車葬人

SLX-爺

第1話 母とメガネ

 人の想いは、つむがれてゆくもの、これ必然のことわり

 時に、その想いは依りよりしろに形を変えて、現世を漂う。


 「はじめるよ」


 その言葉が、彼女が車葬人へと切り替わる合図なのだ。

 今日も、どこかで行われている車葬の風景の物語である。


 首都圏某所の地方都市。

 最近は宅地開発が急ピッチで進んでいて、新しい住宅がブロック単位で増えていっているが、県道沿いの地区だけには進んできていない。

 

 この辺りは昔ながらの工業や商業の地区で、何度も押し寄せた宅地化の波には飲まれる事なく残っている。

 最近は、工場地帯に針の穴のように宅地が侵食した途端に、住民が工場を追い出してしまう事があるが、この地区に限って言えば、工業で伸びてきた街なので、きちんと線引きされている。


 その地区の一角にある修理工場兼自動車解体所。

 表こそ、そこそこ近代的な工場とショールームがあり、修理工場と、中古車販売店に見える。

 しかし、裏に回ると、高い塀に囲まれ、入口のフェンスからは、重ねられた車の姿を僅かに見ることが出来る。住宅地の中にあると如実に忌み嫌われるであろう施設がある。


 そんな施設の中で、世にも珍しい車葬の儀式が行われているのだ。

 対象車の前に立っているのは、学校指定のバッグを背負った、ブレザー制服姿の女子高生だ。


 名前は真藤沙菜しんどうさな、この工場の経営者の孫娘だ。

 沙菜の両親は、転居が多いため、沙菜の学生生活を案じ、小学生の頃から、祖父母の家で育てられていたのだ。


 冒頭の言葉の後、沙菜はおもむろにボンネットの中央に手をかざす様に優しく触れる。

 触れられている車は、初代のトヨタヴィッツ。


 コンパクトカー市場の首位を堅持していた同社のスターレットを、1992年に登場した2代目日産マーチが凌駕、首位を奪われた事により渾身の一作として1999年に5世代続いたスターレットの後継モデルとして登場。

 マーチが好評を博した欧州に通用する本格派の作りと、可愛らしいスタイルを手に入れて首位を奪還した車だ。


 登場する前、日本においても、海外と同じヤリスというネーミングでデビューすると言われていたが、蓋を開けると日本市場ではヴィッツと名乗ったため、当時一部のファンからブーイングを受けたが、今度はヴィッツが定着したところで、4代目モデルからはヤリスに変更したのは皮肉な運命というべきだろう。


 ヴィッツに触れた沙菜のてのひらからは、かすかに見える程度の光が見えたかと思うと、車全体を包んだ。

 すると、沙菜の脳裏に、次々と映像が浮かんでくる。


 納車の日の情景から、最後のその瞬間までが、時系列で頭に浮かんでくる。

 新車からの1オーナーで女性、最期は、オーナーの女性が玄関先で亡くなっているのが見つかり、片付けを依頼された業者がここに持ち込んだ一生が、余すことなく彼女には見通されていた。


