第16話 喝采と約束

 沙菜が家に戻って来ると、リビングで祖父母が揉めていた。


 「約束などしとらん!」


 祖父が吠えているが、どうせ忘れているんだ。

 いつもの事なのだ。そして後で祖母に時系列で詰められていって、ボロを出し、今度は攻守交替で攻め立てられるのだ。

 正直、夫婦の力関係はとうの昔に決まっているはずなのだ。

 つまらない意地など張らずに、さっさと負けを認めて謝ってしまえばいいのだが、祖父はそれをしないので、あとで見ていて惨めな状況に追い込まれるのだ。


 「沙菜ちゃん。今、工場に車葬の車が入って来てるから、ちょっとお願いして良い?」


 祖母が妙にニコニコしながら頼んできた。

 あぁ、分かった。これから修羅場が始まるんだな。

 沙菜は、素早く工場へと移動した。


 「うわっ……」


 そこには沙菜が思わず顔をしかめるような車が佇んでいた。

 ベタベタに下げられた車高に、メッキのホイール、意味もなく寝かされたキャンバーに、自己主張する砲弾マフラー。

 グレーのセダンにする改造には似つかわしくない目立ち目的の無意味な改造が施され、ゴテゴテになった車を見た沙菜は


 「アプローズかぁ、可哀想に。それじゃぁ、はじめるよ」


 と言うと、ボンネットに手をついた。


 ダイハツ・アプローズ。

 シャレードのヒットで、登録車に関しても明るい展望が見えてきたダイハツだが、それ以上のクラスは、業務提携先であるトヨタの主力車種とバッティングする事から開発許可が出ず、いつも型が落ちたカローラをベースにボディを変更したシャルマンを作るのが精一杯だった。


 しかし、空前のバブル景気で、国内では車の販売台数が鰻登りになっていた事から、遂に許可が出て1989年に久方ぶりのダイハツが開発、販売するミドルクラスセダンが登場した。

 

 『喝采』の名を持つその車は、当時のダイハツの乗用セダンとしては最大の1600ccで、同年にシャレードに追加された4ドアセダン、シャレード・ソシアルが1300ccとなっており、しっかりポジショニング分けをしていた。

 

 スッキリとまとまったその欧州調の外観、そして、このクラスにおいて日本国内では中途半端な立ち位置となってしまう1600ccという排気量のデメリットを払拭するため、ダイハツは趣向を凝らした機構をいくつも投入する。


 トヨタからの供給を受けずに新開発した骨格にアルミを使った凝ったエンジンと、一新したシャーシ等に加え、一般的な4ドアセダンの外観を持ちながら、トランクリッドが、リアガラス一体で開く、まるでハッチバック車のような『スーパーリッド』と呼ばれる特殊なトランクなど、トピックの多い車だった。


 当時日本では、5ドアの車は国内では売れなかったが、欧州輸出を考えると、ハッチバックでないと難しく、2種類のボディを揃えるほどの余裕はなかったという当時の事情が見えてくる機構だった。


 ダイハツが久しぶりに開発したミドルセダンは、バブルでより大きな車が売れる時代の中で、地味ながらしっかりとした販売実績を残し、これからの展開が期待される車となった。


 しかし、とんでもないところから、その足元をすくわれてしまう事となる。

 まったくの新開発の登録車という事で、気合が入り過ぎたのか、初年度にリコール事案が多発、そのうちの1つが燃料タンクの圧力調整の空気抜きに関するものだったため、逆流したガソリンが噴出し、ガソリンスタンドで従業員が火傷を負う事故が発生、更に車両火災が1件起こってしまったのだ。

 しかも、リコールと事故の情報を掴んだとある新聞社が『喝采ではなく火災』と大きく報じた事から、欠陥車の烙印を押され、発売直後の大事な時期にイメージが暴落し、車の売り上げも急落してしまう。


