第10話 想いは千里を

 言葉にせずとも分かり合える事というものは存在する。

 それはたとえ、どんなに長い時間を経ても変わらないものだ。


 「沙菜、今日は?」

 「あぁ……今日は、爺ちゃんの手伝いがあるんだ」

 「そうなんだ……沙菜、大変だね。それじゃぁね」

 「うん、バイバイ」


 里奈と一緒に駅まで帰った際の会話だ。

 タイミング悪く今日に限って、急ぎでとリクエストで車葬のバイトを入れてしまったのだ。

 いつもなら、気が乗らないのだが、今回に限っては限定品のコスメが欲しいため、どうしても急ぎでお金が欲しかったのだ。


 里奈には、祖父の工場の手伝いをするとしか言っていない。

 能力の事を言うと、大抵の場合引かれてしまうため、沙菜はこのことについては黙っているのだ。

 なので、里奈は沙菜が修理や解体の手伝いをしていると思っているのだろう。

 手伝いだと言うと、妙に痛々しい表情で沙菜を見てくるのだ。


 「違うんだけどなぁ……」


 沙菜は頭を掻きながらつぶやいた。


 家に帰ると、沙菜は家には寄らずに工場へと直接入った。

 いつもの車葬の場所には、ダークグレーのセダンが佇んでいた。

 言われなくとも、沙菜には分かる。車葬を行わなければならない車からは、独特のオーラのようなものが発せられているのだ。


 「カルタス・エスティームかぁ……」


 沙菜は言ってから、ボンネットに優しく手を触れると言った。


 「はじめるよ……」


 スズキ・カルタス。

 スイフトの前身に当たる(海外名は初代からスイフト)カルタスは、スズキにとって大きな歴史の転換となった車だった。

 1969年にフロンテ800を生産中止にして以降、国内のスズキは、ジムニー1000という特殊な車を除いて軽専業メーカーとなっていた。

 

 そこに、当時提携を結んでいたGMからアメリカで売るコンパクトカーという提案があり、スズキが開発し、1983年にスズキとしては2車種目となる、登録車の乗用車が誕生した。

 アメリカではシボレー、カナダではポンティアック、オーストラリアではホールデンと、それぞれのGMブランドで販売され、その余力分を日本ではカルタスとして、そして海外ではスイフトというブランドで発売した。


 当初は1000ccの3ドアのみでスタートしたものの、ニーズに合わせてホイールベースを伸ばした5ドア、ターボエンジン、4気筒の1300cc、1300ccのハイパワーツインカム版などを出し、CMでは俳優に『オレ・タチ、カルタス』等と駄洒落めいたキャッチコピーを言わせて話題になったものの、人気は爆発しなかったが、海外では燃費の良さを武器に大ヒットした。


 2代目は1988年に登場。

 スズキ主導の開発となったことで、先代を反省して丸みを帯びたデザインとなり、ボディサイズも一回り拡大、品質感も向上した。

 そして、発売の翌年の1989年に、スズキ初の4ドアセダンとして登場したのが、カルタス・エスティームである。従来の1300ccに加えて、前年にエスクードに搭載された1600ccを搭載する、当時のスズキ史上最大の乗用車となる。

 日本ではバブル期に当たってコンパクトカー市場が冷え込んだ事もあって、今一つの売れ行きとなったが、バブル崩壊後に本領を発揮。


 1000ccの廉価版に、エアコン、パワーステアリング、カセットステレオを標準装備し、軽自動車よりも遥かに安い69万8千円のモデルが登場し、好評を得る。

 しかし、同時に登場したコンバーチブルは日本では不人気で廃止、エスティームの1600ccは1500ccにダウン、5ドア車の1300ccは廃止……と、ほぼ1グレード頼りとなった感が強かった。ちなみに、このモデルのみ3代目登場後も、1999年まで継続販売される。


 3代目は、少し間を置いて1995年に登場、名前もカルタス・クレセントとなる。

 不人気の5ドアを廃止して、3ドアと4ドア、後に追加されるステーションワゴンとなったボディは、2代目に比しても2周り拡大され、明らかに上級移行を狙ったモデルチェンジとなる。

 しかし、野暮ったいデザインや、上級移行が裏目に出て、国内の販売台数は壊滅的になり、カルタス・クレセントから、カルタスに戻したりしたが、何の効果もなく、1999年から2002年にかけて段階的に不人気なシリーズから廃止され、消滅した。


 次にオーナーの情報が流れてきた。

 2オーナーのようで、映像が2つ流れ込んでくる。


 最初のオーナーは30代女性で、アルトから乗り換えで、セカンドカーとして使用し、最初の車検が来るよりも先に売却。


 残留思念の多さは、2人目のオーナーだ。

 2人目のオーナーも女性、中古車店で、価格と年式、更にはドアのコシノヒロコのマークに惹かれて購入。

 前期型では特別仕様だったコシノヒロコ・リミテッドだが、後期型ではほぼ常設のような扱いに変わっていたため、後期の方が数多く見られる仕様になっていたのだ。


 20代中盤の新しいオーナーには、3歳の男の子がおり、子育てとパートへの足としてカルタスは活躍していくが、彼女に暗雲が立ち込めてくる。

 夫の事業が上手くいかなくなり、その立て直しのため、夫は家に寄りつかなくなってしまう。


 難しい年頃の子供、夫が家にいない不安、そして夫の事業の先行き……不安で押し潰されそうになり、眠れぬ日々を過ごしたある日、偶然再会した高校時代の友人から、疲れが取れると薦められたクスリに、藁にも縋る思いで手を出してしまう……。

