第13話 記録と記憶

 記録というものは、破られるために存在しているものである。

 しかし、破られたとしても、記録という記憶は、幾ばくかの人々の心に残るものである。


 「ウソだぁ……」


 沙菜は、スマホを見て言った。

 先月、燈華とうかに薦められて、何の気なしに始めたゲームのスコアの話だ。

 沙菜は、そもそもゲーム好きではない。


 両親と暮らしていた頃は、お金が無くて、ゲームなんて家に無かったし、祖父母と暮らすようになって、沙菜が何も言わずとも買って来てくれたのだが、祖父母相手では、まったく話にならずに、1人でやるのも面白くないので、あまりやったことが無いのだ。


 だから、関わらないようにしていたが、燈華に言われた以上、やらないという訳にもいかずに、取り敢えずやってみているだけなのだ。


 その結果が、先月の総合ランクで3位に入っているのだ。

 沙菜は、ゲームを学校で昼休み後の時間に、誰かしらグループの娘がやり始めるために、それに付き合ってちょろっとプレイするのと、家に帰って、夕飯後の空いた時間に少しだけやる程度なのだ。


 なのに、この記録は明らかにおかしいと思うのだ。

 こういうのは、寝る間も惜しんでスマホにかじりついているゲームジャンキーのプレイヤーがいるはずなので、そういう人達のログと間違っているに違いない。


 沙菜はそのモヤモヤを抱えながら家に帰ってくると、祖父がやって来て


 「さーちゃん。悪いんだけど、工場に入ってる車の車葬をやってくれるかな? 無論、バイト代は弾むから」


 さーちゃんとは、中学生くらいまで、家でそう呼ばれていた。

 今更、その呼び名で呼ばれるとちょっと背筋が寒くなる……祖父は何を企んでいるのだろう? と思って見ると、右手にゴルフクラブのパンフレットを持っている。

 恐らく、臨時収入があって、とても機嫌がよくなったのだ。


 まぁ、こういう場合は乗っておくに越した事は無い。


 工場に入ると、ちょっと暗めのワインレッドのクーペが置かれていた。


 「プレッソかぁ……面白いね。 じゃぁ、はじめるよ」


 と言うと、いつものようにボンネットに優しく手を置いた。


 ユーノス・プレッソ。

 この車の背景にはマツダが行った失敗の歴史が関わっている。

 バブル華やかりし1980年代後半、FFファミリアによってすっかり経営を立て直したマツダは、堅実ながらも欧州指向の車作りが評価を受け、安定した地位に落ち着いていた。


 そこで、この好景気時に、一挙に車種数を増やして販売台数を爆上げし、先行するトヨタ、日産に国内販売で肉薄、3位メーカーの地位を不動のものにしたいという野望があり、1989年から本格始動し始めた。


 元々、マツダにはマツダ店と、マツダオート店という2系列のディーラー網があったが、そのオート店をアンフィニ店と改称。

 更に、ユーノス店とオートザム店という2系列のディーラー網を新設、更にはフォードのオートラマ店を合わせて5系列のディーラー網を持ち、トヨタ、日産のディーラー系列数と肩を並べようというもので、そのディーラーに合わせた新型車が次々とリリースされていったのだった。


 ただし、これだけの系列に一挙にリリースできるだけの新型車を開発できる余裕はなく、一部専用車が出た以外は、主力車種のモデルチェンジに合わせて、各系列向けに兄弟車がリリースされるというケースが多かった。


 しかし、その売り上げは惨憺たるもので、僅か2年で失敗が露呈して軌道修正がされる程で、マツダは、再び倒産の危機に瀕するほど大失敗を喫する悪夢の政策となった。


 原因はバブルの崩壊に加え、個々の車の企画の甘さ、更にはこの時期、日産が5系列から4系列に縮小する政策を取っている事などから、販売チャンネルの拡大は時代に逆行していたのだ。


 そして本題のプレッソである。

 1991年に以前に存在していたスペシャルティカー、エチュードの後継車のスペシャルティクーペとして登場したのが、ユーノス・プレッソであった。

 また、同時に兄弟車として、オートザム・AZ-3という車種も産み落とされている。

 ユーノス店はスポーティ車中心、オートザム店は軽とコンパクト中心という性格付けに合わせてのラインナップだった。


 そのプレッソの最大の特徴は、その優れたデザインと共に、新開発で、世界最小1800ccのV6エンジンを搭載したことだった。ちなみに兄弟車のAZ-3は、1500ccの4気筒エンジンしかラインナップにない代わりに、約50万円安い価格設定だというところが、この2車の明確な住み分けだったのである。


 しかし、販売は伸び悩む。

 理由は価格が高いからだった。当時、スペシャルティカーでヒットしていた日産シルビアは、プレッソより一クラス上だったが、中心グレードの価格にプレッソの下のグレードが肉薄、更にはシルビアのターボ車と上級グレードがほぼ同価格だったのだ。

 

 確かに、こちらは滑らかなV6エンジンで上質だから、ブルーバードのエンジンを流用したシルビアなんかより高いと言えなくもないが、他方で、同じボディのAZ-3が激安で売られているので、ユーザーにしてみれば、それと同等にしか見えないのだ。


