第17話 ジャケットとターニングポイント

 ある日、家に帰ると、いつもなら作業着姿の祖父が、ジャケットを着てリビングに居たため、沙菜は驚いた。

 祖父はそう滅多にジャケットなど着ないからだ。

 今まで着ていたのなんて、沙菜の入学式や卒業式くらいなもので、親戚の集まりにすら着て行かないだ。

 すると、沙菜に聞かれる前に先制攻撃でもしようと思ったのか、祖父は言った。


 「これか? 地域の経営者会の会合があってな」


 あぁ、そう言われてみれば、この辺は工業や商業で栄えた地区なので、そんなものが幅を利かせてたな……と思い出した。

 ぶっちゃけ、沙菜は自分の祖父など、経営者ってタマか? と思っているほどなので、正直、この会合に対しても懐疑的な目で見ている。


 すると、その軽蔑の眼差しを感じたのか、祖父は沙菜に言った。


 「あぁ、沙菜。それで、明日1台車葬が入ってくるから、ちょっと頼まれてくれよ」


 なんか、そう言えば無条件にやらなければならないみたいなノリに持っていかれた事は腹立たしかったが、お金は欲しいところだ。今回に限り黙って受けてやろうと思った。


 翌日帰って工場に入ると、そこには薄いベージュの、妙な形の車が入っていた。後ろから見ると何の車は分からない程、無個性なランプデザインと、無理矢理感のある後ろのキャビンだ。

 しかし、沙菜は見るなりニヤッとして


 「アルトハッスルかぁ、へぇー、見るのは初めてなんだよねぇ。じゃぁ、はじめるよ」


 と言って、ボンネットに優しく手を置いた。


 スズキ・アルトハッスル。

 低迷しきっていた軽自動車市場に、セカンドカー需要という新たな価値観に目をつけて、中古車をターゲットにした、ビックリ価格で登場し、大成功を収めたアルトも'88年に登場した3代目では、変化の波に翻弄されていた。

 セカンドカー需要向けの安いだけの軽の需要は、ひと段落がつき、今度は商品力の向上による若年層の取り込みが必要となったのだ。


 それに応えて、高性能のワークス、女子向けに運転席をスライドドア化、運転席のシートが回転して乗降をサポートしたスライドスリム、同じく女子向けにカラーコディネートされたボディや、専用シート地、専用ファッションキーなどでお洒落に仕上げたL'EPO(エポ)、イエローバルブライトや、フォグランプ、バケットシートなどでスポーティさを演出したBEAM(ビーム)など、数々の魅力的な商品バリエーション展開で、様々な層の関心を引いていた。


 それと同時に、'89年には、税制の改定によってメリットが消滅したとして、アルトは軽商用のみのラインナップから、アルトの母体であり、乗用専用車だったフロンテに代わってアルトセダンシリーズを加え、名実ともにスズキの軽自動車のメイン商材に躍り出て、翌'90年には軽自動車の規格改定があり、ボディサイズアップと、550ccから660ccへと排気量が拡大されるなど、大きな変革期に重なったものの、好評を維持していた。


 その変革期の最中である1990年の規格改定時に、三菱が発売した1台の車が、その後の軽自動車の世界観を大きく変える事となった。

 その名はミニカトッポ。乗用セダンと商用バンのミニカの、ボンネットより後ろを専用設計の背高キャビンにした、現在のハイトワゴンの先駆けともいえるこの車がヒットしたことで、各メーカーは、大いに慌てる事となった。


 実は、スズキにも、このミニカトッポとほぼ同時期に、同じようなコンセプトのアルトの派生車種の企画があり、それは実際にモーターショーにも出展されて発売寸前であったが、先の規格改定等のゴタゴタで発売が遅れていたのだ。

 その企画が形になって、'91年に登場したのが、アルトハッスルである。


 アルトハッスルと、ミニカトッポの最大の違いは、そのデザインのコンセプトで、トッポがボンネットから後ろを完全に専用設計にして、屋根をドーンと上げたのに対し、ハッスルは、前の柱周りまでを通常のアルトと共通にして、あくまで荷室の背が高くなる、ヨーロッパのフルゴネットの軽自動車版といったところに落ち着いていた点である。

 当時の代表的なフルゴネットであるルノー・エクスプレスと比べると、ハッスルのデザインはエクスプレスの縮小版に近いもので、ベース車に継ぎ足したかのようなハイルーフと、後席上でそのハイルーフから突き抜けるように後部キャビンが張り出しているスタイルはと言っていいものだった。

 ラインナップは、乗用2グレードに商用2グレード、それぞれの上級版に4WDも用意されているというものだった。


 大好評のミニカトッポに続く軽ハイトコンセプトのワゴンとなったハッスルだったが、その売り上げはさっぱり伸びず、何故似たような車なのに、ここまで差が出るのか……という程のものだった。

