第7話 選択と空回り

 気遣いや配慮は、相手に届かなければ、ただの独りよがりとなる。

 しかし、わがままのつもりでやっている事が、時に人の心を掴む事もある。

  

 「マジでミスっちゃたよ~」


 沙菜は、その日、友人のあさみとスマホのプランについて話している時に気が付いた事で後悔しているのだ。

 沙菜は、スマホを替えた時、料金プランをそれなりにしっかり調べてから選んだつもりだった。

 しかし、あさみと話していて、実はそれよりも遥かにお得なプランが存在する事に気が付いたのだった。


 しかも、後悔先に立たずで、今から乗り換えるには、複合的に契約した他のプランもやり直さなければならないため、違約金無しでプラン変更するには、3ヶ月は動かせないのだった。


 リビングのソファで、そんなスッキリしない顔をしていた所に祖父がやって来ると


 「どうした? 何に悩んでるか知らないが、お金の事なら、車葬を頑張れば済む話なんだぞ? どうだ?」


 と言ってきた。


 今回に関しては、回り回ってお金の問題という結論になる。

 素直に祖父の提案に乗っておく事にしようと沙菜は思った。


 翌日、学校から戻って工場に入った沙菜の前には、仰々しいフロントと大きなリアスポイラーが目立つ、くたびれた紺色とシルバーのツートンカラーの、現代の目で見れば普通の形をした車が佇んでいた。あくまで、現代の目で見ればだ。


 「ギャランスポーツかぁ……」


 沙菜は、ちょっとヤバいものを見てしまたかのような口調で言って


 「はじめるよ」


 と、いつものようにボンネットに静かに手を触れた。


 三菱の中核をなすシリーズとしてギャランが登場したのは1969年。

 8世代続いて、2005年、セダン市場の低迷を理由にその歴史に幕を下ろす。

 3代目と6代目が空前の大ヒット、初代と4代目がヒットするものの、他はパッとしない状況だった。


 ギャランスポーツについて触れる前に、登場の背景を説明すると、不振にあえぐ7代目を販売していた'90年代中盤、日本市場は空前のRVブームだった。


 きっかけは、'89年登場のスバルレガシィ・ツーリングワゴンのヒットによる、ステーションワゴンブームと、ほぼ同時期に若者を中心にパジェロや、トヨタのハイラックスサーフ、日産テラノなどのクロカン4駆ブーム、更には'90年のトヨタエスティマ、'91年の日産バネットセレナの登場によるミニバンブームなどが相次いで勃発したことによって、各メーカーはRVのラインナップ強化に奔走する事となる。


 そんな中で、パジェロやデリカスターワゴンなどのカテゴリーリーダーを持ち、販売状況も鰻登りで勝ち組の三菱だったが、手薄だったのがステーションワゴンだった。

 当時、三菱はひとクラス下のリベロワゴンと、ひとクラス上のディアマンテワゴンは持っていたが、レガシィやアベニール、カルディナなどがひしめく激戦区のミドルクラスのギャランにワゴンを持っていなかった。


 しかしながら、開発中の次のモデルまで待っていては、ビジネスチャンスを無駄にしてしまうため、それまでのとして妙案を思いつく。

 輸出用のギャランにある5ドアモデルをRV風に仕立てて発売するのだ。


 しかし、当時の日本には『5ドア車は売れない』という不文律があった。

 スペースに制約があって、居住空間のために致し方ない軽自動車以外は、5ドアのボディは、国内では全くと言っていいほど、売れなかったのだ。


 そこで、妙案を講じ、ハイパワーな2000ccと2000ccのツインターボエンジンの2本立てとし『RV+スポーツ』というコンセプトで、登場したのがギャランスポーツだ。

 ちなみに、キャッチコピーは『GTRV』。

 全車に、ステーションワゴン風のルーフレールを、ターボにはスポーツカー張りのリアウイングと、クロカン風のフロントガードバーを装備、全車をツートンカラーにするなど、スポーツとRVの融合……と謳ってうたって登場したが、正直、市場からは悪い冗談という反応をされて全く売れずに、2年後のギャランのモデルチェンジの際に、ひっそりと消滅した。


 そして、持ち主の情報も頭に流れ込んでくる。

 新車購入のワンオーナーで男性、当時の年齢は30といったところ。

 次々に情報が流れ込んでくる。彼は、地方から東京へと出てきて、必死に流行っているものに喰らいついて、そこそこにこなしてしまう、当時の都会にはよくいたノリの軽い男性だった。


 しかし、そこそこにこなしているというだけなので、どうにも流行りを若干外す傾向にあり、前車は、スペシャルティカー市場で、5代目日産シルビアに覇権を奪われた過去の王者である3代目ホンダプレリュード。


