第20話 100京の力で

 人が変わる瞬間は、ふとしたきっかけであることが多いと言う。

 そう、それは、日常に溢れているような、そんな物でもである。


 「マジふざけんなよなぁ……」


 沙菜は、昼休みの教室で、みんなに怒りをぶちまけていた。

 原因は、堅物の教師、迫田さこだに沙菜が呼び出されて、謂れいわれのない説教を受けた事だった。

 結局、それは迫田の勘違いで、違う生徒の仕業だったことが発覚したのだが、迫田は、沙菜に向かって『済まなかった、行っていいぞ』と言っただけだったのだ。


 「沙菜、迫田の事なんか放っとけって、あたしら、もう3年なんだから、アイツになんか構ってるだけ時間無駄だって!」

 「そうだよ、あさみの言う通りだって、週末はさ、思い切って気晴らしに出かけようよ!」


 あさみと、燈華に励まされて、その場は吹っ切った表情になった沙菜だが、そんなモヤモヤを引きずったまま、家に戻ると玄関先で祖父と出くわした。


 「沙菜、ちょうど良かった。今度うちで展示した後、引き取る古い車があってな、それの車葬を明日、頼みたいんだ」

 「えーー、ヤダ!」


 ただでさえモヤモヤしてるのに、そんな面倒な話は受けたくない。

 すると、祖父は口ひげをいじりながら


 「そうなのかぁ? 週末のお出かけに資金は欲しくないのかぁ?」


 と言い出した。

 なんで? と一瞬思ったが、心当たりを思い出した。

 確かあさみと祖父は、LINEで繋がっていた。

 祖父がLINEのやり方が分からないと騒いでいた時に、遊びに来ていたあさみが、丁寧に教えて、それ以来の繋がりだ。


 厄介な繋がりだ……。

 沙菜は更にモヤモヤした気持ちを抱える事になった。


 翌日、工場に入ると、そこにはとても綺麗なライトグリーンのちょっと変わった形の車があった。


 「EXAかぁ、珍しいね。じゃぁ、はじめるよ」


 沙菜は言うとボンネットに手を乗せた。


 日産・EXA(エクサ)

 日産初のFF車であるチェリーの後継車としてパルサーが登場したのは1978年、1982年に登場した2代目にクーペタイプの兄弟車として登場したのがパルサーEXAである。


 チェリーや、初代パルサーにも大胆なスタイルのクーペは存在したが、あくまでセダンやハッチバックと同じフロント周りで、ボディ形状がクーペというものだった。

 それに対してEXAはセダンやハッチバックと一切脈絡のない、リトラクタブルヘッドランプと直線基調のボディデザインで登場し、ミニ・スペシャルティと呼ぶにふさわしいボディデザインを手に入れていた。


 エンジンは1500ccのキャブレター版と電子制御燃料噴射の2種で、セダンやハッチバックにあった1300ccやディーゼルエンジンは設定されず、高性能版のみの設定をアピールしたのだ。


 狙いは日本よりも海外で、特にアメリカ市場で、近所を移動する手軽な足車としての需要……以前に車葬したCR-Xと同じ狙いの車である。


 日本でもアメリカでもEXAの販売は悪くなかった。

 低燃費の1500ccで扱いやすい。それなのに、デザインはリトラクタブルランプでカッコ良い。

 日本では、この数年前にスーパーカーブームが起こったが、パルサーEXAは、手軽な価格で、スーパーカーのようなデザインの車が手に入るという事で、意外とヒットする。


 すると、ボディカラーの追加や、ターボ車、更には1985年に、チェリー販売会社誕生15周年記念に100台限定で、オープンカーのコンバーチブルが登場。


 1986年になるとベースになったパルサーがモデルチェンジ。

 その5ヶ月後にEXAもモデルチェンジをする。

 2代目になったEXAは先代と違い、パルサーEXAではなく、EXAとして独立車種となる。

 

 2代目となったEXAの特徴は、やはりそのデザインで、アメリカのデザインスタジオで作られたそれは、先代同様リトラクタブルライトという点では共通だが、それ以外は一新され、テールライトは独創的な斜めスリット形状となり、先代モデルが、ミッドシップスポーツっぽいけどFFという形だったのに対して、どこの車にも似ていない形に生まれ変わった。


