第6話 愛に恋

 親の心、子知らずとも言うが、子の心、親知らずとも言う。

 親と子は、距離的に最も近いかもしれないが、歳を経るにつれて最も遠い存在になる事もあるかもしれない……。


 「う~ん……どうしようかなぁ……」


 1枚の紙を見て、紗綾は悩んでいた。 

 沙菜が見ていたのは、模擬テストの結果のシートだ。

 祖父の工場を継がされたくない沙菜は、勉強だけは、子供の頃からしっかりやるようにしていた。


 大学に進学して、大企業に就職してしまえば、祖父も沙菜に対する妙な期待をする事もなくなると、専門学校や、自動車大学を勧める祖父の意見を無視して、大学へと進学するつもりなのだ。


 今までの努力の甲斐あってか、現役合格はほぼ間違いない学力ではあるのだが、ここに来て、志望校よりもう1ランク上も狙える点数が取れるようになって、どちらにするかで悩んでいるのだ。


 そのことについて、前回の模擬テスト後、祖母と話していると


 「やりたいことが無いんだったら、無理せずにここを継げば良いだけだぞ」


 と、祖父に嫌味を言われたので、尚のこと意地になっているところもあるのだ。

 絶対に、1ランクでも上の大学に入って、こんなカビの生えた修理工場など継がないという道筋をつけておくのだ。


 カフェで色々考えても結論は出ず、ゆっくり考えようと気持ちを切り替えて家に戻ると、いきなり玄関先で祖父と会ったので、沙菜は思わず不機嫌になってしまった。

 それを見た祖父は、ちょっと困った表情になったが、すぐさま思い出したように


 「沙菜、小遣いが欲しくないか? なーに、簡単な車葬だよ。簡単な」


 と言った。

 沙菜には、唐突にやって来る祖父のこの手の車葬依頼に、最近抵抗感があるのだ。

 ここのところ、立て続けにディープなのばかりだからだ。

 特にこの間のCR-Xの件は、かなり沙菜にも堪えたので、そういうのならご免こうむりたい。


 「本当に簡単で、お金も弾んじゃうから」


 そこまで言うのなら、祖父の妙な機嫌取りに乗ってみる事にした。

 もし、今回もとんでもないことがあったら、それを口実に以後断ればいい。


 工場に入ると、前回のCR-Xに続いて小ぢんまりした車が佇んでいた。

 色はエメラルドグリーンというのか、青とも緑とも言い辛い色だ。


 「フェスティバか……」


 沙菜は言うと、車の周りを見て回った。


 フォード・フェスティバ。

 この車の生い立ちには、過去にフォードグループと提携関係にあったマツダが色濃く関わってくる。

 ロータリーエンジンの量産化に成功して、続く世界的な排気ガス規制の波もロータリーの技術で乗り切ったマツダは、ロータリーで世界を変えるべく、日本とアメリカで拡大戦略を取った途端にオイルショックによって死命を制されてしまい、倒産は時間の問題と言われるほどになる。


 その際に、アジア地区への進出を模索していたフォードとマツダの思惑が一致して資本と技術の提携が行われるのと同時に、日本を含めたアジア向けの開発をマツダが行って、フォードブランドで売るというスタイルが確立される。

 それに伴って、日本でもオートラマというディーラー網が整備され、ファミリアをベースにしたレーザー、カペラをベースにしたテルスター、ワンボックスのボンゴをベースにしたスペクトロンが販売される事となった。


 この戦略は、なかなかの成功を見る。

 当時登場し始めた大型のショッピング施設に入居し、イベントホールに車を展示して、トヨタや日産の車より遥かに安い値段で販売するのだ。

 外車は故障する、サービスが心配だと言う奥さんに、『マツダが作っているので信頼性にもサービス網にも心配ない』というセールストークを展開する事で、そこそこの売り上げを上げたのだった。


 そのフォードとマツダの戦略が成功しつつあった1986年にマツダが開発して、フォードが販売する、日本フォード最小のコンパクトカーが誕生した。それがフェスティバである。

 1100ccと1300ccのエンジンを積んだ3ドアのみのこの車は、背の高くて愛嬌がありながらもカッコ良さも兼ね備えたデザインと、日本で初となる天井部が伸縮する幌で覆われた電動キャンバストップ、多彩なシートアレンジが受け、若い女子を中心にヒットを飛ばす。

 今までのオートラマの車は、安いからと消去法で買われるのに対して、フェスティバでは初めて、この車を買うためにオートラマへと出かけるという指名買いされる車になったのだ。

 後に先のキャンバストップや、スポーティなDOHCエンジン車や、本革シートの豪華仕様なども追加する。


 ちなみに世界の各地域で作られていたのが、このフェスティバの特徴で、日本とアメリカではフォードが、欧州と豪州ではマツダが、そして韓国と豪州では韓国の起亜自動車が生産、販売し、実際にオーストラリアでは起亜プライドと、マツダ121という、フェスティバ同士がライバルになったりした。


 2代目は1993年に登場。

 アメリカの要望を受けて大型化と共に背の高いキュートなスタイルから、クーペを縮めたかのようなルーフの圧迫感のあるデザインに変わり、日本市場では閑古鳥が鳴き、3年半後の1996年に生産終了し、姿を消す。