 トッポが、一般家庭から、花屋やクリーニング店でまで人気になったのに対し、ハッスルはほとんど売れずに、'93年に登場した新車種、ワゴンRに後を譲って消滅した。


 次にオーナーの情報が流れ込んでくる。

 新車ワンオーナーで、新車当時30代前半の男性、奥さんは5歳ほど下に見える。貯金が貯まり、脱サラして念願のクリーニング店をオープンする事になり、その配達などに購入。


 最初は、お店のオープンにお金を使い果たしていたため、自家用もハッスルでこなしていて、配達の他に買い物や、ドライブ、北海道への旅行にもハッスルで出かけて行った。

 やがて、お店が軌道に乗り、子供が産まれた事から、自家用車にレガシィを買い、自家用車としてのハッスルはお役御免となり、以後はお店の看板車として生きていくことになる。


 その頃、お店の方でも動きがあった。

 駅近くにスーパーができて、そこの中に支店をオープンさせることになったのだ。

 今のお店は、住宅地に近く、駅近のスーパーができると、そこにお客を取られてしまうという懸念があっての、先手必勝だった。

 この戦略は成功し、スーパーの中の支店は、新たな顧客を沢山獲得して、本店を上回る売り上げを安定して叩き出すようになる。

 

 そこから10年ほどは、安定していた。

 その間に、本店でも支店でも配達が増えたために、配達車が必要となって大きめのバンを購入して、ハッスルはお役御免となり、本店の片隅で物置としての余生を過ごすことになる。


 そして、10年が過ぎた時、ターニングポイントがやって来た。

 国道沿いに大型のショッピングモールが建設されたのだ。

 主人は、駅前スーパーの店舗を畳んで、そちらに出店するか否かで選択を迫られたが、駅前という立地が揺らぐ事は無いと踏んで、現状維持を選択する。


 すると、スーパーの支店の売り上げが大幅に落ち込んでしまう。

 物珍しいうちだけで、やがて客は戻って来ると睨んでいたが、1年を過ぎても状況は変わらなかった。

 スーパー自体の売り上げは上がっていたが、それは食品に限られていて、日用品や文具、衣類のフロアなどはズタボロで、次々と閉鎖され、食品特化型の店舗へとスーパーが改装すると、客層は変わって、支店の売り上げはさらに下がってしまう。


 支店の閉店を検討したが、当時のスーパーの店長から懇願されて、破格の条件を提示されて残留していたのだ。

 その店長も人事異動でいなくなり、新たな店長は前店長のやり方を踏襲しなかったため、賃料の値上げなどがされて支店は撤退する事となった。

  

 それからも10数年、本店だけで営業していたが、遂に今年、本店も閉店する事になった。

 息子は、支店が上手く回っていた頃は、後を継ぐと言っていたが、この状況では、そんな気は無くなり、東京で就職してしまって、後を継ぐ者もいないため、廃業と相成り、その商売道具の処分を進める中で、庭の隅にあったハッスルも処分し、ここにやって来た経緯だ。


 沙菜は次に車からの思念を読み取っていく。

 このハッスルは、商売人としての主人の歴史を凝縮した生き証人となっているため、非常に想いが強かった。

 それを丁寧に聞き取っていくと、ボンネットに手をついて


 「ご苦労さま、良き旅を……」


 というと車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 翌日、事務所には50代後半の女性がやって来た。

 ハッスルのオーナーの奥さんだ。

 オーナーであるご主人は、廃業して、仕事をやめたことが尾を引いているようで、最近はあまり出歩かなくなっているそうだ。

 奥さんの話によると、本店も、周辺がすっかり高齢化してしまったために、以前のような商売は望めなくなってしまって、最後は自然消滅のような形で廃業したそうだ。


 ご主人は最後までショッピングモールに出店するべきだったと悔やんでいたそうだ。そうなれば、息子に継がせることも出来たのに……と思っているそうだ。


 沙菜は、そう話す奥さんに、ハッスルから託されたものを渡した。

 それは、1枚の写真と、1枚のチラシだった。

 オープンの日に、お店の前でハッスルの横に並ぶ若き日の2人の写真と、オープン時に配ったチラシ兼挨拶状だった。

 そこには『若い2人が、地域の皆さんと共に歩んでいきたいと思います』と書かれていた。


 「これ……」

 「ハッスルの運転席の頭上にあるボックスの中から出てきました。あの車からのメッセージです」


 奥さんに沙菜が答えると、奥さんは大きく頷くと


 「そうだよね……もう充分、地域に貢献できたよね。私達の役目は終わったんだよね……」


 と言って、写真とチラシを愛おしそうに抱いて言った。


 彼女を見送った沙菜は、物陰から祖父の気配を感じ取った。

 分かっている。どうせ今回の車葬を通じて、跡を継いでもらえなかった悲哀を味わわさせて、沙菜に工場を継いでもらう気になって貰おうという魂胆なのだ。

 なので、沙菜はわざと聞こえるように


 「奥さんも、ご主人もお店畳んで良かったって、きっと思ってくれるよね!」


 と言ってやった。

 沙菜は、悔しがる祖父の姿をチラッと確認すると、家の中へと戻って行った。

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