第11話 八頭身と記念日

 過去を忘れる事は、ある面においては大事だが、決してそればかりでもない。

 何故なら、過去の失敗が無ければ、現在の成功はないからだ。


 また、この季節がやってきてしまった。

 祖父が、出来もしないパソコンで、ハガキを刷る季節がだ……。

 まとまってハガキを出す時期は、年賀状の他には、祖父が独立して工場を始めたこの月なのだ。


 毎年その時期になると、家中をひっくり返したかのような大騒ぎになるのだ。

 そもそも、周年の挨拶状なんて、事務の人に印刷して貰っておいて、最後に肉筆で一文加えれば良いのに、何でも自分でやりたがる祖父は、できもしないハガキ印刷を全部自分でこなそうとして、挙句住所録の住所を間違えて上書きしてしまったり、ファイル形式を勝手に書き換えて、開けなくしたり……と枚挙にいとまがない。

 しかも、最後に手がつけられなくなってから沙菜を呼んで、なんとかしてくれと言うのだ。


 更に腹立たしいのは、偉そうに頼むくせして、覚える気が無いのだ。

 毎年同じ事を言っているのに、翌年も見事に同じ間違いをして、取り返しがつかない事をしているのだ。


 学校から帰ると、リビングのプリンターがひっきりなしに動いていた。

 毎年の光景だ。事務所のプリンターだけでは足らないのと、業務の妨げになるので、家のを使うのだ。

 沙菜は毎年の悪夢を思い出して、凄くイラっとした気分になったところに祖父がいたので、思わず睨みつけると、祖父は笑みを浮かべながら


 「沙菜、悪いんだが、爺ちゃんは忙しいから、車葬を頼まれてくれないか? 今年は沙菜の手は煩わせないからさ」


 と言ったが、信用できる訳がない。

 どうせ夜になってから困って沙菜に泣きついてくるのが、毎年のパターンだ。まるで小学生の8月30日の夜みたいな毎年学習しない事による修羅場がやって来るのだろう。


 工場に行くと、いつものスペースにワインレッドの小さな4ドア車が佇んでいた。


 「カリーナEDかぁ……」


 沙菜は言うと、はぁっとため息をつき


 「はじめるよ……」


 と言うと、ボンネットに優しく手を触れた。


 トヨタ・カリーナED。

 1985年に突如登場したこの車は、後の10年間の日本車の4ドアの常識を歪んだ方向へと変えてしまう。


 その名から、トヨタの中堅セダンであるカリーナの上級版と誤認しやすいが、ベースはスペシャルティクーペのセリカで、歴代モデルともダッシュボードなどが共通になっていて、ベース車の面影を室内に見ることが出来る。

 1800ccと2000ccのこの車は、その低く、車室の小さい8頭身デザインを実現させるために、日産の専売特許となっていてトヨタでは禁忌とされるピラーレスの4ドアハードトップボディを、後にも先にもトヨタ車としては唯一採用する。


 この車の性格としては、セリカや日産シルビア等の2ドア車に乗っていた若いユーザーが結婚した場合など、社会的に4ドア車に乗らなければならなくなった場合に、積極的に選ばれる事を狙って作られたもので、スポーティで若々しく、そして低く、車室を小さくデザインするという、それまでの4ドア車の常識とは正反対の価値観で作られていた。

 4ドアでありながら実用性を無視し、デザインを優先させた、セリカの4ドアバージョンと言った趣なのだ。


 そして、いざ売り出してみると、羽が生えたようにこの車がヒットした。

 しかも、狙ったユーザー以外にも売れたのだ。

 それは、働く独身女性や、見栄えがカッコ良いので、安く見栄を張れると、中年男性などにも売れるようになったのだ。


 すると、影響は各所にも及び始める。

 3年後にマツダからペルソナが、その1年後には、ホンダがインテグラの4ドアセダンをハードトップに替えてモデルチェンジ、更に1年後には日産からはプレセアが、更に2年後には三菱からエメロード、トヨタからもカローラセレス/スプリンターマリノ等、その後も続々と登場する。


 そして、既存の車種までもが巻き込まれていく。それまでも4ドアハードトップ車は存在したが、ユーザーの動向を見て、既存の4ドアハードトップ車までもが、このカリーナEDに追従し始めて、デザイン重視の居住性軽視に走り始める。

 マークII、チェイサーやビスタ、日産ローレル、ブルーバード、スカイライン、ホンダビガー、インスパイア、三菱ディアマンテ等々、国産車の殆どを巻き込んでいく。


 大ヒットを記録したカリーナEDは'89年に2代目に移行し、その際、コロナExiv(エクシヴ)という兄弟車を産み出す。

 このExivが、直前まで生産されていたコロナ2ドアクーペの後継車という位置づけからも、ED/Exivが2ドアクーペの延長である『4ドアクーペ』であることは間違いないのだ。

 2代目も決して売れていないわけではなかったが、1500ccを擁する日産プレセアをはじめとする各種ライバルの台頭や、レガシィ・ツーリングワゴンによるワゴンブーム、更には、先代モデルを買ったユーザーの中で、後席のあまりの狭さに辟易して、買い控えた層が一定数いた事から、目論んだほどのヒットは得られずに終了する。


