第14話 覚めない夢と大人と

 いつまでも大人にならない魅力。物語の中によく出てくる現象である。

 しかし、実際にはあり得ないから、輝くのだ。

 もし、そんな人間だらけになったら、微笑ましくなどないだろう。


 「ええーー、里奈、マジなの?」


 昼休みの教室で、沙菜のグループはある話題で紛糾していた。

 友人の里奈が、遊び人と噂の他校の男子と付き合っているという事を、本人がカミングアウトしたからだ。


 「マジでやめときなって、亜里沙が去年付き合っててさ、いつもお金、たかられるから、嫌になって別れたって話だから」

 「それに、アイツって、平気で二股でも三股でもかけるらしいからさ、泣かされるよ」 


 燈華とうかとあさみは、必死になって止めている。

 人脈の広いこの2人は、あちこちで、彼の悪い噂を聞きつけていて、友達である里奈が泣かされることが予想できているので、止めているようだ。


 しかし、当の里奈は、燈華たちの話も意に介さずに


 「羨ましいからって、僻まないでよ。彼さ~、サーファーで、バンドもやってて、バイクにも凝ってるらしいんだよ~。やっぱ男子は、打ち込める夢がなくっちゃイケてないよね~」


 どうも里奈曰く、その趣味の多さから、彼はバイトをしてても、時たまお金が足りなくなって、里奈も彼に投資しているのだという。


 沙菜は敢えて、どちらサイドにもつかずに、中立を守り、沈黙を貫いていた。

 ただ、そんなにいくつも、お金のかかる趣味にばかり没頭していて、将来的にどうなるんだろう、という考えが頭をよぎったが、直後にあさみが、沙菜と同じことを里奈にぶつけていたが


 「何言っちゃってるの、あさみ。大人になってまで、いくつも手ぇ出すわけないじゃん! 大人になればそれなりになるか、どれかで生計立ててるか、でしょ」


 と言い切っていた。

 正直、この手の夢を語って人生を持ち崩した人間を、沙菜はごく身近で見ていたので、里奈の意見には何となく賛同できないまま、特に口を挟まずに家に戻った。


 すると、祖父が頭を掻きながら、工場から家に入って来て、沙菜の姿を見るなり


 「沙菜、悪いんだけど、今回の車葬を引き受けてくれないか? 俺にはこういうのは無理だ」


 と言ってきた。

 沙菜は、さっきの話を思い出しながら思った。

 里奈、悪いけど、そんな1つに絞り切れない人に投資するより、私は地道に稼ぐよ。


 工場に入ると、えんじ色のちょっと大きめの車が沙菜を待っていた。

 このところ、小さな車が続いていたので、この大きさは、ちょっと新鮮だった。


 「エレメントかぁ……珍しいね。じゃぁ、はじめるよ」


 と、ボンネットに手をおきながら言った。

 

 ホンダ・エレメント。

 アメリカ向けの企画であり、遊びのツールとしてCR-Vのシャーシをベースに作られた5ドアの多目的車。

 サイズも、10フィートのサーフボードが載せられることを条件に全長を決めた。と言うほど、徹底徹尾レジャーに使う事に割り切った作りとなっていたのが特徴である。


 特徴は、左右ともセンターピラーレスで観音開きとなる前後ドアで、これによる開放感と、後席へのアクセスのしやすさが、それまでのこの手の車にあった、完全な3ドアとも、完全な5ドアとも違った、デザインと実用性、更には目新しさまで兼ね備えた新たなレジャービークルを狙ったのだ。

 他には、外観には敢えて素材色の樹脂を剥き出しにして、見た目のコントラストと、適度なゴツさを演出した点、またデザイン自体も敢えてゴツくて垢抜けない感じに仕上げた点や、室内が防水の素材で出来ていて、濡れたままでも気軽く乗り込めるようにしたところも、まさに遊びのためのツールという出自をしっかりと体現したものだった。


 アメリカでは、2002年に発売され、好評を博したため2011年まで生産されていた。

 また、ミニバンを中心としたRVが市民権を得た日本にも登場の翌年、2003年から輸入という形で販売が開始された。

 日本仕様は、4WDの4速AT仕様のみのラインナップで、アメリカと違い、2WD版や5速MT、5速AT仕様や、一部装備品が選べない状態ではあったが、ニーズを押さえた最小限の仕様だった。


 しかしながら、日本では当初から販売が伸び悩んだ。

 理由は、CR-Xの際も日米での乖離を生み出した、車の使い分け文化の有無で、アメリカでは、手軽に使える遊びグルマで、これの他に、もう1~2台車があって、近所の買い物や、フォーマルな場面で使い分けることが出来るのだが、日本でのこの車は、2400ccもあって、ボディサイズも大きく、とてもこの車ともう1~2台を持つことは、地方に暮らす人でないと難しかった。


 また、日本では、このボディサイズと排気量では、もう少し立派で高そうに見える事を望むユーザーが多かったのだが、外観に樹脂が露出し、防水内装もプラスチッキーで安っぽいというイメージが、日本人の一点豪華主義的な眼鏡には適わなかったのだ。