 翌年にはイメージの刷新から、ネーミングをアプローズθ(シータ)へと変更し、有名女優を使ったCMを展開するなどしたが、次々と新型車が登場する中に埋没してしまう。

 更に1年9ヶ月後にはθが外れて、再びアプローズへと回帰。

 その後も4WDや一部グレード、5速MTモデルが廃止されて、ラインナップが狭まる改良が続けられ、1997年には、外観を大きく変えるビッグ・マイナーチェンジを実施。

 欧州調のスッキリした若々しいデザインから、クラウンやセドリックを小さくしたかのような、メッキギラギラのグリルや真っ赤なブレーキランプの外観、内装も機能的な形状からウッド調パネルをあしらい、押し出し重視の使い辛い形状に変更。

 前身のシャルマンがカローラのシャーシに押し出し感の強いボディと、ケバケバしい内装を組み合わせていた、まさにそのままの姿をアプローズも再現してみせたのだ。

 その後のアプローズは動きの無いまま、2000年に生産中止され消滅、後継車は、トヨタカムリのOEM供給車であるアルティスとなり、結局、アプローズの11年間を経て、再びダイハツの最上級車種はトヨタ車のお下がりへと回帰してしまう。


 次にここまでの情報が映像となって浮かんでくる。

 3人のオーナーだが、珍しく最後のオーナーの情報は最初から除外されていく。車側からの思念が弱く、情報がモノクロにしか見えてこないのだ。


 「おっかしぃなぁ……普通は、最後の人に対する思念ってそれなりにあるんだけど……」


 沙菜はそのモノクロ画像を見て分かった。

 最後のオーナーは、2人目のオーナーの後輩で、単に古くて珍しい車だからと、言いくるめて譲ってもらい、店に持ち込んで改造だけ施して貰うと、ただ乗りっ放しにして、最後は左後席のパワーウインドーの調子が悪くなったという理由で何もせずに廃車したのだった。


 「典型的な、ファッション系のダメオーナーだね」

 

 最近、こういうのが多いのだ。

 古くて珍しい車を、当時の時代考証も考えずに、適当に目立つように改造して乗り回し、ちょっとでも調子が悪くなったり、整備の必要が出てくると、あっさりと手放す。しかも、改造する前の純正部品を捨てていたりして、元に戻せなくなっていてたちが悪いのだ。

 自分が最期を看取る気が無ければ、適当な改造などしなければいいのだ。それ以前にそういう人間は、新車でも買っていればいいのだ。


 沙菜は、ひとしきり文句を言うと、前の2人に絞って読み取っていく。

 最初のオーナーは、当時40代後半の男性。

 絵に描いたようなサラリーマン家庭で、奥さんと、20代の娘、大学生の息子で、前車はホンダシビック。


 趣味の釣りに行くのに室内に竿が入り、軽に見られるので、ハッチバックでないものという条件で探したところ、CMで天体望遠鏡を積んでいるアプローズに決めたようだ。

 普段は電車通勤のため、休日の買い物や、釣り、夫婦での旅行にとアプローズは活躍した。


 本来なら8~10年で乗り換えるのだが、車検が11年超でも毎年になるデメリットが廃止され、また、他に欲しい車もなく、アプローズ自体が下取りゼロのため、乗り潰しを決意する。

 やがて、2人の子供も家庭を持ち、代わる代わる孫がやって来ると、アプローズに乗せて、海や川、山へと出かけて行くようになる。特に、最大の特徴となったスーパーリッドは、孫たちにも好評だった。


 そして、それから10年ほどして、突然、動きがあった。

 ある夏の日、娘の所の上の男の子に頼まれて、アプローズを譲ることにしたのだ。子供の頃に見た、スーパーリッドに憧れて、どうしても欲しいというので、急遽釣り仲間から好評のエクストレイルに乗り換えて、アプローズは彼の孫へと引き渡される。


