第3話 願いと叶い

 長らく押し殺していた感情や思いが、突然せきを切ったように溢れ出してくる時、そのきっかけは、ほんの小さな物であることが多い。大きな思いや感情を押し留めていたそれは、物理的には小さくとも、果たした役割は大山よりも大きかったのだろう。


 沙菜は祖父に呼ばれ、学校が終わると急いで家に戻って来た。

 2日ほど前に、今日入ってくる予定の車の車葬を頼まれたためだ。

 いつもなら、気が乗らないところだが、今回は、祖父からバイト代をいつもの3倍出すと言われたため、入庫時刻に間に合うように帰ってきたのだ。


 祖父も沙菜の扱いがよく分かっているのだ。

 彼女が車葬人に誇りを持っていない事は分かっているので、現金で釣ろうという作戦なのだ。


 「爺ちゃん、全然戻ってこないじゃん!」


 入庫予定時刻は午後4時だったが、今は午後4時3分だ。

 その差も気になってしまうほど、沙菜にとって今回のボーナスは大きなものだったのだ。


 それから更に10分が経過した時、裏門の開く音がして、窓の外に祖父の運転するレッカー車の姿が見えた。

 沙菜は、ホッとしたような表情を浮かべるのと同時に、工場内にメタリックグリーンとシルバーに塗り分けられたボディの車がゆっくり滑り込んできた。


 「遅いよ!」

 「悪い悪い、ちょっと道が混んでな。じゃぁ、邪魔しないから始めてくれ」


 沙菜が悪態をつくと、祖父は珍しいくらいあっさりと引き下がり、レッカー車に乗って、外へと出て行った。


 対象車と共に残された沙菜は、車の周囲を一周した。

 さすがに前回のバイオレット・リベルタは沙菜でも分からなかったが、今回の車は、簡単に分かった。

 

 「イプサムだ……」


 トヨタイプサム。

 1994年に登場し、低重心7人乗りのミニバンブームに火をつけたホンダオデッセイに対抗してトヨタから2年後の1996年に登場。

 日本市場においては、2400ccでワイドボディのオデッセイに対して、2000ccとし、経済的なディーゼル車も設定、ボディサイズも小型車枠(5ナンバー)に収めた事が受け入れられてヒットしたものの、徐々に、居住性の悪さや質感の低さが指摘されるようになり、質感をアップさせた兄弟車ガイアを登場させたものの、回復には至らず、2001年にモデルチェンジ。


 2代目モデルは、対オデッセイ色を強め、ボディ、排気量も2400ccに拡大し、ディーゼルエンジンを廃止して、質感と動力性能のアップを図るも、既にこのクラスは三菱グランディス、日産プレサージュ、バサラ、マツダMPVなどのライバルが多数存在するクラスへと変貌、更には初代の唯一で最大の強みだった『5ナンバーに収まる、ディーゼルエンジンがある』というファクターを捨て去った事から売り上げが激減、長期にわたって放置された後、2010年に廃止となった。


 大抵トヨタの車は、先行したライバル車を販売力で圧倒した後、逆にライバル車を自らの土俵へと押し上げ、独自性を失くさせた後で、更に圧倒するという戦略を得意としていたが、このイプサムに関しては、逆にライバル車と輸出市場に目を奪われて、相手方の土俵に乗ってしまうという珍しい失態を犯した車だった。

 

 「確か、この初代のイプサムって、ゆるキャラがいたような……」


 沙菜は、小さな頃に、この工場の中で見た妙なぬいぐるみの事を思い出していた。三角形の体形で、黄色い体と大きな鼻、頭の上からはウサギのような耳が生えた、今でいうところのブサカワ系キャラクターで、ファミリー向けのイプサムらしく子供ウケを狙ったキャラクターだ。


 「『イプー』だ!」


 沙菜は思い出して一人で嬉しくなっていた。

 そうだ、リアルタイムで見た事は当然無いのだが、動画で当時のCMを見る事があったのだ。


 「しかも、喋る言葉が『イプー』だけでさ、マジウケるんですけど」


 しばらく工場内で一人ウケていた沙菜だが、ふと、その恥ずかしさに気付くと、それを振り切るように思い切り頭を振ってから、思い直したようにイプサムのボンネットに手を触れて


 「はじめるよ」


 と言うと集中した。

 徐々に流れ込んでくるこの車の情報を、整理していく。

 ほぼ同時に2つの画像が浮かんでくることから、この車は途中でオーナーが変わっていると思われる。


 沙菜は更に集中力を高めて、どちらの情報が必要かを手繰り寄せていく。

 初代のオーナーは、割合早い段階で手放している事から、残留思念も少ない。

 沙菜は、後のオーナーの歴史を最初から集中して読み込んでいく。


 「ここ、日産の中古車センターじゃない?」


 後のオーナーの最初の画像は、中古車店から始まるが、その壁の模様や、周囲の状況から、日産の中古車店のようだ。

 どうやら、最初のオーナーは日産に下取りに入れたようだ。


 沙菜は興味が湧いてきて、最初のオーナーの最後の日を見てみた。

 このイプサムと同じメタリックグリーンとシルバーのツートンカラーのセレナがやって来て、入れ替わってイプサムにスーツ姿の女性が乗り込んで走り出していく。


 「セレナ買ったんだ」


 沙菜は言った後で満足し、本題の後のオーナーとの日々を集中して見ていく。

 当時20代後半の夫婦と、男の子の家族で、納車されたのは駅から近いアパート。

 最初のドライブは、どうやらカブトムシ採りのようだ。


 次の夏が来る頃、オーナーに連れられて、病院から赤ちゃんを抱いて出てくる奥さん。 着ている服から女の子のようだ。

 