 2005年6月には一部改良が行われたが、その半年後に販売を終了してしまった。


 次にオーナーの情報が流れ込んでくる。

 新車ワンオーナーで、20代中盤の男性。身重の奥さんとの2人家族で、前車は60型のランドクルーザー。


 元々、スキーやサーフィンのようなアウトドアスポーツは一通り嗜んでいるが、突き詰めてという訳でなく、幅広くスポーツを楽しむアクティブ派の人のようだ。

 しかし、彼女の妊娠を期に結婚し、道楽は控えるように戒められ、車を買い替えた……というものだったが、彼はそこのところが諦めきれずに、奥さんを騙して、エレメントをミニバンだと言って購入し、納車当日にひと悶着してしまう……。


 やがて、男の子が産まれると、家庭は子供を中心に回るようになるのだが、彼は、子供を連れて行く……という口実を作っては、自分がスポーツを楽しみ始める。

 海水浴に連れて行くと言っては、サーフィンをして来て、スキーに行くと言えば、子供そっちのけで上級者コースにチャレンジしたりするのだった。


 やがて子供がもう1人産まれると、家庭はますます子供を中心として回っていくようになるのだが、彼の自分本位な姿勢は治る事は無く、家族との、特に妻との間に溝が生じてくる。

 更に、2人目の子供はインドア派な遊びを好み、彼の連れて行くような所へ行くことを嫌がるようになると、彼は下の子とは距離を取るようになってしまう。


 そして、上の子供が段々と年頃になって、あまり親と一緒に出掛ける事が無くなってくると、子供を口実に遊びに行けなくなってしまった彼のイライラが溜まってくるようになる。

 しかし、元々、彼の勝手な行動にイライラが溜まっていたのは家族の方であり、それは、彼のそれの比ではなかった。


 ある日、イライラの溜まった彼が不満を述べた事から、仲の良さそうに見えた一家は、それまでに見た事の無い程、壮絶な大喧嘩となってしまう。

 特に意外だったのは、今まで彼について遊びに行っていた上の子で、今まで海に連れていかれては、浜辺で待たされているだけで、未だにロクに泳げなかったり、スキー場でも、上級者コースの入口で寒い中、何時間も待たされたり……という、彼の自分本位な行動に対して積もりに積もった怒りがあって、特に激しく暴れた事だった。


 その大喧嘩の後、彼は家を飛び出したが、その自分勝手且つ、幼稚な行動に残された家族は唖然としてしまい、妻は離婚を決意、子供たちも迷うことなく妻について家を出て、泥沼の調停の後、離婚が成立、資産の整理の際に価値の無いエレメントはこちらへとやって来たという経緯だった。


 沙菜は、車からの思念を読み取る。

 今回は、ある程度分かってはいた事だが、車から出ている思念が普通とは全く違っていた。

 普通は、車から主に運転していた持ち主に対しての思いや、感謝などの伝えたいことが出てくるのだが、今回は、そちらに対する思念は全く無く、家族に対する強烈な感謝が伝わってきたのだった。


 そして、伝わってくる想いに沿って行った先にあるものを沙菜は受け取ると、ボンネットにそっと手を触れ


 「良き旅を……」


 と静かに吐くと、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 2日後、沙菜が事務所で対面したのは、小柄で活発そうな30代中盤の女性。

 エレメントのオーナーの元妻だった。


 「申し訳ないです。色々と迷惑かけまして……」


 憔悴しきった表情で言った彼女には、元夫への心の底からの軽蔑と、迷惑をかけられた事への呆れが見て取れた。

 夫名義となっている車の処理の問題もあって、色々と話したが、元夫は、その後、友人の所を転々と泊まり歩いてはサーフィンをしたり、スキーに行ったり、飲み歩いたり……という生活を送っており、共通の友人から連絡が来るそうだ。

 そして、黙っていると、いつまでも居つこうとするため、そのうちの数人から出禁を言い渡されているそうだ……。


 「父親になれば、変わると思ったんですけどね……」


 重々しく吐き捨てる彼女からは、期待をかけていた分、裏切られた事に対するガッカリした気持ち、そして、もう関わりたくないという気持ちが表れていた。


 そんな彼女の前に、沙菜は布袋を出した。


 「これは?」

 「あのエレメントから、あなた達、親子のために役立てて欲しいと強い思いと願いを受けています」


 開けてみると、ダイバーズウオッチや、サングラス、ナイフなどの、元夫が趣味で集めていた物の数々だった。

 このエレメントの物入れの至る所にそれらが残されており、そのうちの幾つかを、エレメントの声を受けて沙菜が集めた、エレメントのセレクトだったのだ。


 すると、彼女は表情を明るくした。

 どうやら、これらは限定や、レアものばかりで、しかも元夫の性格上、ただ買ってみただけという未使用状態のため、高く売れるものばかりだという。


 そして、彼女は戸惑いながら言った。


 「あの……あの車、なんですけど……」


 言いたい事は分かっている。

 車の心遣いを知って、離れたくなくなったが、元夫の思い出が残っている物は汚らわしくて触りたくないという思いだろう。

 なので、沙菜は提案した。


 「車内完全脱臭と、洗浄、ハンドルと運転席シートの交換なら、できますよ」


 すると、彼女の表情はぱぁっと明るくなって


 「是非、お願いします!」


 と言って、作業終了後に改めて取りに来ることになった。

 沙菜は思った。車には罪は無いのだ。

 そして、明日学校で里奈にきっぱりと言おう。やっぱりあの男と別れた方が良いと。

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