 そして、最大の特徴は、全車標準のTバールーフと、ボディ後部の独創的なハッチ形状だった。

 一般的な2ドアクーペのように後部ピラーの傾斜に合わせて後部にノッチをつけた『クーペ』と、ステーションワゴンのようにそのまま後部まで屋根がまっすぐ伸びた『キャノピー』の2種類のハッチ形状の違いによりボディタイプが設定された。

 更に、この後部ハッチは、ハッチごと開くのも特徴で、一般的なクーペが、リア窓の後ろからトランクの蓋が開くのに対し、EXAはどちらのボディタイプも、リアのサイド窓の後ろから屋根や、リア窓ごと開くのである。


 ちなみに、このリアのハッチは外すことも可能で、リアハッチと、Tバールーフを外してセミオープンカーとして使うことも出来る、1台で2役こなせる車だったのである。

 しかし、本来のコンセプトは、この2つのハッチの互換性を持たせて、着せ変え、その日の気分によって、クーペスタイル、ワゴンスタイルと変化できる1台3役の車を目指したのだった。

 アメリカでは、ハッチの交換は可能で、標準状態はクーペで、オプションパーツとしてキャノピーハッチが販売されていたが、日本では運輸省が認可せずに、交換できないようにクーペとキャノピーの取り付け具が別パーツになっていた。


 ただし、アメリカではキャノピーハッチのオプションは高価だった上、すぐに販売中止となったため、別ボディ扱いされた日本の方が、キャノピー仕様の数が多いという皮肉な現象を生み出してしまった。


 狙い通り、アメリカではヒットして、人気車種に登り詰めたが、日本では、先代モデルからの人気を引き継げずに苦戦してしまった。

 原因は2つで、1600ccに上がった排気量と、高くなった価格だった。

 1600ccのツインカムエンジンは高性能だったが、日本において1600ccというのは微妙な立ち位置で、ならば1800ccの方が良いというユーザーが多いが、そこにはシルビアが控えているためにアップできないのだった。


 そして、新開発や凝ったデザイン、機構などで高くなってしまった価格は先代の軽便なのにカッコ良くて適度に高性能というベクトルから外れてしまい、日本では不人気車となってしまった。

 その後も特別仕様車や、価格の改定を行うものの、時すでに遅くて回復には至らず、1990年に似たコンセプトのサニーRZ-1(アール、ズィー、ワン)と統合されてNXクーペにバトンを渡し消滅してしまう。

 ちなみにNXとは、アメリカ輸出版のEXAの名前であり、また、NXクーペにはTバールーフなど多分にEXAのDNAが盛り込まれていて、アメリカ人にはEXAのモデルチェンジ版として捉えられている。


 次に、オーナーの情報が浮かんでくる。

 新車ワンオーナーで、当時30代終盤の男性、妻と一男一女の一般的な家庭。

 枠にとらわれない面白い車として美的センスを掻き立てられ、購入したかったが、少し予算オーバーで、数年貯金をして、最終型を購入。


 自宅の建売り住宅のカーポートには、既にカローラが鎮座していたが、彼は貯金している数年間に庭先を改造して、EXA専用の車庫を作っており、EXAはそこに運び込まれた。

