第21話 太陽と地道

 「どうするかなぁ……」


 進路の面接を終えると、沙菜は考えてしまった。

 地理的に考えて、というのと、沙菜の希望としても都内の大学に行く事は確定しているのだが、ちょっと遠めの所も狙うか否か……というところで悩んでいるのだ。


 沙菜の学力レベルが上がったおかげで、少し上のランクの大学も狙え、そこは、沙菜も行ってみたいと思っていたのだが、ちょっと家からは遠いのだ。

 毎朝片道3時間近くも通学にかけるのはさすがに辛いし、かと言って、1人暮らしさせて欲しいというのも、祖父母にはあまり言い出し辛いところがある。


 どうした方が良いのかで、以前はしなくても良かった悩みが出てきた。

 学力が上がるのも困りものだな……と沙菜は思った。


 家に帰ると、努めて悩んでいる表情を見せないように過ごしていたのだが、風呂上がりにリビングでテレビを見ていたところ、下着姿の祖父が通りがかって


 「なんだ、沙菜、悩みか? 小遣いが足らないのか? 仕方ないなぁ、じゃぁ、今入ってる車の車葬を頼むぞ!」


 と言われて強引に車葬をやる事になってしまった。

 違うと言って、祖父に本当に悩んでいる事を探られるのも面白くない。

 ここは、そういう事にしておいた方が都合がいい。


 翌日、工場へと行くと、そこには堂々たる体格のマルーンのサルーンが止まっていた。


 「センティアかぁ、それじゃぁ、はじめるよ!」


 沙菜は妙に語尾に力を入れて元気をアピールすると、ボンネットに手を当てた。


 マツダ・センティア。

 戦後、焼け野原の広島の地から再開した東洋工業(現在のマツダ)は、戦後の復興期に、バタンコと呼ばれる3輪トラックの雄として名を馳せて復活し、花形の乗用車市場へと進出した。

 同時期に同じく3輪トラックのもう片翼の雄として名を馳せ、乗用車市場に進出してきたメーカーがダイハツである。


 西日本にある3輪トラックで名を馳せたメーカー、そしてメインになる乗用車の発売方法が、個人商店向けのスタイリッシュなライトバンからスタートして、好評を受けてセダンへと昇華……と、この2社には共通項が非常に多いが、その後に大きな差がついた原因の大きなところは、商品バリエーションの矢継ぎ早さである。


 ダイハツがメインになるコンパーノ1機種に絞っていたのに対し、マツダは数年前から軽自動車のR360クーペ、キャロルで4輪車市場に参入した後に、メインのファミリアを発売、更にはその数年後には高級車のルーチェを発売して、フルラインメーカーとしての足場固めを行ったのだ。


 高級車があるという事は、企業のイメージを上げるのに大いに役立つ。しかも、マツダのように地の利がある企業であれば、地元のタクシー需要も期待できるし、マツダのトラックを使っている運送業や建設業の社長の自家用車としてセールスをかけやすいというメリットもある。


 こうしてマツダは早めに足場固めを行ったために、片翼の雄のダイハツが、もたついているうちに因果を含んでトヨタと業務提携を結ぶことになり、以後軽自動車に専念させられるのに対し、独立を維持したまま、拡大戦略に走り、3位メーカーへと成長していくのだった。


 その後、ルーチェは、大ヒットとは言えないものの、そこそこの売り上げを出し、特に、最後の型となった5代目は、バブル期に新開発のV6エンジンが間に合って、ヒットを飛ばしていた。


 しかし、バブルの時期は車が飛ぶように売れ、しかもその中でも高価な高級車も同じように飛ぶように売れたのだ。

 そこで、次期型は、更なる高級化、しかも税制変更で、3ナンバーに禁止税的な高額な税が掛けられる事もなくなったために、高級車は小型乗用の5ナンバーから、普通乗用の3ナンバーの時代が来ると踏んで、大型化も同時に行われたのだった。


