第9話 謎解きと役割

 人にはもって生まれた役割というものがあり、それは職業の終わりをもって終われるかというと、決してそうとは言えない場合もある。


 家に戻ると、祖父と祖母が不機嫌そうな表情で睨み合っていた。

 

 「またか……」


 恐らく、この間から、ちょくちょくある沙菜の母親からの電話のせいだろう。

 それを受けた祖父の機嫌が悪くなって、煙草を吸っている現場を、祖母に押さえられたとか、そういう事だろうと思う。


 何度もこの現場は見ているが、一度、沙菜には決して見せないようにしているやりとりの現場を、たまたま、修理に入っているワンボックスカーの陰から見てしまった事がある。

 祖父が今までに無いような剣幕で


 「お前の育て方が悪いから、アイツは、あんな風になっちまったんだ!」


 と言っているところを……。


 とにかく、この険悪な空気を一瞬だけでも壊しておくことが、気が乗らないが、自分の役目だと思った沙菜は、全く空気を読まない風で


 「爺ちゃん、ちょっとお小遣いがピンチだからさぁ、なんかバイト、ないの?」


 と聞くと、祖父はちょっと表情を崩して


 「しょうがねぇなぁ、じゃぁ、今、車持ってくるから頼むぞ」


 と言った。

 良かった、これで任務完了だ。

 沙菜は思うと、もう1つの任務をこなしに工場へと入った。


 「シャレードか……」


 沙菜は言うと、ボンネットに手を静かに触れて言った。


 「はじめるよ」


 ダイハツ・シャレード。

 1967年にトヨタと提携を結んで以降、軽以外の登録車はトヨタ車のOEM若しくは意匠変更でのみ生産していたダイハツから、1977年に登場した風雲児的コンパクトカー。

 当時珍しかった前輪駆動を積極的に採用し、当時の軽自動車よりわずかに大きい、路面投影面積5平方メートルの中に、大人5人のための室内空間と、経済性と走りの良さを実現したコンセプトと、当時の自動車エンジニアリング上、実現不可能と言われた3気筒の1000ccエンジンを採用して常識をひっくり返して、オイルショック後の日本で大ヒット、1000cc市場は“リッターカー”と呼ばれ、スズキカルタスや日産マーチなどのフォロワーを産み出す。


 '83年に登場した2代目は、直線基調の無個性なデザインこそ、ブリキのおもちゃだと揶揄されたが、世間をあっと言わせる技術力は健在で、初代で好評だった3気筒1000ccはそのままに、そのエンジンを使った、世界最小1000ccのディーゼルエンジンを開発、その後もガソリンターボ車や、イタリアのスポーツカーメーカーのデ・トマソがプロデュースした、シャレード・デ・トマソも登場、その後ディーゼルにもターボ車が登場すると、そのディーゼルターボを駆って、世界一過酷なサファリラリーに出場し、大方の予想を覆して完走を果たすなど、大きなトピックのあったモデルだった。

 プロモーションも印象的で、足回りの滑らかさを謳った『猫科のターボ』や、ディーゼルの振動を逆手に取って『Rock'nディーゼル』と言ったキャッチコピー、更に後期では、人気お笑いコンビを使うなどで、車の無個性さとは裏腹に、一番トピックの多い代だった。


 3代目は'87年に登場。

 先代の頃には、先述の2車に加え、排気量は1200ccながらホンダのシティなどもヒットして、若年層のユーザーが多かった事から、若年層向けにデザインに磨きをかけると共に、前席優先のコンセプトを採用、トップグレードは4人乗りとするなど、小さなスペシャルティカーへと変貌する(1年後に5人乗りに変更)。

 デザイナーのセルジオタッキーニがプロデュースしたバージョンや、ハイパワーな1000ccツインカムターボなど、若者向けを強くアピールする。

 後半は、1000ccターボの後継として1300ccの4気筒エンジンや、4ドアセダンなどが登場し、ワイドバリエーションとなる。

 初期は、話題のアーチストの歌をCMに使い、後期は当時のイケメンアイドルがCMに登場するなど、首尾一貫若者へのアピールは怠らなかった。


 4代目は'93年に登場、1000ccを切り捨てて、1300ccと1500ccにランクアップ、各種質感を高めたが、シャレード本来のコンセプトの見誤りからユーザーが激減し、2000年に生産終了となる。


 今回やって来たのは、3代目モデルの前期型、5ドアの最上級に位置するCXターボだ。

 3代目の特徴は、現代の5ドア車にも通用する先進のデザインと、前期型は初代から連綿と続く技術の良心の融合だ。

 このお洒落なデザインは、後にフランスのメーカーがそっくりそのまま真似をして出してくるほど、優れており、この垢抜けたデザインを、コテコテの大阪のおばちゃんの足にするのには無理があった事が、3代目が、2代目よりも不人気だった理由だろうと思ってしまうほどのデザインだ。


 シルバーのボディは、30年前のベーシックカーとは思えない程、綺麗に保たれている。


 そして、持ち主の情報も流れ込んでくる。

 新車当時30代の男性は、妻と2人暮らし、下取り車は無く新規買いで、納車されたのは官舎風の団地。

 夫婦は一男一女に恵まれ、念願のマイホームを買って引っ越し、順調に子供も成長していくが、沙菜には妙に引っかかる事があった。


 「このおじさん、どんな仕事してるんだろ?」


 沙菜が読み取っていて違和感を感じるのは、いつも時間帯がバラバラなのだ。

 普通は、通勤に使っていれば朝夕だったり、休日オンリーの使い方でも、大体使い方のパターンというのがあるのだが、このシャレードのオーナーからは、それが感じられないのだ。

