第19話 トナカイと家族

 毎月買っている雑誌の最新号を買ったので部屋で読んでいると、ひとりキャンプ特集で、ひとりキャンプの楽しみや、おススメの道具が紹介されていた。


 「キャンプねぇ……」


 沙菜は、スポーツはそれなりに得意で、インドア派ではないが、キャンプやバーベキューが好きではない。

 ハエがたかっている屋外で、煤まみれになった肉や野菜を食べて、どこが美味しいのかと思ってしまうし、殺風景なテントに寝泊まりするくらいなら、車の中で寝た方が良いと本気で思っている人間なのだ。


 別に、ひとりのキャンプが流行っているうちは良いのだが、これがみんなで……とかなると、あさみや燈華あたりの層が放っておくわけはなく、みんなでキャンプに行こうなどと言い出しかねない。

 そうなると、車のある沙菜に白羽の矢が立つのは何となく予想が出来るのだ。


 まだ、誘われても、そうなるとも決まっていないのに、沙菜の心の中は憂鬱でいっぱいになってきてしまったのだ。

 そんなモヤモヤを抱えたままリビングへと降りていくと、祖父が沙菜を見つけると


 「沙菜、悪いんだが頼まれてくれるか? ビジネスと割り切ってくれて良いから」


 と言うので、沙菜はこのモヤモヤを忘れようと、二つ返事で工場へと向かった。

 工場には、シルバーと紺色のツートンカラーのステーションワゴンが佇んでいた


 「スプリンターカリブかぁ……それじゃぁ、はじめるよ」


 と言うと、沙菜はボンネットに手をつき、車葬を始めた。


 トヨタ・スプリンターカリブ。

 この車の歴史は、トヨタという企業の悪い面がしっかり体現されている。


 1982年に登場したスプリンターカリブは、平坦で面白みのない車が多かった当時のトヨタの中で、ひときわ輝く車として登場した。

 全車4WDのレジャービークルを目指したステーションワゴンを作ったのだった。


 当時の日本で、ステーションワゴンは、ライトバンと混同される事から、商売をやっている家か、好き者以外には徹底的に嫌われていたボディタイプだった。

 もし、ワゴンがあっても、同一ボディのライトバンがラインナップされていて、メインはそちら……という場合がほとんどだったが、カリブは、最初からワゴンのみのラインナップを固持したのだ。

 しかし、CMでは、しつこいまでに『セダン』というフレーズで呼んでいたところに、当時の日本でどれだけステーションワゴンが嫌われていたかが推し量れる。


 初代は、スプリンターと名乗っていながら、ベースになったのは一回り格下のコルサ/ターセルで、FFベースながらエンジンが縦置きという妙なレイアウトも、そのまま引き継いだ。

 1500ccのみで、後にハイパワーなツインキャブエンジンを追加するなど、最後までパワー不足には悩まされていたものの、新たなコンセプトと、垢抜けないところがありながらも、どこか北欧を感じさせる個性的な雰囲気などで、従来のトヨタの顧客とはもっとも縁遠い層に好評を博する事となる。


 そして、その層に応えるべく、1988年には2代目へとバトンを繋ぐ。

 2代目の最も進化した点は、そのシャーシで、先代のコルサ/ターセルベースから、今回からは名実ともスプリンターベースへと生まれ変わった点だ。


 初代で指摘されていたパワー不足に対応するため1600ccに排気量アップし、これも初代で指摘されていた室内の質感の低さも、バブル期の入口だったため、大幅にアップ、更には、初代の特色であった本格RV色はしっかりと残し、高度計等の3連メーターは、後付け感をなくしたビルトイン処理とし、更に上級グレードには、3センチ車高をアップする事が可能なハイトコントロールサスペンションを採用する。

 そして、4WDも先代のパートタイムから、フルタイム式に進化する。


 少しバタ臭さは薄まったが、弱点を潰した上に、ハイトコントロールなどRV心の分かる作りの2代目も好評を持って迎えられ、根強いファンを獲得した。


 しかし、'90年代初旬のステーションワゴンブームの中において、トヨタはカリブの次期型の開発を行っておらず、完全に期を逸した感が強いまま、一部改良の繰り返しで、ベースのスプリンターのモデルチェンジ後も押し切ってしまう。

 ちなみに、この時はカローラワゴンはモデルチェンジを行っており、明らかにライトバンを持たないカリブは見切られていた感があった。


 この間も、カリブの売り上げは決して悲観する程のものではなく、またRVブームの訪れで、注目も集まっていたため、販売期間は長くなったものの、初代の倍ほどの販売台数を記録する。


 そして'95年に3代目がデビューするが、テールランプ周りのデザイン以外、何も先代までのカリブらしさを引き継がないモデルチェンジを行う。

 ハイトコントロールや、3連メーターも廃して、基本ボディは海外向けのカローラワゴンと共通、そしてこの代では、国内向けカローラワゴンがモデルチェンジせず先代モデルを継続販売したため、カリブの位置づけは、カローラワゴンのモデルチェンジ版というものになってしまう。

 1年後には、カリブで初めての2WD版を発売、更にはスポーツエンジン搭載の高性能版等を追加するが、明らかに初代から続くカリブの魅力何も無しの3代目となってしまったのだ。


 残念な3代目は、廉価な2WD版が営業用や、カローラワゴンからの代替、一部の人がスポーツエンジン版に乗るような用途へと数を出したのみで、2002年に消滅してしまう。


