第5話 互いのパートナー

 人がこの世から去ったとしても、必ず人が生きた証は残っている。

 それは、関わった人々の心の中にもであるし、形に残るものの場合もある。  


 「埋蔵金……かぁ」


 テレビを見ながら沙菜はつぶやいた。

 特にテレビが見たかったわけではないが、祖父母が出かけてしまい、リビングに居なければならなくなったためにテレビを見ていたのだ。


 土曜日の午後という時間帯故か、再放送の特番ばかりで見るものもない。サスペンスドラマか、旬を過ぎた観光地の食べ歩きか、路線バスの乗り継ぎ旅とか、沙菜の興味をひかない番組ばかりで、見るのも辟易し、唯一妥協できたのは、埋蔵金を探す番組だった。


 そして、沙菜は思った。

 どうせだったら、工場の地下か、解体ヤードの下あたりから出てくれれば、こんな工場は即畳んで、マンションにしちゃうのになぁ……と。

 祖父の家と工場がある一帯は、駅からも近く、マンションのオーナーになってしまえば、沙菜は一生働かなくても食いっぱぐれはないだろう。


 祖父が聞いたら、きっと


 「沙菜のバカさ加減には、じいちゃん、情けなくて涙出てくらぁ!」


 とか言うだろう。


 結局、お約束通り埋蔵金は出てこずに番組は終了し、沙菜はする事もなくスマホ片手にソファにゴロンと横になった時、祖父母が帰ってきた。

 そして、お土産のスイーツを持った祖父は、沙菜を見るなり


 「沙菜、月曜以降に、ちょっとどデカいのを頼むことになるからな、バイト代、期待しとけよ」


 と嬉しそうに言った。

 祖父も、年頃になった沙菜が喜ぶものが分からず、取り敢えず現金……という風にしかご機嫌が取れないのだ。


◇◆◇◆◇

 

 「どデカいねぇ……」


 水曜日の夕方、沙菜はそれと対峙して思わず言った。

 埃にまみれて白っぽくなっているが、元の色である黒がしっかりと自己主張している車は、ホンダCR-X。2代目モデルだ。

 どデカいどころか、ちんまりとしていて、ど小さいに相応しい。


 1983年にシビックの兄弟車であるバラードシリーズの一員として、バラードスポーツCR-Xと名乗り1300ccと1500ccでデビュー。

 途中で1600ccのツインカムエンジンを追加した後、1987年にモデルチェンジした際には、販売不振で消滅したバラードの名を捨て、CR-Xとなる。


 1300ccを廃止し、1500ccのツインキャブと、1600ccのツインカムとなった。

 マイナーチェンジでホンダが開発した新機構である可変バルブタイミング機構のVTEC(ブイテック)を搭載したハイパワー版が出るなど日本ではミニ・スポーツの趣で人気になる。


 3代目は1992年にデビュー。

 オープントップを標準装備したCR-X delsol(デルソル)にモデルチェンジする。エンジンラインナップはほぼ先代を踏襲するが、日本では急速に人気がしぼんだ事、北米での車種統合の煽りを受けて1998年に生産が終了して、CR-Xは消滅する。


 ちなみに、3代目のデルソルに関しては、未だに日本人の中で突然変異種と見られているが、これはメインマーケットのアメリカでのニーズを無視した勘違いによる思い込みだ。

 アメリカでのCR-Xは、主婦や高校生のちょっとお洒落な足車、日本でいうヤマハ・ビーノのようなお洒落原付的なものだ。

 複数所有で、車の使い分けが徹底してるアメリカにおいて、この手の車は街中のちょっとした移動に使われるため、狭くても燃費が良くてお洒落なら良しとされる。


 そのために、初代からルーフに特徴のあるモデルをラインナップしているのも、CR-Xのアイデンティティなのだ。

 初代は大きなアウタースライドサンルーフや、ルーフから外気を採り入れるルーフベンチレーションシステム仕様車を設定し、2代目では、全面ガラス張り天井のグラストップ車を設定するなど、徹底してルーフに特徴のあるコンパクトクーペというコンセプトなので、デルソルは正常進化なのだ。


 残念ながら、複数所有や車の使い分ける文化の無い日本では、CR-Xに、人が乗るに堪えないリアシートをつけて4人乗りとし、汗臭いスポーツクーペとして乗る層が多いため、デルソルが誤解されやすいのだ。


 沙菜は、その小さなクーペに手を触れると


 「はじめるよ」


 と目を閉じて、いつものように車葬に入った。


 このCR-Xは、2オーナーのようで、2つの映像が浮かんできた……。

 最初のオーナーは、20代の男性で、映像の不鮮明さから、思念が少ないものと思われるので、2人目のオーナーに意識を集中する事にした。

 

