第4話 豹と美しい妻
何故なら、彼には力を上手く使う頭も、従者を使う能力も無いのだ。
あるのは力と真っ直ぐな心だけなのである。
「まったく、孫遣いが荒いよね……」
沙菜は、バイオレット・リベルタを運転しながらボヤいていた。
休日のその日、沙菜は朝から、クラスメイトで友人の里奈と一緒に出掛けていたのだ。
あちこちを回って買い物を楽しんで、お洒落なレストランで早めの夕飯にしている時だった。
沙菜の携帯が鳴った。
LINEの着信音で祖父だと分かった沙菜は、無視を決め込んでいたが、5分おきに3回メッセージが届いたのだ。
里奈がドリンクバーで席を外した時に、スマホを見ると案の定、メッセージの主は祖父で、5分おきに『無視するなー』『早く読め』『気付かないフリしてるのは、分かってるんだぞ』と、催促のメッセージまで送られてきていた。
里奈を家まで送った後で、家に向かった。
もう、この車にもすっかり慣れた自分が、祖父に踊らされているように映ってしまって、とても不快に感じた。
各ゲート間の距離の異様に長く感じる5速MTも、遠くに見えるフェンダーミラーも、馴染んでしまうと違和感というより優しさに感じてしまうのが、慣らされているように感じて神経を逆なでしてしまうのだ……。
工場や解体所でなく、敷地の違うサイドにある家に戻ると、祖父をリビングで捕まえた。
「いい加減にしてよね。私は、色々忙しいの! 爺ちゃんの連絡にすぐレスポンスなんてできないから!」
沙菜が文句を言うと、祖父は喰って掛かったが、そこを祖母にピシャリと
まぁ、現代のどこの家庭でもそうだろうが、真藤家もかかあ天下なのである。祖父は祖母には何も言えない。
すると、祖母は
「ホラっ! おじいさん。例の話っ!」
と、明らかに肘で祖父の脇腹を突いたような音がすると、慌てた様子の祖父の声がした。
「あぁ……そうだ、沙菜。車葬の話があるんだが、やってみるか?」
「え!?」
沙菜が驚いたのも無理はない。
車葬は祖父もできるのだが、沙菜を車葬人として育てたいという祖父の想いと、沙菜の懐具合が一致した時のみ、やっているケースが大半なのだ。
これはきっと祖母の差し金だ。
まぁ、乗っておくに越した事は無い、お金は大事なのだ。
◇◆◇◆◇
翌日の夕方、学校から戻った沙菜は工場へと回ると、そこにはシャンパンゴールドのちょっと大きめの4ドアサルーンがあった。
大きく口を開けたように佇むフロントグリル、大きく下がったリア周りと、横一線のリアランプが外観上の特徴だった。
「レパードJ.フェリーか……」
沙菜は口ずさむように呟いた。
日産レパード。
1980年にデビュー。2ドアと4ドアのハードトップは先進的なデザインで、このデザインを実現させるために、当時の日産車の中で唯一、センターピラー付きのハードトップを採用するという、禁忌を犯した車でもある。排気量は1800cc、2000cc、2800ccの3種でスタート。
4ドアでありながらデザインに凝って、贅沢装備満載の『4ドアスペシャルティ』を目指したが、翌年、トヨタから2ドアスペシャルティの新型車、ソアラが登場すると、クラスの一致からライバルとして扱われ、ソアラの異様なまでの大人気の前に、圧倒されてしまう。
しかし、その先進的なデザインを好む層と、2000ccターボや、3000ccのV6ターボエンジンの追加など、矢継ぎ早のメカニズムの一新が受け入れられて、4ドアをメインに販売が続けられ、1986年にモデルチェンジ。
2代目は、先代で売れ筋だった4ドアを廃止して2ドアのみとし、排気量も2000ccとターボ、3000ccとなり、相手の土俵へと上がってソアラのコピー商品化する。
新開発のV6エンジンをはじめ、先進的な技術を詰め込んだが、デザインが初代ソアラの劣化コピー品に退化、数ヶ月前にモデルチェンジしたソアラに、完全に裏をかかれる。
新開発した3000ccエンジンも、初代ソアラに対抗して、ノンターボにしたところ、ソアラは3000ccをターボ化して国産車最高馬力に昇華、2000ccのターボもツインターボにするなど、レパードを走りの面でも圧倒。
2代目は、テレビの刑事ドラマで使われて、ドラマはヒットしたが、これを見て新車で買う層はほとんどおらず、
3代目は、2代目の後半から売り出したアメリカでの要望に応えて、4ドアセダンのみへと生まれ変わり、車格も更にアップ。
3000ccのV6と4100ccのV8エンジンを搭載し、アメリカのデザインスタジオでデザインをした丸みを帯びて、
反面、J.フェリーのサブネームをつけられて発売した日本では、『大きな車に丸いデザインがミスマッチ』『乗り心地が気持ち悪い』と、アメリカ人が好んだ理由で嫌われて、4年間で約7,000台しか売れずに1996年にモデルチェンジ。
4代目は、バブル崩壊後の不景気の中で国内専用車として4ドアハードトップのみで登場したが、前後ドア、内装、フロントガラスやシャーシなどの殆どの部分がセドリック/グロリアと共用で、セド/グロの姉妹車のような立ち位置での発売。エンジンも、セド/グロ同様の2500ccと3000cc、同ターボの3種。
『自由に、何を賭けるか』というキャッチコピーの初代に対し『高級車の中で、一番自由でありたい』と謳った4代目だが、J.フェリーよりほんのちょっとマシになっただけの販売状況は、閑古鳥と呼ぶに相応しく、セド/グロのモデルチェンジが行われた1999年にモデル廃止。