 しかも、1年もしないうちに三菱が、ミラージュ/ランサーに世界最小となる1600ccのV6エンジンを搭載、プレッソのアドバンテージはもろくも崩れ去ってしまう。


 更に2年目のマイナーチェンジでは、1500ccエンジンを追加、そしてAZ-3には1800ccのV6エンジンが追加されるという屈辱の変更を行われてしまい、プレッソとAZ-3は選ぶところの無い車になってしまう。

 1996年には、誕生の由来となったユーノス店が廃止され、アンフィニ店へと移管されて、出自や独自性は一切無かったことにされてしまった。


 そして、登場から7年後の1998年に後継車が出ないまま生産終了し、消滅する。

 

 そして、オーナーの情報も浮かんでくる。

 オーナーは新車からの1オーナー、当時20代前半の女性。


 職業はモデル。

 バブルの頃は、色々な所から引く手あまたの需要があって、モデルも人手不足の時代だったが、彼女はしっかりと実力で雑誌の表紙を飾っていって、当時の流行りだったレースクイーン的な露出が勝負の仕事にはいかないところがプライドという、ちょっとプロ意識が強めのタイプだった。


 しかし、人気も実力も兼ね備えていた彼女は、安定した仕事もいくつか勝ち取ることが出来たため、自分へのご褒美としてプレッソを購入した。

 購入した理由は、デザインと小さいのにV6エンジンといった高級な高性能を持っていた点、更には、彼女の住む部屋の近くは道が狭いため、取り回しやすいサイズという事も見逃せず、すぐに購入した。 


 仕事にも、遊びにも活躍していたプレッソだったが、数年が経過すると、彼女の状況にも少し変化が現れた。

 バブル崩壊で、仕事が減りはしたものの、安定したところは減らなかったため、苦しくはならなかった。


 しかし、新たな仕事を求めて、色々な道を模索していくことにしたのだ。

 今は安定していても、数年後の社会情勢もハッキリ分からない。もし、このまま景気が上向かないとしたら、その時は年を経た分、自分のモデルとしての需要も今のままという訳にはいかなくなるという、危機感から来るものだった。


 同期の娘達が、レースクイーンや、イベントコンパニオンをやってみたり、または、バラエティタレント化していくのを見て、なんか釈然としないものを感じていた。

 サーキットで、明らかにローアングルから撮られていても、また、マシン撮影の邪魔だと、レースマシンマニアに嫌味を言われても、ニコニコしてポーズ取りながら立ってたり、深夜番組の企画で、プールの上に浮かべたいかだの上で、女子アナと水着になって相撲を取ったり……という仕事を、彼女は良しとしなかったのだ。


 彼女は、派手で実入りが良くても、彼女自身が納得できない仕事は受けないスタンスで過ごした結果、同期の娘達が、派手な生活を送る中、今までと変わる事の無い生活を送った。

 しかし彼女は、それは自分の選んだ道と納得していた。スーパーのチラシの撮影でも、自分の全力で仕事をし続けた結果、今でもモデルとしての仕事を続けて生きていくことが出来た。

 他方で、お色気タレント化した同期達は、その後の世代交代の波に飲まれて、いつの間にか姿を消していった。


 そして、モデル生活の節目の年を迎えた今、海外にいる知り合いから声がかかり、一度は断ったものの、どうしても彼女でなければ……という熱心さに負け、拠点を海外に移す事となり、思い出の詰まったプレッソも処分する事となったのだ。


 プレッソからは、出来る事はすべてやり切ったという満足感と共に、彼女に対しての1つの強いメッセージが出ており、沙菜は、それを受け取ると。


 「分かったよ……良き旅を」


 と言うと、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 「貴女が、車の声を聴けるって方? 若いのに凄いわね」


 2日後、事務所にはプレッソのオーナーがやって来た。

 確かに、さすがは現役のモデルだけあって、背が高くスラッとした立ち姿には、思わず言葉を失うほどだった。


 「今回、あのプレッソからこれを受け取りました」


 沙菜が言って彼女に渡したのは、作りの良い万年筆だった。


 「これは……?」

 「リアシートの座面の下に落ちてました。こういう小さい物は、可倒部分の隙間などから落ちやすいんです」


 彼女の問いに沙菜は返した。

 彼女曰く、この万年筆は、最初の彼女の転機になった際に貰った物だそうだ。

 その時の彼女は、旬を過ぎかかっていた事に加えて、自分が持つ最年少での権威あるイベントへの出場記録を若い娘に塗り替えられて、本気でやめようかと、マンションの駐車場に止めたプレッソの中で、一晩中飲みながら悩んでいたのだそうだ。


 そんな折りに、その万年筆を贈られて『自分らしく輝き、そして、与えられた仕事に感謝して、プロらしく全力で取り組みなさい!』と言われて、彼女の悩みは消え、今日までやってこられたのだと言う。

 それまでの彼女は、輝ける経歴を持った自分が、スーパーのチラシに出るくらいなら引退してやると思っていたが、その先輩の言葉を受け止めてやって来た結果、徐々に色々な仕事が来るようになって、今回の道が開けてきたという。

 その方は亡くなってしまって、彼女は今回の報告の際も、墓前でこの万年筆を無くした事だけは報告できなかったそうだ。


 「記録より、記憶に残るような仕事をしようと、思えるきっかけになった万年筆なの……本当にありがとうございました」


 沙菜は、彼女を見送ると、スマホのゲームを見てみた。すると、自分のスコアがランクから消えていた。

 沙菜は、良かったとホッと胸をなでおろしながら部屋へと向かった。


「私は……程々が良いのよ」

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