第15話 母親と自分の道
沙菜が家に帰ると、誰もいないリビングで電話が鳴り響いていた。
さすがにシカトするわけにもいかずに、電話に出ると、こちらの声を聞いた相手が言った。
「沙菜? 沙菜でしょ?」
沙菜にも聞き覚えがある。母親だ。
もうかれこれ、5~6年は会っていない。確か、前回会ったのは中学に入学した直後くらいだったハズだ。
「なに? 爺ちゃんなら居ないよ。お金の話しても無駄だと思うよ」
沙菜はフラットに言って突き放した。
「違うの、あなたに話があるのよ」
「なんの?」
「もう3年生でしょ? 来年どうするの?」
「大学受けるよ」
「そうなの? どこの大学?」
そう言ったところで、沙菜は背後から強烈な気配を感じると共に、その相手に受話器を奪い取られた。
その相手は祖父だった。
祖父は、鋭い目つきのままニッコリすると
「沙菜、そんな奴と話す必要はないぞ。それより、小遣いが欲しくないか? 今、簡単な車葬があるんだが、爺ちゃんの代わりにやって来てくれ」
と言って、沙菜をリビングから追い出した。
沙菜は、少しその場で様子を窺っていたが、ドアの向こうから祖父がえらい剣幕で
「真奈美! いい加減にしろ!! 沙菜に近寄るなとあれほど言ったハズだ!」
と怒鳴っているのが聞こえてきたので、その場から足早に工場へと向かった。
ちなみに、沙菜が両親と接触する事を、祖父母は物凄く嫌っている。なので、沙菜の携帯の番号は絶対に教えてはいけないと言われているし、家に電話があるだけで、物凄くピリピリした空気になるのだ。
工場に入ると、グリーンとシルバーのツートンカラーのクロスカントリーが佇んでいた。遠目には綺麗だが、近寄ると明らかに下回りがサビているのが分かる。
「疲れてるねぇ……パジェロイオかぁ、はじめるよ」
というとボンネットに優しく手を触れた。
三菱・パジェロio(イオ)。
1990年代の三菱は、RVブームに沸き、RVブームに乗った10年と言えるものだった。
その中心となったのは、クロスカントリーの雄ともいえるパジェロで、それまでも人気だったが、このブームで一気に火がつき、一般のユーザーにも知られるメジャーな存在へと一気に登り詰めたのだった。
その1990年代のブームで最も三菱が巧みだったのは、'95年に登場したパジェロミニで、パジェロのイメージを強く残した軽クロカンに『パジェロに、子供が生まれた』というCMコピーでヒットし、このパジェロミニのヒットによって三菱には、パジェロをイメージリーダーとして、そのイメージを色濃く残した商品群を作れば、市場は反応するという事が分かって、以後の商品開発が加速していく。
パジェロミニに続いたコンパクトクロカンのパジェロジュニアこそ、日本では中途半端な1100ccの排気量や、3ドアしかない実用性の問題から不振を極めたが、この点を改めればもっと売れるという事を学んだ三菱は次の一手に出た。
1998年6月に登場した新たなシリーズは、実質パジェロジュニアの後継となるもので、3ドアのクロスカントリーだったが、そのスタイルが洗練されていて、パジェロジュニアにあったどうも今一つ垢抜けない感じはすっかり影を潜めて、都会の景色でも浮くことなく、スーツやフォーマルウェアで乗っても奇異に映らない魅力的な車に生まれ変わった。
この4年前にトヨタが発売したRAV4は、このジャンルに大きな影響を及ぼしたが、パジェロイオは、さらに洗練さでは上を行く、RVの三菱の本気を見たような出来栄えだった。
排気量は、ジュニアの1100ccから1800ccに拡大。
三菱が積極採用していた直噴のGDIエンジンは、当時環境問題の最右翼と言われるほどのエンジンであり、環境に配慮するこの車には積極的に採用された。
そして、発売されると三菱の目論見通りに、好調な販売実績を残したため、次の一手として8月には5ドアモデルが登場。
