第56話
「おっお前、何とかしろ!」
「何とかって、どうしたらいいのですか? 僕、学生なのでよく分かりません」
「だからっ! この通話に出なさい!」
「電源を落とせばいいじゃないですか。それで相手からの通話は切れますよ?」
「いいから、出なさい!」
教頭先生に無理やりそれをねじ込まれ、手の中に押し付けられたら、スマホはあっという間に伝説の剣へと早変わりする。
本当にそれでいいのだろうか? と爆弾を仕掛けた張本人は首を傾げた。それから、受信ボタンを押して、「すいません。学内で殴られました。それで怖くて通報しました」と相手に告げた。
自分がどこの誰で、ここがどこのどういう場所で、いまどんな人物たちといるのかを、克明に簡素に伝えてやる。
「……先生に代われって」
「えっ! あ、ああ。渡しなさい」
代表として選ばれたのは可哀想に、あの祐輔に冤罪疑惑を持ちかけた国語教師だった。
階級社会って怖いなあと、先ほど学年カーストの上位に位置する乃蒼たちと揉めたことは横に置いて、抱介は口元を微妙に引き締める。
お巡りさんは疑り深く、念入りに調査を開始する気になったらしい。
それから数分間、国語教師は必死になって弁明らしきものをしていた。
「これは生徒間の問題でして学内で処理します」なんて言い訳がましいことを相手に伝えながら、どうにか丸め込んだらしい。
「代わりなさい」
「は?」
「お前に代われと言われている」
「そう、ですか」
学内ということで今回は生徒の悪戯、というところに落ち着かせるらしい。そんなことをお巡りさんは言っていた。
同時に、「何か困ったら連絡してください」とも言ってくれた。
伝説の剣は役目を果たし、薄汚れた錆びだらけのただの剣へと姿を変えてしまう。
「お前はどういうつもりなのだ!」
通話が途切れたら、教頭先生の怒りが爆発した。
そんなに怒鳴ると血圧が上がって大変だろうね、お疲れ様です。
抱介の反応はそんなものだった。
ヒーローになるつもりなんてない。そんな誰にも正体を明かせない、読者しか知らないような仄暗い存在は苦手だ。
「授業中に他所のクラスに勝手に侵入し、おまけに暴力沙汰まで起こしてただで済むと思うなよ、風見!」
と、時代劇のお奉行様にでもなったかのように、教頭先生は忌々し気に言い捨てた。
「僕は自主学習のために図書室に行こうと通りがかっただけです」
「まだ、そんな言い訳をするのか。黙りなさい」
判断は大人がする。子供は黙れ。
そんな押しつけを誰が受け止めるだろうか。退学にしたければそうすればいい。
でも、正しいことは正しいと伝えなければ、この学校に進学した意味はない。ここで学ぶ意義がそこで死んでしまう。
「黙りません。たまたま教室内を見ていたら、前田君が僕に向かって空き缶を投げつけた。それから暴言を吐き、殺すとまで言われた。中身の入ったペットボトルを投げつけられました。どうにか避けましたけれど、あのままだったら顔に当たって怪我をしたところでした」
「たかだかペットボトルぐらい!」
教師たちの間で失笑が起こった。
子供同士のじゃれ合いだと済ましたい様子がありありと見て取れた。
なんのためにここで働いているんですか、先生方は。そう問いただしたくなるも、ぐっとこらえて我慢する。
今は客観的事実がものを言う。
それならあるじゃないか。
あそこで怯えながら全部を見ていた、真野先生が。
「先生はいました」
「あん?」
「真野先生は見ておられました。他の生徒たちもそうだ。前田君の怒鳴り声が響いたから、隣のクラスもそれを見ていました。それと……」
教師たちを一瞥すると、抱介は最大の事実をそこに示した。
「僕はあのクラスの中には一歩たりとも足を踏み入れていません」
「そんなバカな話があるか。一方的に前田がお前に暴力を振るったなどと……信憑性がない」
「でも、確かめることはできますよね」
自分が悪くないとは言わない。
しかし、周りの目というものがある。
みんなが乃蒼を恐れて彼に有利な証言をすれば、それはそれで問題だ。自分が不利になる。だけど、確認は必要だ。
「……確かにそうですね」
それまで黙って事の成り行きを見守っていた、担任の池山教諭が声を上げてくれた。
自分が自主学習の許可を出しました、と前置きを置いて。
「あの廊下を通らないと、図書室には行けませんよ。先生方、その点では風見は嘘を言っていない。前田の素行が悪いことはこれまで何度も職員会議で上がっているじゃないですか」
「先生、生徒の前です!」
「個人情報ですよ」と学年主任が口を挟んだ。
こんなときに何が個人情報なものか。
既に、他人であるべき季美には……抱介が乃蒼と何をどうやったのかは筒抜けだ。
それはどうしてくれるのだ、と抱介はクレームを口に上げたかった。
一番落ち着かなければいけないはずの教師たちがこれでは、この学校の未来も暗いな。そう呆れも出てしまう。
季美と顔を見合わせて互いに先生たちに対するショックが色濃く出ていることを確認したら、もうなんだかいろんなことがどうでもよく思えてきた。
守るべきは誰か。
そこだけをしっかりと見つめていれば、自然と答えは出るはず。
抱介は元カノの手の上に、自分の手をこっそりと重ねてみた。
震えている。小刻みに、それでいて終わることのない悲しみをそこに秘めたように、季美の手は温かいのに、生きている感触を与えないほどに、無機質な何かになってしまっていた。
「とにかく。真野先生も交えて話をしましょう。お前ら、ちゃんと話ができるな?」
「僕はします。でも、槍塚さんは? どうしてここにいるのですか」
わざとらしく素知らぬふりをしてそう話を振ると、原先生が困った顔をした。それから池山先生が「お前には関係ない」と小さく抱介の質問を否決し、「風見はこっちこい」と国語教師と共に、池山教諭の席に引っ張られて二人は別々に引き離される。
離れたとき、季美の手は少しだけ、柔らかさを取り戻していた。
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