 平日は、カローラに乗って通勤するため、EXAは眠っているが、ひとたび休日となると、あちこちに出かけて行った。


 やがて、彼はあるものを持ってきた。

 EXAのクーペ用のハッチである。解体屋で買ってきたらしい。

 更に輸出用の取り付け具も入手してきて、彼は、遂にEXAのハッチ交換を可能とし、EXAライフを本気で楽しみ始めたのだ。


 沙菜は、EXAの視点ではなかなか読み取れない、彼の普段の生活についてのサーチを続けた。

 分かったのは、普段は車で通勤してるという事、そして、日によってはラフな格好で出勤する日もあるという事だ。

 ある時、彼が持ち帰った大きな封筒の中身がチラッと見えて、沙菜は彼の職業が分かった。


 「教師だ」


 中に入っていたのはテスト用紙だったのだ。

 沙菜の読み通り、彼は中学の教師だった。

 これでEXAを通勤に使っていない理由も分かった。

 恐らくだが、学校では堅物で通っている自分が、こんな遊び心満載の車に乗って行くと、周囲が引き、生徒から反発されてしまうのではないかと危惧したからだ。


 彼は心の中の葛藤に、自分なりの結論を見つけて、学校では今まで通りの自分でいる事がベストと考え、その後もカローラで通勤を続けた。

 その後はランサー、サニー、アクアと変わっていく通勤車とは別にEXAを愛でる生活は続き、校長として定年を迎えた後も、EXAライフだけはやめられなかった。


 しかし、残念な出来事が起こる。

 定年してから数年して、アクアで事故を起こしてしまう。

 それ自体は軽微な自損事故だったが、その際に担ぎ込まれた病院で、念のためにと受けた診断で、目の視野狭窄が発覚したのだ。


 幸い、治療によってそれ以上の進行を喰い止める事はでき、車の運転に支障をきたすことは無いのだが、本人は、大切なEXAを、自分の不徳から事故で失う事を極端に恐れて手放すことを決意し、友人であった祖父の所にやって来た経緯が流れ込んできた。


 そして、車からの思念を読み取る。

 このEXAは、オーナーからの多くの愛情を受けており、その思いは物凄く強いものだった。

 その強さは、沙菜をもってしても、数時間を要するものだった。

 そして、沙菜はそのボンネットに静かに手を触れると


 「良き旅を……」


 と言って車葬を終えた。


◇◆◇◆◇

 

 翌日、事務所にやって来た60代中盤の女性に、今回の結果を報告した。


 「お疲れさまでした……」


 オーナーの妻である女性から、このEXAに関する事を聞くこととなった。


 彼は元々、趣味らしき趣味は何も持たず、仕事一辺倒で、車に関しても、若い頃にフェアレディZと、いすゞの117クーペに憧れたが、車はセダンという常識をしっかり堅持していた。ところがある日、美術の教師と会議で隣り合わせて、話をした際に、EXAの話を聞いて興味を持ち、カタログを見た時から恋は始まったそうだ。


 何度もディーラーに足を運び、ようやく買えたこのEXAにすべての愛情を注ぎこみ、何度も車庫に止めた車の中に泊まり込んだか、数えきれない程だったそうだ。


 「正直、あの人って、何が楽しくて生きてるんだろうって、ずっと思ってたので、あののめり込みようは異常だったけど、嬉しくもあったんです。あの人も人間だったって分かって……」


 彼女曰く、彼はEXAがやって来てから、ほんの少しだけ変わったそうだ。

 ほんの少しだけ明るくなったような気がするし、ほんの少しだけ笑顔を見せるようになっていたそうだ。


 だから、彼女もほんの少しだけ彼に対して見る目を変えたそうだ。

 それまでは、どのタイミングで離婚しようかと思っていたが、悪い人ではないから……と踏ん切りがつかなかったのだが、そう考えるのをやめたそうだ。

 100の18乗、すなわち100けいの名を持つEXAが、ギクシャクしていた2人をほんの少しだけ変えることができたのだ、そう、ほんの少しだけ。

 


 「ご主人はどうされてるんですか?」


 沙菜が聞くと


 「少しずつリハビリはさせています。何もしないと老け込むのが早くなるでしょう。車も、少しずつ運転もさせています。ここにEXAがあるって事も、彼には励みになってるでしょうからね」


 彼女は言うと


 「今回はありがとうございました」


 と言って立ち去ろうとしたため、沙菜はEXAからの贈り物を渡した。

 それは、ハッチを互換させるために彼が外した、国内仕様車用のハッチ取り付け金具だった。

 彼女はそれを見て、一瞬驚いたが、すぐに微笑んで、外に止まっていた黄色いキックスに乗り込むと帰って行った。

 その助手席には、ショールーム内にあるEXAを眺めて満足する彼の姿があった。

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