第55話


「返す」


 ぶっきらぼうにそう言い、抱介は乃蒼の顔面に勢いよくペットボトルを投げつけた。


 命中。

 ぼぐっといい音がして、前田乃蒼が思わず顔を抱え込むようにしてしゃがみ込んだのを確認すると、花坂にまた目を見やる。


 三条輝波出(かなで)と共に、こちらに怯えた瞳を向けられても俺は困るんだよなあ、と抱介はぼやくしかできない。


「消せよ」


 一言そう言うと、思惑は通じたらしい。


「したって! 消したって……本当だよ」

「うちらっ、関係ないから」


 なんて思わぬ収穫と醜い仲間割れが始まった。


「クソが……」


 復活した乃蒼が今度こそ突進してこようとするが、しかし、こういうときに騎兵隊は駆け付けないものだ。


「死なすぞ、クソ虫があ?」


 今度こそ遠慮なく。

 金色のトサカ、もとい、枯葉色の彼は、その拳を抱介の腹にめりこませていた。

 ゴグっといい音がする。

 肉体でより硬いものを叩いた時のような、あの音だ。


 乃蒼の顔が――こっちも可哀想に。微妙に歪むと信じられないという顔をして、自分より長身の抱介を見上げて呆然としていた。


「……あ」

「いやー。痛いな?」


 てっきり顔にくるかと思ったら、ボディだった。

 打たれるタイミングと、その足先の動きにだけ注意すれば、どうにでも身体を逸らせるし。後ろに逃げなくても、自分から当たりに行けばそれはそれで痛いが、内臓までの威力は殺せる。


 ……とはいえ、まともに相手をするなんて馬鹿らしいものだ。

 抱介がやったのはたった一つだけ。

 乃蒼の拳が自分に届く前に、肘をその上に叩き落としただけだった。


「ああああっ」

「いやー痛いなあ? 俺、これやり慣れてんのよ、先輩にさんざん叩き込まれたからさあ。いやー残念。もっと踏み込んでおけばよかったなあ?」


 覚えたのは一つだけ。

 教わったのも一つだけ。

 中学時代からいじめらっ子にだった後輩に、場慣れしたバスケ部の先輩が教えてくれた三年間の賜物が、いまここにある。


「ちょっと、なにやってんのよ!」

「乃蒼? のあー! やだあ、血ぃー」

「やだ! もうやだ! あたし関係ないよ! 違うの、もうやだー」


 などと悲鳴が相次ぎして教室内は阿鼻叫喚……とはならなかった。

 ようやく来た騎兵隊。

 先生方が、えっちらおっちらやってきたからだ。


 隣で国語を教えていた若い男性教諭が乃蒼に駆け寄り、「大丈夫か」と連呼しながら「お前、何かやったのか! 暴力を振るうなんてそれでも男か!」などと訳知り顔で説教する始末。


 いや、それ折れてないし。血はそいつの口からのものだし。俺の肘打ち程度で、粗悪なヤンキーの肉体がどうにかなるわけないじゃん?


 そちらとは目を合わせずに抱介はさっさとその場を後にしようとしたが、やはり職員室に連行された。驚きで目を見開く季美と、それ以外の三人の先生たちが青ざめた顔で抱介を罵り、あの国語教諭などは頬を張ろうとする始末だ。

 ラスボスと戦うには準備がいるのだ。


「自分より弱い者に手を挙げて恥ずかしくないのか、お前は」


 なんてのたまうものだから、とうとうこっちも頭にきた。

 そこまで言うなら、俺だって出したいものがある。


「先生、うざいっすよ。さっきの一部始終、お聞かせしたらいいですか?」

「は? そんなものどこに……ある」


 抱介はスラックスの腰ポケットから、自分のスマホを取り出した。


「いまも録音していますから」

「おい待て、そんなもん誰が許可した」


 慌ててそれを奪取しようとする先生方。

 無益なアメフトごっこを展開しても無意味だと分かっている。


「出します、出しますから」


 そう言い、提出された抱介のスマホの画面に映り込んでいるのは、職員室の壁でも、天井でも、それから机の映像でもない。

 勇者も伝説の剣が無ければ、魔王は倒せない。


「なっなんだあ、警察? 風見――」


 と、その画面を見た教頭先生が叫ぶのは一瞬遅かったかもなーと抱介はにんまりする。

 弱っちい勇者は、公権力という名の味方に連絡を繋げた。

 もちろん、その画面は教頭の手によって通話が切断されようとするが……そうはいかない。


「きっ、教頭先生! これ、警察の電話番号……?」


 と、学年主任がおそるおそる問いかける。

 抱介のスマホは、固定電話からの返信に鳴動するばかり。

 果たして誰がラスボスなんだろうと、また首を傾げながら。

 とりあえず、一つ目の目的。


 乃蒼のこれ以上の干渉は潰せたかなーと抱介は盟友の待つはずの図書室に向かい、にんまりとほほ笑んでいた。

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