 3代目は'93年に登場。

 後席の狭さと、見栄えに配慮してボディを3ナンバーサイズに拡張、更には安全性のためにピラーレスを廃してピラー付きのハードトップへと変貌を遂げる。

 しかし、3代目になる頃には、バブル崩壊や、RVブームの到来、更には居住性を重視して大型化したところ、顧客から『その大きさならマークIIを買う』とそっぽを向かれて販売台数が激減、Exivがレースで連勝したことで、一部の層から人気となるも、限定的に終わり、'98年に生産終了となり、消滅する。


 そして、オーナーの情報も流れ込んでくる。

 新車ワンオーナーで女性オーナー。当時の年齢は20代後半。

 都内に勤務しているようで、ちょっとお洒落なマンションの地下駐車場で眠ってる日々。


 社長表彰を何度も受けるほど、仕事に生きており、マンション、海外旅行、お洒落、そして車……と、自分へのご褒美に余念のない、人生を謳歌している女性だった。

 カリーナEDにした理由も、BMWに乗っていると会社で言うと嫌味に思われるため、予算はあったが、お洒落で贅沢に見え、社会的に嫌味にならないカリーナEDにしたのだった。


 しかし、バブルが崩壊すると、状況は一変する。

 会社が人員整理をはじめ、遂には部門を減らしていき、最後は外資に身売りしてしまう。

 それと同時に、彼女の周辺も厳しさを増していく。

 親会社は、効率と成果を重視し、彼女のやり方は非効率的として、異動を申し渡され、子会社へと出向させられてしまう。


 結婚もせずに、仕事に生き、成果を上げて女性初の管理職に抜擢されて、社内報に載った彼女も、風向きが変わった社内では、希望退職にも応じずに、降格されても会社にしがみつく存在として陰口を叩かれた。

 50を過ぎて畑違いの事務に回されても、着々と仕事をこなし、みんなを陰でサポートし、気遣いもできる彼女は、部内ではかけがえのない存在になって、今年、定年になった時は、みんなが泣いて退職を惜しむ存在になっていた。


 定年して、断捨離をしようと思い立ち、色々なものを捨てていく中で、過去の栄光の象徴であるカリーナEDも処分して、ここにやって来たのだった。

 ちなみに、次の車は、新しい方向にチャレンジしたいと、EVのリーフを充電工事とセットで購入していた。


 そして、車からの思いも流れ込んできた。

 彼女と過ごした30余年の思い出が、走馬灯のように浮かんでくる。

 それまでがペーパードライバーだったために、最初の数年は、毎年鈑金に出していた事、ゴルフやスキューバ、スキーなど、色々なスポーツをしに、このEDで行き、スキー場でかまくらになってしまい、車が見つからないと泣かれた事、ワインにハマって、あちこちのワインセラーへと走った事など……。


 その中で、特にこのEDが強く思っている事に耳を傾けて、それを手にすると


 「分かったよ、良き旅を……」


 と車葬を終えた。


◇◆◇◆◇

 

 3日後、事務所にやって来たオーナーは、とても定年を迎えたとは思えないほど溌溂はつらつとしていた。

 リーフに替えてEVの走り方も新鮮で、毎日色々な発見があって楽しいと、言っており、今はリーフで、ワイン探索に行って帰りに温泉に入ったり、普段はジムに通ったりしているそうだ。


 「それで、これはあのEDから渡して欲しいと言われました」


 それは、メダルと手帳、それと、荷物につけるタグだった。

 彼女曰く、メダルは初めての社長表彰の時の記念品で、念願の表彰を受けた時、まだ買ったばかりのEDの中で寝てしまったそうだ。

 手帳は、彼女が一番忙しく動き回っていた頃の物で、あちこちに付箋が貼られ、ページもボロボロになりかかっていた。

 そしてタグは、彼女が一番楽しみにしていた世界一周の時の物で、記念に取っておこうと思っていて、無くしてしまったものだそうだ。


 「あのEDから、これからの貴女も素敵だけど、過去があったから、今があるんだと、だから過去を捨ててばかりいないで、これくらいは持っていても良いんじゃないかって……」


 沙菜が言うと、彼女はそれを愛おしそうに抱きしめながら


 「そうだね、この頃の思い出だってないと、私、ただの寂しい人みたいだもんね……」


 と言ってしんみりとしていた。


 すると、リビングの方から


 「沙菜ー! 表が開かない! 何とかしてくれ!!」


 と、祖父の声が響いてきた。

 沙菜は、嫌そうな表情を浮かべてはぁーっとため息をついた。

 すると、それを見た彼女が


 「あぁ……そういう事?」


 と言うと、立ち上がろうとする沙菜を制して


 「大丈夫、私、元々プログラミングやってたから、得意なの。任せといて」


 と言うと、リビングの方へと向かって行った。

 その年から、ハガキ印刷のたびに、沙菜が呼び出される事は無くなった……。

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