 それから、アプローズは孫の元で過ごした。

 孫は大学生で、通学や遊び、ゼミやサークルの合宿などに、ほぼ毎日活躍したが、卒業して就職すると、電車通勤のため、アプローズは静かな日々を過ごす。

 数年して事態は動く。


 孫も結婚したのだ。

 そして、孫に子供ができると、潮目は変わっていく。

 孫の妻が、子供の送り迎えなどで車を使いたいと言ったのだが、MTが運転できないので、アプローズに乗れないというのだ。


 悩んだ末に、たまたま大学のサークルのOBの飲み会に行った際に、後輩にアプローズを譲ってしまって、今に至る流れが分かった。


 そして、沙菜は、車からの声に耳を傾ける。

 この車からは、長い時間を過ごした2人のオーナーに、特に産まれた時から見守って来た孫オーナーに対して、伝えたい思いがあったのだ。

 沙菜は、その想いを余すことなく受け取ると、光に導かれるようにある物を見つけ出すと、アプローズの正面に回ってボンネットに手をつくと


 「良き旅を……」


 と言って車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 2日後、事務所に現れたのは2人目のオーナーだった。


 「まさか、こんな事になっていたなんて……」


 彼はがっかりした様子で、アプローズの現在の姿を見ながら言った。

 実は、今回の依頼は、廃車引取りをしたスタンドから祖父にきたものだったので、元のオーナーである彼は、今回、アプローズが廃車になっていた事も、祖父から連絡を受けて初めて知って今日、飛んできたのだ。


 「この姿にしてすぐに手放したみたいですよ。『思ったよりも面倒な車だ』っていう思いは伝わってきましたから」


 苦々しい表情を浮かべる彼に、沙菜はある物を渡した。


 「これは?」

 「あのアプローズのドアポケットの中に入っていました。そのお守りは、あなたが産まれる時に、お祖父さんが買ってあなたのお母さんに渡すつもりのものだったそうです」


 彼の祖父は、初孫の誕生を心待ちにしていたが、経過が順調でなく、安産になるかがとても不安視されていたそうだ。

 なので、安産祈願で有名な神社まで出かけてお守りを買い、娘に渡そうと思ったが、急に娘が病院に担ぎ込まれた事から、すっかり忘れてしまっていたのだ。


 「今回、あなたにもお子さんが産まれると聞いて、このことを思い出して、是非渡して欲しいと言われました」


 沙菜は伝えると、彼は訊いてきた。


 「あのアプローズを、引き取ることは可能ですか?」

 「それは出来ますけど、ノーマル部品が捨てられてるので、元通りにするのは難しいですよ」


 沙菜の車葬で見た姿と、今の姿では、ホイールとサスペンション、マフラー、ステアリングが変更されているのだ。

 特にこのマフラーは、この車種用なのかも怪しい物で、明らかに車検に適合しないのだ。

 中古部品で仕上げるにも、アプローズの解体車など滅多に出回らないので、探すことが困難なのだ。

 しかし、彼はまっすぐ前を見ると


 「大丈夫です。いくら時間がかかっても直します。祖父に大事にするって約束したのに、その約束破ったから、今度こそは……」


 と言った。

 沙菜は、それを聞いて、修理に関しては祖父に引き継いで、家へと戻った。


 その夜、風呂上りにテレビを見ながらリビングのソファで髪を乾かしていた沙菜は、ぽつりと呟いた。


 「祖父ちゃんとの約束ねぇ……」

 「沙菜、爺ちゃんとの約束を思い出したのか? お前、よく言ってただろ『爺ちゃんのお嫁さんになる』ってな」


 突如、割り込んで来てくだらない事を言った祖父に沙菜は怒鳴った。


 「そんな昔の話、無効に決まってるでしょ! マジキモい!」


 しかし、アプローズに込められた約束は、きっと果たされる事になるのだろうと思う。そして、もしかすると、そのバトンは新たな世代に引き継がれる事になるのかもしれない。

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