 子供も増えた一家は、アパートから郊外の建売り住宅へと引っ越す。

 女の子も順調に育って、歩けるようになった2回目の夏、川遊びに行った河原にやって来た救急車、そして、セレモニーホール。

 男の子が、川の事故で亡くなってしまったようだ。


 その後、家族は残された女の子に、悲しい思いをさせまいと、死んだ子の分も愛情を込めて育てる。

 そして、何度目かの春に、再び男の子に恵まれ、両親は2人目の息子にも変わらぬ愛情を注いだ。

 家族は、あの日の出来事は忘れずに、前を向いて再出発した。


 しかし、十数年が経って、再び不穏な出来事が家族を襲う。

 男の子が入退院を繰り返すようになり、学校へと通えなくなってしまう。

 ある夜、突然、就寝中の息子が暴れ出したため、両親が止めに入ると、明らかに川で亡くなった1人目の息子の人格と癖が現れて、兄が弟に憑依ひょういしていた事を知った両親は、1人目の息子の想いの残った物を全て処分するべく、このイプサムも処分し、引き取って来た……という経緯が、沙菜の脳裏に流れ込んできた。


 「ディープだなぁ……」


 沙菜はため息交じりに言った。

 ただ、車葬をやっていると、この程度のディープな話など、結構流れ込んでくるので、さして気にしない耐性がついてくる。

 下手な感情移入は、沙菜が憑かれてしまう事を意味するのだ。


 沙菜は、感情をリセットして頭の中を真っ白にすると、ひたすらに車から発せられている『声』に耳を傾ける。

 車葬が必要という事は、このイプサムは、この世に残る人たちに何か伝えたいことがあるのだろう。

 ……その声に従うように、発せられた気を手繰りながら、沙菜は2列目のシートを取り外す。

 シートの下には、昔懐かしいDVD-ROM方式のナビゲーションがあり、そのナビの陰になった場所から、沙菜にしか見えない眩い光を発しているがあった。

 

 沙菜はそれを持って車を降りると、周囲を一周した後で、満足したような表情で、涙をボロボロと流すと、ボンネットに手を触れて


 「良き旅を……」


 と言うと、車葬を終えた。


◇◆◇◆◇


 その週の土曜日。

 事務所には沙菜と、すっかり疲れ果てて老け込んでしまい、40代には見えない夫婦が向かい合って座っていた。


 「そして、車の方は……」


 旦那さんが口を開くと


 「ご要望通り、完全解体しました。本来ならリサイクルパーツにする物もしないで、解体しています」


 沙菜は淡々と返事をした。


 「お手数かけました」


 と言って席を立とうとしたところ


 「これだけはお返ししておきます」


 と、沙菜が渡したのは、黄色のゆるキャラ、イプーのキーホルダーだった。

 それを見た奥さんが狼狽しながら


 「これ……どうして?」


 と言うので、沙菜は


 「コウタ君が、シオリちゃんの20歳のお祝いに是非渡して欲しいって、強い思いを残してるんです。彼、シオリちゃんのこれを探して川に入ったんだって、言ってました。今の彼に渡せるものはこれしかないからって」

 「ええっ!?」


 奥さんはなおも驚いているが、沙菜は冷静に続けた。


 「ユウト君の体を借りて、お祝いを伝えようとしたけど、それだとみんなを怖がらせるから、せめて自分にできる事……って考えて教えてくれたんです」


 奥さんは、それを聞くと、堰を切ったように、その場にうずくまって泣き崩れてしまった。

 そして、旦那さんは沙菜に言った。


 「それで幸太は、今、どうしてるんですか?」

 「残念ながら、私は彼と直接やりとりは出来ません。彼が思念を残したイプサムから訊いた話を伝えてるに過ぎないので。ただ、今後はもう現れないけど、みんなの傍にいて見守ってるという事だけは伝えて欲しいって、言われています」


 沙菜がそれを伝えると、奥さんは更に大きな嗚咽を漏らし、旦那さんに連れられて、表に止められたノートの助手席に座った。

 その状態で奥さんは


 「あのイプサムを処分しなければ良かった。そうすれば……」


 と、唇を嚙みながら言ったので、沙菜はすかさず


 「それは違います。あの車が残っていると、コウタ君はあの車を依り代に、現世を漂う事を強制されるんです。こうなる事を、本人も、あの車も望んでいた事なんですよ。コウタ君を楽にしてあげましょう!」


 と言うと、奥さんは泣きながらも無言で大きく頷き、旦那さんは


 「本当にお世話になりました。ありがとうございます!」


 と深々と頭を下げると、ノートに乗って帰って行った。


 沙菜は、それを見送ると、苦々しい表情で言った。


 「今回、バイト代3倍でも足らなくね? これだけディープな報告ってありゃしないよ。しかも、泣きたくもないのに泣かされたし……」


 車葬の最後の段階で涙を流したのは、沙菜の意思ではなく、触れたイプサムの残留思念が沙菜の身体を借りて涙を流したのだ。


 沙菜は噴飯やるせない様子で祖父を探した。

 

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