 そして、目を瞑って手をかざす。

 発せられているかすかな気を感じ取るかのように、手をかざしながら車の周囲を1周、そしてもう1周、ゆっくりと歩きながら、何かを確かめるように手をかざしてゆく。


 それが何かを捕えたようにピクッと動いた時、沙菜は歩みを止めて、手繰るようにそれの発する方へと吸い寄せられていく。

 場所は助手席側の足元から、ダッシュボード裏に手を突っ込む……と、配線や、配管の樹脂とは明らかに違う手触りの物を指先に感じ、更に指先を差し入れていく。

 それを優しく包むように掴むと、そっと取り出した。


 そして、それを取り出した彼女は、車の正面に回ってボンネットに手をそっと触れると


 「良き旅を……」


 と静かに言った。

 これで、車葬は終わった。


 彼女は、車に背を向けて、ガレージから室内へと向かうドアを開けると


 「爺ちゃーん、終わったよ!」


 すると、しばらくすると向こうから、ツナギ姿でキャップをかぶり、口ひげを生やした初老の男性がやって来た。

 彼女は、それを認め、2~3の言葉を発すると、祖父がやって来た方向へと歩き出した。そして、ドアのところで振り返り


 「今回のバイト代、高いからね」


 と言うと祖父が


 「バカ言うな! ウチは出来高制じゃねぇ!」


 と吐き捨て


 「ちぇー、マジケチくさ」


 と彼女は言うと、奥へと姿を消した。


◇◆◇◆◇


 3日後の昼下がり、表の事務所で、沙菜はやって来た女性にそれを渡した。


 「これです! 母の眼鏡。一体どこに?」


 彼女は先日のヴィッツのオーナーの娘さんだそうだ。

 見た感じは50代半ばくらいだろうと思われる。


 「ダッシュボード裏の奥まった所です。恐らく、脇にある小物入れに入れようとして、間違って奥に落としたみたいですね」


 沙菜は、紅茶を飲みながら説明した。

 初代ヴィッツにはインパネの両脇に便利な小物入れがあったが、走行中などに不用意に物を入れようとすると、落としてしまう事がある。

 以前に回ってきた廃車の中にも、窓クリーナーのスプレーをそこに入れようとして落とし、ブレーキペダルの裏に入って事故……というものがあった。


 「そうなんですか……」


 目線を落として彼女は言った。

 どうも、彼女の話によると、母親である老婆は、20代の頃から車を運転しており、最近の高齢者の事故とは無縁のしっかりした運転が出来てはいたそうだ。

 しかしある朝、娘さんの家まで、普段通り車で行く準備をしていたところ、突然の発作で亡くなってしまったそうだ。


 なるほど、だから残留思念が強くて、沙菜にお鉢が回ってきたのだ。

 車というものは、家具としては高価なものであるがゆえに、持ち主の思念が残りやすい物だ。

 勿論、現役であれば、神社に持って行ってお祓いを受けたりすれば、祓われるものだが、この手の退役した物の場合は、そういう訳にはいかない。となると、残留思念が、あらぬ方向へと被害を及ぼす事もある。


 「ところで、母の車は?」

 「残念ながら、もうありません。解体が終了して、再生部品とダストに分けられて処理されました」

 「そうなんですか……」


 沙菜の説明に、少しガッカリした彼女だったが、思い直したように言った。


 「でも、この眼鏡だけは見つかって良かったです。母はこの眼鏡を大事にしていましたから。告別式には間に合わなかったけど、お仏壇にはお供えできます」


 そして、話したところによると、老婆は、子供の頃に弟を不注意から失明させてしまった事を後悔しており、目の健康に関しては、人一倍注意していたそうだ。

 老婆自身も、アイバンクに登録して、とにかく、自分の目が他人の光を取り戻す助けになる事が、失明した弟へのせめてもの罪滅ぼしだと考え、死後に角膜摘出も終えたそうだ。


 それを聞いた沙菜は、なるほどな……と、納得してしまった。

 そしてあの時、車からの声を聞いて、実行したことについて、彼女に伝えた。


 「今回、お母さんの車からは、いくつかの再生部品が出ましたが、両方のライトが、他の個体へと供出されました」

 「えっ!?」


 沙菜が車に触れた時から、物凄く強い思いを感じたのは『目』というワードで、目を活かして欲しいという車本体からの強い念があり、真っ先に沙菜はライトの摘出を決めたのだ。

 初代のヴィッツは、ポリカーボネート製のライトが曇りやすく、ライトの経年劣化で光量不足となり、車検に不合格となるケースが結構多いため、綺麗なライトは引く手数多で、実際この車のライトも外して翌日には、他の車の元へ旅立って行ったのだ。


 それを聞いた娘さんは


 「なんか、母の車らしい最後になったんですね」


 と、満足そうな笑顔で言って帰って行った。


 それを見た沙菜は


 「これが、車葬のなせる業なんだけどね」


 と、ちょっとドヤ顔になって言った。


 沙菜には、生前の車とオーナーの関係、そして、その車が、去りゆくにあたって、どこを活かして欲しいかと思っているのかの声を聴き取ることが出来る能力があるのだ。


 車葬とは、この世から去り行く車と、オーナーの想いと希望を汲み取り、形にする事であり、それができる数少ない人間の1人が沙菜なのだ。

 しかし、 あくまで同居している親代わりの祖父からの依頼で、バイトとしてお金欲しさにやっているのであって、本人にこの稼業をやっていこうという決心はまだ無い。


 「さーて、今回のバイト代入ったら、新しいスマホ買おうっと!」


 沙菜は伸びをしながら言った。


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