正直、4世代あっても、全てのモデルに脈絡が無いと言う、世にも珍しい車なのだ。
沙菜は呼吸を整えると、いつものようにボンネットへと触れた。
「はじめるよ」
意識を集中していくと、流れ込んでくる情報を静かに整理していく。
新車ワンオーナーなのは、この車の
オーナーは、新車当時50代後半の男性。
思わず、沙菜はため息をついてしまった。
それは、彼の人となりを見てしまったからだろう。
オーナーは、数々の女性と浮き名を流した、世に言うプレイボーイで、この車が目にした、そういう関係の女性の数を数えるのもままならない程のものだったし、流れてくる情報も、そんなものばかりだった。
収入はそれなりに良くて、そこそこの贅沢であれば、お金に不自由はしなかったため、このJ.フェリーもV8版を購入したようだ。
そんな
しばらく涙を流した後、沙菜はレパードに優しく触れると
「良き旅を……」
と言うと、車葬を終えた。
◇◆◇◆◇
数日後、40代前半と思われる女性と、沙菜は対面した。
「お父様の車なんですが……」
「処分で結構です!」
恐らく、オーナーであった父親には良い思い出は無いのだろう。
物凄く憮然とした表情で言い捨てた。
オーナーの父親は、1人で住んでいたマンションで亡くなっているのが発見され、体の丈夫でない母に代わって娘が、あちこちに呼び出されて迷惑をかけられているといった状況が手に取るようにわかる表情だった。
女性から聞かされた話は、とても長かった。
女癖の悪い父親は、滅多に家に寄りつかず、半ば母子家庭の状態で育ったこと、父親が裕福だったため、お金には困らなかったが、肩身の狭い思いで暮らした事など……だ。
「アイツなんか、死んで清々してる! 母さんは『悪い人じゃないの、許してあげてね』なんて庇うけど、意味分からない!」
そう言う彼女に、沙菜はJ.フェリーから取り出したものを渡した。
「これは?」
不思議そうに訊く彼女に沙菜は、車を通じて訊いた情報を整理して伝える。
「高原の別荘の権利書だそうです。胸の悪いお母様のために、以前から探されていて、契約と譲渡の手続きが終わったのが、亡くなる前夜だそうです」
「今更、なんだって言うのよ!!」
彼女は感情を高ぶらせて言った。
無理もない、今まで血も涙もないヒールだった父親が、こんな事をしていたのだ。どう反応して良いかなんてわかるはずもない。
沙菜は、続けて言った。
「ちなみに、何故、お父様があの車に乗ったかご存じですか?」
「知らないわよ! あんなデカいくせに丸っこくて気持ち悪い車。アイツの変なセンスでしょ」
沙菜は、やっぱりと言った表情で、続けた。
「ご存じないんですね。お母様の希望ですよ。お父様は、それまでクラウン、セルシオとトヨタの高級セダン一辺倒だったのをやめて、この1台に長く乗ったんです」
「えっ!?」
それまで怒りをぶつけるだけだった彼女は、ビックリした表情で黙ってしまった。
「この車のCMコピーは『美しい妻と一緒です』なんです。お父様は、お母様に連れられてこの車を買ったそうです。その時期は、どんな時期か覚えてますか?」
「確か……父が、浮気相手に入れあげて母に離婚を切り出したけど、相手の女に遊ばれてるだけで、叩き出されて帰って来た時……だったと」
沙菜は、分かっていながらも苦笑いを浮かべて言った。
「そうです。その時、お父様とお母様の中で『浮気をしても本命は変わらず1人』と言う約束をし、その誓いの印が、この車だったんです。ちなみに、この車の助手席には、お母様以外の女性は乗った事はありません」
「そんな……バカな!」
「これは、この車が言ってるんです。新車時から、奥様以外の女性は助手席に乗っていないって、見てみると分かりますが、助手席だけヘタりが無いです」
沙菜は、事務所前に持ってきたJフェリーまで行くと、助手席ドアを開けた。
この車には80万円のオプションだった、イタリアのポルトローナ・フラウ社製の本革シートがついており、その革の手入れの仕方から見ても、助手席の綺麗さは際立っていた。
そして、沙菜は、コンソールボックスの中から取り出したものを、彼女に渡した。
「これは……私の?」
それは安産のお守りだった。
中には毛束が入っていて、いつも持ち歩いていた物のようだった。
「これ、車のキーにつけてありました。絶対に無くさないようにという思いが強かったと思います」
沙菜は、お守りが付けてあった車のキーを見せながら言った。
そして、沙菜は彼女の様子を見ると、敢えて言った。
「では、ご希望通り解体に入りますが、外したい部品がいくつかありますので承諾を頂きたいんです……」
「待ってください!」
予想通り、彼女は沙菜の話を遮って続けた。
「この車、私に引き取らせて頂けませんか?」
沙菜は、ニコッとして言った。
「良いですよ。整備もしっかりされていたので、車も、お父様も喜ぶと思いますよ」
今日のところは、帰って貰い、書類を揃えて後日改めての引き渡しとなったが、沙菜は、2回連続のディープな仕事に憮然としながらも、今日のケースにはちょっと感じるところがあったのも事実だった。
そして、沙菜は思ったのだ。
ベンツのAクラスに乗って来ていたあの娘さんには、J.フェリーの運転は、かなりの試練になると。
しかし、それを含めて乗り越える事が、長い間、埋まる事の無かった父と娘の間の溝を埋めるという事なんだろうと思い、ため息交じりに窓の外を眺めた。
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