 そして、家族揃って車に乗っている映像がほとんど出てこないというのも、沙菜の今まで経験した車葬ではあり得ないのだ。


 ある日、朝の3時にシャレードに乗って出かけた主人が入って行った先を見て、沙菜は悟った。

 

 「警察の人だ」


 シャレードは警察署の裏の駐車場に入ると、主人が数人連れと出てきて、駐車場に止められていた初代セフィーロに乗って出かけて行く、覆面パトカーだ。

 どうやら、主人は刑事のようだ。


 奥さんも、眠れぬ夜を何度も過ごすような凶悪な事件を追う事もしばしばありながらも、無事定年を迎えて、子供も既に巣立ち、ようやく夫婦で出かけた旅行から家に戻って、ゆっくり過ごしていたある日、妙な出来事の映像が流れ込んでくる。

 シャレードで出かけた先で、ずっとシャレードの中から、一点を窺う主人、出てきた男を、新聞で隠しながらスマホで撮影する。

 そして、その男の乗った車を3台後から尾行している。


 ある日は、車を使わずに散歩のふりをして、何かを調べている様子だった。

 日常生活に喰い込んでくる、刑事の本能がさせる内定行為が体を蝕んだむしばんだのかどうかは定かではないが、主人は、定年から4年が過ぎた今年の夏の暑い盛りに亡くなってしまい、奥さんはすっかり意気消沈してしまっていたが、少しずつ遺品の整理をしようと、免許が無くて運転できないシャレードを処分してここにやって来た……という歴史だった。


 そして、車からの強烈な思念が感じられた。

 それは、このシャレードのものというよりも、パートナーである元刑事の老人のそれだろう。

 しかし、このシャレードも、そんな刑事のパートナーとなったのだから、その使命感に燃えているのだ。その熱い思いは紛れもなくこのシャレードから出ている。


 そして、トランクを開けると、沙菜は導かれるようにして開けた先を見て思わず言った。


 「また、スペアタイヤなの?」


 そして、そこにあったものを取り出すと、再び前に回り込んで


 「お疲れ様……良き旅を」


 と車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 数日後、沙菜はカフェで、女性と面会した。

 シャレードの主人である元刑事の奥さんだ。


 「今回、車に残っていた思念を捜索した結果、これらが見つかりました」


 と言うと、書類の束と、USBメモリーを渡した。


 「やっぱり、調べていたのね……」


 沙菜も一応、中身をチラッと見たが、12年前に起こった未解決の強盗殺人事件を独自に追っていたレポートだった。


 「一応、在りし日の姿は見えてきましたが、仕事を辞めた直後に、何かしらのきっかけがあったようで、ずっと追っていたようです」


 沙菜は、コーラフロートを一口飲むと


 「車からは、この2人にこれを渡して欲しいという強い思念を受け取っています」

 

 と、メモを渡した。

 奥さんの話では、1人は、後輩の刑事、そして、もう1人は馴染みの記者だそうだ。

 恐らく、警察側だけに渡すと、越権行為で調べた事が問題視されて、表沙汰にならない事も考えて、マスコミ側からも攻めて来させる戦法なんだろう。


 「最後まで、刑事だったんですね。あの人は……」


 奥さんは、遠い目で窓の外を見て、ため息をついていた。

 

 「ありがとうございました……」


 奥さんと別れて、バイオレット・リベルタに乗って出発した沙菜は、恐らく、家に帰って、受け取ったものを整理した時に、中身に気が付いた奥さんがどのような反応を示すかを考えると、ちょっと笑いがこみ上げてきてしまった。


 実は、シャレードからは、もう2つ沙菜が見つけたものがある。

 元刑事のオーナーの強い思念に導かれて小物入れの奥をさらったところ、包みに入ったままのブレスレットと、古びた指輪の箱が出てきたのだ。

 ブレスレットは、今年の結婚記念日に渡そうと思い、唯一妻の目の届かないシャレードの中に隠しておいたまま、亡くなってしまったもの、そして、もう1つは、渡そうと思って用意しながら、事件に召集されて渡せなかった婚約指輪だそうだ。


 1週間後、未解決事件の犯人が逮捕された事をニュースで知った。

 決め手は、元刑事の老人の執念の調査で見つかった数々の新事実で、それを報じた週刊誌に押されるように、警察が調査したところ、そこから物的証拠も発見され、遂に解決に至ったそうだ。


 そのニュースを見ている際に、例の奥さんからこの間のお礼の電話がかかってきた。

 ブレスレットと指輪の事も、その際に話したが、奥さん曰く指輪は当人の記憶違いで、後日受け取ったものの、サイズが違っていて、彼が作り直して貰ってくる……と言って持って行ったきり戻ってこなかったものだったらしい。


 刑事だったオーナーは、シャレード謎解きの名の通り、人生の最後まで謎解きをし続け、それは実を結んだのだが、こと、奥さんの心は今一つ解き明かせていないな……と、いう事を知る者は、今や沙菜だけである。


 

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