 その最中、夫の事業は破綻して、借金取りが昼も夜も押し掛ける生活に、彼女のクスリへの依存度も上がっていってしまう。


 そして訪れる破滅……。

 ある朝、やって来た警察、身柄拘束されて裁判では初犯で執行猶予がつくものの、施設へと直行させられて、地獄のような更生プログラムを受けさせられ、家族とも引き離される。


 長いプログラムを終えて、クスリへの依存を断ち切る事は出来たものの、息子は、夫が蒸発したままのため、親戚へと引き取られ、引き取り先も教えて貰えずに生き別れる。


 以後、彼女はタクシー運転手として昼夜を問わずに働き、せめてもの償いに……と、会えぬ息子に渡せるよう毎月少しずつでも積み立てを始める。

 そして、償いへの誓いと、生き別れた息子との思い出が唯一残るこのカルタスは手放せずにずっと乗り続けていたのだが、故障した部品が製造廃止、出てこないために修理を断念して泣く泣く廃車にして、ここにやって来た歴史が。


 「そうなんだね……良き旅を」


 沙菜は、車からの思いを読み取ると、車葬を終えた。

 この車の思念は明快だ。やはり長年のオーナーである女性の意を汲み取って、生き続ける事こそが、最良の方法だという事がだ。


 それは分かっているのだが、どうにもならない。

 沙菜は結果を祖父に伝えたが、祖父も渋面を作るしかなかった。

 さすがにエスティームは旧すぎるので、沙菜の家のヤードには無いそうだ。

 カルタスは1台あったが、このエスティームは4気筒の1500cc。祖父の所にあったのは3気筒の1000ccなので、それをドナーにしても適合しないのだ。


 頭を抱えていた時、事務所の方から声がした。


 「こんにちはー!」

 

 祖父は、声がした方へと顔を向けると言った。


 「おおっ! 龍坊、良いところに来た!」

 「もう、社長『坊』はやめてくださいよ。私だって、そろそろ30なんですから……」


 と、相手は頭を掻きながら言った。

 沙菜はこの男性とは顔見知りだ。

 自動車部品を扱っている会社の担当者で、新人の頃から祖父が贔屓にしている人だ。

 しかも、手先が器用なので売るだけでなく、今回のように適合部品が製造廃止の場合、どうしてもと頼むと、他の部品を加工して作ってくれたりするのだ。


 「ちょっと、頼まれてくれないか?」


◇◆◇◆◇


 1週間後、エスティームのオーナーの女性が事務所へと呼ばれて来た。

 新しい車を買うお金があるなら、貯金に回して残してやりたい……と、車を買わずに原付に乗って来たのだ。


 「直ったんですか?」

 「ええ、本来は廃盤なので入手できなかったんですが、作ってくれた方がいたんです」


 と沙菜が言うと、部品屋さんの担当の龍坊さんがやって来た。

 彼女は、龍坊さんの手を握ると


 「ありがとうございます! どうしても、思い出が残っているこの車に乗り続けたくて、ご無理言いました……」

 

 と言ったが、そこで彼女の言葉がピタリと止まると、彼女は龍坊さんをまじまじと見ながら言った。


 「あの、失礼なんですけど、あなたの名前、加治木龍之介かじきりゅうのすけっていうんじゃないですか?」


 龍坊さんは、黙って頷くと、彼女はその場に崩れ落ちそうになってしまった。


 そう、龍坊さんこそが、彼女の生き別れになった息子だったのだ。

 あの日、部品の加工を依頼された後で、現車を見るなり、彼は右後ろのドアを開けると、2ヶ所の痕跡を見つけて、突然涙を流したのだ。

 彼が子供の頃、噛み癖があって、ドアの内張りをかじってしまった事があり、その痕跡が残っていた事、更には、お菓子についていたキャラクターのシールを、内張りのひじ掛けの下の部分に貼っており、それも残っていた事から確信し、車検証で名前を確認したところ、間違いなく母親が乗っていた車だと分かったのだった。


 母が逮捕されて以降の彼に、どのような事があったのかは、分からない。

 しかし、いくら祖父に頼まれたからとは言え、面倒で大したお金にもならない加工作業をやってまでエスティームを復活させた行動を見れば、彼の彼女に対する思いは自然と分かる。


 沙菜は、2人を事務所に残して、後を祖父に任せると部屋へと戻った。

 ちょうどそこに里奈から電話がかかって来た。


 「もしもし、里奈? あぁ、行く行く! 今から? うん、分かった」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る