第23話

「あのなあー」


 抱介は「何考えてんだこいつ」とぼやいた。

 それから彼女のことがちょっとだけ心配になる。


「お前、今から高校生活始まるんだからさー。学校には来れるけど、教室に居づらくてどこか他の場所に逃げたいって言うなら、俺と同じようにしてもいいけどさ」

「けど、なんです?」


 答えはわかってますよ。彼女はそんな顔をした。


「友達とかクラスメイトとの距離とか。そういうもの今から作らないと大変だぞ」

「あーウザいですねー。めちゃくちゃウザいですねー」

「おい、こら」

「お姉ちゃんが先輩をフッた理由、ちょっとだけわかるかも」

「ぐっ」


 思わず拳を固めそうになった。いかんいかん、こいつの挑発に乗ったらこっちが悪者になってしまう。なんとかそう思いとどまった。


「季美のこととお前のことは何も関係ないじゃん」

「でも、約束しましたよね? お姉ちゃんを、NTRするって、ね?」


 左頬の小さなほくろを見せつけるようにして、牧那は顔を寄せてきた。


「あの約束、嘘だったんですか。本気じゃなかったんですか。負け犬のままでいいんですか」

「お前こそ面倒くさいよ、マジで」

「でも頑張ったら、本当にうちのこと、全部をあげますよ」

「……」

「それでもやる気が出ない?」


 グイグイと迫ってくる。こいつのことは本当に苦手だと抱介は心で思った。


「わかった、分かったから……。とりあえず先に図書室に行って待っててくれ。許可証もらったらすぐに行くから」

「本当に? 約束できます? 先輩のこと、今ひとつ信用できないんですよねー」


 などと、牧那は亜麻色の髪を揺らしながらそんなことをほざいていた。


「約束するって。他に行く場所もないからなー。でもお前の相手をするかどうかはまた別問題」

「けちー」


 まあいっか、とつぶやき、牧那はくるりと踵を返す。


「早く行けよ。二人でいるところを見られたら変な噂がたつぞ」

「それで先輩がやる気になってくれるなら、うちは何も問題ありませんけど。まあ、行ってます。じゃ」


 言いたいことを言うだけ言って、牧那はてけてけと早足で駆けだし、あっという間に廊下の角を曲がって消えてしまった。


「……いつから俺は、あいつに人生をトレードされるようになったんだろう」


 なんとなく絶望感に打ちひしがれて、そんなことを口にしてしまう。あいつもあっという間にいなくなるんだろうな。そんな悲しい想いも噴き出して来た。


 少なくとも季美と長い時間を過ごしたあの図書室。一年の最初から夏の始まりまで。二人だけの楽しい時間はそこにあったはずなのに。別れてしまったら何もかも泡のように溶けて消えてしまった。もう一度あんな悲しみを味わうなら、誰とも親しくなりたくない。


「とりあえず許可証、もらいに行くか」


 誰に言うとでもなくそう呟くと、抱介は予定通り職員室を目指して歩き出した。

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