 沙菜には彼の情報も流れ込んでくる。

 彼はノリが軽く見えても根が真面目なので、RVブームの最中に乗り換えようとしても、外したものが選べなかったのだ。

 パジェロやテラノのようなクロカンは、使い勝手の悪さを考えると踏み切れず、またレガシィやアベニールのようなステーションワゴンは、彼の年齢だとライトバンと見なされるという恐れがあって、これまた踏み切れなかった。

 RVの王者、三菱から選べば外さないだろうと思っていたが、クロカンとステーションワゴンが選べないとなると選択肢は少なく、当時売れていたRVRにするかこの車にするかで悩んだようだ。


 「そこで、なんでコレ選んじゃうかな~?」


 沙菜が思わず口走ってしまった。

 そのくらい、彼のチョイスは『あり得ない』それなのだ。

 前車も年式的に考えて、よほど好きとか、親戚がホンダ関係とかでない限り、普通はシルビア買うだろう……というレベルだ。

 案の定、彼のプレリュードは大した下取りにならなかった。


 そして、彼はここでもミスチョイスをしてしまったのだ。

 RVRという訳の分からないネーミングの車より、ギャランというブランドの安心感を取ってしまったのだ。


 ここまでの情報の後、今度は彼自身の人生のこの後が出てきてしまう。

 直後に結婚し、幸せな人生を手に入れた様に見えた彼だったが、その後の人生でもあり得ないチョイスは続いてしまう。

 あり得ないチョイスで社内を敵に回してしまって左遷されるも、家族のために歯を食いしばって、我慢を重ねる。


 その家族にもあり得ないチョイスをして、すっかり家でも居場所を失くしてしまう。

 そして、大学生の娘が、卒業を迎える来年、妻から公然と離婚したい旨を伝えられている事も沙菜の頭の中に浮かんできた。


 次に車からの強い思いに耳を傾ける。

 もう、車としての使命は果たしたと考えているギャランスポーツは、ただ1つの願いを発し続けている。

 自分は死に絶えても、自分という日陰者を選んでくれた酔狂な男に、たった1つのメッセージを……。


 「分かったよ……良き旅を……」


 沙菜は優しくギャランをいなすように言った。

 そして、祖父を探すと、ある事を訊ねた。


◇◆◇◆◇


 2ヶ月後、ギャランスポーツのオーナーは、祖父の工場へとやって来た。

 今日は、次の車の1ヶ月点検の日だ。

 祖父の工場では、新車も扱っているので、注文を貰っていたのだ。


 「いやぁ、あの時、言われて吹っ切れました。本当に良かったです!」


 実は、沙菜がギャランスポーツから言われていた思いは、彼には、次こそ自分の本当に欲しい車を買って欲しい、『自分を出して』欲しいというものだった。

 それを祖父に言ったところ、祖父は、彼から頼まれていた新車の見積もりを破り捨て、彼を呼んで、話し合ったそうだ。


 当初こそ、認めなかった彼だが、ギャランスポーツからの思いを聞かされて、ハッとしたようで、それから1週間、悩みに悩んで、次の車を決めた。


 やってきた車は、ハッとするようなブルーのフェアレディZ。

 彼は自問自答を続けて、本当に乗ってみたかった車を考えた結果、子供の頃に憧れたフェアレディZに乗ってみたいという願望を、心の奥底に沈めたまま生きてきたのだと気づいたそうだ。


 「あのギャランスポーツには、全てお見通しだったんですね。言われてから、ウジウジ考えるのやめました。そうしたら、少しずつ周囲も変わってきたように見えたんです」


 彼曰く、車が変わっただけで、何が変わるという事は無いとは思っていたが、もう、余計な事を考えずに、本能の赴くままに行動するようにしたのだそうだ。

 もう、定年までに出世できる見込みもなく、家庭でだって、見直される事もなくお払い箱ならば、言いたいことを言って、やりたいことをやるようにしたのだそうだ。


 すると、ほんの小さな変化が現れたそうだ。

 会社では、若い社員の一部から一目置かれるようになり、家では、長らく口をきいたこともない娘から話しかけられたそうだ。


 たった1台の車で、人生が変わる事なんてあり得ない。

 しかし、その1台の車で、自分が変わる事ならば出来るのだ。

 彼のあり得ないチョイスは、最後の最後に一周回って、あり得ない事ではなくなったのだ。


 「実は、娘から、迎えに来て欲しいって言われてるんですよ」


 点検を終えて嬉々としてZに乗り込む彼の背中を、誰よりも嬉しく見ているのは、今や部品単位でバラバラになって倉庫に眠るギャランスポーツであるのは間違いない。

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