第54話
「ばーっか! こいつ、びびってやんのー。だっせ」
「本当っ。なにあの顔、見て間抜けヅラー」
こちらとも視線が交錯する。
盗撮魔の方だ。
そちらは男ではなく……なるほど、同性に裏切られたか。それとも、あの子が乃蒼の本命か、次の相手なのかもしれない。
「……」
何も言わず、ただじっと乃蒼を見つめてやる。
その青いカラコンの奥を覗きこむように、魂をちょっといじくってやるように、時計技師が腕時計のメンテナンスをするときに、工具でそれを調整するように。
ぐっと視線に乃蒼を追いかけるような感じにして、それを載せてやる。
人間とは面白いもので、相手を意識していれば、目でいろんなことを語り合える。こいつのように。他人を力で支配して面白がる奴は、たいてい、自分の中を見られることを恐れる。
そこには、必死になって隠している、弱い自分がいるからだ。
「見てんなよっ!」
乃蒼が吠えた。
横の席の生徒が机に開いていた教科書を乱暴にその腕で振り払う。
多分、彼の仲間のものではないだろう。一般の、餌食にされている誰か。
「わあっ、なにすんだよっ」
とその男子生徒は悲鳴を上げて床に散らばった筆記用具や教科書を拾いに走る。彼の上半身が机の下に屈み、障害物が失せたのを確認してから、第二段。
被害者の机の上にあった、まだ飲みかけのペットボトルの飲料、蓋つきを手にすると、今度は渾身の力を込めて、体重を乗せ、抱介に向かって投げつけた。
「あーっ!」
「僕の」と下から男子生徒の抗議が上がる。
ぶうんっと唸りをあげ、くるくるっと弧を描くわけでもなく、回転しながら凶器が狂気を帯びて抱介に飛んでくる。
「前田君!」
どこかでその横暴を制止しようとする声が聞こえた気がした。
見ていた生徒たちが割を食わないようにと反射的にそれから身をよじろうとする。
抱介は――。
「はあっ?」
投球でも受け止めるかのように、それを片手でスパンっと受け止めていた。
偶然でもなく、どこか片端だけという不器用なやり方でもなく、ただ素直に自分の顔に向かって急加速をつけてやってきたそれを、タイミングを合わせて空中でキャッチする。胴体のど真ん中をバランスよく、手のひらの中におさめていた。
「えっ!?」
「嘘だろ!」
生徒たちが驚きの声尾をあげた。
中には目を瞑っていたり、信じられないものを見たという顔をする者もいた。
いや、この程度できるだろ。球技やっていたら。
抱介は小ばかにした目つきで乃蒼にそれを投げつける素振りをする。
「うをっ?」
「あほか」
校内一の悪は、一瞬、ビビッて動きを止めてしまっていた。
抱介の挙動が虚偽だったと分かると、立ち上がり、さっきの生徒の椅子を蹴り上げて横にずらす。そのままの勢いで殴りかかるかと思ったが、そこまでの気はないらしい。
攻撃してくるから威嚇で返してやっただけなのに。
やっぱりぶつけておくべきだったかな、と手元に目を戻したら、ヤンキー君は吠えていた。
黄金の髪が昼前の陽光に照らされてトサカのように輝いて見える。
「くっふふ」
その様がなんだかおかしくてつい、妙な笑い声が出た。
乃蒼はひどく自尊心を傷つけられたらしく、顔を真っ赤にして怒鳴り声をあげる。
「なんだ、お前! ざけてんのかよ!」
古いなあ、と思いつつ指摘してやった。
「言い方」
「あ?」
「どこのヤンキーだよ、お前。昭和の時代からタイムスリップか?」
「お前っ……ころスッ!」
嘲笑してやるとうまい具合に乗って来た。頭の中身が足りない人種はこれだからいい。
……関わりやすい。
「俺がやるんだよ!」
乃蒼の声を越える声量で、抱介は叫んでいた。
冷たい。虚ろな感情を押し殺したあの声。
ざわついていた室内が、一斉に静まり返る。抱介のその臆病で卑屈そうなその外観からは誰も予見できないような恫喝が、そこに生きて爪痕を遺していく。
ぽかんと大きく口を開けた生徒たちが抱介に注目していた。
廊下と乃蒼たちの教室に同時に響いたその怒声に、周りの教室から興味の視線が次々と注がれる。
「はあ……? お前が?」
けれどやはりというか、乃蒼はこの程度のやり取りには慣れているのだろう、誰より早く立ち直ると、忌々しそうにまた別の生徒の椅子を蹴り上げた。
「前田君!」
「うるせえ!」
あーあ、可哀想に。真野先生は乃蒼に撃沈されてしまった。
抱介と乃蒼のひりつくような緊張感が削がれる。
丁度いいので、抱介は視線の向きを変えた。
あの盗撮犯に。
名前は知っているし、あろうことか、同じ中学だ。
おまけに、どちらも素行不良の過去をそれなりに背負っている問題児。
「……っひ!」
と、盗撮犯、花坂瑠璃覇(るりは)は呻いた。
「花坂、久しぶり。見たからな?」
忘れてないぞ、と、持っていたペットボトルで自分の目元をこすると、瑠璃覇は「やっ、ちがっ」とよく分からない声を上げていた。
それから乃蒼が勢いあまって抱介に行こうとするのを「だめ、乃蒼。だめってば」と三条輝波出(かなで)がその服裾を持って押し止めていた。
二人とも、抱介の同級生。こんないわくつきの因縁の仲になろうとは、別々のグループにいながらもお互い、思いもしなかったに違いない。
「ああ? なんでだよ!」
「だからっ、あれだって。先輩の! 話したじゃん……うちらの中学、バスケ部はほとんど全員――」
そこから後は特に聞く気にはなれなかった。自分の過去などどうでもいいのだ。
抱介の中学は県内でも指折りの不良校で。
中学時代のバスケ部の先輩や同級生、後輩のほとんどがいわゆる暴走族というものに加担していて、その人数は百人を下らない。
高校に進学して分散したとしても、そのネットワークは強靭かつ強固で、ある工場を根城にして、週に一、二回程度の集会が開かれていて。
抱介が集団の中でも特に武闘派のグループに所属している先輩に可愛がられていて、喧嘩が下手じゃないことだって――どうでもいいのだ。
乃蒼をぶちのめせれば――ッ!
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