第12話 宝石と海
親の心子知らず、子の心親知らずという言葉。
正直、ある時期以降になると、子の心の方が成長して、親の心より先が見通せるようになっているという意味にも取ることが、この高齢化社会の中では出来る。
毎年、世間の行事とは裏腹に祖父の工場が忙しくなる時期がある。
それは、近くの会社の社用車の点検整備の時期だ。
社用車の購入とメンテナンスの仕事を一手に引き受けた祖父であるが、何故か、先方がげんを担いで、全車同じ時期に購入したのだ。
すると当然、点検の時期も一斉になる。しかも、次の年には、また同じ数を購入したのだ。
なので、毎年同じ数のまとまった社用車が入庫して、うち半分は車検、もう半分は点検……と、天地をひっくり返したかのような忙しさになる。
正直、他の仕事など受けていられなくなってしまう。
その最中、学校から帰った沙菜を見た電話中の祖父は、沙菜の鞄を掴んで止め、電話を切ると
「沙菜、良いところに来た。明日、お前さん指名で車葬の依頼だ。やれ!」
と、意地の悪い笑みを浮かべて言った。
沙菜は断ろうか考えたが、沙菜を指名しているという事と、この繁忙期に下手に断って、納車や入庫整理の手伝いに回されるくらいなら、車葬をやった方が、面倒でない事に気が付き
「仕方ないなぁ……高いからね」
と言って、受ける事にした。
翌日、学校から戻って工場に入ると、薄いグリーンのようなシルバーの4ドア車が佇んでいた。
「プレセアかぁ……じゃぁ、はじめるよ」
沙菜は、いつものようにボンネットに優しく触れると、車葬を始めた。
日産プレセア。
1985年にトヨタがカリーナEDで開拓したスペシャルティ4ドアハードトップブームは凄まじいものがあり、直接対抗する車種として1990年にデビュー。
初代モデルのトピックは多く、その外観の切れ長のライトと、グリルレスのフロントマスクは独特の上品さを演出し、その室内には、車用としては珍しいELバックライトで独特の青い透過照明の『マリンブルーメーター』を採用。
スペイン語で『宝石』を意味するプレセアらしく、他にもボディカラーは全て宝石をイメージしたネーミングだったり、常設グレードの頭につくCtは、カラットの意味だったりと、しっかりしたストーリーに基づく演出がされていた。
そして、このプレセアは後発らしく、販売面でも秘策を持っており、それまでのこのセグメントの車は、カリーナEDにしても、ペルソナにしても1800ccと2000ccだったのに対し、プレセアはシャーシのベースをひとクラス下のサニーとして、それらの排気量に加えて税制で有利な1500ccを持ったところが武器だったのだ。
プレセアは、バイオレットの兄弟車だったスタンザと、サニーの兄弟車であったローレルスピリットという2つの『小さな高級車』の後継車という側面を持つことから、このワイドな排気量を実現したのだった。
CMでは、女優が浮世絵の代表作『見返り美人』や、ゴッホの『ひまわり』の構図に登場して、その前をプレセアが横切り『絶世のセダン』『絵にも描けないセダン』と謳ったこのモデルは、先発したペルソナを追い越して、カリーナEDに販売で肩を並べ、トヨタからこのプレセアの1500ccに対抗するフォロワーとしてカローラセレス/スプリンターマリノを生み出す事となる。
また、この初代プレセアは、後に閉鎖した座間工場での最後の生産モデルとなり、プレセアのモデルチェンジをもって、座間工場は車両の生産を終了する。
2代目は1995年に登場。
好評だった初代を大きく変えることなく、キープコンセプトとしながらも、初代を購入したユーザーからの最大の不満であった後席居住性を上げるのと、ブルーバードから4ドアハードトップが消滅したことから、そちらの受け皿としての役割も持つため、ホイールベースを大幅に伸ばし、併せて全長を僅かに延長。
デザインも、初代の曲面美ではあるものの、小さく見えてしまうデザインを若干角をつける事で緩和させる。
初代の趣を残しつつ、有名女優に等身大の女性を美しく見せるクルマ……という趣のCMで華々しく登場したが、もう、この手の低くて狭い4ドア車のブームは去っており、ライバル車共々、苦戦を強いられる。
更には、切れ長なライトにグリルレスという初代の印象を捨てて、パッチリした目元になった上、実験中にオーバーヒートが頻発したことから、継続予定でいたグリルレスデザインを諦めて、グリルを追加したことから、美形だった先代からブサに変わってしまった事も、足を引っ張る要因になってしまった。
1997年にマイナーチェンジ、同時にCM女優も変更して、ちょっとだけ若返りを図るものの、浮き上がる事は無く、1999年に生産中止し、消滅する。
そして、オーナーの情報も流れ込んでくる。
新車当時、30代前半の体格のガッチリした男性のワンオーナー。
家族構成は、妻と生まれて間もない娘の3人暮らし。前車は、10年乗ったカローラ。
納車された場所に、沙菜は見覚えがあった。
この団地は、最近車葬で見た光景だ……一体、どこだっただろう? と思って、団地の駐車場を注意深く見ると、そこには見覚えのあるシャレードが止まっていた。
「この人も刑事だ」
沙菜が言った通り、オーナーの男性の動きは、以前のシャレードのオーナーと同じで不規則なものだった。
