謝の気持ちしかなかったのだ。

 それを心行くまで読み取ってやると、沙菜はボンネットに手を優しく触れて。


 「良き旅を……」


 というと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、事務所には50代の男性がやって来た。

 オーナーの夫であり、この工場の常連でもあるため、沙菜はよく知っている。


 「今回は、奥さんへの感謝の思念しか残ってなかったです。色々な思い出があったんですね」

 「うん、彼女は、俺と違ってアクティブな人だからね。ウジウジ悩んだりしないんだよ。人には好かれてるけど、車にも好かれてたんだね」


 彼は、苦笑しながら言った。

 対する彼は、車だけが趣味で世渡りが下手、人付き合いも苦手で……と奥さんとは対照的な人だった。

 元々、2人の出会いも、RVRがパンクして、スペアタイヤに交換できずにいた彼女を見かねて、通りがかりの彼が交換してあげた事であり、彼女本人も『普通に出会ってたら、キモくてシカトしたと思う』と言ってるくらいだったのだ。


 すると、彼がちょっと困った表情で言った。


 「RVRがなくなってから、彼女が俺の車に勝手に乗ってっちゃうんだよ。俺としてはなんか手頃な車、無いかな~って思ってるんだけど……」


 言ってる事は分かる。彼の車は、もう30年近く付き合っているBNR32型のスカイラインGT-Rなのだ。

 なので、普段は乗って歩かないし、車庫にすら気を遣っている事は、沙菜もよく知っているのだ。


 しかし、沙菜は、あのRVRから受け取っている思念はもう1つあるのだ。

 それは、彼がいつも車にばかりしか目をやっていない事に対する、彼女の嫉妬に近い心情なのだ。

 結婚してあまり間を置かずに子供が生まれてしまったため、あまり2人きりの時間というのを過ごしてこなかった彼女にとって、彼が異様なまでに車に向けている視線というのは、女に向けているそれよりはいいと思っていたが、今となってはそう思えなくなっているのだ。


 沙菜は、彼に直接そう言った。

 彼の朴念仁ぼくねんじんっぷりでは、直接言わないと分からないと思ったためだ。


 彼は、考え込んで黙り込んでいたが、やがて


 「分かったよ。沙菜ちゃん、ありがとう」


 と言うと、祖父の所へ行って談笑すると、帰って行った。

 半月ほどして、沙菜は祖父から、彼女がふらりと現れて『旦那をイジメすぎて可哀想になっちゃったから、なんか手頃な車、探してもらえませんか?』と依頼に来たと聞かされた。


 その後の彼に何かがあったのだろうな……沙菜は今度訊いてみたくなった。

 車葬人というのは、時に、こんな経験もするのだった。


 


 

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