 ちなみに、このフェスティバのシャーシが、レビューや、デミオを産み出すことになり、初代デミオの兄弟車には、フェスティバ・ミニワゴンというフォード向け車種もあった。


 「はじめるよ」


 沙菜は、年式を感じさせないほど綺麗なフェスティバのボンネットに、優しく手を触れた。


 次の瞬間、沙菜の頭の中に情報が矢継ぎ早に流れ込んできた。

 この車には2つの映像が流れるため、2人のオーナーに乗られているが、『どちらが』という訳でなく、思念はほぼ同量出ているという珍しいケースだった。


 最初のオーナーは新車時30代前半の女性。

 前車は当時、軽自動車で唯一のクーペボディだったスズキセルボ。

 単身赴任の旦那さんは、月に一度しか帰って来られずに、家のマークIIは赴任先に乗って行ってしまうため、軽より少し大きめの車という事で、お洒落なフェスティバを選ぶ。


 当時、4歳の女の子を抱えて、家事と子育て、自身も実家の家業の魚屋さんの手伝い、更には月に一回、旦那さんの赴任先へ家事をしに……と、目まぐるしくフェスティバで動き回る日々を送る。


 やがて、娘が小学生になり、中学生になる頃、ようやく旦那さんの単身赴任が終わり、フェスティバは、近所の移動オンリーの隠居生活に入る。

 旦那さんの車が、マークIIからセフィーロ、ディアマンテ、ステージア……と変わっても、フェスティバは変わらずにいつもの場所に佇んでいた。


 そして、ある日を境に、突然2人目の持ち主へと切り替わる。

 これは沙菜にとっては初めての体験なのだが、映像が連続しているのだ。

 普通は、1人目の持ち主が、売却先へ引き渡したところで、映像が途切れて2人目の最初の画像へと切り替わるのだが、今回は違うのだ。


 「2人目は、娘だ」


 沙菜の言う通り、2人目のオーナーは新車当時4歳だった娘になったようだ。

 最初は、引っ越し荷物を積んで家を出発するところから始まる。

 数年間の1人暮らしの後、結婚し、女の子と男の子に恵まれる。


 母と同じく、家事と育児に忙しく駆け回るが、旦那はギャンブルに依存して人間が変わり、子供が小学生になる前に離婚。

 以後は、仕事に家事に、学校行事に……と、フェスティバは往年の如く、あちこち動き回る日々を送る事となる。


 そして、今年の春。

 下の子が大学を卒業。就職したことによって彼女は1人での生活になり、思い出の詰まったフェスティバを手放してキューブを購入する。

 実は、娘がフェスティバを引き取りたいと言ってきたのだが、彼女は今更5速マニュアルで、窓も手動、エアコンも時々調子が悪くなるフェスティバになんか乗る必要はないから……と頑として首を縦に振らず、ここにやって来たのだ。


 「大変だったんだねぇ」


 沙菜は、言いながら、車からの声に耳を傾け、室内の一点を捜索した。

 それは、フロントシートを外し、そのカーペットの隙間に、ピックアップツールを突っ込んで、沙菜には見える光を手繰っていった。

 そして、それを拾い上げた沙菜は、満足そうな顔で微笑むと言った。


 「良き旅を」


◇◆◇◆◇


 1週間後、沙菜の元にオーナーの娘がやって来た。

 今回、車を解体に持ち込んだのは母親だが、娘がこっそり車葬を依頼していたのだ。


 沙菜は、最初に彼女にあのフェスティバと同じような色をした小さな何かを渡した。


 「これは……」

 「お母さんに渡してください。これは、小さな頃のお母さんが探していた思い出です」


 それは、フェスティバのチョロQだった。

 最大の特徴であった、キャンバストップが可動するように作られていたそれは、実車同様キュートで、一目でそれと分かるものだった。

 フェスティバのチョロQは結構長期に渡って作られていたが、版権の問題なのか後半になればなるほど、ロゴマークが消えていくのだ。

 例えば、ディーラー名の『Autorama』が『Automama』になったり、フォードのロゴのFの点が消えて『Jord』となったり、最後の方になると商品名がフェスティバから『キャンバストップ』という名前に変更されたり……と、その名を名乗る事も憚られるような商品になっていくのだが、これは全てのロゴマークの残った、かなり古いものだった。


 沙菜は、思念を読み取る中で、初代オーナーの頃から、2人目のオーナーである娘の

 『私のフェスティバが無くなっちゃった』

 という思念が最も強いことが分かった。

 そして、車側からはその在り処を示す思念があったので、今回救い出したのだ。


 沙菜は続けて言った。


 「今回、車から受け取った思いは、お母さんが、自分と同じ苦労をさせたくない、という思いから、この車を譲ることは拒絶されているという事です」


 沙菜にも分かる。

 2人目のオーナーである母親にとって、このフェスティバは、苦労する女性の象徴のような存在なのだ。

 生活と子育てに奮闘する母親の背中をこの車で見て育ち、そして、自分もまた、その茨の道を歩んだ象徴なのだ。


 しかし、今回見つけたチョロQがあれば、彼女が小さな頃にこの車に抱いていたピュアな思いをきっと思い出してくれる。少なくとも、この車は、そう信じている。


 沙菜は、娘にそれを手渡すと


 「それを渡して、お母さんともう一度、話し合ってください。それまで車は置いておきます」


 と、ニコッとして言った。


 チョロQを持って帰って行く彼女を見送った沙菜は、伸びをすると、振り返って


 「さぁ~て、勉強でもしますかぁ、私のために」


 と言うと家へと姿を消した。

 

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