 2人目は、20代の女性。カローラIIを見に来た中古車店で、この車が気に入り、お店に4台あったCR-Xの中から、悩みに悩んで、この車にしたようだ。

 最初のドライブは、女友達と一緒に出掛けた江の島。普段は都内に通勤しているため、平日は月極駐車場で眠っているが、土日はほぼフル稼働で青森から、四国八十八ヶ所巡りまで、あちこち出かけた。


 ……そこまでで、沙菜はハタと動きを止めた。

 沙菜の車葬の能力では、ある程度のところから、その車の見たい対象のオーナーが、存命か否かが分かるのだ。それによると


 「この人、死んでる……」


 沙菜が、祖父から車葬を受ける時、最初にこの情報を受け取っておくのだ。

 相手が生きているか、そして、どんな経緯でここに来たかによっては、残留思念の量が天と地ほどの違いがあるため、沙菜の体力の消耗っぷりが違うのだ。

 今回、祖父からは、その点についての情報はなく、廃屋解体の際にあったものとしか聞かされていないのだ。


 「ちょっと、爺ちゃん……高いからね!」


 沙菜は呟いてから思い出した。そう言えば祖父は『ちょっとどデカいのを頼むことになる』と言っていた事を。

 そういう事か、車の大きさじゃなくて、ディープ度合いの大きさの事を言ってたんだ。


 沙菜は続きを見た。

 オーナーである彼女は、特有の泣きどころである雨漏りや、グラストップの弊害である晴れた日の直射日光などに悩まされながらも、CR-Xとパートナーのような生活を楽しんでいく。

 パワーがあるからと、店員に乗せられて1600ccのSiRを買ったために妥協したマニュアル車の運転も、この頃にはすっかり気に入って、自分だけのかけがえのないパートナーになっていった。


 それから2年。

 彼女に突然の縁談が持ち上がる。

 適齢期になっても遊びに夢中で、結婚相手はCR-Xなどとうそぶく彼女に、周囲が世話を焼いたのだ。


 彼女は、半ば強制的に、とある地方の名士の後妻に入る事となる。

 好きにしていて良いと言われ、特に何も言わずに優しい夫と、たまにやって来る自分より年上の息子と始まった暮らしは、彼女の中で違和感となる。


 働かず、しかし、家政婦さんがいるためにロクな家事も出来ず、何もせずに過ごし、夜は夫の相手をするという籠の中の鳥のような無味乾燥の生活を送り、唯一のパートナーだったCR-Xも失い、彼女の目から徐々に光が失われていった。


 そして、ある夜、呼ばれて行った蔵に入ったところを、突如背後から殴り倒される。

 気絶したところを、ダメ押しにロープで首を絞められ、彼女の人生は終焉を迎えてしまう。


 「えっ!? マジ? これって、殺人じゃん!」


 沙菜は驚いたが、更に続きがあった。

 息絶えた彼女の先にあったCR-X。

 彼女の亡骸を抱えた犯人は、CR-Xのバックドアを開けて荷室に彼女を放り込む。

 更に時間をおいて、再び犯人が、彼女の物とおぼしき赤いトランクもCR-Xに放り込むと、夜の闇にCR-Xを走らせる。


 山中の林の中、大きな木の根元に穴を掘って遺体とトランクを埋めるとCR-Xに乗って、再び元の蔵の中に戻る。


 「……そうだったんだね……良き旅を……」


 沙菜は、とても複雑な表情で言った。


◇◆◇◆◇


 翌日、沙菜の見た映像をもとに、捜索が行われた結果、山中から彼女の遺体とトランクが発見された。

 荷物をまとめて失踪したことから、家出人として処理されていたのだが、殺人事件として捜査が始まり、3日後には息子が逮捕された。


 動機は、若い母親に財産を分与されるのが嫌だったためというものだった。

 父親をそそのかして彼女のCR-Xを探させて買い戻し、サプライズに蔵へと隠させておいて、あの夜、父親に内緒でCR-Xを餌に、彼女を蔵へと誘き出したのだった。


 その後、全ては露見していなかったが、父親が彼女を信じていて、CR-Xを死ぬまで処分しようとしなかったことが、彼にとっての誤算だった。

 結局、最近父親が亡くなるまで手を付けられなかったCR-Xの処分を蔵の解体を任せた業者に丸投げしたことから、沙菜のところへとCR-Xを導くことになってしまったのだ。


 彼女と夫との間に愛情があったのか否かは、今となっては知る術はない。

 しかし、夫は彼女の帰りを信じて待っていた事は、このCR-Xの存在が示している。


 CR-Xは証拠品として押収されている。

 裁判が結審しても、彼女も夫もこの世の人ではなく、唯一の相続人であった息子も、この事件で相続資格をはく奪されたため、裁判が結審した時、彼女の生きた証であったCR-Xはこの世から姿を消すことになるだろう。


 沙菜は疲れ切った心と体を引きずって、シャワーを浴びにお風呂場へと向かった。


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