第8話 親愛なるものへ-8

 空の色が赤く染まりつつある。風も凪いだ。店の前を掃きながら、下校していく学生たちを見ていると、つい最近まで自分もそうやって歩いていたことを思い出した。ただ、今笑いながら通り抜けていく女子生徒のように、楽しくはなかった。帰ることが億劫だった。そこまで思い出すと今の自分の境遇が幸せで仕方なかった。

 「美生ちゃん」

中から呼ぶ声があって、それに応えるように返事して中に入った。

「いいよ、掃除なんて、もう店はやってないんだから」

「でも、居候としては、少しくらい働かないと」

「いいよ、本当に。あんたも家出中なら、あんまり人目につかないほうがいいんじゃないの」

「まぁ、それはそうなんですけど。こそこそしてるとかえって怪しくないですか?」

「そうねぇ…。でもいいよ。それより、晩御飯、何食べたい?」

「へ、もう?」

「もうって、もう夕方じゃないか」

「いやぁ、この頃、一食とか二食とかだったもんで」

「大丈夫かい、そんなので。本当によかったよ、あんたを引き取って」

引き取られた訳じゃないんだけどね、と思いながら、

「何でもいいです。お任せします」と愛想笑いを見せた。和枝は、そんな美生を見て嬉しそうに、料理の名前を上げた。年寄りの料理だから、口に合わないかもね、と言いながら奥へ入って行った。

 美生はふっとひと息つくと、外に置きっぱなしのチリトリを取りに出た。賑やかな学生の集団がちょうど前を通り抜けた。うるせいな、こいつら、と思いながらチリトリの上のゴミをポリバケツに放り込んで店に入ろうとした。

「あ、あのう、こないだはどうも」

不意に後ろから声を掛けられて美生は驚いた。はっとして振り返ると、確かに見覚えのある少女が立っていた。

「覚えていますか?こないだ、城西のグループに囲まれてる時、助けてもらった小山です」

名前は覚えていなかったが、確かにその雰囲気は覚えていた。

「あ、あんた」

「覚えてましたか。こないだはありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」

美生は小さくお辞儀をしてみせた。

「いや、そんな助けてもらったのはあたしなんですから」

「いいよ、あたしの方が、イッコ下なんだから、そんな口の利き方しなくても」

小山は一人ではなく、他に二人連れがいた。その内の横にいた一人が小山にひと言ふた言掛けてから美生に話し掛けた。

「どうも、この間はダチが助けてもらったらしくて、ホントにアリガトウ」

「いえいえ、どういたしまして」

「アタシ、高石って言います。よろしく」

「あ、美生です。よろしく」

差し出された手に躊躇いながら、握手を返した。続いて後ろからもう一人手を差し出してきた。

「あたし、増田です。幸美とは友達なんです」

美生は、恐縮しながら握手を返した。高石は満足そうにその光景を見ていた。

「ダチの幸美とは、いつも大体一緒に帰るんだけど、こないだはちょっとコノ子に用事があって、別だったトコをちょうど城西の連中につかまっちまったみたいで。今度仕返しに行ってやろうと思ってるとこなんだ」

「はぁ~、そうですか。それはご苦労なことで」

「ナニ?」

高石は不快感を隠さず、すごんだような声で聞き返した。美生は委細構わす応えた。

「いや、折角治まったのに、わざわざ蒸し返すこともないのにな、って思っただけ、なんですけどね。何となく、ほら、子供のケンカに親が出るようなもんじゃない」

あっけらかんとそう言う美生に高石も少し怯んだ。

「だけど、あいつら放っておいたら、またナニしやがるかわかんないしな」

「そんなに揉め事起こしたいの?」

「ナニ?」

「いやいや、どうしてこないだあたしがしゃしゃり出たかわかってないみたいだから」

「ん、なんなんだ」

「誰もケガすんのは嫌なんだけなんスよ。大変なことになるかもしんないじゃない。特に、ああいう状況だとね、歯止めがきかないんだよバカは」

「ん…」

「だから、助けたの」

「だけど、またやられるかもしんないよ」

「かと言って、これで仕返しなんてしたら、もっと揉めるよ。一応は何もなかったんだから、このままにしておくのが利口のやり方。そうじゃない?」

「あいつらはバカだから、いっぺんわからせてやらないとわかんないんだよ」

「じゃあ、今度はあたしは向こうを助ける番かな」

「え?」

「あたしは、わざわざ抗争の口実を作ってやった訳じゃないからね。なくしてやった筈なんだ」

正面からきっと見返す美生に高石はたじろいだ。

「ん…、わかった。しばらくは様子見るよ」

「真理さん……」

「幸美、あんたの仕返しは、もうちょっと待ってよ。確かにコノ子の言う通り、抗争になるかもしれないなら、もっと慎重にならないとね」

「あたしも賛成。幸美、ちょっと我慢しなよ」

「ぅん…わかった」

「ありがとね、いいこと言ってくれて」

「いえいえ。とぉんでもございません」

「平和主義なんだね、アンタ」

「いやぁ、ただプーやってると、ケガとか病気とか、どんだけ恐ろしいかわかってるだけなんですよ。あたしから見ると、みんな幸せだからそんなに平気でケンカやリンチができるんだってこと」

「プー?」

「だって、美生ちゃん、中二でしょ」

「一応」

「ガッコは?」

「だから、プー。行ってない」

「それでいいの?」

「いいの」

「どうして?」

「あたしがそう決めたの」

三人は呆れて美生を見つめた。美生はにこにことしながら平然と三人を見ている。不意に、奥から声が掛かる。美生は、はぁい、と返事して振りかえると、

「じゃあ、またね」と言い手を振った。

「あ、あのさ、アンタ、ここに住んでるの?」

「しばらくはね、居候」

「……そう」

「なんだったら、また寄ってよ」

「…あぁ」

 美生が中に入ると和枝は外の様子を伺いながら、

「誰?」と訊ねてきた。

「友達」

そう言い切ると美生は和枝の反応も気にせずにさっさと中に上がり込んだ。

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