 冒頭に触れたトヨタのダメな点は、このカリブに体現されており、折角、従来のスタンダードから外れた尖った車を出して、新たなユーザーを取り込んでも、どこかで自社のスタンダードに取り込もうとして、平坦化させた結果、従来のユーザーを皆ふるい落としてしまう結果となる。

 カリブの2代目以前と、3代目のユーザーは確実に客層が異なっており、3代目を支持したユーザーは、別に他社の安いワゴンでも良かったのである。


 次にオーナーの情報も浮かんでくる。

 この2代目カリブは新車ワンオーナーで、40代前半の男性、小学校高学年の娘と2人暮らし。

 2年前に妻と死別し、男手での子育て中で、前車はウッドパネルの似合う黄色いサニーカリフォルニア。


 そして、1年もしないうちに変化が起こる。

 新たな妻を迎える事になり、家族が増えたのだ。

 難しい年頃の娘を抱える家庭に、20代中盤の母親がやって来ることになって、穏やかに済むはずがなく、娘は、新しい母親に反発しては騒ぎを起こすようになる。


 些細な事から、母親に因縁をつけては喧嘩になり、家を飛び出す。

 そして、母親がそれを迎えに警察に行く。

 カリブは、その現場を何度も目の当たりにする。


 以前は、そんな事は無かった。

 父と娘で買い物やドライブに行ったり、夏は海や登山に、冬はスキーに……と、アクティブに動き回る親子の足として、楽しい思い出を運んでいたのだ。


 父と年頃の娘としては、距離感が近めなことも、新たな母親に反発する原因の1つだったのかもしれないが、父親が良かれと思ってした事が裏目に出てしまい、家庭はメチャクチャになってしまった。


 結局、家に寄りつかなくなった娘は、高校を出ると姿を消してしまう。

 

 それから十数年して、父親が癌で余命宣告を受ける。

 発見された時には全身に転移していて、手の施しようが無かったという。

 その間も、娘に連絡はつかずに、父親は後妻に看取られながら、娘と再会する事は叶わずになくなってしまう。


 カリブは1人となってしまった妻と一緒に、娘の帰りを待つことになる。

 しかし、父親の死から10年したこの夏、残された妻までもが余命宣告を受けてしまう。

 その後も気丈に振舞っていた妻だが、身体には嘘はつけず、遂にホスピスへと入ることになってしまい、使う事の無くなったカリブはここにやって来た経緯が見えた。


 次に沙菜は、車からの思念を読み取っていく。

 この車にはあまりに強い思念が複数、交わっているが、それを整理して1つ1つ整理していく、そしてそれが終わると、沙菜は疲れ切ったようにボンネットに手をつくと


 「ご苦労さま……良き旅を……」


 と言うと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇

 

 2週間後、沙菜と対峙したのは40代中盤の女性。

 このカリブのオーナーの娘だ。

 以前と違ってすっかりやつれたような表情には、以前のような、精彩は見られなかった。


 親類がようやく探し出した彼女の経歴は、波乱万丈というか運命の皮肉のようなものだった。

 家を飛び出して数年して知り合った男性と結婚するものの、2年で死別、次に一緒になった男性からは激しいDVを受けて、辿り着いた先は後妻だった。

 旦那さんには2人の子がおり、上の男の子には受け入れられたものの、下の女の子が自分を認めずに、自分のしてきた事の鏡写しを見ているような仕打ちを受けて、現在も行方不明だそうだ。


 沙菜はそれを知った上で、敢えてフラットに言った。


 「あのカリブからは、1つだけです。あなたも大人なら、親の思いを知るべきだと」


 彼女は俯いたまま黙りこくっていたので、沙菜は続けて


 「お父さんは、最期まで、あなたに会えない事と同時に、あなたのせいで加奈子さん……今のお母さんに辛い思いをさせた事を悔やんでいたそうです」


 と言うと、カリブから託されたものを差し出した。


 「……これは?」

 「忘れてるのでしょうけど、加奈子さんとあなたは、昔会ってるそうですよ。お父さんは、キャンプに行った先で、たまたま隣り合わせた加奈子さんにあなたが懐いているのを見て、『この人となら』と思ったそうです。その時のタープだそうです」

 

 沙菜が言うと、娘は一瞬考え込んだが


 「あ……」


 と言うと、口を手で押さえた。

 そして、彼女が話したところによると、カリブがやって来てしばらくした頃、母親が亡くなって以来、落ち込んでいた彼女を父親がキャンプに連れて行った事があって、その際に、テントが上手く設営できないでいたところに、隣でテントを張っていた若い女性が親切に手伝ってくれて、遊んだ後、一緒に寝た事があったそうだ。


 沙菜は、その事を思い出して、うずくまっている女性に


 「この後、どうするのかはお任せしますけど、それだけは分かって欲しいとのことです」


 そう声をかけると、彼女は黙って頷いて、帰って行った。

 沙菜は彼女を見送ると、工場へと行き、解体待ちのカリブの前に立って目を伏せ


 「分かってもらえたのかな?」


 と言って再びカリブを見た。

 もう、すっかり生気を失っていたカリブが、その一瞬だけ生気を取り戻したように見えたのは、その後の展開を読んでいた、カリブからのメッセージだったのかもしれないと、沙菜には思えた。

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