 1991年に登場した6代目は、25年続いたルーチェのブランドを捨てて、センティアという新たなネーミングで、新たな高級車ブランドとして発売されたのだった。

 そこにマツダの5チャンネル制が重なった事もあって、兄弟車としてアンフィニMS-9というマークの違いだけの車も誕生した。


 センティアの特徴は、曲面を多用した美しいデザインと、それに合わせた近未来的ながら格調あるインテリアと、ルーチェから二回り大きくなったボディである。

 当時のマツダのデザインはかなり先進的で尖っており、特に欧州ではその先進的なデザインが好評だった。

 このセンティアのボディサイズもデザインとのバランスを考えると妥当なもので、このデザインのためなら……と、このサイズを受け入れるユーザーが多かったのも、バブルという時代のなせる業だった。

 更に、センティアの特徴のもう1つは、各種の先進装備の数々で、サンルーフに組み込まれた太陽電池を利用して、停車中の車内換気を行うソーラーサンルーフがオプションで、大きなボディの小回り性能を高めるための4WS(4輪操舵システム)は全車標準で装備された。

 

 エンジンは、2500ccと3000ccのV6で、先代モデルのルーチェにあった2000ccや、ロータリーエンジンは落とされていた。

 マツダは高級車とスポーツカーにロータリーを搭載していたが、スポーツカーはともかくとしても、高級車のルーチェに関しては、ロータリーはほとんど売れず、特に、V6エンジンが搭載された5代目に関しては、動力性能的にも静粛性的にもロータリーを積極的に選ぶ必要がなくなってしまったと判断されてしまったのだ。


 発売されたセンティアは、当初は順調に売れていて、このまま新たなマツダの高級車ブランドとして、国産高級サルーンの2強であるクラウンとセドリック/グロリアに割って入ることが出来るか? と思われたが、デザインに凝り過ぎた事もあって、需要が続かなかった事や、バブルの崩壊、更にはマツダの5チャンネル制によって上級車種がマツダ内から増殖した事や、5チャンネル制の失敗などが響いて、2年もしないうちに息切れしてしまった。

 '94年には、5チャンネル制の失敗からMS-9がセンティアに統合、センティアはアンフィニ店でも購入できるようになったが、時すでに遅し……であった。


 '95年に登場した2代目は、マツダの経営状態が非常に苦しい状態の中で誕生。

 一説には、モデルチェンジをやめて、ビッグマイナーチェンジで済ませる事も検討されたが、モデルチェンジを敢行した。

 初代と事情が変わり、ユーノス店向けの上級車、ユーノス800との兼ね合いから2500ccが消え、3000ccのみとなる。


 先代で不満が出た後席居住性や、押し出し感に薄いデザインを反省して、オーソドックスで押し出し感の強いデザインに改めたが、その前時代的デザインと、安っぽくなって、デザイン的にも退化した内装が輪をかけてユーザーを遠ざけた。

 唯一、007の初代ボンド役、ショーン・コネリーを起用したCMは非常に良かったものの、スクリーンで、イギリスの高級スポーティカー、アストンマーティンに乗っていた彼が、初代センティアならいざ知らず、こんなダサい車には乗らないだろ、というツッコミしか生まず、不人気のまま2000年に消滅した。

 これによって、マツダの高級サルーンの系譜は途絶え、今をもっても、この系譜の後継車は現れていない。


 そして、オーナーの情報も浮かんでくる。

 50代前半の男性で、不動産業を営んでいた。

 バブルの頃は、どこの不動産業も潤っていて、浮き足立ち、多かれ少なかれ無茶な取引をしたりしたものだが、彼はそんな好景気時にも地に足をつけて、身の丈に合わない取引や投資を行わなかった事で、バブル崩壊においても、大きな損失を負う事無く、商売を継続してこられた。

 周囲の同業者が、バブルの時代に一山当てて、銀座に飲みに行ったり、ベンツを乗り回したりする中で、コツコツと、小さな仕事を誠実にこなしていき、駅前の焼鳥屋で飲み、古いローレルに乗って暮らしていた。


 そんなある日、ローレルがバスに追突され、廃車になって車を選ぶ際に、学生時代に憧れたジャガーのようなふくよかな曲線美のセンティアを見て一目で気に入り、ちょっと贅沢だと、自分に言い聞かせながら購入したのだった。


