第2話 謙虚な自由

 車葬は、時代を映す鏡である。

 ……そう言った人が、いたとかいないとか……。


 「爺ちゃん、土曜日さ、車貸して」


 月曜日の夕食時、沙菜は言った。

 彼女は3年生なので免許を持っている。


 「ダメだ!」


 しかし、である。

 この家には、1台しか車がないのだ。

 免許取得者が家庭内で老夫婦だけの頃は、それでも円滑に回っていたが、今や車を自由に使いたい若い沙菜が混ざっているので、複雑なのだ。


 「なんでよぉー、ケチ! 燈華とうかたちと出かける約束したんだよぉ! 工場に置いてあるやつでいいから貸してよぉ」

 「バカ言うんじゃない!」


 沙菜が言う『工場に置いてあるやつ』というのは、代車の事だ。

 修理を頼んだ際、その期間貸し出す車だ。しかし、今1台を残して貸し出しているので、緊急事態を考えると、その1台を使わせることなどできない。


 「ケチケチケチー! だったら廃車にする予定のやつでいいから、貸してくれたっていいじゃんー!」

 「ダメったら、ダメだ!」


 こういう時に、あまり強く出切れないのが、孫と祖父母の難しいところだ。

 そこのところが、沙菜にも見透かされている。


 ジタバタと暴れる孫娘を見て、祖父は『廃車』というキーワードにピンと来たようで、言った。


 「よーし、沙菜。そこまで言うなら考えてやらんでもない」

 「えっ!?」

 

 沙菜は、ぱぁっと、明るい表情になって祖父の方を見上げた。

 それを見た祖父はニヤリとして


 「車葬をやれ。車については、その後で相談に乗ろう」


 と言った。


◇◆◇◆◇


 40分後、沙菜は、いつもの工場内のガレージにやって来た。


 「なに、この車?」


 彼女は、子供の頃からこの工場に出入りしていて、祖父の作業を見ていた関係上、車種については、同年代の人間に比べれば、遥かによく知っているし、自分が生まれる遥か前の車でも、ある程度は知っているつもりだが、目の前にある車については、全く見たことが無いのだ。


 平面な顔周りに、ちょっとふっくらしているが、引き締まってやせ型のボディライン、そしてなだらかに後部が下がっていくファーストバックの車体。

 これで後部ドアが無ければクーペと言っても差し支えないが、リアにドアを持つこの車は5ドア車だ。ボディカラーは薄い青のようなラベンダー色のような不思議な色だ。

 沙菜は後部にあるエンブレムの字を読んだ。


 「リベルタ?」

 「バイオレット・リベルタだ」


 ガレージの入口で腕組みをした祖父が言った。


 「爺ちゃんは、入ってこないで! 私が直接『車に訊く』から!」


 沙菜は言うと、入口のドアを閉めた。

 さっきの事が、よっぽど腹立たしかったらしい。

 沙菜はもう1度後ろに回ってエンブレムを読んだ。

 『NISSAN VIOLET LIBERTA』と、なっていた。バイオレットの部分が意図的に他の2つより小さな文字で書かれていて、どうもサブネームを強調したいように見えた。


 「とにかく、訊いてみなくちゃね。……はじめるよ!」

 

 沙菜は、呼吸を整えると、バイオレット・リベルタのボンネットに優しく手を触れた……その瞬間

 “バチッ”

 と音がしたかと思うと、沙菜の中に膨大な量の情報が流れ込んできた。

 その勢いは凄まじく、沙菜が両脚を踏ん張って、ようやく持ちこたえている状況だった。


 

 バイオレット。ブルーバードが、4代目へのモデルチェンジ時、大型化するのにあたって廃止される1400ccと、1600ccの一部を引き継ぎ、大型化するブルーバードの弟分であり、本来のブルーバードを引き継ぐものとして登場。

 初代は、スポーティさと、渾身のデザインを売りにしたが、そのデザインが不評で2代目モデルへとモデルチェンジ。


 2代目は、オーソドックスなデザインと、メカニズムで登場し、日産チェリー店向けのスポーティモデル『バイオレット・オースター』と、サニー店向けのラグジュアリーモデル『スタンザ』を生み出し、3兄弟車となる。

 海外のラリーでは、前人未到の記録を打ち立てるなど、スポーツイメージを高めた2代目だが、日本仕様では、オースターとの兼ね合いからスポーティなグレードが設定できず、更には平凡なメカニズムと外観が嫌われて、パッとせずに3代目にバトンを繋ぐ。