ジュニアを最も苦戦させていた理由であり、イオの中心的役割を任される隠し玉を投入してのラインナップ強化は成功し、更なる販売台数のアップに成功したのだった。
パジェロでは大きく重すぎるけど、ミニやジュニアでは物足りない層に見事にはまり込んでヒットを続けたイオは、マイナーチェンジで2000ccにアップ、そしてその後は1800ccターボの追加など、ニーズに合わせた追加や変更を行い、その後もヒットを続けてきたが、その直後に大きな落とし穴へと落ちてしまう。
国内で、一部の三菱車のリコール隠しが発覚。
連日ネガティブキャンペーンが張られて、三菱車の売り上げが激減してしまう。
好調だったパジェロイオとて例外ではなく、売り上げ減が深刻化してしまう。
その後、3ドアや2WDモデルを廃止してラインナップをスリム化し、廉価な1800ccモデルを復活させるなど、需要の喚起を図るものの、RAV4やCR-Vのモデルチェンジ、日産エクストレイルなどのライバル車が次々にリフレッシュを図る中で存在感が薄くなり、2007年に消滅している。
ちなみに、リコール隠しが影響の無かった海外では、パジェロイオは非常に好調で、2014年まで生産されていた。
次に、持ち主の情報も流れてくる。
新車登録後、すぐに中古車販売店に展示され、購入したのは当時20代前半の男性。
就職後地方への辞令が出、働き始めて半年が経過し、生活が落ち着き、実用的な車にしたいというのと、冬場に雪が降るため……と、お気に入りだったユーノス・ロードスターからの乗り換え。
生まれて初めて過ごす、雪深い地方での数々の冬場の試練も乗り越えて、彼はパジェロイオと、3回目の春を迎えた時に、辞令が出て、慣れ親しんだ雪深い地方を後にして、関東へと引越しをする。
日常の買い物すらも、車でないと成り立たない地方と違い、ほとんどを駐車場で過ごす日々ではあるが、週末のまとめ買いや、そして、向こうへと残してきた彼女に会いに2週に1回は遠距離ドライブをこなしていった。
それから1年後、彼は遠距離ドライブをしなくなった。
彼女とは上手くいかなかったのだ。
また1人になった彼との生活が始まり、新たな住処にパジェロイオも慣れてきた数ヶ月後、また辞令が出た。
今度は中部地方の大都市。
彼にとっても目まぐるしかったが、パジェロイオにとっても、大変だった。
なにせ、この地方では、皆の運転が荒く、今まで慣れ親しんできた穏やかな交通の流れではなかったので、何度も怖い思いをしたのだった。
しかし、パジェロイオにとっては、生まれ故郷の工場にも近く、とても懐かしい感じのする地方だった。
そこでは、彼に新たな出会いがあって、10ヶ月後に家族が増える。彼が、結婚したのだ。
そして、それとほぼ時を同じくして、また彼に辞令が出る。
新居を探す間もなく移り住んだのは、北陸地方の都市。
久しぶりの雪と、初めての路面電車に戸惑いながら、増えた家族と共に、あちこち出かける機会が増え、彼も人生の絶頂期か……と思われていたが、パジェロイオには分かっていた。
彼が見る見る元気がなくなっていく姿に……。
いつも乾いた笑いを浮かべて、彼女には隠していても、ハンドルを通じて感じ取れる彼の脈動は、明らかにいつものそれと違っている事は、ここまでの付き合いで、充分に理解できていた。
そして、2ヶ月後、その時は来た。
彼が、会社を辞めてしまったのだ。
元々、仕事での悩みはあったようだが、遂に爆発してしまったようだ。
彼の会社が、外資に買われ、社内が混乱しきっていた事も、彼を突き動かした要因だった。
背中を押したのは、妻だった。
関東へと戻って来た彼と妻だが、当時の景気は悪く、再出発は容易ではなかった。
ようやく就職できた先も、ブラック企業だったり、そこから抜け出すと非正規雇用という繰り返しだった。
一定の時期が来るとハローワークへと通い、また一定の期間働く……そんな繰り返しで、気が付くと10年が過ぎていた。