やはり、車で警察署に行って、翌日までの勤務になる事などはザラにあるようで、プレセアは月に数度、警察署に行って、オーナーの帰りを待つことになる。
そこで沙菜が気付いた事がある。
「この人、プレセアに乗って来て、別のプレセアに乗って出かけて行ってる……ウケる!」
この背景を説明すると、2代目モデルの中盤以降、売り上げの落ちたプレセアを日産は覆面パトカー用に、安い価格で卸したため、全国の警察の捜査用の覆面パトカーとして、数多くのプレセアが活躍していたのだ。
彼は、仕事で乗っているプレセアが乗りやすいので、自家用車としてもプレセアを購入したのだった。
ひとたび事件となると、泊まり込みで捜査をする日々が、当たり前のように続き、幾度かの春が巡って来た時、オーナーに転機が訪れる。
妻に愛想を尽かされて、離婚する事になったのだ。
すると、まだ小学校に上がる前の娘を抱えて、オーナーの生活が一変する。
捜査と子育てで、寝る暇もないほどの忙しさに見舞われる事となる。
彼にとって、捜査は、個々のケースのやり方は違えど、長年の経験から勝手は知っているが、子育ては、初めての連続だった。
子育てに関しては、忙しさにかまけて妻にすべて任せており、それも、離婚に至る要因の1つとなっていたのだ。
署内の事務仕事への転属を勧められたが、刑事としての仕事がしたい彼は、それを断る。
ただし、危険が伴い、泊まり込みの多い重大犯罪を扱う部署から、窃盗などを扱う部署へと異動し、仕事と家庭の両立を頑張り、なんとかこなしていく。
時が経ち、娘が年頃になってくると、やはり父と娘の間には、すれ違いが生じてしまう。
重大犯罪の担当ではないとはいえ、張り込みなどで泊まりになってしまう日が無い訳ではないし、身柄確保に関しては、朝一になる事が多いため、一緒に居られる時間が圧倒的に少ない事、そして、生来の不器用さで娘とあまり会話をする機会が無かった事などが、大きな要因だった。
困り果てたが、やはり生来の一直線さで、くよくよ考えるよりも動いてしまう彼は、なんとか娘との距離を縮めようと努力をしては、空回りをしてしまいを繰り返した。
そして、時は経ち、彼は管理職になって、少しだけ時間に余裕ができたのだが、娘は、地方の大学へと進学し、1人暮らしをしたため、身辺整理をするべく、もう20年以上も乗ったプレセアも処分しようと、ここにやってきた経緯だった。
沙菜は、はぁーっと、ため息をつくと
「分かったよ……良き旅を……」
と言うと車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
沙菜は、その2週間後、事務所である人に報告をしていた。
今回の車葬で、どんな思いが残っていて、車自身の希望に関してもだ。
正直、今回の経緯は、今までで最も沙菜に親近感のあるものだった。
そして、ハッキリ分かる事がある。
父と娘との間に溝など存在していないのだ。
すれ違っていると思っていたのは、彼自身の勘違いだ。
恐らく、父親自身に女きょうだいがいなかった上に、男社会の中で育ってきたので、娘に対しても、後輩のように、時に厳しく、時に優しくぶつかっていけば、フレンドリーな関係になれると思い込んでいたのだろうが、そこには越えられない壁が存在するのだ。
娘は、父親の愛情を分かっているし、不器用なりに色々と努力している事も分かっているけど、素直に父親にそれを伝える事は、今までの中で、色々と腹に据えかねる事……学校行事に来て貰えなかった事や、寂しい思いをさせられた事、進路等の相談ごとに『忙しい』を免罪符に乗って貰えなかった事等……が思い出されて出来なかったのだ。
「それでは……こちらが今回の明細になります」
沙菜はテーブルにそれを出すと、意図しない人がそれを取った。
明細書を手に取ったのは、元のオーナーである老刑事だ。
そして、それを見ると
「認めない!」
と言ったが、隣に座る人物が静かに言った。
「お願いします」
年齢からは考えられない程の落ち着きを見せているのは、彼の娘だ。
実は、車葬によって父の思いと車の思いから『娘』というキーワードを受け取った沙菜は、娘に連絡を取ると、驚いた様子ではあるが、車を引き取りたいと言ってきたのだ。
しかし、20万キロ近く走行しているために、長く乗るにはオーバーホールをしなければならなくなって、今日まで時間と、費用が必要になったのだ。
父と娘の問題にぶち当たるのは、今回が初めてではないが、いつの時代もすんなりいかないものなんだな……と思わされた。
複雑な思いで、しかしながら怒りの方が大きいであろう表情の父親を、チラッと横目で見た娘は、敢えて、それを無視すると沙菜にニコッとして言った。
「ハイ、これが代金です。もう、このプレセア、パパの車じゃないし、どうしようが関係ないでしょ!」
2人の表情こそが、これからのこの親子の関係なんだろう。
そして沙菜は、2人を見送ると、ある人物に電話をかけた。
相手は、以前に車葬したシャレードのオーナーの妻だった。
実は、今回の車葬の依頼は、彼女からだったのだ。
見ていて、まどろっこしくなるような不器用な親子がいるので、車葬で何とかできないか? というものだった。
「こんな事って……できるもんなんだね」
コールを待つ間、沙菜は思わず呟いた。
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