 3代目は、このクラスではまだ珍しかった前輪駆動化に踏み切り、その名も『バイオレット・リベルタ』に一新される。

 当時、進んだデザインと、前輪駆動化は注目を集め、識者からは高く評価されたが、渾身の新開発で価格が高かった事と、1400ccを切り捨てて1600ccと1800ccとした事で、販売店内でブルーバードとのバッティング現象が起こった事から販売は低調なままで、発売後わずか1年で、パルサーベースの1500ccの新型車『リベルタ・ビラ』へとバトンを繋いで生産終了。

 オースターとスタンザは、その後も生産を継続して、4年後にモデルチェンジを

行った。


 オースターとスタンザは、それぞれの販売店での最上級車種で、大型化を要望したのに対し、長男であるバイオレットは、ブルーバードとの関係から小型化を望んだことから兄弟対立を生んで、バイオレットは自らが生みだした兄弟に足をすくわれる形で、消えていったのだ。

 

 そして、間髪入れずにこの車自体の情報が流れ込んできた。

 オーナーは高齢の男性。

 子供の誕生と共に購入し、乗り続けていたが、昨今の高齢者の事故のニュースを見た長男長女の夫婦から説得されて、腕に衰えはなかったが免許を返納して、ここへとやって来た一生が……。


 「あああっっ!!」


 沙菜は思わず叫ぶとへたり込んでしまった。

 車葬の能力があるのに気が付いたのは6歳の頃だが、これほどの強い思念は久しぶりだった。

 それだけこの車と、オーナーだった男性の重ねてきた時間が膨大だったという事だ。


 沙菜は、近くの椅子に掴まりながら立ちあがると、冷蔵庫を開けて麦茶を一杯飲んだ。

 これだけの思念を持つ車は、あの時以来かも……と思った。


 沙菜は、車葬の能力に目覚めたばかりの頃、得意がってあちこちの廃車に触れていたが、ある時、畑に捨てられていた倉庫代わりのワンボックスカーに触れた時、思念の量多さに耐えきれず、気を失ったことがあるのだ。


 沙菜は、呼吸を整えると、腰を落として姿勢を低くし、暴風の向かい風に向かって行くかのような姿勢でバイオレット・リベルタへと再び触れた。


 同時に先程と同じように思念が流れ込んでくる。

 若くして妻に先立たれて、男手一つでの子育ての傍らにいたこの車。

 子供達から、カッコ悪い、誰も知らない車なんて嫌だ、ドアミラーの車じゃないとみっともないと言われても、頑なに亡くなった妻との思い出が残るこの車を手放せなかった、亡くなった妻と同じ名前であるスミレの名を持つバイオレットへの強い思いと、最期の日まで運転はしたかったが、子供達からの度重なる説得に負けて、運転を諦めなければならなくなった事への悔恨の念が……。


 そして、車側からの思念を読み取った時、沙菜はその姿勢のまま、しばらく動かなかったが


 「良き旅を……」


 そう言うと、車から離れて母屋へ通じるドアを開け、そこにいた祖父に言った。


 「終わったからね、約束だからね」

 「あぁ、やるよ」


◇◆◇◆◇

 

 土曜日

 

 「おーっす、沙菜!」

 「あぁ、おはよ、燈華。あさみと里奈は?」

 「さっきLINEきたからもうすぐでしょ。それより、車大丈夫だった?」

 「うん……」


 ちょうどそこに残りの2人もやって来た。


 「それじゃぁ、行くよ~」

 「沙菜、その車、なんて言うの?」

 「あぁ、燈華、この車はね、バイオレットって言うんだ」

 「あぁ~、なんかそれっぽい色してるわ~」

 「マジウケるー」


 みんなが口々に言う中で、笑顔を浮かべる沙菜は


 「爺ちゃんめ、マジムカつくんですけど!」


 と、心の中で叫んでいた。


 あの日、沙菜が車から読み取った強烈な思念は

 『まだ働きたい』

 だったのだ。

 こういう思念を持ってるケースは多くて、特に故障や事故でもない場合にはほとんどの車から流れてくる思念なのだ。


 しかし、この車のそれは強烈で、沙菜でも収めることが出来なかったのだ。

 恐らく、オーナーの無念のリタイアの思念と、40年近くの年月を過ごした事で、この車自身の思念も合体して強くなったのだと思われる。


 なので、あの日の沙菜の結論は、解体はしないという事を祖父に伝えたのだ。

 沙菜の役目はここまで……のはずだったが、昨夜、祖父から


 「沙菜、これからこの車を使え」


 と言われたのだ。

 祖父曰く、引き取り先を探したが見つからなかったので、沙菜が車の件で騒いでいたのを思い出して、一石二鳥と沙菜にその役目を押し付けたのだ。


 釈然としない沙菜の気持ちを乗せて、そのすみれ色の車は、気持ちよさそうに走り出した。

 

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