 そして、その不動産業も、息子へと引き継ぎ、隠居の身となったのだが、自分が出て行くと邪魔だと分かっていながらも、事務所に顔を出しては、息子に嫌がられながら、つい出て行っては、喧嘩になり……という日々を繰り返し、今年、遂に亡くなり、長いこと乗ったセンティアは、ここにやって来たのだった。


 次に、車からの思念を読み取っていく。

 手入れをされていて綺麗なマルーンの車体に触れると、とても優しい空気が伝わって来た。とても優しくて幸せな、そしてささやかながら大きな思いが……。

 それは、沙菜の心も温かくしてくれるものだった。


 沙菜はとてもほっこりした気持ちになりながら、ボンネットに手をつくと


 「良き旅を……」


 と言うと、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 2日後、事務所には、オーナーの奥さんと息子の2人がやって来た。


 沙菜は、まずセンティアから託されたものを2人に渡した。


 「これは……」


 声を上げたのは奥さんだった。

 それは社判と、1冊の童話の本だった。

 ずいぶん昔のもので、そこには、今の社名とは全く違った会社の名前が入っていたのだった。


 それを見て奥さんが話したところによると、夫は、若い頃から起業を目指して、20代で脱サラをして会社を立ち上げると、その会社を成長させるために、次から次へと拡大戦略に乗って、そこそこ大きくすることに成功した。社判はその会社のものだそうだ。


 しかし、ある時に会社を大きくしようとする野心から、大型プロジェクトに乗って、のめり込んでいたところ、オイルショックによってプロジェクトは頓挫、そこに社運を賭けた彼の会社は莫大な負債を抱えて泡と消えてしまったそうだ。

 

 何もかも失った彼は、たまたま求人広告を見て飛び込んだ不動産屋に就職し、再びの起業を夢見ながら、日々働いていたという。

 しかし、ある日、抜け駆けして取った大きな仕事に失敗して、お客から烈火のごとく怒られた際、社長から地に足がついていない人間が、上ばかり目指しても失敗すると言われて、童話の絵本を渡されたそうだ。


 不思議な力で伸びる木を植えて、空へと登ろうとした男が、下から来る人間を蹴落とし、独り占めした結果、伸びた木は太陽にぶつかって消えてしまい、男は何もない畑に1人気を失って倒れていた……というストーリーの本だった。


 彼は、それから、自分の仕事を1つ1つしっかりこなしていく事を身上に働き、以前のように目を吊り上げてトップに立つ……等とは言わずに、受けた仕事は自分が満足するまでしっかりやるというスタンスに変わったのだそうだ。


 身の丈に合った仕事という事と、お客さんの満足を第一に考えるという姿勢を崩すことなく、働いていった結果、働いていた不動産屋さんを受け継いで、自分が社長になったが、その頃には、もう空の上までも目指していた昔の彼とはすっかり違った地域から信頼される社長になっていたそうだ。


 息子も、口を開いた。

 父親は以前より、上手い話、大きい話には裏があるという話を口酸っぱく息子に伝え、地区にタワマンができる話が出た際にも、その話に乗ることを反対したそうだ。

 当時、息子はそれに納得がいかなかったが、父親が絶対許さないと偉い剣幕で言うために折れたそうだ。

 結果、タワマン計画は、中途半端な所でとん挫し、もし、乗っていたら損失を出して倒産するところだったそうだ。


 恐らく、父親である社長は、過去の自分を戒めるために、自分が作った会社の唯一残った社判と、先代社長に読めと言われた童話の本を常に持っていたのだと思う。


 その想いを知った2人は、彼の遺志を引き継いで、これからも地道にやっていく事を決意したと言って、丁寧に礼を言うと帰って行った。


 沙菜は、2人を見送ると

 

 「地道ねぇ……一体どうなんだろうなぁ……」


 と言って考え込んだ。

 しかし、工場の中で考え込んでいる沙菜は、さっきの2人を祖父が呼び止めて、沙菜の事について話しこんでいる事など、知る由も無かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る