その期間も、愚痴ひとつ言わずに働いて支え続けてくれたのが妻だった。
そして、前回の職場での契約期間が終わり、再び職を探そうと思った時に、彼は思い出したのだ。
ずっとやってみたいと思いながら、サラリーマンの安定を選んで閉ざしていた道があった事に。
その事を、妻に思い切って話してみた。
さすがに、そんな夢みたいなことを、この非常事態に口にしたなら、いくら優しい妻でも、怒って引っ叩かれるかもしれない、そんな覚悟で話した。
すると、彼女はニコッとして
「ようやく、自分の道を見つけたんだね」
と言うと、また、彼の背中を押してくれた。
それから数年修行を続けて、ようやく独り立ちができ、お客もついてこの仕事で食べていけるという目処がついた。
そして、今回の記念と、走行距離が30万キロに到達した事から、再びロードスターに乗りたくなって購入し、長年連れ添ってきたパジェロイオともお別れとなって、ここにやって来た経緯が浮かんできた。
沙菜は、車から流れてくるメッセージに耳を傾け、車が欲する場所へと手を伸ばす。
今回のパジェロイオは、雪国での使用期間が結構あるお陰で、塩カルによる下回りやボディのサビが酷く、また、30万キロ走行のためにメカ関連でも再生パーツが少なく、残る部品はごくごく僅かになる。
だから、しっかり声を聴き、根こそぎ引き渡してあげたい。沙菜は、1度聞いた後も、2度3度と繰り返し、車の声を聴き取っていた。
◇◆◇◆◇
3日後、沙菜はパジェロイオのオーナー夫婦と対面した。
40代中盤の夫と、30代後半の妻は、共にやせ形だった。
きっとようやく彼が安定したからだろう。沙菜がイオから受け取った映像の彼は、ある時期から結構太っていて、そのイメージが強いために、沙菜は別人かと思ってしまったほどだった。
「車で残ったのは、バンパー類、ランプ類と、内装の一部のみです」
沙菜の言葉に、2人は言葉を詰まらせた。
きっと分かってはいても、改めて言われると胸が締めつけられる思いなのだろう。
沙菜は、その2人の前にある物を出した。
それを見た2人の表情がぱぁっと明るくなったのが沙菜にも分かった。
この2人が出会った当初は、2人共時間があまり取れなかった事と、彼にはあまりお金に余裕もない事もあって、よくゲームセンターでデートしていたそうだ。
そんな中、ある時、彼女にせがまれていて、彼が取れずにいたアミューズメントのぬいぐるみがあったそうだ。
彼は、休日に車に乗って、あちこちのゲームセンターでトライした結果、遂にゲットする事に成功したのだが、それを車内で紛失してしまい、結局渡せず仕舞いでいた物らしい。
明るい表情を見せた2人だが、直後に夫が
「でも、もうあのイオは、もういないんですよね……」
と言って、すぐさま沈んだ表情に戻ったため、沙菜はテーブルの下に隠していた2つの物を取り出した。
それは、あのパジェロイオのハンドルと、サイドアンダーミラーだった。
あの車から聴いた声の中に、彼の事だから、寂しがって沈み込むだろうから、それを渡して欲しいというものがあった。
数多くの車の車葬をやっているが、自分の部品を外して、オーナーに渡してくれという車は初めてだったので、正直驚いたが、この2人を見ていて分かった。
あのパジェロイオは、彼の母親代わりだったのだ。
だから、彼の事を知り尽くしているし、自分がいなくなった後も、どうすれば良いのかまで分かっていたのだろう。
母親であるパジェロイオは、最後の最後まで、手のかかる息子の事を見守っていたのだ。そして、これからもきっと、彼は大丈夫だろう。何故なら母親を感じていられるのだから。
「これ、家と工房にそれぞれ飾っておきます!」
やっぱりだ。
母親は、きっと姿は無くなっても喜んでいるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます